WEB特集
記者が見た東電福島第一原発の今
3月6日 22時25分
わずか10時間で、1年間の限度を超えてしまう高い放射線量。
今も、毎日400トンも増え続けている、放射性物質を含む汚染水。
そして、40年かかるとされる、世界でも過去に例がない廃炉の作業。
原子炉3基がメルトダウンを起こすという未曽有の原発事故からまもなく2年。
NHKの取材班が5日、東京電力福島第一原発で単独の現場取材をしました。
取材から見えてきたことは、この2年間は、40年という果てしない間続く、放射線との戦いの、まだ入口に過ぎないという厳しい現実でした。
科学文化部の大崎要一郎記者が解説します。
周辺は暮らしが消えた街
福島第一原発の現場取材は、これまで、報道機関が共同で行ってきました。
今回の単独取材は、NHKの働きかけによって実現しました。
私たち取材班がまず向かったのは、事故対応の拠点となっている福島県楢葉町の「Jビレッジ」という施設。
ここは、福島第一原発から20キロほど南にあり、事故当初から現場に向かう作業員の中継基地になってきました。
ここで私たちは、東京電力のバスに乗って福島第一原発に向かいました。
原発に向かうおよそ40分の道は、警戒区域の中です。
沿道には、地震で壊れたままの商店や、置き去りにされた車が点在していました。
道を歩く一般の人はもちろんいません。
同じ被災地の岩手県や宮城県で復旧に向けた事業が進められているのとは異なり、ここでは住民が帰ってくるめどすら立っていません。
原発事故が奪ったものの大きさを改めて感じることになりました。
敷地に入ると防護服にマスク
福島第一原発の敷地に取材班が入ったのは、午前10時ごろ。
まず、原発事故で事故対応の拠点になった免震重要棟に立ち寄りました。
ここで、私たちは現場に向かうためのさまざまな装備を身につけなければなりませんでした。
▽防護服、▽手袋3枚、▽靴下2枚、▽全面マスク、▽ヘルメット、そして▽線量計。
実際に身につけると、マスクは顔にぴったりとくっつける必要があり、放射性物質を防ぐフィルター越しにしか息ができなくなります。
長時間つけていると締め付けられて痛みも感じました。
福島第一原発の敷地内の移動にはバスを使い、途中、6地点で、バスから降りて、被害の実態や廃炉作業の現状を取材しました。
わずか10時間で年間限度
まず、水素爆発を起こした原子炉建屋がカバーで覆われている1号機の周辺を訪れました。
これまで放射線量が高いためにバスの車内からしか取材できなかった場所です。
放射線の管理を厳重に行うことを条件に、報道機関として初めておよそ10分間歩いて取材しました。
1号機の周辺では、メルトダウンで溶け落ちた核燃料を冷やすために、事故当時、原子炉への注水で使われた消防車のホースや、津波で流され壊れた大型のタンクが、そのまま放置されています。
現場で放射線量を測定したところ、1時間あたり100マイクロシーベルトと、一般人の1年間の限度とされる量にわずか10時間で達する値でした。
作業が行われている現場には、地面に沈着した放射性物質による放射線から作業員を守るために、地面の至る所に厚さおよそ4センチの鉄板が敷き詰められていました。
取材中も、放射性物質の対策は徹底しています。
バスから降りる際には靴にカバーをつけます。
このカバーは再び乗り込むときに外すのですが、思わず外した足の裏を地面につけそうになって、東京電力の担当者からそのままバスの中に足を乗せるよう注意を受けました。
バスの車体に手をついてもいけません。
取材の中で放射線量が最も高かったのは、事故で最も多くの放射性物質を放出したとみられる2号機と3号機の前をバスで通りすぎたときで、1時間当たり300マイクロシーベルトを超えていました。
廃炉に向けた第一歩
続いて訪れたのは、水素爆発が起きた4号機。
廃炉に向けた最初の工程として、ことし11月に計画されている使用済み核燃料プールからの燃料の取り出しに向けて、多くの作業員が鉄骨製の巨大なカバーの建設に当たっていました。
4号機は水素爆発で使用済み燃料プールがある原子炉建屋が大きく壊れているうえ、福島第一原発で最も多い1533体の燃料が保管されています。
政府と東京電力が工程表にまとめた福島第一原発の廃炉の作業では、メルトダウンによって原子炉内や格納容器に溶け落ちた1号機から3号機の燃料を、循環させる水で冷却しながら、20年から25年後までに外に取り出したあと、最長で40年かけて原子炉建屋を解体する計画です。
4号機にある使用済み核燃料プールに保管された燃料の取り出しは、廃炉に向けた最初の重要な工程なのです。
4号機周辺の作業員たちも、私たちと同じ防護服にマスクという装いです。
通常の建設現場よりもはるかに働きづらいはずですが、重い資材を持ち運んだり、資材の配置を調整したりする作業は、淡々と行われている印象を受けました。
そのことは逆に、作業員たちが体力的にも精神的にも非常に厳しい条件に耐えていることを示しているのだとも思い、改めて現場の過酷さを実感しました。
汚染水は2年半で限界に
また今回の取材では、汚染水の浄化設備を動かす制御室に初めてカメラが入りました。
長時間の滞在ができるよう空調システムが整っている中で、マスクを外した作業員が、モニター画面に映し出されるさまざまな設備の運転状況を確認していました。
敷地内には、汚染水をためるためのおよそ930のタンクが設置されています。
高さ11メートルの、水1000トンをためる巨大なタンクが、わずか2日半で一杯になる勢いで汚染水が増えているのです。
現在設置されているタンクの容量は合わせて25万トンに上りますが、このうちおよそ95%が汚染水で一杯になっています。
東京電力は、今後2年間かけてタンクを、70万トンにまで増やすことができるとしています。
しかし、2年半後にはタンクの置き場がなくなることから、汚染水との戦いは喫緊の課題となっているのです。
今、東京電力は、汚染水から、これまで取り除けなかった放射性ストロンチウムなど62種類の放射性物質を除去する装置を建設中で、近く、汚染水を使った試験を始める計画です。
タンクから漏れ出た場合でも環境への影響を抑えたいという狙いです。
しかし、この装置でも、「トリチウム」という放射性物質は取り除けません。
当面、汚染水の増加の原因となっている地下水を、井戸を掘ってくみ上げて建屋への流入を抑える対策を進めることにしていますが、最終的に汚染水をどう処理するのか、判断を示していません。
東京電力の小森明生常務は、「汚染水の処理を、将来、どうするのか、まだ分からないが社会にしっかりと状況を説明し解決策を探していきたい。事故から2年がたつが、事故を起こした責任を胸に刻み一歩ずつでも廃炉に向けた作業を進めていきたい。今後、使用済み核燃料や溶け落ちた燃料を取り出すとなると、もっと高い放射線量での作業になるので、遠隔操作の装置やロボットなどを開発し課題を解決していく必要がある」と話していました。
果てしない放射線との戦い
およそ2時間の取材で、取材した記者やカメラマンの被ばく量は、最も多い人で68マイクロシーベルト。
想定よりは低かったものの、それでも一般人の1年間の限度量の15分の1に相当する値です。
事故からまもなく2年を迎える福島第一原発。
収束作業のための新たな設備や施設が建設される一方で、放射線量が高い現場や津波や爆発の被害が今もあちこちに残されていました。
40年かかるとされる廃炉に向けた厳しい道のり。
そしてその間は続く放射線との戦い。
取材で最も強く感じたのは、この2年間は、40年という果てしない時間のまだ入口に過ぎないという厳しい現実でした。