2013.03.13
人格否定の使いかた
今日アルバイトの面接に行ってきた という記事の感想。
リンク先冒頭、アルバイトの面接に出向いた作者の人は、面接担当の人から 「なんでもっと頑張らないんだ!?こんな貴重な体験をしてきたのに、もっと能動的に動かないともったいないぞ!」と叱られ、否定され、その割に不思議と、否定を行った面接担当者に親近感を覚えたんだという。
否定の入り口は「取り返しのつかない過去」
面接担当者は冒頭で、まずは作者の話に耳を傾ける。話を十分に聴いてから、「こんなに貴重な経験を積んできたのにそれを生かせないあなたはだめな人間だ」と否定を行使する。
否定というのは強い感情だけれど、初対面の誰かから「お前はだめなやつだ。クズだ」なんて面罵されたところで腹が立つだけで、その人を信頼しようとか、その人の言うことに耳を貸そうという気分にはならない。
否定の感情をぶつけるためには根拠が必要で、根拠は相手の過去にある。否定の対象となる誰かの話をまずはしっかりと聞いた上で、貴重であり、なおかつそれを活かすことができていない、取り返しのつかない過去の経験や資産を見出してみせ、「それを生かしていないあなたはだめな人間だ。努力が足りない。もったいない」と断じて見せるとうまくいく。
誰かから面と向かって自分を否定されることに耐性を持っている人はそんなに多くない。否定の感情は相手に刺さる。相手の否定に根拠があるように感じたり、そこを立ち去るとか、相手を殴ってみせるとか、自分自身にそうした選択枝がない、あるいはないと考えている場合には特に。大学に入ったばかりの学生や、就職活動に右往左往する卒業生の人たちは、だからこそ説得に対して脆弱なのだろうと思う。
否定は回避手段とセットにされる
「君はすばらしい何かを持っているのに全くそれを生かしていない。努力が足りない。残念だ」と断じられたら、たいていの人はたぶん、生かせなかったすばらしい何かを取り戻したくなる。
否定の言葉は、否定を回避するための方法論をペアにして運用することで、説得的コミュニケーションの効果的な道具になる。
回避の手段は、選択枝を排除することで説得力を増す。「あなたはだめな人間だ」という言葉に続けて、「もうすでに詰んでいる。取り返しがつかない状況だ」と現状を分析してみせることで、後に続く「こうすれば状況はきっと良くなる」という提案は、対象にとってより切実なものになる。
立場のある人ならば、立場にしがみつけば頑張れる。友人がたくさんいれば、誰かにすがれば回避手段を探索できる。両方とも失った人は、否定されると何にでも頼るようになる。
聞く技術としてのマインドコントロール
誰かに対して信念の書き換えを試みるときには、まずは対象を物理的/心理的に仲間から隔離する。選択肢の枯れた頃に人格の否定を行い、否定回避の代替手段として自分たちの側に好ましい考えかたを提示すれば、信念の上書きが行われる。上書きされた信念に基づいて一定期間生活時間を共有してもらい、今度はそうした体験を確かなものにするために、信念の宣誓を行なってもらうと、上書きされた信念は強化される。
隔離と否定、宣誓の組み合わせは基本技術だけれど、こうした技術を有効に行使するのはけっこう難しい。
隔離の品質を高めようと思ったら、その人の記憶から検証不能な体験の間隙を見出すことが大切になるし、有効な否定を行おうと思ったら、まずは対象の過去からかけがえのない価値を持った何かを見出すことが欠かせない。宣誓は、隔離と否定を通じて引きずり込まれた誰かが実際に過ごした時間と経験に基づいていなければ、単なる掛け声と変わらない。
マインドコントロールというものは、話す技術よりも聞く技術が大切になってくる。技術を聞きかじった程度の人が、相手を「からかってやろう」なんて名人に挑み、居心地よく「聞かれた」結果として、気がついたら後戻りできなくなった事例などもきっと多いのだろうと思う。
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