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【芸能・社会】

「薫ちゃん、なんでいつも想定外なの」 須藤薫さんを送る会

2013年3月13日 紙面から

弦楽四重奏をバックに「フォーエバーヤング」を捧げた杉真理=東京都大田区の臨海斎場で(石井裕之撮影)

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 1980年代に鮮烈な印象を残し、その後もライブ活動を続け、骨髄異形成症候群のため3日に亡くなった歌手の須藤薫(本名・相馬薫)さんを送る会が12日、東京都大田区の臨海斎場で営まれた。抜群の歌唱力と天然の明るさが誰からも愛されたように、マルチプロデューサーの松任谷正隆氏、佐野元春、つのだ☆ひろなど音楽関係者ら約150人のほかファン約300人も駆けつけ、58歳で突然逝ってしまった才能を惜しんだ。

 「薫ちゃん、なんでいつもそんなに想定外なの」。98年からユニットを組んで活動してきた盟友・杉真理(58)は、まるでおてんば少女のような表情の須藤さんの遺影に語りかけた。

 「オヤジ狩り」をヘアスタイルのことだと思っていたことや学習院を少年院と勘違いしていたことなど須藤さんの“天然”ぶりを表すエピソードを紹介すると会場には笑い声が広がった。

 須藤さんの真骨頂は、プロがリスペクトする表現力豊かな歌唱力。1979年に「やさしい都会」でデビュー後、大滝詠一や松任谷由実をはじめトップミュージシャンとクオリティーの高い日本語のポップスを生み出した。誰よりも才能を理解していた杉は、「人の琴線に触れてグッとつかんでしまうまれな人。難しいことをやってるのにわかりやすく、深いことを楽しく明るく聴かせる日本一のポップシンガーだった」と評した。

 この2人とともにコンサートツアーを行ったこともあるユーミンは、通夜に参列。同じく通夜に訪れた音楽評論家の反畑誠一さんは、「ウエストコースト風の乾いた中に、どこか甘酸っぱい感じのする音楽で、おしゃれなポップアートのようだった」。そして、「どこかから引っ張り出してきて今でも着られるTシャツみたいに古びていない。世代を超えて、今こういう音楽を時代が欲していたと思う」と残念がった。

 式場に入りきれないファンの多くが涙を流し、祭壇に手を合わせた。レコードやCDなど同じタイトルでも必ず買っていたという東京都内の会社員鈴木洋二さん(56)は、「声質が好きだったしポップスだけど哀愁があって、職人のようだった。これからも楽しみにしていたのに」と惜しんだ。

 喪主で音楽プロデューサーの夫・相馬敦さん(52)は、「薫の魂と音楽は永遠に残っていきます。作品がある以上現在進行形です。これからも須藤薫の音楽を聴いたら、あの笑顔を感じていただければ幸せです。これからもよろしくお願いします」とあいさつ。家族葬の予定を変更してつくった“最後のステージ”を締めくくった。 (本庄雅之)

◆5月にアルバム3枚が同時発売

 昨年3月に杉真理と出した「Ren−Ai Dou−Mei」が須藤さんの最後のアルバム。5月22日に「GOLDEN☆BEST 須藤薫シングルコレクション」(37曲)が発売されるほか、同日、84年の「Summer Holiday」、85年の「TEAR−DROP CARENDAR」がソニーミュージックから高品質CDとして発売されることが決まった。

 ◆闘病経過 昨年夏、以前からすぐれない体調が悪化。外来で治療していたが11月27日に東京都内の病院で検査を受け、翌日入院。骨髄異形成症候群と診断される。その後、脳内出血や血友病も併発、何度か危機的状況に陥る。今年1月に人工呼吸に切り替えるなど懸命の治療が続けられたが、3月3日午後1時32分、死去。

 ◆須藤薫 1954(昭和29)年5月1日東京生まれ。独協大学経済学部卒。学生時代から音楽活動を始める。79年、CBSソニーから「やさしい都会」でデビュー。80年代を代表するポップスシンガーとして活躍。ユーミンや松田聖子のバックコーラスも。シングル16作、オリジナルアルバム11作。代表曲は「あなただけI LOVE YOU」「涙のステップ」など。

 

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