DREAM/ING 111
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ウルトラセブン★その1:金城哲夫とノンマルト
アニメ・マンガ・特撮TV
/
2006-01-09
この間のマックス(「狙われない町」)から火がついて
セブンワールドに浸ってるんですが、セブンを調べようとすると、異常に濃いサイトに迷い込みなかなか帰ってこれません(や、楽しすぎるからなんすけど)。
で、記事化が大幅難航(汗;;。
ウルトラセブンは旧ウルトラシリーズ(というジャンルあるのか?)では一番好きな作品シリーズ。
ウルトラQ、初代ウルトラマン、怪奇大作戦、キャプテンウルトラ(え;)
あたりの円谷プロ作品は全般好きですが、社会への警告喚起等の問題意識を含めて、
今観ても充分観賞に耐える(個人的ノスタルジーもあるとして)内容だと思います。
それにしても思いが重いのね、皆様、特に男性陣。や、うちにも1人いますがw
★お薦めサイト(今回も参考にさせていただきました。)
研究・データバンクサイト
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/index.htm
http://home2.highway.ne.jp/hisanaga/7menu.html
円谷プロ公式サイト
http://www.m-78.jp/history.html
ウルトラセブンを語るポイントとして、よくあげられるのが以下の2点。
・脚本の暗さ(これが、セブンへの大人の支持率を高めてる要素でもあるのですが)
・失われた12話「遊星より愛をこめて」(原爆被害者支援活動によって放映中止)
今回はウルトラセブンの脚本の暗さの根源とされる(?)、
脚本家でありシリーズプランナーでもあった金城哲夫氏について、
代表作の1つ『ノンマルトの使者』を中心に、
極めて稚拙ながら自分なりに考察してみましたです。
====================================
金城哲夫
玉川大学在学中よりシナリオライターを目指して、円谷英二氏の知己を得る。英二氏の紹介で、ゴジラシリーズ脚本家の関沢新一氏に弟子入りした英二氏の秘蔵っ子。大学卒業後、円谷特技研究所を経て、円谷プロダクションの創立から参加。企画室長、文芸部長を歴任し、ウルトラシリーズの企画・構成を手がけた。業務分担があいまいだった円谷プロにおいて、実質的なプロダクション・プロデューサーの役割を果たした。
セブン終了の翌1969年2月、突然、円谷プロを退職して沖縄へ帰郷してしまった。以後、活動の場を沖縄に移し、ラジオ沖縄のパーソナリティや沖縄海洋博オープニングセレモニーの演出などを務める。しかし、1976年2月26日自宅の2階から墜落、逝去。享年37歳。
単独作品14本。
#1「姿なき挑戦者」
#2「緑の恐怖」
#3「湖のひみつ」
#7「宇宙囚人303」
#8「狙われた街」
#11「魔の山へ飛べ」
#14「ウルトラ警備隊西へ」(前篇)
#15「ウルトラ警備隊西へ」(後篇)
#18「空間X脱出」
#25「零下140度の対決」
#34「蒸発都市」
#42「ノンマルトの使者」
#48「史上最大の侵略」(前篇)
#49「史上最大の侵略」(後篇)
共同作品1本。
#4「マックス号応答せよ」山田正弘共同
====================================
金城哲夫氏については、さまざまな研究書がすでに出ていて
多角的な考察が行われています。
占領下の沖縄出身を常に意識していた彼は「強いものが弱いものをやっつけるのは間違っている」という信念を持っていたとされています。また「人間の相互理解」や「完全平和」の虚構性に気付き、不信感を持ち続け、同時にそれを強く希求した脚本家でもありました。
本州と沖縄との間で揺れ動き続けた彼の心情が吐露されたのが、異色作の多いセブンの中でもひと際異彩を放つ名作、第42話『ノンマルトの使者』。
アンヌ 「ノンマルトって何んなの?」
真 市 「本当の地球人さ」
アンヌ 「地球人??」
真 市 「ずっとずっと大昔、人間より前に地球に住んでいたんだ。でも、人間から海に追いやられてしまったのさ。人間は、今では自分たちが、地球人だと思ってるけど、本当は侵略者なんだ」
アンヌ 「人間が、地球の侵略者ですって?」
真 市 「……」
アンヌ 「まさか……まさか……」
真 市 「………」
アンヌ 「君……ノンマルトなの?」
真 市 「
人間はずるい、いつだって自分勝手なんだ。
ノンマルトを海底から追いやろうとするなんて……」
アンヌ 「バカね。真市君は人間なんでしょ。
だったら人間が人間のことを考えるのは、当然のことじゃない。
海底は私たちにとって、大切な資源よ」
真 市 「でも、ノンマルトには、もっともっともっと大切なんだ!!」
アンヌ 「わたしは人間なんだから人間の味方よ。真市君もそんなこと言うべきじゃないわ!」
ダ ン 「真市君!」
真 市 「
人間がやるんなら、ノンマルトもやるよ。
僕知らないからね!」
かつて地上に住んでいた先住民族ノンマルトを地上人が絶滅させる、という物語はウチナンチュウ(琉球人)とヤマトンチュウ(日本人)との確執をモチーフとしたと解釈されています。放映当時の沖縄の本土復帰直前という歴史的な意味と合わせて考えても、国策に翻弄されつづけた沖縄の人々の心情を託した作品と考えられます。
この物語ではウルトラセブンは、地上人サイドにたってノンマルトと闘う、ある意味悪役として描かれています。私自身はノンマルトの使者として登場する少年(実はすでに亡くなっているという設定)に強く共鳴し、子供心になんともいいようのない悲しさ、ウルトラセブンを含めた地上人(自分もなんだけど;)への怒りを感じた作品でした。
“なにが善でなにが悪か”なんて、立場が変われば簡単に変わる、そんな複眼思考への啓示。
よくある勧善懲悪モノのスーパーヒーローではなく、セブンをより人間くさく、悩める存在として印象づけた作品。だからこそ、セブンはより身近なリアルな存在として感じられるのだと思います。
ヒーローなのに「ゆらぎ」を持つセブンの葛藤は、デビルマンや仮面ライダーに通じるものがありますが(元々「悪」なのに正義のために闘う)、前者が自分のアイデンティティにはゆらぎがないのに対し、セブンのアイデンティティはどこか曖昧な部分があります。それは彼が宇宙人で、なのに地球人の姿を借りることで、地球人化していき、自らの立脚点を希薄化させてしまったからかもしれません。
自分の表現したいことと、作品世界の基本的前提(勧善懲悪)に矛盾を感じつづけ、また本土と沖縄の間で悩み続けた金城さんの写し身のように。
「人間であろうと、宇宙人であろうと、ダンはダンにかわりないじゃないの。たとえ、ウルトラセブンでも。」
(ウルトラセブン最終話)
「琉球人であろうとヤマトンチューであろうと、金城さんは金城さんに変わりないじゃないの」と書かれた研究サイトがありましたが、沖縄に帰った後の金城氏は地元で活動を続けながらも、本土への思いも断ち切れず、沖縄人にも本土人にもなり切れないという苦闘の中、酒浸りになって階段から転落死するという悲劇的結末を迎えます。享年37歳という若さでした。
「ダンは、死んで帰っていくんだろうか。もしそうなら、ダンを殺したのは俺たち地球人だ」(ソガ隊員)
ウルトラセブンとダンとの関係もまたユニークです。ハヤタと魂を共有した初代ウルトラマンとは違い、ダンは最初から最後までM78星雲人なのですが、その精神構造は極めて地球人に近い。最終話でセブンに依存しきった地球防衛軍の隊員達(依存度が高まっていく状況もシリーズでよく落し込まれていますが)が、最後にはセブンではなくダンとして応援する。いいかえれば宇宙人に戻って宇宙に帰ったウルトラマンとは異なり、セブンはダンのまま宇宙に帰ったと言えます。宇宙人でありながら地球人。ここでもまたアイデンティティの二重構造は生きている。
セブン頼りでアイデンティティを失い、依存体質を強める地球防衛軍が
ヒーローの“死”(実際には希望をもって締括られていますが)によって
自分たちの存在意義を再確認するエンディングもまた秀逸です。
ウルトラセブンがなぜ面白いか、それはシリーズプランナーでもあった金城哲夫氏を中心に、
作り手たちが真剣に悩み、妥協せず徹底的に能力をぶつけあい、
それゆえ見る側にも真剣に考えることを求める存在だから
だと思います。
マスメディア操作、脊椎反射なゲーム脳(というかゲーム時間)、ネット、他、
複合的依存によって、
自身で思考することを放棄しつつある人たちがますます増えそうな、
「ゆえに我なし」症候群な感のある21世紀・日本。
今だからこそ「悩み考えるヒーロー」ウルトラセブンに戻ってきてほしい。
と願う私もヒーロー依存なのでしょうか?
自身が“キャッチャーになろうよ”は
「ライ麦畑でつかまえて」
のコメント欄で
深く思ったことですが、ヒーローはさすがになれなくても
真剣に悩み考え、自分の言葉で発信するブロガーでありたいと願います。
次回予告:失われた12話「遊星より愛をこめて」予定
※参考情報、記事ご協力お願いいたします。
★ウルトラ関連自記事
ウルトラセブン★セブンで遊ぼっ!
緊急速報★明日のウルトラマンマックスは!
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セブンは知りませんが・・・
(
zippa-zappa
)
2006-01-10 15:40:46
ウルトラセブンを観たこと無いのですが・・・
記事へのコメント。
「悪である限り悪はほろびる、なぜならこの私が正義だから」という月光仮面的正義に団塊の世代が気付いたという話(夏目房之介が書いていた)を思い出しました。
結局、何を語ろうと全ては、根拠の無い「同一性」に帰着してしまう。
それは、地球人であれ、ノンマルトであれ、琉球人であれ同じなのだと思います。
ノンマルトに感情移入するのも、単純にウルトラマンの正義を信じるのも、構造上は同じでしかない。
ノンマルト的なものへの感情移入は、地球人の行為は悪という判断を前提としているのですから。結局、突き詰めれば、地球人の行為は悪という、根拠の無い判断を根底に抱えることになる。
そのため、最後は
>人間がやるんなら、ノンマルトもやるよ。
ということになる、単純なパワーゲームの世界。
両者とも根拠が無い以上、勝った者が正義となる。
イスラムとキリスト教なんかも、この構造かも。
中国、韓国と日本の問題もこういう構造に陥りがちなきも。危ないネタですが。
>自身で思考することを放棄しつつある人たちがますます増えそうな
この辺が、私となるもにあさんの最大の違いですね。
私は、「自身の思考」や「自分の言葉」より、共通知が重要だと思っているので。というか、思考は記憶の再現に過ぎないとすら思っています。
記憶や再現の際のノイズが個性を形成していると。
だから
>人間であろうと、宇宙人であろうと、ダンはダンにかわりないじゃないの
って言葉には感銘を受けない。
ダンは、セブンであることによりダンでありえる。
人のあらゆる属性は、その人を示す。
正義と悪の構造に気付いていながら、ダン=ダンだからOKってのは、変。
>「悩み考えるヒーロー」ウルトラセブンに戻ってきてほしい。と願う私もヒーロー依存なのでしょうか?
デビルマン以降、悩めるヒーローそれ自体がステレオタイプな存在ですからね。
というより、善/悪の構造を否定するのも、善/悪の構造の内なので、この問題を本気でドラマにすると、天使のたまご状態になるのでは?
zippa-zappa様
(
なるもにあ
)
2006-01-10 21:25:40
興味深い考察、ありがとうございます♪
こういうご馳走コメントくださる方がいて、まじラッキー!!(オイ!
(謎を食べるネウロのように舌なめずり♪<いつか返り討ちにあうってばよ;;
えと・・・毎度ながら長くて申し訳ないッス。
>両者とも根拠が無い以上、勝った者が正義となる。
このお話の平和的解決としては、やはり対話による相互理解となるのでしょう。
ただ、相互利害がある限り、対話し理解しあっても、現実的対処は別かもしれない。それが現在の資本主義的戦争の泥沼要素ですね。
利害のためには、あえて悪を作るしかない。
>私は、「自身の思考」や「自分の言葉」より、共通知が重要だと思っているので。
表現が足りなくてごめんなさい。(定義を同じにする必要はありますが)「共通知」は私も非常に大切だと思っています。ネットワーク化の最大恩恵でもありそうですし。
ただ「知」に関しては、共通化のみでは出てこない。共通・知というのは、情報の形(主にデータプール状態)であって使い方ではないと思うのですが、いかがでしょうか?90年代前半に流行った(笑)ナレッジ・マネジメントの多くが見直しを迫られているのは、そのためかと。
zippa-zappa様自身が、(私の定義において)自身で考える(情報加工できる)人だからこそ、「共通知」は生きている。
私はそう思いますです。
共通知の重要概念である「ノウフー」の考え方は、「個人」に知を求めますよね。
そういう意味での「個」性です。でもそれは個人のオリジナルでなくてもよくて(てかそんなものは多分存在しない)、ある情報を個人がどう解釈するか、というところを重視しています。
データバンクはバンクでしかない。ものを知る、が「理解する」でなくなってきていると思います。(情報過多という情報化のトラップ発動してるかも)
コミュニケーションツールとして言葉を使う以上、真の意味でのオリジナリティはない。(ごく当然ながら)なので、「自分で考える」と言っても、常に共通化されてきたものがベースになる。
形式知/暗黙知(SECIモデル)でも、必ずいったん「個」に集約され「個」が基点となりますよね。その「個」性です。
共通知の個人の積み重ね方というべきか?腑への落とし方というか?
腑に落とさず、オウムのように複製し、流すだけの人が増えてる気がしています。意味化の話になっちゃうのかなぁ??
長くなてきますた。;;
(大好物だし、こういう話;;;)
今回、最後の文章で言いたかったことは、簡単に言えば「鵜呑みにしない、判断のためにより幅広く多角的に情報を集める、もしくは選び取った他者情報を自己責任のうえ自分の情報として認識する」という感じでしょうか。
>ダンは、セブンであることによりダンでありえる。
>人のあらゆる属性は、その人を示す。
そうですね。
でもって、それができれば金城さんは死なずにすんだように思います。
(時代の差はあるかも&ある意味凄いシンプルな時代だったのかも。)
ただ、葛藤や悩みがあるから生み出される「知」はあると思います。
私にとって当時のセブンは、そうした複眼思考メディアだったんだと
思います。(今はもう当たり前なんですけど・・・)
で、物事を多角的に観たい(こういう様々な意見を聞きたい)
私のベースはこのあたりで形成されてる気がしています。
今回のセブンに関しては昭和もののノスタルジーたっぷりっす!
当時は知らなかったことに今頃であって、再認識してる自分がなんか嬉しい超自己満足企画ですが、よろしければ第2弾もぜひぜひおつきあいくださいませ。いつになることやら、ですが;
てか、私自身はけっこう「我ありき」タイプなので、実は悩むことも含めて
最終的にはすべて自身のご馳走と思っていますが。
やぁ、なんかね、zippa-zappa様のコメントで
突っ込んでくださると、あ、そういう切り口もあるよね!てな感じで、レス書いてるうちにいつもすっごく頭が活性化されますです。記事以上に・・・(オイオイ
んとにご馳走さまでございます♪大感謝ですっ!
ノンマルトとの結着
(
わかさん(♂)
)
2006-01-11 08:43:48
TB ありがとうございました。初のトラックバックです。(実はまだTBの仕組みがあまり良く理解できていない・・・のですが。)
さて、タイトルの件ですが、「平成セブン」 \"わたしは地球人\"でノンマルトの正体がハッキリと示されてしまいましたね。この点に関しては満田氏が「(先住民なのか侵略者なのか)ハッキリしないからよかったんだ」という意味の発言を雑誌記事のインタビューで述べています。
沖縄出身で、米軍による沖縄占領時代を生きた金城氏の脚本であることを考えると、言いたいことが何だったのか分るような気が・・・。でもやっぱりハッキリしないところが \"ノンマルトの使者\" の深みであると思います。
わかさん(♂)様
(
なるもにあ
)
2006-01-11 10:44:52
コメントありがとうございます!&おいでくださって嬉しいです。
(初TBさせていただけて光栄です♪)
平成セブンを見ていないので(これでセブン語るのヤバイっすかね?;;)さっそく調べてみました。
かなりはっきり被害者になってしまったんですね。
金城さんの脚本でも、明確にはなっていなかったので、そこに様々な解釈が生まれ、深みが出たと、私も思います。
また遊びにいらして下さいね!
こんにちは
(
半泥
)
2006-01-12 14:57:59
TBありがとうございました。遊びにきました。
金城さんのことは数年前の『ウルトラセブンをつくった人びと』とかのTV番組で知りました。あのドラマでは金城役は佐野史郎だったと思います。
ウルトラセブンに深刻に自己を考察させるなら、お前はなぜ地球人をまもるのか、お前にとって地球人とはなんなのか、ということになります。そうしたことに疑問をもたずヒーローを続けられるウルトラ家族こそ怪獣たちにくらべて深み・人間性の欠けるひとたちなのですけど。
「自分は健康である」という高みに立ってボランチィアをしている人のようです。たぶんそれを考えはじめると彼らはヒーローをやめたくなるでしょう。『エヴァンゲリオン』の主人公のようになるのかもしれませんね。
半泥様
(
なるもにあ
)
2006-01-12 21:18:47
おいでくださってありがとうございます。
>『ウルトラセブンをつくった人びと』
私も観ました。そういう複雑な背景が表現者として
でてしまった作品というのが興味深いです。
>お前はなぜ地球人をまもるのか、
>お前にとって地球人とはなんなのか、
なるほど、面白いですね!
セブン関係の資料を読んでいくと、セブンはやはり非常に不安定なヒーローだというのが、顕著に感じられます。敵がいるからこそヒーローになれる、という構造を逆説的に明らかにした作品でもあるかなと思います。敵がいるから、以外に上記を追求した番組が作られると興味深いですね。
>高みに立ってボランチィア
はじめからヒーローとして位置づけられた背景のない作品が多いですよね。子どもとはいえ、そういうものはわかるので、マックスにしても懐古趣味に走らず、もう少し根っこを引き継いで欲しいです。
>『エヴァンゲリオン』の主人公のように
エヴァや『最終兵器彼女』のような世界系のアニメは、内省的に走るので様々な思いが「自己」に帰着してしまう気がしますが、セブンは(私の思い込みもあるでしょうが)視野を俯瞰させてところから、関係性を見ている気がします。そこをもうすこし極めた作品が見たいです。
とても面白い考察をありがとうございました!
荷が重いと思いながら、とっても楽しいのでセブン研究は続けたいと思っています。またアドバイス等よろしくお願いいたします!
ウルトラ・ニュースだ(^^)
(
鱧男
)
2006-01-14 18:38:14
ウルトラマンの街、誕生へ=博物館建設、怪獣数千体展示−タイ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060114-00000014-jij-int
セブンではありませんでした。
鱧男様
(
なるもにあ
)
2006-01-14 20:51:37
おお!貴重な情報感謝です!!
歴代、だからセブンも入りますよ、きっと!!
楽しみですぅ♪
でも・・・ちょと遠い〜。
ノンマルトのシ者
(
ヤボオ
)
2006-01-15 11:28:52
こんにちは。
この作品、タイトルが「海底人ノンマルト」ではなく「ノンマルトの使者」になっているところがみそだと思います。
ノンマルトの主張が、すべて「ノンマルト」でも「人間」でもない、少年の口から語られることで、ファンタジーとしての面白さを増しています。額面通りに「人間は侵略者なのか?」と考えることもできるし、いや、あの少年は狡猾な異星人ノンマルトがセブンの戦闘意欲を下げるために送り込んだ策略だったのでは、とか、子をしのぶ母の思いと、セブンの異星人のオーラが融合して少年を思念体としてよみがえらせたのでは、とか、いろいろな解釈ができて楽しい。
しかしそれ以上に、ノンマルトと人間を直接対話させず、そのあいだに第三者を置くことによって「人間」「ノンマルト」の存在が相対化され、視聴者が必要以上にノンマルトに同情したりしないようにする、という効果を生んでいます。実際、この番組を観ただけでは、本当にノンマルトが先住民だったかどうかは疑問です。
普通なら「人間が実は地球の侵略者」というプロットを思いついた時点で満足するところです。しかしあえてそこで止まらず、生けるもの同士の戦いが起きたとき、どちらが先住民か、どちらが侵略者なのか、そしてどちらが正しいか、そんなことは常に分からないのだ、という冷めた世界観の提示に向かっているところが、金城哲夫という人の非凡さを示しているように感じます。この人の才能すべてを「沖縄」に結びつけるのはいかがなものかと思いますが、やはりそこには複雑な歴史を持つ郷土に育ったことの影響を見ずにはいられません。
では、ウルトラセブンは、結局は地球に現在住んでいる者と、これから地球に住みたいとする者の争いを描いただけの話なのでしょうか。基本的にはそうです。しかし、完全に分かり合うことはできなくても、その中でほんのちょっとした友情や、ひょっとしたら恋愛のようなものも、存在できるかもしれない。信頼のかけらぐらいは、生まれるかもしれない。そのわずかな希望を持って最終回を迎えています。それが「ダンはダンにかわりない」というセリフにつながります。
まだ、このころは金城氏の中に希望があったのでしょう。しかし彼のその後の人生を考えると、あの最終回がとても悲しいものに思えてしまうのが、何ともやるせないところです。
ヤボオ様
(
なるもにあ
)
2006-01-15 18:18:35
おいでくださって嬉しいです!
セブン考、本当に奥が深いというか、勉強不足でした;;
ヤボオ様、なんだかとっても「さすが!」です!!
亡くなった少年、というのが奥行きを増している、とは思ったのですが、
なるほど、少年の解釈もいろいろありですね。
>本当にノンマルトが先住民だったかどうかは疑問です。
いわれてみれば、たしかにそうですね!!
う〜ん、私はけっこうこの少年に感情移入した派なので、ノンマルトに同情しちゃってたかも。(;
お花が波間に揺れるのが切なかったのですが、あれはノンマルトにも
手向けられてたのかも?(と、今ごろ思ってみたり
>そしてどちらが正しいか、そんなことは常に分からないのだ、
>という冷めた世界観の提示に向かっている
深いです〜!!
アンヌと少年の会話が印象的なのですが、誰かのために闘う、というのは
その時点で憎しみの連鎖発動なんですよね(今年のお正月の「里見八犬伝」も同じテーマでしたが)。
闘いの虚しさ(結局誰も幸せにはなれない)に気づかせられるエンディングです。
ダンの位置づけについては、今回いろいろ資料を読んでいて、
面白い、と思ったのですが、宇宙人として考えるとものすごくイキイキと
地球人になりきってるんですよね。
アンヌともいい感じだったり。(だからメトロン星人との会話で、ダンのままセブンとして対話してるのが、もうものすっごく新鮮だったわけで)。
なので、
>そのわずかな希望を持って最終回を迎えています。
というのはとっても同感な気持ちです。
ダンは地球人が好きだったんだろうなぁ、と思います。
セブンは知れば知るほど知りたくなる、本当に深い作品だなぁ、と
実感!続けていく予定ですのでまた、アドバイス等よろしくお願いいたします!!
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記事へのコメント。
「悪である限り悪はほろびる、なぜならこの私が正義だから」という月光仮面的正義に団塊の世代が気付いたという話(夏目房之介が書いていた)を思い出しました。
結局、何を語ろうと全ては、根拠の無い「同一性」に帰着してしまう。
それは、地球人であれ、ノンマルトであれ、琉球人であれ同じなのだと思います。
ノンマルトに感情移入するのも、単純にウルトラマンの正義を信じるのも、構造上は同じでしかない。
ノンマルト的なものへの感情移入は、地球人の行為は悪という判断を前提としているのですから。結局、突き詰めれば、地球人の行為は悪という、根拠の無い判断を根底に抱えることになる。
そのため、最後は
>人間がやるんなら、ノンマルトもやるよ。
ということになる、単純なパワーゲームの世界。
両者とも根拠が無い以上、勝った者が正義となる。
イスラムとキリスト教なんかも、この構造かも。
中国、韓国と日本の問題もこういう構造に陥りがちなきも。危ないネタですが。
>自身で思考することを放棄しつつある人たちがますます増えそうな
この辺が、私となるもにあさんの最大の違いですね。
私は、「自身の思考」や「自分の言葉」より、共通知が重要だと思っているので。というか、思考は記憶の再現に過ぎないとすら思っています。
記憶や再現の際のノイズが個性を形成していると。
だから
>人間であろうと、宇宙人であろうと、ダンはダンにかわりないじゃないの
って言葉には感銘を受けない。
ダンは、セブンであることによりダンでありえる。
人のあらゆる属性は、その人を示す。
正義と悪の構造に気付いていながら、ダン=ダンだからOKってのは、変。
>「悩み考えるヒーロー」ウルトラセブンに戻ってきてほしい。と願う私もヒーロー依存なのでしょうか?
デビルマン以降、悩めるヒーローそれ自体がステレオタイプな存在ですからね。
というより、善/悪の構造を否定するのも、善/悪の構造の内なので、この問題を本気でドラマにすると、天使のたまご状態になるのでは?
こういうご馳走コメントくださる方がいて、まじラッキー!!(オイ!
(謎を食べるネウロのように舌なめずり♪<いつか返り討ちにあうってばよ;;
えと・・・毎度ながら長くて申し訳ないッス。
>両者とも根拠が無い以上、勝った者が正義となる。
このお話の平和的解決としては、やはり対話による相互理解となるのでしょう。
ただ、相互利害がある限り、対話し理解しあっても、現実的対処は別かもしれない。それが現在の資本主義的戦争の泥沼要素ですね。
利害のためには、あえて悪を作るしかない。
>私は、「自身の思考」や「自分の言葉」より、共通知が重要だと思っているので。
表現が足りなくてごめんなさい。(定義を同じにする必要はありますが)「共通知」は私も非常に大切だと思っています。ネットワーク化の最大恩恵でもありそうですし。
ただ「知」に関しては、共通化のみでは出てこない。共通・知というのは、情報の形(主にデータプール状態)であって使い方ではないと思うのですが、いかがでしょうか?90年代前半に流行った(笑)ナレッジ・マネジメントの多くが見直しを迫られているのは、そのためかと。
zippa-zappa様自身が、(私の定義において)自身で考える(情報加工できる)人だからこそ、「共通知」は生きている。
私はそう思いますです。
共通知の重要概念である「ノウフー」の考え方は、「個人」に知を求めますよね。
そういう意味での「個」性です。でもそれは個人のオリジナルでなくてもよくて(てかそんなものは多分存在しない)、ある情報を個人がどう解釈するか、というところを重視しています。
データバンクはバンクでしかない。ものを知る、が「理解する」でなくなってきていると思います。(情報過多という情報化のトラップ発動してるかも)
コミュニケーションツールとして言葉を使う以上、真の意味でのオリジナリティはない。(ごく当然ながら)なので、「自分で考える」と言っても、常に共通化されてきたものがベースになる。
形式知/暗黙知(SECIモデル)でも、必ずいったん「個」に集約され「個」が基点となりますよね。その「個」性です。
共通知の個人の積み重ね方というべきか?腑への落とし方というか?
腑に落とさず、オウムのように複製し、流すだけの人が増えてる気がしています。意味化の話になっちゃうのかなぁ??
長くなてきますた。;;
今回、最後の文章で言いたかったことは、簡単に言えば「鵜呑みにしない、判断のためにより幅広く多角的に情報を集める、もしくは選び取った他者情報を自己責任のうえ自分の情報として認識する」という感じでしょうか。
>ダンは、セブンであることによりダンでありえる。
>人のあらゆる属性は、その人を示す。
そうですね。
でもって、それができれば金城さんは死なずにすんだように思います。
(時代の差はあるかも&ある意味凄いシンプルな時代だったのかも。)
ただ、葛藤や悩みがあるから生み出される「知」はあると思います。
私にとって当時のセブンは、そうした複眼思考メディアだったんだと
思います。(今はもう当たり前なんですけど・・・)
で、物事を多角的に観たい(こういう様々な意見を聞きたい)
私のベースはこのあたりで形成されてる気がしています。
今回のセブンに関しては昭和もののノスタルジーたっぷりっす!
当時は知らなかったことに今頃であって、再認識してる自分がなんか嬉しい超自己満足企画ですが、よろしければ第2弾もぜひぜひおつきあいくださいませ。いつになることやら、ですが;
てか、私自身はけっこう「我ありき」タイプなので、実は悩むことも含めて
最終的にはすべて自身のご馳走と思っていますが。
やぁ、なんかね、zippa-zappa様のコメントで
突っ込んでくださると、あ、そういう切り口もあるよね!てな感じで、レス書いてるうちにいつもすっごく頭が活性化されますです。記事以上に・・・(オイオイ
んとにご馳走さまでございます♪大感謝ですっ!
さて、タイトルの件ですが、「平成セブン」 \"わたしは地球人\"でノンマルトの正体がハッキリと示されてしまいましたね。この点に関しては満田氏が「(先住民なのか侵略者なのか)ハッキリしないからよかったんだ」という意味の発言を雑誌記事のインタビューで述べています。
沖縄出身で、米軍による沖縄占領時代を生きた金城氏の脚本であることを考えると、言いたいことが何だったのか分るような気が・・・。でもやっぱりハッキリしないところが \"ノンマルトの使者\" の深みであると思います。
(初TBさせていただけて光栄です♪)
平成セブンを見ていないので(これでセブン語るのヤバイっすかね?;;)さっそく調べてみました。
かなりはっきり被害者になってしまったんですね。
金城さんの脚本でも、明確にはなっていなかったので、そこに様々な解釈が生まれ、深みが出たと、私も思います。
また遊びにいらして下さいね!
金城さんのことは数年前の『ウルトラセブンをつくった人びと』とかのTV番組で知りました。あのドラマでは金城役は佐野史郎だったと思います。
ウルトラセブンに深刻に自己を考察させるなら、お前はなぜ地球人をまもるのか、お前にとって地球人とはなんなのか、ということになります。そうしたことに疑問をもたずヒーローを続けられるウルトラ家族こそ怪獣たちにくらべて深み・人間性の欠けるひとたちなのですけど。
「自分は健康である」という高みに立ってボランチィアをしている人のようです。たぶんそれを考えはじめると彼らはヒーローをやめたくなるでしょう。『エヴァンゲリオン』の主人公のようになるのかもしれませんね。
>『ウルトラセブンをつくった人びと』
私も観ました。そういう複雑な背景が表現者として
でてしまった作品というのが興味深いです。
>お前はなぜ地球人をまもるのか、
>お前にとって地球人とはなんなのか、
なるほど、面白いですね!
セブン関係の資料を読んでいくと、セブンはやはり非常に不安定なヒーローだというのが、顕著に感じられます。敵がいるからこそヒーローになれる、という構造を逆説的に明らかにした作品でもあるかなと思います。敵がいるから、以外に上記を追求した番組が作られると興味深いですね。
>高みに立ってボランチィア
はじめからヒーローとして位置づけられた背景のない作品が多いですよね。子どもとはいえ、そういうものはわかるので、マックスにしても懐古趣味に走らず、もう少し根っこを引き継いで欲しいです。
>『エヴァンゲリオン』の主人公のように
エヴァや『最終兵器彼女』のような世界系のアニメは、内省的に走るので様々な思いが「自己」に帰着してしまう気がしますが、セブンは(私の思い込みもあるでしょうが)視野を俯瞰させてところから、関係性を見ている気がします。そこをもうすこし極めた作品が見たいです。
とても面白い考察をありがとうございました!
荷が重いと思いながら、とっても楽しいのでセブン研究は続けたいと思っています。またアドバイス等よろしくお願いいたします!
セブンではありませんでした。
歴代、だからセブンも入りますよ、きっと!!
楽しみですぅ♪
でも・・・ちょと遠い〜。
この作品、タイトルが「海底人ノンマルト」ではなく「ノンマルトの使者」になっているところがみそだと思います。
ノンマルトの主張が、すべて「ノンマルト」でも「人間」でもない、少年の口から語られることで、ファンタジーとしての面白さを増しています。額面通りに「人間は侵略者なのか?」と考えることもできるし、いや、あの少年は狡猾な異星人ノンマルトがセブンの戦闘意欲を下げるために送り込んだ策略だったのでは、とか、子をしのぶ母の思いと、セブンの異星人のオーラが融合して少年を思念体としてよみがえらせたのでは、とか、いろいろな解釈ができて楽しい。
しかしそれ以上に、ノンマルトと人間を直接対話させず、そのあいだに第三者を置くことによって「人間」「ノンマルト」の存在が相対化され、視聴者が必要以上にノンマルトに同情したりしないようにする、という効果を生んでいます。実際、この番組を観ただけでは、本当にノンマルトが先住民だったかどうかは疑問です。
普通なら「人間が実は地球の侵略者」というプロットを思いついた時点で満足するところです。しかしあえてそこで止まらず、生けるもの同士の戦いが起きたとき、どちらが先住民か、どちらが侵略者なのか、そしてどちらが正しいか、そんなことは常に分からないのだ、という冷めた世界観の提示に向かっているところが、金城哲夫という人の非凡さを示しているように感じます。この人の才能すべてを「沖縄」に結びつけるのはいかがなものかと思いますが、やはりそこには複雑な歴史を持つ郷土に育ったことの影響を見ずにはいられません。
では、ウルトラセブンは、結局は地球に現在住んでいる者と、これから地球に住みたいとする者の争いを描いただけの話なのでしょうか。基本的にはそうです。しかし、完全に分かり合うことはできなくても、その中でほんのちょっとした友情や、ひょっとしたら恋愛のようなものも、存在できるかもしれない。信頼のかけらぐらいは、生まれるかもしれない。そのわずかな希望を持って最終回を迎えています。それが「ダンはダンにかわりない」というセリフにつながります。
まだ、このころは金城氏の中に希望があったのでしょう。しかし彼のその後の人生を考えると、あの最終回がとても悲しいものに思えてしまうのが、何ともやるせないところです。
セブン考、本当に奥が深いというか、勉強不足でした;;
ヤボオ様、なんだかとっても「さすが!」です!!
亡くなった少年、というのが奥行きを増している、とは思ったのですが、
なるほど、少年の解釈もいろいろありですね。
>本当にノンマルトが先住民だったかどうかは疑問です。
いわれてみれば、たしかにそうですね!!
う〜ん、私はけっこうこの少年に感情移入した派なので、ノンマルトに同情しちゃってたかも。(;
お花が波間に揺れるのが切なかったのですが、あれはノンマルトにも
手向けられてたのかも?(と、今ごろ思ってみたり
>そしてどちらが正しいか、そんなことは常に分からないのだ、
>という冷めた世界観の提示に向かっている
深いです〜!!
アンヌと少年の会話が印象的なのですが、誰かのために闘う、というのは
その時点で憎しみの連鎖発動なんですよね(今年のお正月の「里見八犬伝」も同じテーマでしたが)。
闘いの虚しさ(結局誰も幸せにはなれない)に気づかせられるエンディングです。
ダンの位置づけについては、今回いろいろ資料を読んでいて、
面白い、と思ったのですが、宇宙人として考えるとものすごくイキイキと
地球人になりきってるんですよね。
アンヌともいい感じだったり。(だからメトロン星人との会話で、ダンのままセブンとして対話してるのが、もうものすっごく新鮮だったわけで)。
なので、
>そのわずかな希望を持って最終回を迎えています。
というのはとっても同感な気持ちです。
ダンは地球人が好きだったんだろうなぁ、と思います。
セブンは知れば知るほど知りたくなる、本当に深い作品だなぁ、と
実感!続けていく予定ですのでまた、アドバイス等よろしくお願いいたします!!