ウィーン・フィル:半数がナチス党員 「暗い歴史」を発表
毎日新聞 2013年03月13日 16時05分(最終更新 03月13日 17時23分)
【ウィーン樋口直樹】ナチス・ドイツのオーストリア併合75周年を機に、世界的に有名なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、ナチスに事実上荷担していた「暗い歴史」の詳細を初めて発表した。楽団を追放され強制収容所ヘ送られたユダヤ人の経歴や、楽団から顕彰されたナチス幹部らの名簿などを明らかにすることで、知られざる実像の一端に光を当てた。
ウィーン・フィルの歴史資料などを基にした歴史家の調査によると、第二次大戦中の1942年当時、123人の団員のうち約半数の60人はナチス親衛隊員を含むナチスの党員や入党希望者で占められていた。ナチスによる38年3月のオーストリア併合以降、13人の団員がユダヤ人であることなどを理由に追放され、うち5人は強制収容所へ送られるなどして死亡した。
ウィーン・フィルの多くの団員は、オーストリアではまだナチスが非合法化されていた38年以前から、ドイツのナチスに秘密で入党し始めた。45年5月のドイツ降伏後、楽団から追放された党員はわずか4人。うち1人は親衛隊員だったが、2年後には再び主要なトランペット奏者として楽団に復帰した。
一方、ナチス治世下のウィーン・フィルは、優れた演奏家に与えてきた名誉の指輪やメダルなどをナチスや軍の幹部に授与した。このうち、42年に顕彰されたウィーンのナチス幹部は戦後、数万人ものユダヤ人の強制収容所送りを監督したとして、ニュルンベルグ裁判で禁固20年を言い渡された。しかもこの人物には出所後、改めて楽団から指輪が贈られていた。
世界約80カ国で5000万人以上の視聴者を持つと言われる「ニューイヤー・コンサート」にも、ナチスの影がつきまとう。演奏会の定番、ヨハン・シュトラウス2世作「美しく青きドナウ」などワルツの数々は、戦争の暗いイメージから人々の気をそらす「プロパガンダ」として、39年大晦日のコンサートから始まったという。
ウィーン・フィルとナチスの深い関係は戦後長らく表沙汰にされずにきた。オーストリアでは戦後、自らをナチスによる「最初の犠牲者」とする公式見解が維持されため、ナチスとの「黒い関係」の洗い出しはタブーだったためだ。91年にオーストリアにも責任があることを初めて認めたが、最新の世論調査によると、今でも半数近い国民は自国を犠牲者とする考え方に固執している。