時論公論  「JR福知山線事故 前社長無罪判決の意味」2012年01月11日 (水)

松本 浩司  解説委員

【リード】
107人が死亡したJR福知山線の脱線事故で、業務上過失致死傷の罪に問われたJR西日本の前の社長に、神戸地方裁判所は「無罪」の判決を言い渡しました。鉄道事故で経営幹部が刑事責任を問われるのは極めて異例のことですが、鉄道史上でもまれに見る大惨事だっただけに、裁判所がその責任をどう判断するのか注目されていました。なぜ無罪になったのか、また鉄道をはじめ社会の安全性を高めるために、この判決をどう受け止めるべきなのか、考えます。

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【事故と裁判の概要】
(VTR)
事故が起きたのは7年前の4月25日、兵庫県尼崎市のJR福知山線で、快速電車がカーブを曲がりきれずに脱線し、乗客106人が亡くなり、562人がけがをしました。事故の直接の原因は死亡した運転士のブレーキ操作が遅れ、制限速度を大きく上回るスピードでカーブに進入したことでした。

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この事故でJR西日本の歴代の社長をはじめ10人が書類送検されましたが、検察は山崎正夫(やまざきまさお)前社長だけを業務上過失致死傷の罪で起訴しました。現場の線路は事故の9年前に急カーブに作り直されていましたが、山崎前社長は、そのとき安全対策の実質的な最高責任者でした。検察は前社長が事故防止対策を怠ったことが事故につながった、として禁錮3年を求刑していました。
 
【裁判の争点~予見可能性と結果回避義務】

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裁判の最大の争点は、山崎前社長が現場のカーブで脱線事故が起こることを予測し、事故を防ぐため現場にATS=自動列車停止装置を設置する義務があったか、という点です。

まず「事故を予測できたか」について、検察は、
▼急カーブへの変更などで現場は際立って危険性の高いカーブになっていた
▼その頃、北海道の同じようなカーブで貨物列車の脱線事故が起きていた、と指摘し、
「事故の危険性を認識できたはずだ」と主張しました。

これについて判決は、
▼「同様の急カーブはかなりの数存在していて、具体的な危険性を認識していたとは言えない」
▼貨物列車の事故も「大きく様相が異なっている」と否定しました。

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また「ATSを設置する義務があったか」について検察は、
▼当時、ATSの設置は義務づけられていなかったが、法令は最低限の基準を示したものに過ぎない
▼事故で重大な被害が出ることを考えれば、発生確率が低くても『いつかは起こり得る』のであれば、直ちに安全対策をとるべきだった、と主張しました。

この点についても判決は、
▼当時、鉄道業界の認識としてもATSの設置は一般的でなく、『いつかは起こり得る』程度の認識は『危惧感』に過ぎず、ATS設置の義務があったとは言えないと指摘。
山崎前社長に「過失はなかった」として「無罪」を言い渡しました。

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一方で、判決はJR西日本の組織としての責任について「組織として求められる安全対策という点から見れば、JR西日本の当時のATSの設置のあり方などは期待される水準に及ばず問題があったと言わざるを得ない」と指摘しました。

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【判決の法律的な意味】
事故を起こした企業の経営幹部への無罪判決は、法律的にはどういう意味合いがあるのでしょうか。

事故調査委員会の報告書などで不適切な労務管理や余裕のないダイヤなどが指摘されていて、JR西日本に全面的に事故の責任があることに議論の余地はありません。しかし鉄道の運行と安全管理は社内のさまざまな部署と社員が重層的に関わっていて、経営幹部個人の責任を立証するのは容易ではありません。つまり検察にとってもともとハードルが高く、遺族や被害者の思いに後押しされて起訴に踏み切ったという側面もあります。裁判では個人の「過失責任の範囲」をどうとらえるのかが焦点になりました。

刑法の専門家は、裁判全体のトレンドとして企業側の責任を認める傾向が強い中で、検察が事故の重大性を踏まえて山崎前社長の「過失の範囲」を広くとらえて責任を追及したのに対して、判決は、それを厳格に判断し、従来の通説や判例の範囲にとどめたと言えると解釈しています。

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【判決の影響】
次にこの裁判の影響について考えます。
福知山線の事故では、検察審査会の議決によって強制的に起訴された歴代の社長3人の裁判も控えています。ただ検察が起訴を見送った3人だけに、罪を問う側にとって難しい裁判になるものと予想されます。

きょうの無罪判決に遺族や被害者の多くから深い失望と批判の声があがっています。大惨事の責任がJR西日本にあることははっきりしているのに、罰を受けないのは納得できないという思いは十分に理解できます。

また、遺族や被害者は、この裁判を通じてJR西日本の組織にどのような問題があったのか、事故原因に迫る事実が明らかにされることも期待していました。しかし、組織でなく個人の刑事責任を追及する裁判のなかで、そうした新事実が明らかになることはありませんでした。
 
【組織罰の必要性】
こうした点について、法律や鉄道の安全に関する専門家の中に「企業が重大な事故や事件を引き起こしたときに組織を罰する仕組みが十分ではない」と指摘する人が少なくありません。再発を防止するためには組織にどのような問題と責任があるかを明確して、処罰をすることが必要だという考え方です。
日本の刑法は組織の刑事責任を問うことはできず、組織事故でも個人の責任を問うしかありません。しかし今回の裁判のように個人の刑事責任を立証するのは難しいうえ、仮に個人が処罰されたとしても、いわば「トカゲのしっぽ切り」に終わり、組織の責任や構造的な問題は明確にはならず、事故の再発防止につながらないことが多いからです。

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欧米では重大な組織事故が起きたとき再発防止のため組織を罰するという流れがあります。イギリスでは死亡事故を起こした企業などの法人に上限のない罰金刑など刑事責任を問う新しい法律ができたほか、フランスの刑法は企業などの解散や業務停止を定めています。ただ刑事責任の追求をやみくもに強めると企業側が事故調査に正直に答えなくなり原因究明を妨げる恐れもあります。このためアメリカでは原則として刑事責任は追及しませんが、民事訴訟で巨額の「懲罰的損害賠償」を課す仕組みがあります。日本でも「組織罰」の考え方を取り入れる時期に来ていると指摘する専門家は少なくありません。

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【まとめ】
最後にもう少し広い意味で、この裁判の意味を考えてみたいと思います。

鉄道の歴史は事故との戦いの歴史でもありました。これまで鉄道業界は運転士による信号の見落としや分岐点でのスピードオーバーなどの過去の重大事故の「経験」を元に対策を進めてきました。しかしカーブでの重大事故は福知山線事故まで起きておらず、「経験」がない、いわば想定外だったためATSの設置は後回しにされ、重大事故を招きました。きょうの地裁判決で無罪とされたのはあくまでも事故の9年前の時点で、この範囲を広げて“個人”の責任を問うことはできない、という判断です。

今、鉄道業界をはじめ多くの人の安全を預かる企業には、原子力発電所の事故でも見られたように、過去の「経験」だけでなくそれを超える事故や災害が起こりうることを想定して可能な限りの対策をとることが求められています。そのために刑法をはじめ法制度の見直しが必要なのか、事故調査との兼ね合いをどうするのか。きょうの判決をきっかけに、そうした議論を深める必要があるのではないでしょうか。

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(松本浩司 解説委員)