追悼…早世のGS戦士たちの偉大なる足跡。
(文=丸芽志悟)


日本ロック黎明期GSスーパー・グループ症候群(後編)
(文=丸芽志悟)


日本ロック黎明期GSスーパー・グループ症候群(前編)
(文=丸芽志悟)


追悼・安岡力也/シャープ・ホークス栄光の軌跡(後編)
(文=町井ハジメ)


追悼・安岡力也/シャープ・ホークス栄光の軌跡(前編)
(文=町井ハジメ)


世界に誇るCOOL JAPAN「グループ・サウンズ」〜海外GSマニア事情
(文=大森 眸)


GS前夜ニッポン「エレキ」創世紀 (完結編)〜エレキからGSへ〜
(文=佐々木雄三)


GS meets THE MONKEES <完結編>
(文=中村俊夫)


モンキーズがやって来た!その時GSは…?
(文=中村俊夫)


モンキーズのビジネスモデルこそがGSのルーツだった!?
(文=中村俊夫)


カルトGS オリジナル・シングル盤蒐集の愉しみ。<東芝洋楽レーベル “一枚屋”5選>
(文=新井裕尚)


カルトGS オリジナル・シングル盤蒐集の愉しみ。<ガレージ/サイケ編>
(文=新井裕尚)


グループ・サウンズ海外事情
(文=大森 眸)


ザ・タイガース41年目の再会
(文=中村俊夫)


ズー・ニー・ヴーとAMATERASを結ぶ点と線。 高橋英介(元ズー・ニー・ヴー) インタビュー
(文=取材・町井ハジメ)


GS前夜ニッポン「エレキ」創世紀 (中編)
(文=佐々木雄三)


1971年1月24日 ザ・タイガース解散コンサート再訪<後編>
(文=小野善太郎)


1971年1月24日 ザ・タイガース解散コンサート再訪<前編>
(文=小野善太郎)


GSの本質的魅力と黄金時代の熱狂を後世に伝えるタイムカプセル。
(文=中村俊夫)


◎落日の1969年をリアルに投影した『スパイダース’69』
(文=中村俊夫)


GSブームの起爆剤となったザ・ジャガーズ名曲こぼれ話。
(文=町井ハジメ)


海外ガレージ・シーンで高評価。ザ・カーナビーツのパンキッシュな魅力。
(文=大森 眸)


GS前夜ニッポン「エレキ」創世紀 (前編)
(文=佐々木雄三)


喧騒と狂乱のカルトGSザ・ガリバーズ!!
(文=町井ハジメ)


GSたちの“ペッパー軍曹”シンドローム。
(文=中村俊夫)


東京ディスコ・ナイトを席巻した“外人GS”たち。
(文=大森 眸)


ザ・ボルテージとっておき秘話!
(文=町井ハジメ)




ザ・ボルテージとっておき秘話!
文=町井ハジメ - 2011年10月19日(水)

 今週から、この芽瑠璃堂さんのサイト内でスタートするWEBマガジン“週刊グループ・サウンズ”。記念すべき第一回目は、テイチク・クロニクルレーベルの“GS MASTERPIECES SERIES”の一枚として本日(10月19日)リリースされたばかりの“ザ・ボルテージ『R&B ベスト・ヒット』”を採り上げてみたいと思う。このCDは、黒人R&BのみをレパートリーとしていたGS、“ザ・ボルテージ”が残した唯一のアルバム(68年8月発表)を紙ジャケット仕様の限定版として復刻したもので、ボーナストラックとして彼らが発表したシングル全3枚の両面(計6曲)が追加収録されている。この一枚で彼らがテイチク/ユニオンに残した音源はすべて“完全に”揃うという、GSファン必携のCDとなっている。“完全に”という部分を強調した理由は、以前リリースされていた“コンプリートCD”ではカットされてしまっていた「シェイキン・マイ・ソウル」のラストの“シェイキ〜ン”というシャウトが収録されているからで(初CD化ではなく、クロニクルのオムニバスCD『GS RARE TRACKS』に収録された事はある)、ボルテージに初めて触れる方はもちろんの事、以前のCDをお持ちの方にも、満足して頂ける内容ではないか?と思っている。
 
 今回、CDのライナーノートは私が担当させて頂いた。バンドヒストリーにおける基本的な部分は、故・黒沢進先生が86年に蛎崎広柾氏(元ボルテージのリード・ヴォーカリスト。当時の芸名は橘洋介)に行なったインタビュー(現在は、シンコーミュージック社刊『日本の60年代ロックのすべて COMPLETE』に収録)を参考にさせて頂いたという事は今更言うまでもない。以前発売されていたボルテージのCDには、そのインタビューを基にした黒沢先生の手による素晴らしい解説文が添えられていた。今回のライナーノート執筆に当たっては、黒沢先生の解説文の中では欠けてしまっていたピースを探し出し、それを埋めていくという事を念頭に置いた。幸いな事に私は、ハリマオの冨永正廣氏(68年5月に東芝エキスプレスより「愛の祈り」でデビューした“ザ・ジェット・ブラザース&ファイターズ”では、富永ジローの芸名で活動。同年12月にはボルテージに加入)の紹介により、蛎崎氏とは以前数回お会いしてお話を伺った事があり、今回もメールでの取材要請に対して、二つ返事で快くOKを頂く事ができた。
 
 蛎崎氏との10往復にも及ぶメールのやり取りの中で、今まで知らなかったボルテージ周辺の様子が徐々に明らかになっていった。今回埋める事が出来たピースは、当時のステージでのレパートリーや、レコーディングが完了していながら未発表に終わった幻のセカンド・アルバムに収録予定だった曲目(全曲ではないが)。さらには黒沢先生が“不明”としていた、蛎崎氏がボルテージ加入以前に在籍していたバンドの名前(ブルー・インパルスの前身の一つ)と、所属事務所社長によってボルテージと命名される前のバンド名、「エミー・マイ・エミー」の作詞者である“マイク・フーザ”氏の事などなど…。また、ライナーノートでは字数の関係でサラッと書いてしまったが、今まではドラムの金剛史裕氏のヴォーカルとされていた「マンズ・マンズ・ワールド」が実は蛎崎氏による歌唱だった事も判った。このような(少々マニアックな)話題に興味のある方にこそ、是非とも今回の復刻CDのライナーノートをご一読願いたい。
 
 本誌をご覧のGSファンの皆様の為に、ライナーに書ききれなかった話をひとつ。あまり知られていないが、ボルテージは70年以降もディスコを中心に活動を続けており、その際よく対バンとなったのが田川譲二氏率いるブルージーンズ。GS史においては、寺内タケシ氏がブルージーンズを復活させた際(69年3月)、田川氏のブルージーンズは消滅(バンド名を寺内サイドへ返す)したとされていたが、蛎崎氏曰く「実際にはダブって存在していた」との事。また蛎崎氏からは「僕が喉を痛めていた時には、自分たちのステージがありながらボルテージのステージでも歌ってくれた田川さんには頭が上がらない」という男気溢れるいい話も伺った。多忙な中、時間を割いて下さった蛎崎氏にはこの場をお借りしてお礼を申し上げたい。近い将来、蛎崎氏をイベントにお招きして、たっぷりとお話を伺う機会を設けたいと思っているのでGSファンの皆様は楽しみにしていて欲しい。(了)
 
町井ハジメ(まちい はじめ)
60年代音楽研究家/ライター。1976年東京生まれ。故・黒沢進氏の推薦により、2000年6月『ロック画報』(ブルース・インターアクションズ刊)創刊号にて執筆活動を開始。2009年にミュージック・ペンクラブ・ジャパン(MPCJ)入会。同クラブ運営委員も務める。60年代ポピュラー音楽、GS関連の記事やCDライナーノートを手がける他、イベントMC、DJとしても活動。中村俊夫・大森眸両氏と共に『新橋ZZ』で開催されているトークライヴ『GS千一夜』のMCを務めている。
 

<ザ・ボルテージ・ディスコグラフィ>
●シングル

エミー・マイ・エミー/シェイキン・マイ・ソウル
テイチク/ユニオン US-587 1968年6月20日発売
 

トゥデイ/ナンシー・アイ・ラヴ
テイチク/ユニオン US-587 1968年11月発売
 

汐鳴りの幻想/君をみつめて
テイチク/ユニオン US-587 1969年4月発売
 
●アルバム

R & B ビッグ・ヒット
テイチク/ユニオン UPS-1079-J 1968年8月5日発売
CD:TECH-20265(テイチク)
 

週刊グループ・サウンズ
創刊号・2011年10月19日発行
編集人:中村俊夫
発行人:長野和夫
表紙デザイン:サリー久保田
編集スタッフ:新井裕尚
発行元:芽瑠璃堂 http://www.clinck.co.jp/merurido/
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