福島県飯舘村で生まれ育った中学2年生の菅野風希(ふうき)さん(14)はいま、福島市で暮らす。福島第1原発の事故によって避難を強いられ、それまで一緒に住んでいた曾祖母や祖父母と離ればなれ。仕事を変わった父は山形県の近くまで通勤している。
「飯舘村に帰りたいなぁって、写真を見ると思います。今、住んでいるところより、家も庭も広くて開放感があるから」
震災以降、寂しさや切なさを感じることが増えたが、それでも一つ、心がぽっと温まる思い出がある。9カ月遅れで開かれた小学校の「卒業式」だ。
実現させたのは、伊勢谷友介らリバースプロジェクトのメンバーだった。
「預かったままになっている卒業証書を早く手渡したい、人生の節目である卒業式を挙げさせたい」
村人たちの願いを聞きつけて、動き始めた。リバースプロジェクトが運営する、インターネットを使った募金システム「元気玉プロジェクト」で呼びかけ、全国から260万円を超す寄付を集めた。
2011年12月25日、小雪が散らつくクリスマスの日だった。
飯舘村にある幼稚園や小学校に通っていた、卒園児と卒業生あわせて113人が招かれた。離れ離れになっていた七つの府県から、福島県川俣町にある中央公民館に父母たちも集まった。
卒園・卒業証書授与式が終わると、舞台の上にはバンドが現れた。中央で、歌手の岡本真夜がマイクを握る。伊勢谷の呼びかけに無償で応えたのだ。
♪涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように
阪神大震災が起きた1995年のヒット曲「TOMORROW」が流れると、会場は総立ちになった。まもなく観客の歌声が重なった。
♪自分をそのまま 信じていてね 明日は来るよ どんな時も
「岡本真夜さんのサプライズは、私より、年齢の近いお母さんのほうがうれしかったみたい」
風希さんは式を思い出し、いたずらっぽく笑う。
じつはこの日、風希さんには悲しい別れがあった。仲良し4人組の1人が遠くへ引っ越してしまったのだ。たとえ距離が離れても、友情は変わらない。卒業式を一緒に過ごせたおかげで、少しだけ気持ちの整理ができた。たくさんの大人が励ましてくれたことに勇気づけられた、とも。
サプライズの卒業記念コンサートのあと、卒業生たちは20歳になったときに開けるタイムカプセルをつくった。
みずから企画にかかわったコンサートでMCを務め、トナカイの着ぐるみ姿も披露した伊勢谷は言う。
「東京など首都圏に電気を送っていた福島の原発が事故を起こした。その責任は僕たち、大人にある。だから、彼らの未来を全力で支えなければならないんです」(敬称略)
俳優、映画監督の伊勢谷友介が09年に株式会社リバースプロジェクトを設立。東京芸術大学の同級生らとともに、デザインで、社会的に利用価値が低いとされているものに新たな命を吹き込み、よみがえらせる「再生プロジェクト」を展開している。原発事故で見送られた卒業式を飯舘村の子どもたちにプレゼントするなど、社会貢献につながる「元気玉プロジェクト」なども活動している。
その正体は…卵の下部に磁石が内蔵された卵型のクリップホルダー
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