如是我聞  如是我見

私はかくの如く聞きました。私はかくの如く見ました。

という、本部御殿手 多聞館のブログです。

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沖縄の本部御殿手はどこへ向かおうとしているのか? を今一度考えてみますと

初めから妙だったな・・・ ということを思い出します。


沖縄本部流空手古武道協会は初め本部御殿手古武術協会の沖縄地区会として

発足しようという話しでした。


本来なら地区会の結成は全国組織の理事会にはかって宗家の了承を受けるべきですが、

それでは時間がかかるということで宗家に電話で説明をして了承を得たということで発足しました。


しかし、「ムトディ」「ジッチン」「カッシンディ」の型を定型化したいという提案がなされた時に

地区会という傘下組織でそのような重大なことを決めて良いのか? という疑問に対して


沖縄本部流空手古武道協会は独立した組織だから宗家の許可や理事会に諮る必要はない

という説明があって大変驚きました。


一つの組織の中に独立した組織が誕生するということは、いったい可能なのか?


それも、そんなことを宗家が許可するのか・・・


私の常識からすると考えられないことでしたし上原先生なら絶対許可しないはずなのですが

宗家には説明したという沖縄の役員の説明を一応信じることにしました。


しかしながら(不可解だ)という思いはずっと脳裏にありました。



そして、のちに宗家が沖縄の本部流空手古武道協会を認めていないということが判り

しかも独立した組織だという説明を宗家が受けたのは昨年の10月だということで

両者の話は完全に対立することになりました。



よくよく思い返してみると2011年に行われた沖縄の本部御殿手の演武会では

「沖縄本部流演武大会」という文字があって、その時私達は

(なぜ、本部御殿手と書いてないのだろう?)と訝しく思ったのですが、

あの時から現在へのレールが敷かれていたのかもしれません。


「沖縄本部流空手古武道協会」という名称から本来の「本部御殿手」が抜けているのは

「手」という名前を使っている団体は何処にもないし古いんだ、という説明で決められましたが


そもそも名称というものは近代的でないから変えるというものではなく

わざわざ上原先生が「本部御殿手」という名称にしたというのは

本部御殿に代々伝えられた手を伝え残そうと決心したからなのです。


そして、「手 てぃ」というのは空手以前の沖縄で作られた古い武術だという

強い意味が込められているので変えるべきではないと私は思っています。



名称を変え、独立した組織だと云い、伝承された型を改変して、

いったい沖縄の本部御殿手の道場は何処へ向かおうとしているのか?


はたして、その道場に通っている門弟の皆さんは現在起こっていることを

どこまで説明を受け理解しているのか・・・・ そういうことも考えます。



なぜなら、道場主は門弟にある一定の責任があると思うからです。

それは、この道場に通えば御殿手の技が身につきます・・   という責任です。


型競技を目指す人はその道場へ行くという選択を行うでしょうし、その対極にある

本部御殿手の道場へは来ないはずです。


その両方が身につきますというのはあり得ません。

全てが中途半端になって成り立たないからです。



















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