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│<< 前のページへ │一覧│「愛の讃歌」美輪明宏 (68)
カテゴリ:美輪明宏
お知らせ
彼と一緒に暮らすことになりました。貧乏なのでネット環境を維持することを諦めようと思い、当面ブログを閉鎖することにしました。突然どこかでまた始めることになるかもしれませんが、今までアクセスしていただいたみなさま、読んでいただいたみなさま、書き込んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。 「愛の讃歌」シアタードラマシティ 私には、ひとまわり下の彼がいる。特に珍しいことでもない。この舞台の主人公、偉大なるフランスの歌姫エディット・ピアフが死んだ時、彼女には20以上も年下の夫がいた。エディットが彼と出会ったのは、名声を得ていた華やかな時期ではなく、歌を忘れ借金とアルコール中毒にうめいていた時期であった。療養所で息をするのも絶え絶えだったエディットを救ったのが、太陽の光そのもののようなギリシャの青年テオだったのだ。 「あなたの純粋さ、清らかさ、初々しさが私の汚れた魂を洗い流してくれる」 畏れながら私もそうである。自分の生きてきた道程に後悔はない。しかし、悲しみ、苦しみ、憎しみを越え生きるうちに思わず知らずたまった、猜疑心、計算高さ、狡猾さは垢となり、私の心をぐるりと取り囲んでいた。それに気づかせたのは、彼との出会いであった。若さだけが持つ濁りなき魂の輝き。混じりけのない優しさはゆらめく水鏡そのもので、いつでも私は彼のそばにいるだけで自分が蘇るのを感じる。こんな出会いがあるのである。 この先どうなるかは全くわからない。彼と息子は歳の離れた兄弟のように仲がよい。時々息子が一人増えたような錯覚を覚えることがある。彼はある時は息子のようで、ある時は友人のようで、ある時は夫のようで、プリズムのように多様な光を放つ。 「朝、目が覚めたとき 私の身体が愛にふるえている 毎朝が愛に満たされている 私にはそれだけで十分」 エディットが書いたこの歌詞が、私の心にまっすぐ届いた。今の私にはこの意味が少し分かる。ついこの前までぼんやりとしていて意味を成していなかったこの言葉が今では少し理解できる。愛の形、愛の温度。愛の手触り。彼が届けてくれた愛の眩しさに私はまさにふるえている。 彼だけではない。職場のお母さん達との愛情のやりとりも、子供の笑顔も、光そのものだったのだ。私が鈍感だっただけ。一番欲しかったものが目の前に並んでいたのに、気づかなかったのだ。 もちろん日常はごたごたしていて、疲れたり傷ついたり、なかなか落ち着かないのだが、彼と子供といる時間空間は、いつでも光に溢れている。そこにいて初めて、自分が闇の中にいたことに気づくのだ。 全てはうつろうのだから、光が失われる時は来るだろう。しかし光の存在を知った以上、私はそれを信じ続けて生きるのだろう。 美輪さんがいつも言う「愛と美があれば人は生きていける」。暗がりの中、「美」にたびたび救われてきた私は、「美」の力を信じている。そしてようやく「愛」の力を探しあてようとしているのかもしれない。しんどいときもあったけれど、ここへ来て「ごほうび」をもらったような気がしている私は今、自分を「捨てたもんじゃない」と褒めてやりたい気分になっている。
October 23, 2005
美輪明宏音楽会「愛」2005 シアター・ドラマシティ (4)
カテゴリ:美輪明宏
大人の恋の歌を食したければシャンソンだ!というわけで美輪明宏音楽会「愛」の今回のラインナップは芳醇なフランスの名曲がずらり、心は満腹、幸せである。一曲ずつ感想をメモしたい。
短いモノローグから始まる「人の気も知らないで」。いきなり来た「年下の男性との恋」。…うっ。崖っぷちの恋。「歳若い恋人は魅惑的であると同時にそれだけの代償を支払わなければならない」と語り、一人芝居に入る美輪さん。 「…あたしにだって若い頃はあったわ。でも若さって残酷なものねえ。冷酷、傲慢、気まぐれ・・・でも、あたしはその残酷な若さに宝石やお金を貢いで、しがみついて生きているんだわ」 女は惨めなものですよ。若くて美しい容姿、ほれぼれするような身のこなし、威勢のよさ、自分が失いつつあるものを全て持っている相手と一度甘い時間を持ってしまったら最後…思い切るのは大変。ええ。ええ。 ハンガリーの曲がシャンソンとなって欧州で100年前に大ヒットした「暗い日曜日」。暗いんです。むちゃくちゃ。「あんたの顔を見たいから、目を開けたまま自殺しよう」という歌ですから。この曲のせいで、当時自殺者が急増したそうです。 初めて聴いた時「なんでこんな歌があるんだ」と思ったんですが、今回美輪さんの説明で分かりました。当時の流行はピアズレーなどの「退廃」。タナトスの魅力ですね。そういやクリムトの絵にぴったり。 「恋人たちは何処に」。若い頃美しかった老娼婦の歌。美貌を手にした女ほど年老いていくことの苦しみは大きい。トークで正負の法則について語る美輪さん。「絶世の美女と呼ばれて幸せな死に方をした人はいない」。 今回、モノローグではCDどおりのセリフだったけれどもその響きが少し違って聴こえました。「今夜も売れそうにないわ…また一人か…」CDでは女の苦悩がひたひたと迫ってきますが、今回はあきらめと開き直り、老女のしぶとさを感じました。同じ歌でも、どんどん解釈を変えていきます。 暗い曲ばかりでは死にたくなるのでここいらへんで明るい曲を1曲。「ラストダンスは私と」。老娼婦が瞬時に妖艶な美女へと変化、驚愕です。女王のような自信と余裕、気品に満ちた軽やかなステップ(な、70歳!70歳!)。シビレます。細胞ピチピチ言ってます。 再び若い男に捨てられる女の歌…「人生は過ぎ行く」。恐ろしい速さで流れていく時間。たちまちのうちにやってくる老い。女はただ巻き込まれのたうつだけです。 恋人を引き止めたくて最後には「行かないで、行かないで、行かないで…窓から飛び降りるわ!!」床に転がった女の死に顔はまさに、クリムトの絵画そのもの。凍りつきました。 むくっと立ち上がり「死んでしまいました…」と美輪さんに戻り、お次はユーモアたっぷり、「マダム カチカチ」という女子プロレスラーの歌。約100年前にフランスにはすでに女子プロレスがあったんだそうですよ。全集には入っていない歌です。 森久美子さんとか、和田アキ子さんを思い出して聴いてください、と、通俗的な女性の魅力に恵まれなかったけれども、豪快でくよくよせず、いつでも明るく明るく生きるのさっ、とおなかを突き出して歩き回る美輪さん。 ロシアの香り豊かな「恋のロシアンキャフェ」。日本にはいまだ出現していないという、ゴージャスなナイトクラブ、ロシアンキャフェ。亡命したロシアの貴族が欧州で開いたのが始まりだとか。室内は絢爛豪華に飾られ、公爵や衛兵はコート係や楽団に変身し、美酒、ロシアンダンスで客を酔わせるそうな。 美輪さんがブイブイいわせていた頃のお話。うんとドレスアップした美輪さんがフランス人の青年に連れられて行ったロシアンキャフェでの失敗談。美輪さんは給仕にチップを渡したそうですが、そこで青年がむくれました。「君は僕に恥をかかせた」「どうして?」「チップは男が渡すものだ。女性が直接渡すのは男にとって恥ずべきことだ」 「あたくしは自分が女だと思っていなかったんですね」と美輪さんはしれっとおっしゃいました。場内爆笑。 さらには、音楽が始まると酔っ払った美輪さんはロシアンダンスを踊りまわり、場内は大盛り上がり、気がつくと美輪さんのテーブルには山とワインやシャンパンが届けられたということでありんす。 むせぶ恋のヴィオロン、バラライカ…薔薇と宝石と絹と恋の思い出…じょじょにテンポアップすると同時に美輪さんも腕を高く差し上げ踊ります。豊かなリズム、ふりまく色香、イヤでもヒートアップする聴衆。 第一部ラスト、待ってましたわ「ミロール」。きゃあ~きゃあ~!はなっから盛り上がってましたわたくし。大好きなんです。老娼婦の片思いの歌です。「変奏・愛の讃歌」という感じがいたします。 港町に立つ老娼婦のところにふらりと寄ったのは娼婦仲間でも常に話題にのぼる素敵な青年。娼婦達など道端のゴミとしか思っていないような高嶺の花。かわいい上流のお嬢さんと縁がまとまり船で旅立ったが、何かトラブルがあって一人帰ってきたのは有名な話。「その後どうなさったの?」しょぼくれる青年をなんとか励まそうと、老娼婦は一生懸命になります。 「女なんていくらでもいるわよ…たとえば…あたしなんかどう?」自分を省みた瞬間、老いた自分に卑屈になり背中を向けようとしますが、はたして青年はうなだれたまま。何より青年に元気を出してもらいたくて、老娼婦はわが身の恋など振り捨てて、青年をなだめたりあやしたり。 「歌って踊ってみんな忘れて…そうそう、その調子。踊って踊って!ブラボー、ミロール(お兄さん)!アンコール、ミロール!ラララ……」元気を取り戻した青年を見てそっと老娼婦は涙ぐみ、彼を抱きしめます。 「自分を愛してくれなくとも、愛する人が健康で幸せに暮らしてさえくれれば、他になんにもいらないじゃないの?」というピアフの偉大なるメッセージが入った歌です。無償の愛。遠い憧れ。こんな女性にわたくしもなりたいんです(絶叫)!! 第一部終了。手が痛くなっちゃいましたので続きは次回に。
September 5, 2005
「おしゃれ大図鑑」美輪明宏 (4)
テーマ:お勧めの本(48320)
カテゴリ:美輪明宏
うちはベッド派でなく布団派である。今日、時間があいたので、布団カバーとピロケースをハンズに買いにいった。今使っているカバーはハハから回ってきたバーバリーのパイル地のもので、モノはよいのだが、寝室のカーテンとの調和という点ではよろしくなかった。寝室のカーテンはサーモンピンクのモアレ地のストライプで、フリンジつき。そう、美輪的趣味なのである。国でいえばフランスっぽい気がするしクラシカル。バーバリーはもろイギリス的でしかもカジュアル。色も違う。ここにズレが生じていた。
布団カバーもいいものは結構高い。安くてカーテンに合うものとなれば、色を合わせるしかない。そこでピンクの無地を選んだ。問題はピローであった。同じ色を選ぶか、アクセント色を選ぶか。迷った末、モノトーンのゼブラ模様にしてみた。ピンクに少し黒を効かせることにしたのだ。そう、美輪さんがお金が無い時代に暮らしていた六畳一間がこれまたピンクと黒だったのである。 家に帰ってしまった!と頭を抱えた。押入れの戸をはずしてのれんをかけているのだが、これが小花模様で、素朴なアメリカンカントリー調。こののれんの存在を忘れていたのだった。まずい。こののれんはまずい。そこで、使っていないカーテンをかぶせた。これで部屋のトーンはようやく納得いく程度に統一がとれた。普段は寝室など寝るだけなのだが、コーヒーとお菓子を持ち込んでささやかながらくつろいでみた。こんな時間は久しぶりだった。 美輪さんの本を読むようになって以来、部屋もいろいろいじってきた。結婚していたときは、旦那の圧力で思うようにできなかったが、一人になってからは金銭的に思うようにいかなくなった。しかし美輪さんは「お金がなければ手間をかけよ」と斬る。お金がない、というのは単なる言い訳に過ぎないと。そこで工夫をこらしてやってみるのだが、どうにもうまくいかない。何が原因なのかわからないのだが、なんだか変。インテリアに関しては常に不満をくすぶらせていた。 あるとき、重大なことに気がついた。「調和」である。部屋の壁の色、天井の材質、電灯、家具、ファブリック、全てが調和しないことには、美は生まれないのだ、ということに。ギャルっぽいカッコをしているおばさんがなぜ気持ちが悪いか、やたらはしゃいでいる黒木瞳になぜ違和感を覚えるのか、などと同じ理由で、うちの和室に住商オットー(通販)の白い西洋家具は不似合いだ、ということだったのだ。 美輪さんの新刊「おしゃれ大図鑑」は雑誌MOREに連載されているものをまとめたもので、カラー写真や絵をふんだんに使った「おしゃれに生きる」ためのノウハウが満載である。ファッションは中原淳一、インテリアはアールデコ、音楽はジャズやシャンソン、映画は昭和初期、小説は三島、鴎外、乱歩、鏡花。夢二に華宵、内藤ルネ、寺山修司。フジコ・ヘミングとの対談、おすすめの男は福山雅治、オダギリジョー、新庄剛。歌舞伎の世界へいざなった後、ラストにエディット・ピアフの「超一流恋愛」について語ったところで幕を閉じる。 「美」って色々ある。たくさんある「美」の中で、どれを自分の生活に取り入れるかは、最終的には自分で決めなくてはならない。相当なデータと知性が必要である。色々試してみて分かることもあるだろうし、お金も時間もかかるし、少しづつ積み重ねて自分なりの「美」ができあがっていく。 美輪さんのチョイスに共通するものは、常に「純粋なもの」であるところではないか。美輪さんはいつでもピュアなものを愛する。商業主義を嫌う。「新しくったって、くだらないものはくだらない。古くったって、いいものはいい」本物かニセモノか、見分ける五感を持つために、たくさんの美に常に触れていたい。
July 30, 2005
「ヨイトマケの唄」美輪明宏 (6)
カテゴリ:美輪明宏
今、私は何百室もある大きなリゾート系ホテルの客室メイクの仕事をしている。始めたころは身体がきつく、覚えることもたくさんあって、夜はくたくたで息子より早く寝てしまうくらいだったが、ようやく少しずつ慣れてきて、精神的にも余裕が出てきた。何より人に恵まれており、上の人も同時に入った人たちも皆やさしく、常に励まされている。私の入ったブロックがたまたま運が良かったのである。他のブロックではバタバタ人が辞めており、大量募集は続いている状態である。
10代から60代までのメイドさんが、繁忙期でてんやわんやのホテルを怒涛の勢いで掃除していく。基本的に1名で部屋に入り、バス・トイレ・洗面台から、ゴミとり、ベッドのシーツはがしとメイク、掃除機、拭き掃除、アメニティのセット。これを何室も繰り返す。だが忙しい時はバスとベッドを2名で担当したり、ヘルプが入り、シーツだけはがしてくれたり、掃除機だけかけてくれたりする。派遣の方々も右往左往している。制服、私服、見たことない制服、老若男女が入り乱れ、チェックアウトからインまで時間帯のホテルは戦争である。昼休憩は10分、おにぎりを急いでお茶で流し込む。取れないこともある。 自分が掃除婦をするなんて、数年前まで想像もつかなかった。心身ともに脆弱な自分にはできない仕事だと思っていた。だが人間のっぴきならない状況になると案外何でもできるものだ。意外に毎日踊るようにして「おはよ~~」と入って行き、おばちゃんたちとハイタッチしてバケツを手に取る自分がいる。そう、このおばちゃんたちが私にパワーをくれるのである。 私の理想の女、度胸があって優しくて、周りに気が配れて、けちけちせずに包容できる、そんなグレートマザーな人たちがうちのホテルにはわんさといる。家に帰れば夫と姑と子供の世話に追われ、法要に走り、自営を手伝い、PTA会議に駆けつけしながらこのキツイ仕事をこなす。お昼を食べないと私などは午後には電池が切れて動けなくなるが、おばちゃんたちの体力は手元で伸びる。「もう一部屋いこっか」「あっちも手伝うか」と、超人的に働き続ける。とてもじゃないけど太刀打ちできない。仕事が終わると100円マックの喫煙席を陣取りタバコを吸いながらコーラを飲んで、「あの人がこんなことした」「あのやり方はよくない」口では愚痴りながらも生きる気マンマンである。私もこのあったかい場所の中の一席を占め、じっと聞き入り頷いたり一緒に騒いだりし、席を立つころには充電完了である。 「とうちゃんのためならエンヤコラ かあちゃんのためならエンヤコラ」で始まる美輪さんの代表曲「ヨイトマケの唄」には実在のモデルがいる。美輪さんの小学校の同級生の母親と、美輪さんの友人だった苦学生の青年である。「ヨイトマケ」とはビルを建てる前にやる重石を使った地ならしをする仕事のことである。美輪さんの同級生の母親がそれをやっていたのだ。足の悪い小柄な母親は時折ふらつきながら重い紐を引っ張って地ならしをする。母親に会いに来た息子と美輪明宏少年に目をとめ、「心配しなくていいよ」とにこっと笑う。その素敵な笑顔は美輪さんにとって忘れられない記憶となった。 そしてその後出会った一人の青年。戦争で天涯孤独になった青年は苦学を重ねて見事大学を卒業し、工事現場で監督をしているときに美輪さんと再会する。その青年の立派な姿に美輪さんは感激し、「お祝いをしましょう」と赤飯を炊いて食卓を整え、青年と囲むうちに、青年の人生と記憶の中のヨイトマケの母親が結びつき、浮かんできたフレーズが「ヨイトマケの唄」だった。その場で青年に歌うと、青年は箸を置き、泣き崩れた。 私はこの「ヨイトマケの唄」に出てくる「かあちゃん」をいつも理想の母としてきた。家族のために苦労、苦労で死んでいった母。息子は立派に成長し、「かあちゃん、見てくれ、この姿」と叫ぶ。全編を通して母親の絶えることない強い愛情がつらぬく唄である。そして私はこの大きなホテルの一角で現代の「ヨイトマケの母」たちに出会った。抱いていたイメージよりも豪快で、たくましく、家族の中で誰よりも長生きするであろうヨイトマケの母たちを!低賃金の重労働でも、いつでも前向き!仲良し!若い男の子も女の子も、おばちゃんたちに引っ張られて仕事をし、いつしか笑顔が増えていく。 私が「客室整備をしてます」と言ったら、「そんな地味な仕事しているようには見えへんね~」「もっといい仕事なかったん?」と言った人がいた。地味?とんでもない。数段ドラマチックな場所におりますよ、あなたの人生よりはね。憧れ尽きないかっこいいおばちゃんたちについて、掃除するついでに自分も磨かせていただいております。
July 19, 2005
見えないものを先に見た。 (4)
テーマ:ネットでの交流(5603)
カテゴリ:美輪明宏
美輪さんは常々「目に見えるものを見なさんな、見えないものを見なさい」と言っている。見えるものというのは、外見、民族、性別、年齢、学歴、職業、といったもので、見えないもの、というのは要するに心のことである。
その人がどれだけ純粋で美しい精神の持ち主で、理知にあふれ、勇気があって、思いやりがあるか、ということだけを見るのである。 なまじっか目がついているために、心だけを知ることは難しい。ビジュアルはやはり強烈だし分かりやすい。年齢や職業なども、人付き合いする上でやはり全く知らずにいるのは冒険だと思ってしまう。 ところが、ブログで知り合った人というのは、本人の名前から職業から、本人の好みで語られる部分以外は全く見えないままのお付き合いである。外見なども知りようがない。だから、見えないものの力がぐぐーっとクローズアップされてくることになる。 ブログで長いお付き合いになる人というのはやはり何か波長が合うとか、趣味ひとつでは語りきれない何か理由があるように思う。もちろん何かの縁でもつながっているはずだ。偶然の出会いなんてものはないらしいから。 ただ、文体から想像されるイメージだけでのお付き合いだから、実際の肖像とぴったりあわせるなんてことは不可能に近い気がする。 実際に会ってみて、もしがっかりしたら、がっかりされたらどうしよう~という不安から、ブログづきあいが長くなるほど実際に会うにあたってはビビってしまうものだと思う。 で、今回、「近代能楽集」を観に大阪へ遠征して来られた楓さんとゆきんこさんに会うのは私にとっては全く「初めてのおつかい」なみにドキドキだった。 そこでやはり事件である。待ち合わせ場所で、楓さんも私も、遠目にお互いを確認していたにも関わらず、お互いが「あれじゃないな」と断定してしまうほどに、お互いの想像図と実際像に差があったのである。 着信があったので出ながらちら、とそちらを見ると、「あれじゃない」はずの人も携帯を持っていた。「もしもし」と聞こえると同時にその人も「もしもし」と言った。うっそ~~! お互いに「イメージと違う、違う」と大騒ぎの出会いとなった。 いかにイメージというものがいい加減なものかということを思い知ったのだった。 しかし楓さんとご飯を食べながらお話していると、行間で語るところや、少女らしさが香るところ、ブログの楓さんがやはりちらちらダブる。あ、やっぱり楓さんなんだなと思った。 ナマゆきんこさんを目撃したときも、やっぱりイメージと違うと思ったけど、お話しているうちに、コメントにみられる素直さ、あたたかさを肌身で感じ、あのゆきんこさんだ、と思った。 ブログは人の無数にあるプリズムの中の数種類しか見られないものなのかもしれない。お二人をナマで確認してみて、やはり芝居や音楽と同じで人間も生に限るな、と再認識した次第である。お二人とも、私の貧困な想像力では全くもってカバーしきれない素敵な人間像を持っておられた。 それでも、ブログで見せてくれている部分だけであっても見えないものを先に見てからの出会いというのは、独特の安心感があって、普通の人付き合いにはない面白さがあるなあと思う。お二人ともが、私の描くお二人のイメージの中で好きなところがそのまま見られたのが、私にとっては幸せなことだった。何やら人生観が少し変わった気さえする。
July 2, 2005
私の美輪明宏・その2「天声美語」 (4)
テーマ:お勧めの本(48320)
カテゴリ:美輪明宏
この鮮烈な本について書こうと思って、改めてぱらぱらめくってみたら、写真・蜷川実花とあった。雑誌「MORE」でこないだ成宮くんを撮っていた人だ。蜷川・・・幸雄の娘さんなのかなと以前から気になっていたので検索したらやはりそうで、蜷川実花オフィシャルサイトのコンテンツ「フォトグラフ」を開くと父・蜷川幸雄の舞台芸術で体験できるあの浮遊感、空中遊泳感とでも云いたいような感覚が蜷川実花の写真世界にも広がっていた。その中には、本書に挿入されている美輪明宏の写真も載っていた。
久しぶりに綺麗なニノが観たくなって蜷川幸雄監督作品「青の炎」DVDをつけていた。このシンクロにちょっと寒くなる。美輪さんの本の写真が蜷川実花、ニノ主演の映画の監督が蜷川幸雄・・・すわ、私は蜷川家にいつもしてやられているのか!もしや。 美輪さんの著作の中でも特にインパクトのある本書「天声美語」の中で、この蜷川実花の写真は重要なアクセントになっている気がする。美輪さん自身が自分や自室を撮影した写真が7枚、蜷川さんに撮られた写真が9枚。この2人の写真のテイストがかなり違う。蜷川さんの写真を見ているとアラーキーを思い出す。日本的な美しさ。極彩色で高温で、鈴木清順の映画のような・・・人生へのときめき、被写体への愛。女の子っぽく品がいい。 「天声美語」の表紙はすごい。といっても美輪さんが自宅のリビングのソファに座っている写真が表紙になっているだけである。だからすごい。このリビングが無茶苦茶に豪華なのである。少なくとも私の周りにこんなインテリアに囲まれて暮らしている人はいない。 当時、その日も鬱っ気たっぷりに本屋をウロウロしていた私はこの表紙(背からして目を惹く)にたちまち吸い込まれた。写真を見て度肝を抜かれた。これは日本を撮った写真なのか?この人はいったいどこの星の人だろう?現代人ではないに違いない。私の生きる世界とこの人の居る世界はまさしく異次元。どちらかが正しいのならどちらかが間違っているはずだ。どっちだろう?そんなことがだだーっと私の頭を駆け巡った。美輪明宏。まただ。私はまたもやこの人にビックリさせられている。いったいこの人ナニモノなの。こわい。ハッキリ云ってこわい。威圧されてる。 中を読んでみるとこれまた自分とは全く違う世界に生きている人のように思えた。愛と美と知性?そんな実体のないものが一番大切なの?手間暇かけて室内を飾る?そんなことに時間とお金を使うのって無駄使いなのでは?昔の映画や小説?そんなの誰も知らないのに追いかけるの?メジャーじゃないじゃんメジャーじゃ。 後日、その本を本屋の棚から引き抜き、お金を払って家に持って帰った。私が買った「初めての美輪明宏」だった。なぜか?「麗人」という言葉に惹かれたからである。 20代半ば、テレビに出るタレントも年下の女の子が多くなっていた。常に最先端の感覚を持ち合わせているべきだと思っていたが、感受性という点では10代にかなうとは思えない。このまま近所のおばさんたちのように精神肉体ともに枯れていくしかないなら何のために生きているのだろう?そんな時に出会った「麗人」という単語。これだ、と思った。私はこれを目指そう。 親切にもこの本の巻末には麗人を目指す人のための「美輪リスト」がついている。女優・映画・音楽・本・美術・建築からファッション・宝石・香水に至る、「愛と美と知性を備えた人間」になるために必要なレシピである。私はこれがどうしても欲しかった。片っ端からこれらを消化しなくては私の未来はないなどと思った。 この美輪リストを見て愕然としたことには、この膨大なリストのほとんどが未体験どころか名前すら知らないものばかりだった。私、今まで何を見、何を読み、何を聴いて生きてきたんだっけ?私って空っぽだ。何度も落ち込みながら、リストをワードに打ち込み、印刷して古本屋や図書館へ通った。知らない名前なので探すのも困難だった。まずはフランス文学あたりから入っていった。モーパッサン、ゾラ、コクトー・・・読んで元気の出るような内容のものは全くない。読書はひたすら孤独で修行めいてきた。 レンタルビデオ店では「2、3人しか観てないんじゃないのか」と思ってしまうような印字の薄いパッケージのものばかり借りるようになっていた。「戦艦ポチョムキン」「天上桟敷の人々」「巴里祭」・・・苦労して探してきたビデオを家で観る。白黒である。これがまたさっぱり分からない。美輪さんがおすすめするものほど分からない。これのいったい何がすごいんだろう・・・。しかしなぜか私は飽きることなく次々にリストを追っていった。目標ができたことがうれしかったのかも知れない。クラシックを聴いた。美術館へ行った。焼き物を見た。骨董市に行った。明治村や歴史建造物を見に行った。服飾史を追った。 時を経て現在、これらすべてが自分の教養となって身についている、とはまだまだ云いがたいが、少なくとも美輪リストにある名前を見てビビることだけはなくなった。これは松岡正剛を追っかけたことも大きかった。「知の力」を信じるようになったのだ。やはり知らないより知っている方がいい。芝居や映画を観た時、本を読んだとき、服を見た時、「あっこれはアレとアレが元になってるのかな」とか「この役者はアレを勉強しているな」とか「こいつはただのマッチョだな」とか、そういうことを考えるだけで何だか楽しい。美輪明宏が私を「文化」という罠にはめてしまったのだ。私の一生の友達は全ての芸術、と言ったら何だか格好よすぎるが、今は知ることから感応することへ、だから知識は楽しむための前準備として絵の具みたいに揃えるものだと思っている。
May 25, 2005
「黒蜥蜴」美輪明宏 (10)
カテゴリ:美輪明宏
数年前に初体験した「黒蜥蜴」。大好きな大好きなこの舞台に再会できて、心躍った。不思議だけれど「帰ってきたなあ」という感慨が起こった。「黒蜥蜴」というおもちゃ箱がまたぱあっと開いて、抱えきれないほどの宝物が飛び出してくる。息もつかせぬ勢いで。
今回のパンフレットで、松岡正剛校長が「美的恐怖恋愛劇という謎」と題して舞台「黒蜥蜴」を明智探偵のごとく解明している。休憩時間に買って、うれしくなって一番に読んだ。三島の戯曲が旧仮名遣いだったということで、松岡校長も旧仮名で揃え、懐古的雰囲気をパンフレットに添えている。校長の旧仮名遣いの文章、初めてです。麗しく感動。 その中にある「三島は当初この戯曲をバレエのようなものにしたかった」という箇所を読んで、文意とはずれているかも知れないけれど、ためしにバレエの観方で芝居を観てみると、あら不思議、前回に比べ非常にスムーズに観ることができた。前回はとてもびっくりすることが多かったのである。 美輪さんのきめ細やかな演出により、俳優の立ち位置、ポーズ、発声、ニュアンス、舞台装置、音楽が、観客からの観え方を熟知した上で計算され、すべては「ここしかない」ところでびしっびしっと決められていく。歌舞伎の割台詞や、水葬礼の列を成す歩き方、ステージクラフトというのだろうか、再演を重ね続けたことでさらに練り上げられた様式美は古典の完成度にまで高められている。 バレエは美しい。ただひたすらに美しい。しかしこの芝居は乱歩の世界だからそこに少しグロが加わる。(深作欣二監督で撮られた映画版「黒蜥蜴」は、グロ8:美2だったというのが美輪談)黒蜥蜴のタトゥー、しわくちゃな顔の小人(もう大好き)、せむしの醜い老人。生き人形。宝石「エジプトの星」を収めた黒い花。このグロテスクな闇に私の中の何かが惹き込まれる。「不安にゆらめくことで美しさを増した早苗」のごとく、舞台がゆらめいて極美の世界を作り出す。 三島の紡ぐセリフは両腕に抱えきれないほどの薔薇あるいは宝石を投げ込まれているようで、客席に座る私はある時は口をあんぐり開け、ある時はため息をつき、ある時は思わず両手で顔を覆い、ある時は両腕で体をそっとかき抱いた。三島由紀夫に飢えていたんだなあ。 高嶋さん演じる明智小五郎の存在感がいや増していて驚かされた。大躍進だ。高嶋版明智探偵は品のよさと優しさが色気となって英知の輝きの中に香る。乱歩の描く明智よりも私は素敵だと思う(明智よりは金田一の方が結構好きだったりする。美輪さんと逆ですが)。それから、早苗役の早瀬さん、この人はすごく好きです。きれいで上手で、オーラもある。 美輪さん演じる黒蜥蜴が恋情を抑えきれずに乱れるところは、前回よりなりふり構わず、切なく、しみじみ悲しかった。美しいものに魂を明け渡した悪の華。欲しいものには構わず手を伸ばすわがままな子供。サディスティックで傲慢で、それなのに私は彼女を愛している。彼女の心は本物のダイヤ。その輝きを守るために、肉体を捨てた彼女を愛している。 カーテンコールでの美輪さんの表情は感謝に満ち満ちていた。こらえたはずの涙がまた落ちた。ああ。おもちゃ箱のふたが閉じた。いつでも開けられるよう、こっそり手の中に守っておかなくちゃ。美輪さん、ありがとう。
May 18, 2005
私の美輪明宏・出会い (6)
テーマ:お勧めの本(48320)
カテゴリ:美輪明宏
日本人はやたらときっかけを聞きたがる、と中田ヒデはこぼしておりましたが、私もその点非常に日本人的でありまして、きっかけを聞きたいし語りたいということで「不定期連載・私の美輪明宏」の始まり始まりー。美輪コンテンツをちょっと増やそうかなと思いましたので。ぽつりぽつりと語りたいと思います。どうぞご勘弁を。文体を変えてもよろしいでしょうか?
「出会い」 いつものごとく私は本屋をブラブラさまよっていた。あてもなく本屋をさまよっている人間はウツ病だ、と齋藤茂太は言ったらしいが、その見方からすれば間違いなく私はウツだった。とにかく人生に飽きていた。好きなものもない。やる気もない。すべてがめんどくさい。夫に対してはすべてあきらめ、それ以上に自分に見切りをつけていた。自分は何もできないし、何も知らないと思い込んでいた。知力、体力、根性、すべての点で自分は夫に劣ると卑下していて、そのことでいつも夫から責められているように感じていた。稼がなくてもご飯は食べられるし、小さな庭のある一戸建てに住み、子供もまだいないので自分の時間はたっぷりある。なんというか、プチ有閑マダム状態であった。なんといいご身分だったことか!それでも私は幸福ではなかった。外から見る幸せと内に感じる幸せはイコールではないのだ。私には生きる目的がなかった。どうしても周りに感謝する気になれなかった。何より自分が嫌いだった。 ずっと好きだった音楽も、何だかどれも同じように聞こえるようになっていた。次から次へと出るヒット曲。翌年には聴くに耐えないようなノイズ。追っかけて覚えてカラオケで歌って・・・何の意味があるのだろう?流行に遅れるのはイヤだけど、でもどれを聴いても何だか薄っぺらい。流行に流されない音楽といえばクラシック?でも聴いてみても刺激がなくって眠たいだけ。何がいいのか全然わからない。宗教も政治もすべては金と結びついていて、消費側はそれに乗せられているだけ。何かを信じてみたいけど、どれもブームが終われば去っていく思想。どれも所詮人が勝手に吠えているたわごと。誰にもだまされたくない。今いる私は本当の私じゃないような気がする、でも本当の私って何?どこにいるの? すべては私の上を勝手に通り過ぎていく。心はいつも空洞のまま。私は何かを求めている。でもそれが何かがわからない。生きがいという言葉は嫌い。この言葉はすでに人生の倦怠を漂わせている。もっと自分を揺さぶるもの。自分を突き動かしてくれるもの。それがなければ、今いる自分はいないのと同じだ。 そんなふうな感情を茫漠ともてあましながら私は糸の切れたたこのようにフワフワと本屋をさまよっていた。足は自然と「女性のコーナー」などと書かれた「自分さがし」「愛される技術」「幸せを感じる365日」などと言ったタイトルの並ぶ方へと動いていた。そこに平積みしてあった一冊に目が止まった。「人生ノート 美輪明宏」 美輪って、あの「ココロジー」の美輪さん?あの人、本なんか出してるんだ。きれいなドレス着てたよなあ。男なのにあんなカッコするってやっぱりホモかな。でも、ああいうドレス私もきらいじゃない。それに下品な感じはしなかった。「人生ノート」っていうタイトルがシンプル。装丁に似合ってる。 などといったことをぼーっと考えながら開いた。するとそこには、今まで聞いたこともないようなことがぎっしりと書かれていた。 「シンプルと殺風景は別なんです。コンクリートの打ちっぱなしの家なんか出てきたけど、あれは刑務所ですよ」「美しいものにお金を使うようにすればいい。美意識が世の中を変えるし、景気を良くするんです」「男が強くて女が弱いというのは間違いです。男は生理的にも精神的にも弱すぎるから、神様が腕力を与えたのです。女は強すぎるから腕力を取り上げられた」「死んだとき、あなたは何人の人に泣いてもらえそうですか?目先の欲だけで生きることが、いかにむなしいことか」 こんなこと言う人、初めて見た。シンプルなのがすべていいと思ってた。デザインに凝るなんて、無駄なことだと思ってた。女は無力で、いじめられる存在だと思ってた。死んだときに私は誰に泣いてもらえるだろう?家族はもういないかもしれないし、友達だってほんとに哀しんでくれるだろうか?自分の満足しか求めて生きてないし、それが当たり前だと思ってた。この人はどうしてこんなに自信満々なんだろう?なんだか妙に説得力がある。頭がいいのかな。 こんな大人がいるんだ、こんな大人が・・・ひたすら驚くばかりだった。ただこの一文が私を反発させた。 「今世界で一番売れている歌手はマイケル・ジャクソンでしょう。音楽もスポーツもファッションも、世界中を席巻しているのは黒人文化。高い声でこぶしをまわす唱法で叫んで悲鳴をあげてるだけです。あとはリズムとハーモニーだけで、美しいメロディーは皆無です」 何をっ!マイケルの何が悪いって?こやつの言うことは信じられん! 私は中学時代、マイケルと結婚したいと本気で思っている少女だった。私はぱたんと「人生ノート」を閉じた。マイケルの悪口は聞きたくない。私をののしられたも同じだ。 しかし、悔しいことに、すでにマイケルの曲にも私は倦み疲れていた。「どれも一緒じゃん」という思いを無意識に押し隠している自分に気づいていた。叫んで悲鳴をあげてるだけ?リズムとハーモニーだけ?そのとおり!他に何もない。 私はその本を買わなかった。だが美輪明宏、という温度が、私のどこかに印象づいて、その後消えるどころかみるみる熱を帯びていくことになる。
May 11, 2005
美輪ビギナーのためのブックガイド (8)
テーマ:お勧めの本(48320)
カテゴリ:美輪明宏
なおぢるさんのご質問を受け我に返った美輪マニアはふと考えました。
そうか、最近本が出まくってるから、どれを読んでいいのか混乱中のビギナーの方もいらっしゃることだろう。ここは一発、美輪本のご紹介でもして、たまには世の中の役に立とう。 ブログ立ち上げた時点で、普通やるよね。 美輪さんの本はジャンル分けできます。ジャンル別にざっとご紹介させていただきます。よろしくどうぞ~。 1美輪さんのルーツを知りたい 「紫の履歴書」33歳までの美輪青年の激動の自伝。 この世にこんなに美しく強い人がいたとは! ダイヤのような硬質の輝きをご堪能あれ。 2美輪明宏的人生論 「人生ノート」一番多く読まれている。私もこれから入った。 美輪さんの人生一般論。挿画・初山滋 「ほほえみの首飾り」仏教の視点を強調した人生論。 「ああ正負の法則」人生いいこともあれば悪いこともある。 美輪哲学の要となる法則を深く掘り下げる。 挿画・田中比左良、岩田専太郎ほか 3人生トラブルシューティング(一問一答式の人生相談集) 「光をあなたに」中原淳一画が美しい。本は薄め。 「強く生きるために」週刊女性に連載。力強く、奥深く47問答。 「生きるって簡単」法華経の仏法を引用しつつ回答。 「地獄を極楽にする方法」現代っぽい悩みにも対応した53問答。 「人生学校 虎の巻」家の光に連載。雑誌のカラーに合わせ、 古風なお家の悩みに対応。 4美輪さんの美の秘訣を暴きたい 「天声美語」麗人になりたい方のためのノウハウ。 美輪さんの瀟洒なお部屋に強烈なストレートを食らう。 巻末「美輪リスト」片手に本や映画をあさった日々。 5他の人との対談を読みたい 「ぴんぽんぱんふたり話」瀬戸内寂聴さんとの艶やかな対談集。 三島由紀夫や霊のエピソードが新しい。 三島さんてかわいいんですよ。 「人生讃歌」日本語ブームでおなじみ齋藤孝さんとの対話論。 美輪哲学に齋藤先生の学識教養が食い込む。 齋藤先生も、すごくかわいい(笑)。 6ミックスジュース(人生論・対談・ルーツ。美味。) 「愛の話 幸福の話」愛と美に重きを置いて語られる人生論。 対談・瀬戸内寂聴、及川光博、池辺晋一郎。 美輪明宏と親交のあった4人の天才 (中原淳一・寺山修司・東郷青児・三島由紀夫) 再演を重ねる美輪芸術のステージガイド・年譜つき。 7霊について知りたい 「霊ナァンテコワクナイヨー」信じるも信じないも、いるんだからさ。 見えないものとの上手なお付き合い。 挿画は美輪さん。 以上、手に入りづらいものは省略しました。 美輪さんの舞台やコンサートではサイン本も並び、えらい勢いで売れています。舞台のパンフレットがこれまたいいです。いつも対談が入っていて、それがそうそうたる面々です。 美輪本には、アルファベットMIWAを合わせたシンボルマークが大抵入っていて、これはお守りのようなもので、心の美しい方に効果を発揮するということでございまする。 美輪本で美輪さんにイカレた方は、そのまま芸術作品としての美輪明宏へお進みください。大丈夫、そのうち慣れます。 まずはこんな感じで、いかがでしょう。少しでもお役に立てれば光栄に存じます。まじめにシメる。
February 17, 2005
NHK人間講座「人生・愛と美の法則」 (8)
カテゴリ:美輪明宏
8週にわたって美輪明宏の人間講座が放映されている。2週分が終わった。8つのテーマで美輪さんの哲学がたっぷりと語られる。この上ないぜいたくな番組である。全国展開されている美輪さんの講演は、この番組のダイジェスト版だと思えばいい。自宅にいながらNHK受信料(払ってるう?)と電気代だけでこんなに美輪さんのトークが堪能できるなんて、しかも録画して何度でも観ることができるなんてっ・・・ややセコイ喜び方をしてしまったが、とにかくこの番組だけはどう考えても見逃す手はない。観逃した方は再放送をチェックなさってみてください。2回も再放送します。
私は自分の人生を自分なりにじったばたじったばた生きているが永遠の理想として掲げているのが美輪明宏的生き方であり、私の細胞ひとつひとつは美輪明宏の哲学によって呼び覚まされた。そういう方々は世界中にたくさんいらっしゃることと思うがとにかく皆美輪さんに深く感謝しつつ自分の人生がどんどんよくなっていくことに驚嘆しているに違いない。私もその一人だ。美輪さんについていけば間違いないのである。こんな大人、私の周りには全く存在しなかった。大人は軽蔑すべき存在で、間違っても真似てはならないものだったはずなのだ。 信じるものもなく、好きなものもなく、どっちへ向いて歩けばよいのかわからず、自我ばかり巨大化していく自分を、明るい方へ明るい方へ導いてくれたのが美輪明宏だった。彼女を取り入れるようになってから私はじょじょに生まれ変わっていった。一通り自分の身体に染みとおってきた現在、私は見るべき方向を迷うことはなくなった。乗り越えるべき壁はいくらでもある。常にもがきながら生きている。それでも向かうべきところは定まっているから、まっすぐ歩くことができる。 子供たちに道を教えてあげることのできる大人というのが、ちゃんとした大人なのだ。現在、ちゃんとした大人はあまりにも少なくなってしまった。しかし、少なくても「正しい大人」は存在する。美輪さんひとりが正しいなどという気はない。私が美輪さんに電撃を受けたのは、美輪さんが芸術家であるということがある気がする。自分も芸術を愛する人間だから、共鳴しやすかったのだと思う。ある人は斎藤孝、ある人は松岡正剛、ある人は江原啓之、ある人は瀬戸内寂聴に共鳴するであろう。だが正しい大人が指すところは同じだ。仏教だろうがキリスト教だろうがイスラム教だろうが、目指すところが同じだということと同義だと思う。 テレビのよいところは関連映像をはさめることだ。本は教科書なので、テレビは資料集としてビジュアルを補足してもらえるとありがたい。私たちは江戸川乱歩、寺山修司、三島由紀夫にはそばにいてもらえなかったが美輪明宏には間に合った。美輪明宏を子供たちに伝えることが私たちの役目だ。 │<< 前のページへ │一覧 │一番上に戻る│ |
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