東日本大震災2年:福島第1原発事故 福島県立高 避難長期化で生徒減 サテライト校、岐路に
毎日新聞 2013年03月13日 東京朝刊
東京電力福島第1原発事故に伴い、避難区域内にある福島県の県立高校が他校の教室を間借りするなどして開設した「サテライト校」。2年を経た今、岐路に立たされている。生徒たちは「避難で絆を失いたくない」との思いで、就学環境の悪化や再移転に耐えて通い続けてきた。だが帰郷の見通しが立たない中、避難先の最寄りの高校を選ぶ傾向が強まり、生徒数は減少。14年度以降のサテライト校をどうすべきか、県教委も結論を出せていない。【泉谷由梨子、神保圭作、倉岡一樹】
◇母校で学ぶ…1人暮らし決断
「雨の日も雪の日も1人。つらかった」。原町高(南相馬市)を今月卒業した高橋和加奈(わかな)さん(18)は昨春から1年間、福島市に避難中の家族と離れ、東へ45キロ離れた南相馬市のアパートで1人暮らしをした。卒業まで続くはずだった福島市内のサテライト校が廃止され、本来の校舎で昨春、授業が再開。苦楽を共にした友達がいる母校で学ぶための決断だった。
事故前は飯舘村の自宅から原町高に通っていた。事故で村は計画的避難区域、学校は緊急時避難準備区域に編入。高橋さん一家は11年4月、福島市に身を寄せた。同市には、原町高がサテライト校を開設した福島西高の他、弟の巧弥(たくや)さん(13)が通う飯舘中の避難先がある。妹の幸季奈(ゆきな)さん(16)が通う川俣高は福島市の隣町。「間借り」の学習環境を危惧した母英代さんは転校を勧めたが、高橋さんはサテライト校を選んだ。
学校側は保護者らに「卒業までサテライト校は継続する」と説明していた。ところが、南相馬市の緊急時避難準備区域解除を受け、同10月、南相馬に戻る方針を決める。福島市からは車で約2時間、公共交通機関では始業に間に合わない。弟妹の通学を考えると、一家での引っ越しは難しかった。
転校して福島市に残るか、再び決断を迫られた高橋さんは、避難のつらさを一緒に味わい、サテライト校で1年間を過ごした同級生17人との絆を大事にしようと思った。そのうちの一人は「みんなと一緒に帰れないんだ」と涙ながらに転校していった。「最後の学年、どうしても戻りたい」という高橋さんに、英代さんも「1人になるけど頑張って」と認めてくれた。
早起きして弁当を手作りする毎日。3世代8人同居の暮らしを思い出すと悲しくなったが、友達がいたから頑張れた。「大変だったけど楽しい3年間だった」。保育士を目指して東京の大学に進み、卒業後は古里に戻るつもりだ。
◇部活動、行事に支障 細やかな指導では成果
「生徒が母校に通い続けられるように」「避難区域の学校を守る」