フロントと審判はなぜ批判されるのか?

フロントと審判はなぜ批判されるのか?そして、サポ論争がなぜ起きるのか?そのメカニズムを「共依存」という概念から考える。特にサポ論をウザいと思う人にこそ読んでほしい。

この章を私が執筆するに至ったキッカケは雑誌・サッカー批評61「サポーターは敵か味方か?」である。この号は、ここまで刺激的なタイトルを掲げているのにもかかわらず、「なぜ、サポーターは攻撃的な行動をとるのか?根拠なく不安を煽る行動をとるのか?」について、その原因の考察が存在していない。私は、それが、どうしても、読み終えたときに、若干の物足りなさを生み出しているではないかと考えたのだ。このことについて整理して述べている文章を私は読んだことがない。しいていえばデズモンド・モリス著『サッカー人間学 』(小学館)に行き着く。

「共依存」の典型的な事例はダメンズと女性との関係である。「ダメンズと、ダメンズのことを酷い酷いと言いつつも、ずっとくっつき続ける女」という男女関係。言い換えると「人に自分を頼らせることで相手をコントロールしようとする人と、人に頼ることでその人をコントロールしようとする人との間に成立するような嗜癖的二者関係」である。

ダメンズは力が強いことが大半。そのダメだけれど強い男を守り、コントロールすることで「自分には力がある」ことを確認しようとするのである。(選手はダメンズというわけではない。しかし、手を使わずにプレーする競技である以上、完璧なプレーをし続けること不可能。かならず何かのミスをおこしてしまう。)

「私がいないと、ダメになってしまうのよ、あの人」

この一言で説明は十分だろう。そして、サポーターの発する、以下のような発言と相通じることに気が付かれただろうか。

「俺たちが応援しないと、このクラブはダメなんだ。」
愛する選手たちに不当な判定をする審判を俺たちは批判しなければならない。それが選手のため。さらには日本サッカーのためになるのだ。」
「フロントは糞だ。身体を張ってプレーしている選手たちを真剣に支援しようとしない。簡単にクビを切る。」

失点や敗北には、応援しているクラブや選手たちの抱える問題が関与しているケースが多い。しかし、それを認めることができず、誰かの意見を求め、根拠の無い希望(例えば誤審、フロントの失態)にしがみつき、攻撃的な発言を繰り返すことで「自分に(審判やフロントをコントロールする)力があることを確認」してはいないだろうか。

企業研修の専門家である開米瑞浩氏は以下のように言っている。

 

「自分に力があることを確認したい」と思っている人というのはどういう人かというと「自分に力があるという実感がない人」なんです。ない、と感じているから、欲しくなる。それ自体は当然すぎるぐらい当然起きてくる感情なんですが、問題は「自分の力」を確認するために、他人の行動をコントロールしようとすることです。

「他者をコントロールする欲求」に走った人物が取る典型的な行動をいくつか挙げておきます。

(1) 相手の些細な欠点をあげつらって「おまえはダメな奴だ」と自尊心を傷つける
(2) 「おまえの言うことは間違っている」と相手の主張を常に否定する
(3) 「俺の言うとおりにしろ」と自分の主張を押しつける
(4) 相手が自分のアドバイスに従わずに成功すると、不愉快に感じる

原子力論考(84)オオカミ少年は悲劇を望むようになる(開米 瑞浩)より

 

この、「他者をコントロールする欲求」の根本は「自分には力が無い」という思いである。心理学用語でいうと「自己効力感の不在」。自己効力感の不在を実感すると、人は、とても不愉快な心理となる。しかし、その不愉快な心理に陥ることが少ない「敵」が目の前に存在している。であれば、その「敵」が攻撃対象となるのは自然なことだろう。その「敵」こそが、審判でありフロントなのである。なにしろ、審判もフロントも攻撃に対して、ほとんど反撃することがない。それゆえ、安心して「他者をコントロールする欲求」を満たすことができる。そして、反撃が無いので常に、自らは不愉快な心理には陥らず、常に満足度の高い心理状況を維持できるのである。

ここでサポ論争がなぜ起きるのか、に話が飛躍する。

攻撃的な発言を繰り返すことで「自分に力があることを確認」しているサポーターに、他のサポーターがなにかしらの反論を行なうとする。その反論が正しいか正しくないかに関わらず「他者をコントロールする欲求」を満たすことが出来ない状況は「自分に力があることを確認」しているサポーターにとっては不愉快な心理状況なのだ。そこで、さらに反論が行なわれ、サポ論争が生まれる。

さて、話を元に戻す。

驚くべきことに「共依存」に陥りやすい人の職業として看護師、弁護士、カウンセラーが挙げられている。人を支援するのが仕事である援助職が陥りやすい。誰かを助けたい、という感情が共依存の関係を生み出しているといえる。まさに、これはサポーターの心理と一致する。ただし、サポーターの場合は、自らの個人的な志向に基づく破壊的な行動を正当化するために、共依存関係を演出し「サッカーを言い訳として悪用する」ケースも散見することを記しておく。

 

参考

NPO法人全国薬物依存症者家族連合会ウエブサイト

原子力論考(84)オオカミ少年は悲劇を望むようになる(開米 瑞浩)

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