競馬を愛した人々

競馬を愛した人々 #3 吉屋信子


昭和26年 東京優駿(第18回日本ダービー)
トキノミノル
 吉屋信子は大正から昭和の時代に活躍した人気作家である。昭和3年にはソ連経由でヨーロッパに渡りフランスに滞在した。昭和15年には「主婦之友」社の特派員としてインドシナを訪問している。戦前はゴルフ、戦後は競馬に熱中した活動的な女性だった。

 吉屋が本格的な競馬を初めて見たのはフランスの繋駕競走である。帰国後、戦前は異国情緒を求めて横浜競馬場にたまに行く程度だったが、戦後は頻繁に府中・中山に通う。馬券にも熱中した。早朝の競馬場のベンチで熱心に競馬新聞を読んだ。思うように小説が書けず悩んでいた時期である。その当時の心境を吉屋は「自分の買った馬券の運命が、刹那で決まる奇妙なスリルのようなもののなかに、自分の憂愁をまぎらす術を求めた」と記している(吉屋信子全集11「馬と私」)。

 新たな仕事の開花と共に馬券熱中時代を卒業し、映画会社「大映」社長の永田雅一の勧めで馬主となる。夜明けに起きて愛馬の調教を見に行くのを楽しみにした。

 昭和26年の東京優駿(日本ダービー)を勝ったのはトキノミノル。馬主は永田。皐月賞に続いての二冠制覇だった。10戦10勝。内7回がレコード勝ちというスーパースターである。だがダービー優勝の13日後に破傷風を発病、手当てのかいもなくその4日後に死亡する。吉屋は馬主の永田と並んでその死を悼むコメントを寄せた。「トキノミノルは天から降りて来た幻の馬だ。競馬界最高の記録をうちたて、馬主にこの上ない栄冠を与えたまままた天に帰って行った」(毎日新聞)。今も生きる“幻の馬”は吉屋の名コピーである。現在トキノミノルは東京競馬場に銅像を、「共同通信杯(トキノミノル記念)」にその名を残している。


昭和30年 第3回NHK盃
イチモンジと吉屋信子氏
 吉屋の代表的持ち馬にイチモンジがいる。昭和30年、作家吉川英治の馬ケゴンが皐月賞を優勝する。吉屋のイチモンジは8着だった。次走のダービー・トライアルNHK盃は、1番人気のケゴンを破ってイチモンジが勝つ。ケゴンは2着。重賞で文人の馬が1、2着した珍しい例になる。7月の中山開催。中山四歳ステークス(現ラジオNIKKEI賞)。イチモンジは1位で入線するが審議対象となる。吉屋は我が子の安否を気遣うように周囲に問い掛ける。我が子がそんなアンフェアなことをするはずがないと。だが……、イチモンジ失格。吉屋の目には涙が溢れていた。

 昭和32年のダービーは、ヒカルメイジ、カズヨシ、ギンヨクという上位3頭の馬主がみな女性という珍しい年になった。3着ギンヨクの馬主が吉屋だった。

 昭和48年、77歳で没。神奈川県鎌倉市の吉屋の邸宅は現在「吉屋信子記念館」となっている。(文中敬称略)

吉屋信子(よしや・のぶこ)

明治29(1896)年1月12日、新潟県生まれ。小説家。大正5(1916)年に発表した『花物語』で人気作家になる。昭和27(1952)年に『鬼火』で女流文学者賞受賞。代表作に『あの道この道』『良人の貞操』 『安宅家の人々』『徳川の夫人たち』『女人平家』がある。昭和42(1967)年菊池寛賞受賞。昭和48(1973)年7月11日死去

JRA発行の『優駿』は昭和16年に創刊され、昨年70周年を迎えました。通巻では800号を超えており、これまでさまざまな作家・文化人の方々にご寄稿いただきました。

2012.4.7 レーシングプログラム掲載

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