岩手・大槌町で派遣職員の男性自殺 派遣職員へのケアが課題に
フジテレビ系(FNN) 3月11日(月)20時13分配信
岩手・大槌町に派遣されていた男性職員が、「大槌がんばれ」の言葉を残し、自ら命を絶った。被災地では、派遣職員の必要性が増す一方、派遣職員へのケアが新たに求められている。ある男性が、カレンダーの裏に書き残した「皆様、ありがとうございました。大槌はすばらしい町です。大槌がんばれ」という、被災地への応援メッセージ。
この男性は、その後、自ら命を絶った。
岩手・大槌町は、がれきこそ撤去されているものの、目の前に視界を遮るような大きな建物は何もなく、荒涼とした光景が広がっている。
岩手県の沿岸部に位置する大槌町。
町役場も津波にのみ込まれ、当時の町長を含め、町の職員あわせて40人が犠牲となった。
そんな大槌町には、現在、全国各地の自治体から、全職員の3分の1にあたる70人の応援職員が派遣されている。
都市整備課の職員は、34人。
そのうちの19人は、北海道や沖縄などから派遣されている職員。
そんな大槌町の役場に、2013年初め、ある悲しい出来事が起きた。
兵庫・宝塚市から大槌町に派遣されていた45歳の男性職員が、2013年1月3日、住んでいた仮設住宅で死亡しているのが見つかった。
宝塚市から派遣されていた男性職員は、仮設住宅で首をつって死亡していた。
男性職員の部屋には、カレンダーの裏に「皆様ありがとうございました。大槌はすばらしい町です。大槌がんばれ」と、遺書とも受け取れるメッセージが残されていた。
最後に書き残した、被災地への感謝と激励の言葉。
男性職員は、なぜ、自ら命を絶たなければならなかったのか。
兵庫・宝塚市役所では、男性職員が派遣される前まで使っていた席は、今も空席のままとなっている。
宝塚市の中川智子市長は「被災地に赴いて、一生懸命頑張ってくれた職員が亡くなる。これはもう、言葉に出せない...。言い表せないぐらいの悲しみです」と話した。
男性が自ら命を絶ったのは、被災地に派遣された、わずか3カ月後のことだった。
中川市長は2012年末、男性職員と電話で話した時の様子を「よく頑張ってくれているらしくて、『感謝しているわ』って言ったら、(男性職員は)『僕、役に立っているのかなぁ...』って」と振り返った。
亡くなった男性職員は、2012年10月に大槌町へ派遣され、津波の被害に遭った土地を地権者から買い取るため、意向調査などを担当していたという。
しかし、地元の人でも難しい仕事内容に、派遣されてきた応援職員は、戸惑うこともあるのだという。
沖縄県から派遣されている職員は「(大変なところは?)皆さん被災して、バラバラになってしまっているので、この土地の所有者を探すのがもう大変で。所有者が見つからないことには、用地交渉も進められない状況なので...」と話した。
北海道・旭川市から派遣されている職員は「(大槌町で実際に仕事をされてどうですか?)仮設(住宅)に住まわれていて、早く家を建てて引っ越ししたいと、よく言われるんですけど、その造成地すら造ることができていない状況なので、それが申し訳ないなと思って」と話した。
なかなか進まない被災地の復興。
自分は役に立てているのかという悩みが、男性職員の心の負担になっていたのか。
大槌町に住む被災者は、「ただただ、わたしたちは、その訃報を聞いて、申し訳なかったなぁっていう思いでした。自分の言うことが、相手に伝わらない、相手の方からはガミガミ言われる。そのはざまで、ずいぶん苦労したんじゃないかなと」、「難しい問題だと思うよね。地元同士の知っている人が言うならば、お互い言いたいこと、聞きたいことも言えるし。気の毒です。本当に気の毒です」と話した。
大槌町の碇川 豊町長は「復興・復旧に前向きに取り組んでいましたので、本当に残念な気持ちです」と話した。
同様の悲劇は、2012年夏、別の被災地でも起きていた。
岩手・盛岡市から陸前高田市に派遣されていた男性が、2012年夏、道路脇に止められた車の中で、自ら命を絶った。
遺書には、「被災地の役に立てず、申し訳ない」と記されていたという。
被災地の市町村へ派遣されている職員は、岩手で307人、宮城で727人、福島で177人と、およそ1,200人にのぼる。
住宅の再建など、さまざまな問題が山積する被災地では、派遣職員の必要性は増す一方となっている。
長期的な支援を持続するためにも、派遣職員へのケアが新たに求められている。
最終更新:3月11日(月)20時13分