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2009年5月16日

三村忠史・倉又俊夫 (NHK「デジタルネイティブ」取材班)『デジタルネイティブ』

Books

この本に描かれているプロジェクト番組を、たまたま最後の5分間程度を観た。
番組の内容が分からなかったのでよけいにそう思ったのかもしれないが、この「デジタルネイティブ」という言葉に引っ掛かった。
良い意味の引っ掛かりではない。胡散臭い印象を持ったのである。
たまたま本屋で見つけたので、私の感じた胡散臭さの正体を見極めたくなって読んでみた。

本文の大半は1996年入社のディレクター三村が担当していて、ウェブ版制作記の一章だけをチーフ・ディレクターの倉又が担当している。
「デジタルネイティブ」という言葉は、著者たちの造語ではなくて、「ウェブ先進国アメリカ」などで使われるようになった用語だという。
「ネイティブ」という言葉は、普通「先住民族」を表す言葉として使われることが多いが、この場合は「生まれた時からデジタル情報機器に囲まれて育ち、ことさらではなく空気のようにデジタルに接してきた世代」という意味らしい。
私流に揶揄的に言い直せば、「子どもの時からテレビ・ゲームや携帯電話とともに成長した世代」というところだろう。

その「デジタルネイティブ」に対して著者たちはなぜかもの凄い(異様なほど)思い入れがあるらしく、10代の起業家だのIT長者が金には目もくれず…などという外国の話をたくさん紹介している。
とにかく、著者たちが「はしゃいでいる」ことはよく伝わってくるのだが、その理由がよく分からない。
著者たちは「デジタルネイティブ」の若者と、彼らを理解できないで困惑する「大人」を対比的に描いていくのだが、カリカチュアライズしているのかと思っていると、どうやら本気でそう思っているらしいのだ。
「デジタルネイティブ」たちが世界を変革してくれるのだそうで、喜ばしいことこの上ないが、根拠が少しも示されないので、どうやら神懸かり的に楽観的な著者たちだということが分かるくらいである。

「デジタルネイティブ」たちは驚くべきスピードで情報処理できる能力の持ち主なのだそうで、到底「大人」の出る幕はないのだという。
しかし「猛烈なスピードで情報処理する」というのは、例えばケータイ・メールを「猛烈なスピードで打ち込む」能力とどれほどの違いがあるのか、私には分からない。
スピードよりも大事なことがあるのではないか、といった疑問から著者たちはまったく無縁らしい。

いちばん傑作なのは、「デジタルネイティブ度チェック」なる20の設問だ。
《・インターネットで知り合いになって、会ったことがある人が5人以上いる
 ・朝起きると最初にするのは、メールをチェックすることだ
 ・出かけたり、買い物をしたり、何か行動する場合は、まずネットで検索する
 ・デジカメで撮影した写真は、写真共有サイトにアップロードしている
 ・ネットで買い物をするときに、クレジットカード番号を入力することにまったく抵抗がない
 ・音楽は、ネットで購入したり、入手したりすることが当たり前になっている
 ・定期的にチェックするブログが5つ以上ある
 ・ブログにコメントを付けたことがある
 ・自分のブログをもっていて、定期的に更新したり、トラックバックを張ったりしている
 ・mixiやFacebookなどのSNSに複数参加している
 ・ウィキペディアの編集をしたことがある
 ・インスタントメッセージで友人と日常的にチャットする
 ・携帯電話は会話するよりも、メールすることのほうが圧倒的に多い
 ・面白い動画やサイトを、すぐに友人にメールで知らせることが楽しい
 ・友人、知り合いに電話番号を教えるときは、携帯電話の赤外線通信で行う
 ・ネットでニュースをフォローしているので、紙の新聞は読まない
 ・テレビはいったん、ハードディスクレコーダーに録画してから見るのが基本だ
 ・学校(小、中、高)では、パソコンの授業があった
 ・いまの彼女(彼氏)はネットで知り合った》(115〜117ページ)

この設問の中のいくつかはネットを使ったことのある人なら経験のある普通のことだが、大半は当てはまっているほうが「恥ずかしい」と私などは思う。
それなのに、著者は《これでデジタルネイティブ度が低かったとしても、どうか、気落ちしないでほしい。》(117ページ)などと余計な心配までしてくれる。
つまり、著者たちはこうした項目に当てはまることが、文句なしに素晴らしく、未来を先取りしていると思いこんでいるらしい。
客観的に考えれば、大半の項目はただのバカの領域だと思うが。
こんなのに当てはまっていないからといって「気落ちする」人間が本当にいると思っているのだろうか。

著者たちは、最近の若者(だけではない)が本を読まなくなったという現実をどう考えているのだろうか。
「紙の新聞」を読まないほうが「デジタルネイティブ度」が高いと思っているくらいだから、活字離れは素晴らしいとでも思っているのだろう。
(若者が「紙の新聞」を読まないのは、テレビやネットでカバーできるということの他に、購読料が高いという原因があるのではないかと私は思う)
「本を読む」というのは、もちろん象徴的な意味であって、多くのさまざまなことが含まれる。

若者の投票率が低いのを何とかしようと活動している若者たちのグループがテレビで紹介されていたことがある。
それほど若者たちのアパシーが蔓延して久しいという現実を、この本の著者たちは考えたこともないのだろうか。
30代の就職氷河期世代、金融パニックで内定を取り消された若者たち、派遣切りで仕事も住まいも失った若者たち…。
若者たちを取り巻く現実は、あまりにも過酷で容赦ない。
NHKの高給取りであろう著者たちは、ノーテンキな幻想に浸っているヒマがあったらもう少し現実を直視したジャーナリストとしての感性を取り戻してほしい。

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