写真家 大石芳野
 
 東日本大震災から2年です。津波の被害はまだまだ甚大で、復旧・復興はこれからです。そして福島は、東京電力福島第一原発の爆発事故によって、深刻度はレベル7、放射性物質の外部への放出は数万テラベクレル以上にも及びました。人びとは依然、根深い苦悩のさなかにあります。

レベル7は、27年前のチェルノブイリ原発事故と同じです。チェルノブイリでは深刻な負の影響がいまだに続いています。私も何度か現地を訪れましたが、大地は汚染されて、ふるさとに戻れない人びとは多く、甲状腺を始めとする癌や心臓病などが増大しています。免疫力の低下で体調不良に悩まされる人たちも少なくありません。
2年を迎える福島について、私はこの間、人びとに話を聞き写真を撮らせてもらいました。それをようやく一冊にまとめることができました。「福島 土と生きる」という本です。今日はその写真を紹介しながら進めたいと思います。

福島ではチェルノブイリと違って健康状態については、今のところ総じては不透明ですが、私が取材した人の中には、事故以来、心臓に異常をきたして危なかったと訴える人が複数います。
線量が低いのに神経質すぎるとか、そのくらいは問題ない、また自然界の放射線はどうなのか、などという声もありますが、汚染度の強さは同じでも個人の健康状態の差によって、受ける影響は違ってくるでしょうから、いちがいに線量の数値で線引きできるものではありません。
とりわけ子どもや若い人にとって放射性物質の影響は、年齢を重ねた人に比べると遥かに強いことが検証されています。小学生の男の子が言うには「内部被曝は検査で出なかった。でも将来、病気にならないか」と。また、高校生の少女は「将来、結婚とか出産とか、とても心配」とぬぐえない不安を訴えています。

家族の絆の変化の問題もあります。都会と違って住まいも広く大家族が一緒に暮らすといった日本の昔ながらの習慣が残っています。それが突然、若い人や子どもたちが、汚染されたふるさとでは危険すぎて暮らせなくなり、結局、ふるさとに残ったのはお歳よりとなりました。線量が高くて全村が避難となった飯舘村でも、避難しないで居残っている人たちがいますが、みな高齢者です。
職場も大きな不安の中にあります。会社が閉鎖に追い込まれて、新たな職場を探さなければならない人たちが少なくありません。夫が妻と子どもと離れて、新たな職場の近くに住むことになったり、逆に、汚染を心配して母親と子どもが避難し、父親だけが仕事のために地元に残るなど、家族が分れて暮らさざるを得なくなっています。
 
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根本にあるのは汚染された土の問題です。放射性物質によって土地を汚染されても、農作業はできるのでしょうか。もし、できないとすると、これまでの人生を否定されたことになり、同時に、これからの人生も奪われたことになります。生き抜いてきたすべてを、根こそぎ剥ぎ取られたということです。
先祖代々から受け継いできた土地を何とか守ろうと農民たちは命を懸けてきました。作付けを禁止されている田畑も、荒すわけにはいかないと鍬を入れる人も少なくありません。
 
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翻って見ますと、農民たちは社会の変動、政策の転換などで大きく振り回されてきました。青田刈りは今でもありますが、農民の誇りを貫こうと田を、畑や果樹園に変えた人もいます。畜産業も牛肉の自由化で夜逃げをしなければならなかった農家もありました。そうした中で、飯舘村の飯舘牛は苦労を重ねてようやくブランド化に漕ぎ着けたのですが、放射能にやられてしまいました。
時代に翻弄され、過疎化が進むなかでも、農民魂を持った人たちが努力と工夫を重ねながら、土と共に生きてきました。土はそうした人びとの生きる原点そのものです。お会いした多くの人たちが土への深い思いを話しました。
 
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農民で歌人の佐藤祐禎さんは大熊町の東電福島第一原発から3キロほどに住んでいました。2002年に作った短歌です。
「いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる」
佐藤さんは「土がなければ生きられない。旅行しても気になるのは土ばかり」と話していました。
 
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川内村の秋元美誉(よしたか)さんは、「農民の誇りを捨てるわけにはいかない」とまだ解除されていないふるさとに戻って合鴨農法を開始しました。「2年間は収穫したコメを破棄。でも、今年からは何とかなるかな」と希望を抱いています。
考えてみますと、土とのかかわりは農民だけのものではありません。都会に住む人もマンションに暮らす人も、みな土とは切り離せません。農作物の消費者でもあるのです。結局、私たち人間は土によって生かされているということを実感せざるをえません。人生に幕を閉じたら、多くが土に返っていきます。

そして人びとの苦悩を象徴するのが、除染です。国は除染政策を打ち出し、土建業社の災害事業としました。けれど、やり方は粗雑で除染ではなく移動させる「移染」だという苦情が絶えません。下請けの収入源にもなっているし、止められないなどの主張が聞かれますが、問題は多岐に渡ります。
 
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除染は、土地の表土を剥いだり水を流したりしますが、汚染土の集積所はありません。防水袋かシートで覆って、その場所か付近に置くことがほとんどです。水を流しても汚染された水は土に浸み込み、川に流れて広がっていきます。
地元には「本当になくなるのか、お金の無駄使いではないのか、その予算の別な使い方はないのか」などといった声が以前から少なくありません。他に方法がないからやむを得ず続けているのか。無駄だと分っていても、何かしないとならないからということなのか。
一方で、効果がないのなら除染は止めようとなると、住民は不安になります。「うちも除染をしてほしい」という声がひんぱんに聞こえます。今のところ他に身を守る策の提示がないからでしょう。
人びとの藁をも掴む思いで何とかして欲しいという気持ちは、決して我ままではありません。放射能と闘う苦しみの現状は目に見えにくいために、外部には伝わらない面が多いのです。
共に土と生きているということを、お互いの原点として共有していかなければならないのではないでしょうか。
そのためには、私たちは忘れないで関心を持ち続けることが大事ではないかと思います。

気が遠くなるほど長期に渡って存在し続ける放射能、学者によっては、1万年、2万年、いや10万年は放射し続けるといいます。「平和利用」と言われ続けてきた核に大地は汚染されたのです。しっかりと向き合うことが、土と生きている私たちすべての責任ではないかと思います。