〜クライマックス・プロジェクト代表取締役 岡田 登ってどんな人?〜
※今までやっていた著作権啓蒙活動をいよいよ公にしようかと思った頃に、書いた文章です。
コスプレの業界には「人からわからなければやっていい」という考え方の元、法律をないがしろにする企業活動が長年横行してきました。特に企業活動において大きく関わるのは「コス衣装に関する著作権の問題」と「その企業で働く人への過酷な労働条件の強要」です。どちらも、周知活動が行われておらず、コスプレイヤーさん及びカメラマンさんは「そんなもんだろう」と、思わされつつ、「法律違反」(正確には将来法律違反と認定されてもおかしくない事例)の片棒を担がされてきました。この状況がアニメ・漫画・ゲームの業界からコスプレが認められたとは言いがたく、業界規模が小さいままの原因ともなっています。
僕自身は自分が漫画家、ゲームクリエイター、ミュージシャンを目指していた時期があり、アニメ・漫画・ゲームから育てられたことから、その世界で働く方の権利がないがしろにされることは、到底我慢のできるものではありません。結果として、様々なことが起きますが、それは例えばクリエイターの方の収入が減る原因であったり、作品の予算が減る原因であったり、コスプレイヤーさんが「作品への愛情・情熱」や「キャラへの愛情」を表現しながら実際には将来法律違反と認定されてもおかしくない事例を実行していたり、です。
自分自身もコスプレをやって、コスプレイヤーさんが法律のことを何も考える事なくおおらかにコスプレを楽しむ世界の到来を願って企業活動を重ねて来た僕にとって、のっぴきならない状態になってしまったアニメ・漫画・ゲーム業界の事情を考えるにつれ、現在のコス業界の状況は、あまりの悔しさに自分の行動において、もう何も恐れるものは何もない、と言い切れる段階に来ました。傷害罪になるからやりませんが、例えば店舗においてボランティア形態で就労をうながす経営者はげんこつでぶん殴ってやりたいですし、一対一の討論だったら相手が政治の世界のどんなに偉い人間でも屈しない自信があります、例え相手が首相でもです。
そこで、今回
・公式ロゴを有料でコス写真の中に掲載できる様にする活動
・権利者と事業者の議論、交渉の場となるSNSの運営
(参加費は権利者や事業者の方向けの金額となりますが、
コスプレイヤーさんカメラマンさん等一般の方の参加も可能です)
・各所への活動をジャーナリストとしてレポートする活動
を軸に様々な活動を開始します。
申し遅れました。有限会社クライマックス・プロジェクト代表取締役の岡田登です。皆さんにはスタジオ・アナザープレイスやレイヤーズネット管理人としての方がおなじみかもしれません。今まで、皆さんに見えない部分の活動については「コスプレイヤーさんが知らないままで状況が改善するならそれが一番いい」と思って来たので、特段に述べることはありませんでしたが、今後、公開される自分の企業活動のテーマとして肚を据えて行くことに致しましたので、今までの活動の経緯を含めご挨拶させていただきます。今回は僕の経歴と経緯ご挨拶が中心ですが、今後はその経歴から得た著作権の構造の知識についてなども詳細な資料をまとめます。
では経歴から申し上げます。小学校の時、転校したらあまり馴染めず、担任の先生が顧問の漫画くらぶで漫画の描き方を教わって漫画を描き始めました。中学からは当時黎明期だったパソコンゲームの空気を存分に受けて自分もゲームを作りはじめ、大学の時にほんのちょっぴりゲーム会社で作曲のバイトを体験したことがきっかけでバンドなど音楽活動にあけくれ音楽業界を志向しました。中学の時は勉強するのが大嫌いな子供で留年しそうになる成績でしたが、(中高一貫校だったので留年があったんですね)、中学3年生の時に「勉強が好きになる方法」を発見して、以来勉強にものめり込みました。
大学は早稲田大学人間科学部 人間基礎科学科 卒業です。(僕は純粋に勉強が好きだっただけなのに)大学名を言うだけで、行動が冷たくなるお仕事上の方が多く、全く言わない時期もありましたが、今回は勝つ為にあらゆる手を使う為に申し上げます。早稲田大学人間科学部は他の学部ほぼ全ての学問を広く浅く学び、総合的な考え方を持とうという学部で僕のいた人間基礎科学科は「心理学・社会学・生物学をミックスする」のが主旨でしたが一般教養の科目を見る限り数学・物理学・経済学、また隣の学科の人間工学、スポーツ医学、救急医学、なども履修でき「なんでもアリ学部」でした。変わった所だと画像医学という「レントゲンの医学」も履修できました。社会学など文化人類学的観点で考古学から近代まで縦断的にやるので非常に面白かったです。(有名人で言うと考古学にエジプト考古学の吉村作治先生がいらっしゃいました)。そこをほぼ全優で卒業後、仕事の現場や様々な勉強から各学問の延長的な知識を手に入れてきました。どんな大学教授とも「向こうの知らない知識と知っている知識を連結したトーク」ができるかと思います。
就職は最終的に部署が消滅する程の労働環境的にとんでもなくハードなネット製作の会社でしたが、仕事への打たれ強さが製作、営業の双方で鍛えられました。その会社の在籍中に音楽業界への夢を諦めず売り込みをかけた所、現在も健在な「Musicman-NET」に2008年にプログラマー兼デザイナーの職で立ち上げメンバーとして参加させていただきニュース記者、求人営業などのスキルを磨かせていただきました。この時期に音楽業界の業界構造及び権利構造を学び、実際に権利団体との仕事上のおつきあいをさせていただきました。連日クラブで踊ったり、スノーボードをやったり肉体的な趣味を楽しみはじめたのもこの時期です。
2001年頭に常勤から掛け持ち勤務に移行。なだらかに独立しました。主にサイト製作者として様々な仕事を体験しましたが、とあるミュージシャンの方の公式サイトを作っていた所、その方が演劇方面に楽曲を提供していた事から、演劇業界に関わる様になり、サイト製作の仕事の延長で演劇写真のレタッチ、ネット・CD-ROMによる写真集の製作の仕事を行いました。また紙ベースのデザインの仕事も行いました。
個人のクリエイターランキングサイトにコスプレイヤーさんが数多く参加し、それを分離した所(のちのレイヤーズネット)から偶然にコスプレ業界に足を踏み入れましたが、インターネット以前からネット世界的なコミュニケーションが発達していた所をはじめ、その世界の魅力に引き込まれるのはあっという間でした。ドームシティのコスプレダンパで踊った時に「日本人でもガンガンスゴイ踊りを踊っていることに」凄い感動すると同時に「ここではコスプレして踊らないとつまらないな」と思って自分もコスプレをはじめました。結果、小道具とか「作る楽しみ」も体験して素晴らしいなと思いました。
その直後から、毎週コスプレイベントのスタッフとしてお手伝いさせていただいたのですが、その素晴らしさに感激する一方、自分がゲートでコスプレイヤーさんに「コス頑張って下さいね」って挨拶するのがすごい楽しかったのとコスプレイヤーさんが100人単位で数えられる事に違和感をおぼえて、「少人数相手だったらもっと色々なことができるんじゃないだろうか?」と思って2004年に開始したのが現在の「スタジオ・アナザープレイス」の前身となる「スタジオ・アナザースクール」でした。
しかし、一方で課題もありました。「自分がおかしいと思ったことを徹底して実行できない性格」から衣装の版権問題にも取り組み始めました。コスプレ業界の広告代理店を立ち上げたので、その業務の過程で事業者の方に権利者と事業者をつなぐ業務をおこなったのです。一方の権利者の方へのアプローチも行って参りました。先ほどの「Musiman-NET」の手法を使ってニュースサイトを立ち上げ、そこに権利者の方の情報を載せ始めました。「権利者」と「事業者」をつなぐ、それはコスプレイヤーさんが何を気にする事なく、この趣味を楽しむ為の条件だと思ったからです。
しかし、この行動は何故か大変、自分が苦しむ結果につながっていきました。レイヤーズネットでは徹底して版権侵害広告を掲載しなかったのですが、競合サイトはそれを積極的に進め、結果、資金面で苦しむことに繋がり、おつきあいいただいた事業者からは「聞いたフリ」だけで行動に結びつく事は稀で、多くの版権者にアプローチしやっと大手ゲームメーカーの版権取得の契約が成立したと思ったら、公式は大変やりなおしの回数が多いのですが、やりなおしを重ねるうちに事業者が作らなくなってしまってフェードアウトしてしまったり、権利がらみの様々なもめ事の相談に載ったり仲裁に入ったのに元の木阿弥状態になって自分の売上に結びつかなかったり、一方、権利者の方からは立ち上げたニュースサイトの方には情報の掲載許可を出すがレイヤーズネットに情報を掲載する事はまかり通らんって言われて、製作費・人件費の負担になったり…。今でも、いろいろな権利者のかたからFAXやメールで情報が届きますが面白いのは「こすぷれいやーずねっとメールマガジン」とか宛先がなっていることです。「人から見られないメールだったらいいよ」って扱いです。探せばそのメールはあるかも知れませんが、今、レイヤーさんの中で大人気となったジャンルのメーカーさんから「コスプレを認める訳にはいかない」とご回答のメールもいただきましたが、その後、公式の型紙が出たりして、「自分がやったことが評価されないのはなんでだろう?」ですよね。(このメーカーさんとは、その後、ガチンコで戦いを繰り広げています。コスプレをちゃんと認めてもらえるいい結果を出して、その結果をご報告できるよう頑張ります。)
結果、人件費等の問題からサイト運営の体力は減って行き、レイヤーズネットは開店休業状態になり、ニュースサイトは更新を停止し、僕は自分と、この世界の絆を守る為にスタジオ運営業務に集中して行くことになりました。そして、スタジオ運営ノウハウを磨き、カメラマンとしての腕を磨く事で、このおかしな状況にいつか一矢を報いる「牙」だけはなくさない様にするために、自分単独で売上を出せるレイヤーさんひとりないしふたりを撮影する「おひとり様コース」という仕事に情熱を燃やす様になりました。
会社体力の低下に繋がった話はもうひとつあります。それは僕が、年金、各種保険、残業手当等ばっちり「健全な会社運営」をしていたのに対し、業界がサークルが事業主体となっていた経緯から、それと自由競争の競り合いをしなければいけなかったことです。専門職の人に発注する経理処理にすれば労働基準法は守らなくても合法…は、わかるんですが、なかなか大変な戦いです。イベントだったらスタッフがコスして遊んだり拘束時間が減るので、労働基準法は守りやすくなるでしょうから、まあ自分とは違う業態だから…で納得もかろうじてできますが、スタジオという店舗がボランティアを募集しているのを見ると「なんでそれと競争しなきゃいけないんだよ」という気持ちにはなります。そりゃボランティア?に仕事を頼めば予算が削れていろいろなことができるでしょうけど。でも、自分が経営者として各省庁・法律の専門家のお話をちゃんと聞いて回った得た知識からすると極めて違法性が高い、と思います。
(特に男性社員に)「仕事が成功したらマンションが買えるぐらいの給料を渡したい」と言って来た僕は攻められなきゃいけないですかね?僕の財布にいくら入っていると思いますか?いつも少しでも多くの金額をスタッフに渡そうとして会社を作ってから、自分の取り分は極限まで削ってきました。大好きなコスの衣装を買うのもあきらめ、働きっぱなしですから、自作の時間も捻出できませんし、自分のコス活動を長年停止する程です。うまくいくまでの辛抱だと思いました。
でも、僕は仕事が大好きなので「日本一働く社長になる」と言いながら年中無休で働いてきました。でもこの前、2012年5月4日、徹夜で仕事しておひとり様コースの現場に向かう最中、目がくらんで手足が痺れて自宅の前で行き倒れ状態になってしまいました。しばらく地面に転がって「きれいだなあ」って空を見上げていたら復活したのでシャワーを浴びてそれからフルに一日仕事しましたが。
コンプライアンス(法律を守る)の面からも、スタジオで食品を扱いたければ食品得衛生責任者の資格を取得し、BGMを流したければJASRACに登録し….と、自分が把握できる落ち度になりそうなものはきちんと対応してきました。著作権使用料は毎年払っています。
会社体力の低下はスタッフの仕事の失敗にも繋がりました。僕は対外的に当初必死にスタッフをかばいましたが、広告は減って行きました。(最後の方はかばいきれない場面は増えましたが)。そして注意されたスタッフは会社を去ると言う悪循環にはまりました。その、悪循環を断ち切る為に例えば時給1,100円というこの業界にしては高額の時給を設定したバイトもいましたが、「お客様のことを客という」空気が広まり仕事にリセットがかかることも度々でした。
あまり、言いたくはないのですが事業者にしろスタッフにしろ「受け取ったものを数分の一ないし恩仇」にしてしまうのが「悪い方の」オタク的資質なんでしょうか?だとしたら「悪い要素を持っている」オタクは変わらないと世間からの認知度はあがらないんじゃないでしょうか?(後述しますが、雰囲気がオタクじゃないけど中身がオタクという人間を雇ったら解決してしまいました。)
そして震災がやってきました。
2階の7号店には5階から水が漏れ営業ができない状況になったり、スタジオのキャンセルがあいついだり、でもお客様には責任がないのでキャンセル料をもらわないでいたりしたら、約一ヶ月分の売上が消失してしまいました。元々様々な返済計画を「丁度なんとかなる」で組んでいたのでこれは痛烈でした。
弱り目に祟り目と言いますか、レイヤーズネットのサーバーのホスティング会社が経営難から別会社に事業譲渡したところ設定が変わってしまい次々プログラムが止まってしまうという現象に見舞われ完全にいっぱいいっぱいになってしまいました。計画停電やつなぎ融資で走り回っている時に、その止まったサイトを見て広告を引き上げてしまった方もいたりして、そこはその前にウチが問題を起こしてしまった所なので自業自得の部分はありますが、タイミングとしては「もうちょっと事情に配慮してくれても」とは思います。
でも、震災後、始めてお客様にいらして頂いた時は感謝の気持ちやらなんやら一斉に押し寄せて本当に嬉しくて、走り回っていてスタジオにはいけなかったのですが、出先で涙が止まらなかったのはよくおぼえています。(この頃から集めた、レイヤーさんやカメラマンさんによりコスプレへの応援のメッセージ集はスタジオにおいてありますが、一段落次第ネットでも公開しますね。)
しかし、一度出てしまった大きな赤字はずっと会社を苦しめ続けます。単月で黒字なのに経営が苦しいという状況に長期間苦しみ、その苦しみは現在も続いています。行政からは罹災証明(災害にあった証明)を貰いましたが、西東京市で被害が出たのはウチぐらいで、被災地が受けられる融資の問い合わせをした所、そこは被災地ではありません、…という回答をいただきました。一方、休業保険等、火災保険の方は「地震だから」出せません。...という、もの凄い「矛盾した」状況の中で一年以上たらい回しにあい、現在では、関係各所に、きちんと「強く」交渉している段階です。
途中で一回スタッフの勤務態度が荒廃してしまい、そのリセットもかなりの痛手でした。自分に指導能力がないのではないのかと酷く悩みました。しかし、その後、表面は全然オタクぽくないのに良く話してみるとオタクという社員が、たったひとり入社したらみるみる状況は改善し、スタジオは片付き、壊れていた備品は直り、事務所のものは取り出しやすいように整理され、更衣室にはその社員の手作りの掲示物がたくさん並び…。
元々、掃除が下手なスタッフが多いなとは思っていたんですが、僕が清掃しきれないから清掃を頼んでいるのに「岡田さんが清掃しないからこの会社は汚いんです。だから辞めます」のようなノリだったんですね…。2011年11月にやっとの思いで改善計画を作ったのですが、誰がやるのか良く聞いてみると全部、僕ってことだった訳です。皆の為に、会社のパソコンのセッティングを全部僕がやるとか、その辺から良くなかったみたいです。
その教訓から、様々な反省も行い、自分のノウハウも随分溜まって来たんですが、やっぱり僕は結構、周囲から「吸い取られて来た」ようです。正直者が馬鹿を見て来た訳ですね。だから、もうがっちり「回収」に向けて不退転の決意を固めました。
多くの会社がそうであるように、正直に言って僕の会社は、いつまずいことになってもおかしくない状況です。「震災の時に失った一ヶ月分の売上が手元にあればなあ」とは、いつも思います。でも頑張って働いて、それを取り戻す以外に道はありません。で、負ける気も全然ありません。
ここまで自分が苦しい状況にならなければ、今回の様なこんなに激しい行動はしなかったでしょう。だけど、こちらの誠意ある行動に対して、権利者及び事業者及び元スタッフの皆さんがきちんと「返して」くれれば、こうはならなかったはず、とも思います。もう、自分ひとりでも全世界を相手に戦える精神状態です。
私怨だと言いたければ言えばいい。だけど、これは人にしっかり主張した上で認められてしかるべき内容だし、僕の主張が通ればこの業界は「絶対に」良くなります。
だけど、僕はひとりではありません。今、ウチの会社には絶対に守らなければいけない「仲間たち」がいます。絶対に守らなければいけない「お客様」がいます。いよいよ、ずっと「温存して来た牙」を使う段階かと思います。
「牙」の程度を見せる為にちょっとだけ余談。
かつて、僕は何度も挫折を味わってきました。最初は挫折に打たれ弱かったんですが、たくさんの人と関わって「この笑顔をもった人の笑顔は崩れないで欲しい」とか「この笑顔じゃない人の顔はいつか笑顔になったらいいな」って、頭にたくさんの顔をインプットして来たら、挫折からの立ち直りはどんどん速くなって、挫折をおそれない体質ができあがってきました。挫折に対しては「無敵の肉体と精神」を持っていると言ってもいいすぎではありません。
だから、この先、どんな大災害が来ても生き延びさえすればサバイヴァルできる自信があります。なぜなら、僕は野生動物を倒したり、荒野に鍬を入れて開墾できるタイプの人間だからです。情報って言うのは「はるか遠くまで見渡せる」という錯覚を人間にあたえます。人間の5感が知覚できるのは部屋にいれば部屋の中だけだし、せいぜい大きなライブハウスとか東京ドーム程度です。その「知覚の範囲」の幸せを追求して、拡張していく、それが基本です。
政治って言うのは往々にして「知覚の外」の「遠くのこと」で「国の失敗に対する絆創膏」程度の力しかありません。「政治の悪口を言う」=「政治に依存している」=「自分の仕事のフィールド(田畑)が枯れている」です。自分の仕事の田畑の実りがいい時には政治ってむしろ「あってもなくてもどっちでもいいもの」なんです。実際バブル期とかそうでしたし。自分の田畑の実りが一生ゆたかだったら年金ってどっちでもいいでしょ?その実りの一部が政治の「元手」なんだから実りが豊かな程、その国の政治は「強く」なります。どうしたら?まずはみんなが自分の仕事を頑張ったり探したりする時期かと思いますけどね。「仕事の作り方」がわからなければ僕の所に来ればいくらでも教えます。自分自身ずっと作ってきましたから。ただし、仕事の種をまいてから仕事の実を収穫するまでに時間はかかるかもしれませんが。
あ、なんか、そういうもっともなことを言うと僕のこと「宗教臭い」とか言っている人もいるみたいですが、自分の中の道を踏み外さない様にして死ぬ程努力して得た「生きる知恵」をそう言われたら心外です。単に「もっともなこと」なだけです。
「道」は踏み外しません。うっかりの場合は拡大しない内に急速に反省・修復していきます。一世一代の「大進撃」、ご期待下さい。
有限会社クライマックス・プロジェクト 代表取締役 岡田 登
職業として経験をつんだもの:デザイナー、プログラマー(SE)、カメラマン、経済ニュース編集者、プランナー、サイト製作ディレクター、営業、プロモーター、コンサルタント、撮影スタジオ5店舗運営、広告代理店運営、経理、会社経営、経営者や社会ニュースの研究・解析、様々な事象の統計・解析、様々な単純労働
趣味:作曲・編曲・演奏、全ジャンルのクラブミュージックを踊る事、コスプレ、造形・工作、漫画執筆、ゲーム制作、アニメ・漫画・ゲーム・音楽の歴史を調べる事、カラオケで歌う事、色々な価値観の文化や社会の現象を解釈する事(大学の専攻が都市社会学・社会病理学だったので統計的手法を用いる事が多い)
・コス業界を取り巻く、著作権の構造の分析をラジオにしてみました。
http://cosplay.ym-shot.jp/area/cos_copywrite.mp3
※同人誌は作品の製作形態が著作権の私的利用っぽいのに、金銭の授受があるところが私的利用っぽくないですね。「頒布」という「不特定に無料で配る」という意味の言葉が良く同人誌に使われるのはこうした背景と、即売会と会場の関係性かららしいです。「売る」には会場が貸せないけど、「配る」なら、いいよという会場が結構ある様です。