その後は一年間駿台に通った。模試の成績は伸びなかったが手応えはあった。
センター87%、慶應理工合格、現役時に比べればかなりいいところまでいったと思う。
そんな僕が一浪京大落ちなんて事実を受け入れられるわけがない。
受け入れてしまったらアイデンティティが崩壊するような気がしてならない。
でももう一浪だ。家庭の事情もある。既に十分な大学にも受かっている。
それに今の僕にはもう一年やる体力も気力も無い。
一浪してダメな奴がもう一年やって受かる保証なんてどこにもない。
そこで僕が取った選択は「大学で勉強しながら受験して“みる”」というなんともふざけた考えだ。
いわゆる仮面浪人なんて体のいいものではない。受験して“みる"のだ。
つまり受験勉強を殆どやらずにある意味特攻で受験するということ。
一見無謀に見えるかもしれないが、「様々なこと」を勘案するとこれしか手がない。
「様々なこと」は多すぎる為に割愛するが、要はこの選択は自己満足ということだ。
他の大学へ行くことの弁明と言っても良い。苦し紛れに出したある種の結論。
こうして僕はなんとか胸を張って生きることができる。「京大を受けるのだ」と。
僕はもう此れに依って生きていくしかない。
こう考えていくと純粋二浪をするにしても何らかの自己正当化が必要だ。
先が見えない二浪目をやることへの弁明を。
そう、僕は自己満足を振りかざし続けなければいけないんだ!
一浪で第一志望に落ちた人の末路は自己満足の領域に踏み込むしかないということ。
一年後の僕は進学した大学に順応してるのだろうか、また京大に落ちてるのだろうか。
いずれにしても自己満足が満たされていればそれで良い。
こういう人もいるんだなってことで頭に入れておいてくれ。
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