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 チート乙。それと、少し物語の関係上、変わっている所がありますが、そこの所は割愛して下さい。
 6月29日付けで第一次編集を行いました。
 7月1日付けで第二次編集を行いました。
 9月5日付けで第三次編集を行いました。
第五章 変わりゆく世界~1939年~
第二十四話 勃発、ノモンハン事件(10)~決着と新兵器の実り~
6月12日 モンゴル人民共和国首都ウランバートル

 ソビエト社会主義共和国連邦の衛星国であるモンゴル人民共和国の首都ウランバートルに建てられた仮設の司令部で1人の男が苦々しい表情を浮かべながら地図を見ていた。この男こそスターリンが最も毛嫌いし、同時にソビエト軍にとっては最も有名な将軍――その名はミハイル・トゥハチェフスキー上級大将である。彼は史実では『赤軍の至宝』『赤いナポレオン』等の異名で呼ばれ、縦深戦術理論を編み出す等まさにロシアの至宝であったが、スターリンの嫉妬とナチス・ドイツの陰謀によって彼は1937年6月12日に秘密軍法会議に掛けられ即決で反逆罪によって死刑判決を下され、判決のそのうちに銃殺された。だが、この世界ではアレハンドロノフの口添えによって彼は生きており、今回のノモンハン事件の総司令官として任命されてこのウランバートルの地で指揮を取っていた。ちなみにスターリンによる赤軍大粛清は1935年以降から起こらず、そのため赤軍は優秀な指揮官や司令官、士官が健在である。これも口添えによるもので、粛清が回避されたために技術者・研究者が生存いるため兵器の開発が大幅に進み、Yak-1戦闘機やBIロケット戦闘機等の新鋭機が完成し、実戦に投入されたのだ。
 そんな状況の中でトゥハチェフスキー上級大将は大いに頭を悩ませていた。チタの貯蔵施設が爆撃された事でこれまで蓄えていた武器・弾薬・食料等が一瞬のうちに廃塵にへと喫してしまった。さらにシベリア鉄道が各地で爆撃によって切断されてしまい、そのためにノモンハンに侵攻した部隊には補給が行き届かなくなっていった。それに追い打ちをかけたのが日本軍の新型戦闘機・爆撃機、新型戦車・車輌の投入である。特に新型戦闘機による被害が多大で、必ず出撃すると撃墜されてしまうと言う事で兵の間で士気が低下しているからだ。

「日本軍にも優秀な指揮官が居ると見たが…こうなるとマズイ事になるな」

 そう考えていると急にドアを叩く音が聞こえ「どうぞ」と言うと、部屋に伝言兵が入ってきた。

「どうした?」

「同志書記長より直々の命令書であります」

 そう言うと大事そうに抱えていた命令書を彼に手渡し、命令書を一読して見たが、そこに書かれていた内容は信じられないものだった。

「ノ、ノモンハンでの一切の戦闘を停止せよ。停戦勧告だと……!?」

 何とスターリンが直々に命令書を使ってノモンハンでの一切の戦闘の停止を勧告したのだ。こんな事は今まで無く、絶対にあり得ない事だったが命令は絶対だ。

「…各部隊に通達!一切の戦闘を中止せよ、と伝えろ!聞かないのであれば同志書記長の直々の命令だと言ってやれ!」

「りょ、了解です!!」

 1939年6月12日に両軍に対し停戦勧告が下り、両軍ともに自軍が制圧した領土に踏み止まり互いが互いを睨みあった形で停戦した。
 そのおよそ2カ月が経過した8月8日に外交努力と戦果の甲斐によって、早期に『ノモンハン事件』は締結した。この日までソ連軍が受けた損害は数百機の航空機に、数十隻の艦艇、数百門の火砲、数百両の車輌、そして2000名を超える死傷者とソビエト軍で最も犠牲を出したとして記録されたのに対して、日本軍の損害は60機の航空機、70門の火砲、30輌の非戦闘車輌、20輌の戦闘車輌、800名の死傷者とソ連軍よりも遥かに下回っており、これが締結を早めたと言われている。
 それで、停戦条約の内容だがまず曖昧だった満蒙国境は日本側の主張であるハルハ河に国境線が引かれることになり、さらに北樺太を譲渡すると言ってきたのだ。これには日本政府もさすがに焦った。これはあくまで事件であって、戦争では無いため領土譲渡を考えていなかったからだ。それでも北樺太には隠された資源が豊富にあるため喜んで承諾した。こうしてモスクワで休戦協定が締結されたのであった。


休戦協定より1週間後の6月19日 旅順軍港

 旅順軍港には15万トンドックが4個、10万トンドックが8個、7万トンドックが12個、3万トンドックが16個、その他に駆逐艦用のドック12個、商業用輸送艦のドック10個が存在している。これらはこの世界ではかつての八八艦隊の建造拠点として昭和3年から昭和8年の5年間かけて大拡張工事が行われたため、呉軍港よりもドックが多い。
 そのうち15万、10万トンドックは『播磨』型統合電子戦略戦艦(艦種を変更しました。詳細は後に明かします)、『建御雷』型超弩級戦略装甲航空母艦、『鳳凰』型装甲航空母艦の建造のために埋められ、残りのドックも『第零独立機動艦隊建造計画』内にあった艦艇の建造でほとんどが埋められていた。
 その中で7万トンドックに日本海軍の艦艇とは異なる艦艇で5個、埋められていた。言うまでも無く、第一次旅順海戦で捕獲したソビエト海軍第一航空機動艦隊所属の『ガングート』型戦艦4隻と『ラプテフ』型正規空母1隻である。これら5隻は戦闘で傷ついた船体を修復しつつ、改装が加えられていた。同時に日本製に替えられる部品は徹底的に替えて、取り外したソビエト製の部品は研究のために、日本軍の研究所等に分配された。


 旅順海軍司令部の一角にある長官室では書類の束と格闘している二階堂紅蓮海軍中将(第一次旅順海戦の戦果により一週間前に昇進)と同じく書類の束と格闘している姫島紫苑海軍少将(昇進理由は同じ。ちなみに女性初の将官となった)がいた。書類の大半は新造艦艇の建造状況、艦載機の補充と納入、ノモンハン事件で発生した航空機の損害等で占められてある。

「はぁ~っ。全く、この数は有り得ないだろう」

「そうだけど…しょうがないでしょ。私達は陛下より艦隊を預かっている身分ですからね」

「そうだな…おっ、見ろよ。ついにリヴォルヴァーカノンが完成したってよ」

 書類の一つに新潟県にある小倉陸軍造兵廠で新型機関砲の開発として未来の艦隊に搭載されていた元ドイツ空軍のマウザーMG213Cリヴォルヴァーカノン(以下MG213C)を元に開発が進められており、ようやくそれが実ったのである。
 MG213Cはマウザー社が開発したリヴォルヴァーカノンで、砲身が1本だが薬室(チャンバー)が円形に複数並ぶシリンダーを持ち、回転させて速射する機関砲である。本体重量75kg、完全重量96kg、30mm弾を使用し、初速530m/s、発射速度は毎分1200発を実現している。史実、開発されたMG213Cだが戦争中に完成は間に合わず、戦後西側諸国に接収されてしまっている――そのような史実での経緯を持つMG213Cは、彼らが転生した1935年から開発が始まり、4年の歳月をかけてようやく国産のMG213Cこと零式30mm単砲身多薬室航空機銃(リヴォルヴァーカノンの日本語略)が完成したのだ。試験射撃は予想を超える性能であるために早速、生産が始まっている事だった。

「本当に!?これでB-29が来ても一撃で撃墜できる機関砲を持ったんだね」

「ああ、そうだな。それに別件だが今回の防空戦で活躍した十二試双発局地戦闘機『天雷』と十三試局地戦闘機『紫電改』はその性能が認められて正式採用だってよ」

 5月31日の旅順に飛来したソビエト空軍爆撃機部隊の時に迎撃に出撃した『天雷』と『紫電改』はその局地戦闘能力が認められ、前者には零式双発局地戦闘機を、後者には零式局地戦闘機の名が命名され中島飛行機と川西飛行機では量産体制が整い次第、生産に入るつもりである。
 ちなみに『天雷』は陸軍でも海軍の許可を取って、百式双発襲撃機『影龍(えいりゅう)』として採用された。話を戻す。
 そこで発生した問題が一つあった。それは両機種の心臓部である『誉一一型』発動機の生産である。2200馬力にスーパーチャージャー搭載と言う破格の性能を誇る『誉一一型』だが、その高性能であるが故に大量生産が困難な状況にある。そこで登場したのが未来情報である。現代では自動車部品等を製造するためにダイキャスト方式を使っての生産方法を利用したのである。ダイキャストとは金型鋳造法のひとつで、金型に溶融した金属を圧入することにより、高い寸法精度の鋳物を短時間に大量に生産する鋳造方式のことである。この方式はこれまでの砂型鋳造よりも遥かに生産効率がよく、この世界でも1936年には政府の支援もあって中島飛行機の武蔵野製作所を始めとして数多くの製作所はこの方式を採用した新型の鋳造装置を設置し、航空機のエンジン等を生産しているのだ。
 そのため、一例を出すと、武蔵野製作所ではアメリカ合衆国のデトロイトの巨大自動車工場の流れ作業方式を模して建設された工場であり、8時間労働の3交代制で滞りなく作業を行っているためにエンジンの生産数はどの製作所よりも多く生産されている。

「すごいですね。さすがは未来の技術大国日本の技術ですね」

「ああ、そうだな。最後にだが…聞いて驚くな。『ネ20』噴進発動機(ジェットエンジン)をモデルにした最新鋭の『ネ30』ターボジェットエンジンと『ネ130』ターボファンエンジンが完成したそうだ」

「ええぇぇぇッッーーーー!!ウソでしょ!?」

 あまりにも凄い事実を突き付けられたために姫島は驚きを隠せずにいた。ターボファンエンジンとは、ジェットエンジンの一種でコアとなるターボジェットエンジンにファンを追加したものである。ファンを用いることにより、ターボジェットと異なり、コアエンジン部を迂回したエアフローが設定されている。このエアフローにより、ジェットエンジン推力の増大および効率化が行われる。1960年代より実用化が行われ、現代のジェットエンジンの主流となっているものジェットエンジンである。
 いずれも技術的には10年又は20年以上先の技術であり、それ故に開発が困難だと言われていたが、未来の情報や技術を駆使して何とか試作ながら完成したのだ。なぜ、10年から20年先のエンジンをデチューンながらも完成できたのか。それは、第一次転移(二階堂達が転移した事を指す)の輸送艦の中に、『ネ30』ターボジェットエンジンのモデルとなった、ゼネラル・エレクトリック社製の『J-79-GE-10』と、『ネ130』ターボファンエンジンのモデルとなったプラット・アンド・ホイットニー社製の『TF-30-P-100』の実物と設計図、構成部品、製造や組み立てをするための工業機械が納品されており、これを空技廠の工場の中でまず、先程出てきた2種類のエンジンと『ネ20改』の性能テストが行われ、得られたデータと日本の工業技術を加味し、出力や推力よりもエンジン自体の信頼性や可動性を優先して可能な限りデチューンを施して試作ながら完成したのが『ネ30』ターボジェットエンジンと『ネ130』ターボファンエンジンなのだ。

「ま、まぁ、落ち着け。落ち着けって」

「い、今のを聞いて驚かない訳が無いじゃないですか!?ターボファンエンジンって!!」

「あくまで試作だからな。2日前の試運転では『ネ30』は最大推力は58kN、『ネ130』は最大推力72.5kNだが、原型にはあったアフターバーナー機能は付いていない。だが、結果に陸海軍上層部は噴進発動機搭載の航空機開発を精を出し始めたそうだ」

「技術陣の努力の結晶ですね……それで、そのエンジンを積む機体のモデルはどうなっているの」

「取り敢えず、この世界でも開発できそうで、なるべく強力な機体――戦闘機はF-8『クルセイダー』で、戦闘攻撃機はA-4『スカイホーク』、戦闘爆撃機はF-111『アードバーク』、それにA-10『サンダーボルトⅡ』の設計図を渡した。最初は当然ながら戸惑っていたが、若い技術陣を中心に開発チームが結成された」

 二階堂はそう言うと、F-8、A-4、F-111、A-10の4機種の平面図と各機の性能表を姫島に渡す。無論、設計図等も輸送艦の中に積載されていたものであり、先に存在するMe262やTa183等も含めて、盛大なプロジェクトが始まったのだ。

「後は、今ある未来の知識・情報を総動員して完成に漕ぎ着けるかが勝負の決め手となる」

「私達もそうですが、彼らの努力次第でしょう」

 この先の未来の事であるが、これらの未来と言う切り札で生まれた兵器は、後に戦争の有り様を変え、各国に大きな影響を与えていく事になる。
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