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届ける/ここから離れない、土は子どもだから/農業・大河原多津子さん=田村市
 | 東京都で開かれた青空市に生産者として招かれた大河原さん。客と触れ合い、福島の野菜の安全性を訴える=11月23日、世田谷区 |
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トマト、12ベクレル。顧客の3分の1が離れた。 いろりの灰、12000ベクレル。炉を閉じた。 放射能濃度を表す数字が生活を道連れにする。 農家に嫁いで27年。夫(56)と二人三脚で無農薬、化学肥料ゼロの野菜を作ってきた。 有機栽培の野菜は独特の甘さがあっておいしい。不格好で虫食いもある欠点を補って余りある。「食べれば違いが絶対分かる」と自信を持つ。 客は郡山市などの消費者グループ会員の約50世帯。25年間、トマトやタマネギ、ジャガイモなどを週1回ずつ届けた。 福島第1原発事故の約1カ月後の昨年4月、市役所から耕作許可が出た。種をまき、3カ月後に最初の収穫を迎えた。 トマトの放射能を測ってもらった。1キログラム当たり12ベクレル。当時の国の暫定規制値500ベクレルを大きく下回る。手紙で客に安全性をアピールした。 「やめたい」 反応はシビアだった。宅配契約の打ち切りを告げる電話が相次いだ。 「申し訳ないけど、口にできない。孫にも食べさせられない」 最古参の女性会員の声はすまなそうだった。 「どんなに頑張っても、もうだめなのかな」 絶望感に胸を押され、夫と泣いた。 初子の長女が生まれた年、チェルノブイリ原発事故が起きた。福島にも原発があることを再認識した。8000キロ離れた日本でも母乳から放射性物質が検出されたという報道に驚き、反原発の署名を集めた。 その後、4人の子どもに恵まれた。日々の暮らしに忙しく、原発のことはいつしか忘れた。 福島原発事故は自宅から40キロ先で起きた。 「科学技術が発達した日本でチェルノブイリのような事故は起きないと、心のどこかで思っていた。高をくくっていた自分を許せなかった」 昨年4月、NGOが畑の放射能濃度を測りに来た。車から降りてきた人の姿は白かった。マスクと防護服、手袋を身に着けていた。「ここは汚染地なんだ」と痛感する。 土と触れ合う暮らしが好きだ。畑仕事中に見上げた青空の美しさ、汗ばんだ額に吹く風の心地よさは何にも代えられない。 「放射能に汚染されていない土地で農業を続けたら」 多くの人に勧められた。だが、離れるつもりはない。 「農家にとって土は『何平方メートルの土地』でなく、子のようなものだ。子を捨てて、新しい子に走れますか」 ことし5月、田村市や隣の三春町の生産者らと新しいグループをつくった。放射能濃度の測定結果と栽培履歴を公表した野菜、加工食品を宅配する。グループ名は「壱から屋」。気持ちを新たに、一から始める思いを込めた。 一部の客は原発事故後も離れなかった。人づてや交流サイトのフェイスブックで知り合った首都圏、九州の消費者も新たに加わり、客は80世帯近くに増えた。月1回配送する。 「福島産は毎日は無理だけど、月に1回なら食べられるみたい」 冗談めかして笑う。 応援してくれる心遣いに涙が出そうだから。 (若林雅人)
2012年12月04日火曜日
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