NEWS WEBトップ復興に力を ~記者たちが見た震災2年~
震災特集
震災特集
届かない支援・追い詰められる被災者(1)(3月9日 17時40分)
東日本大震災では今も32万人が避難生活を送り、そのうちプレハブの仮設住宅で暮らしている人は11万人を超えます。
今回わたしたちは被災地で最大の仮設住宅となっている宮城県石巻市の開成団地でアンケート調査を行いました。見えてきたのは、厳しさが増す仮設住宅の暮らしでした。取材にあたった仙台放送局の戸田有紀記者と取材班の報告です。
追い詰められる被災者
津波の被害から免れた石巻市の蛇田地区。宅地の造成や住宅の建設が急速に進んでいるこの地区から約3キロ離れたところに、広大な仮設住宅団地があります。1100世帯、2800人が暮らす被災地最大の仮設住宅、開成団地です。NHKでは、震災1年と今回の2度にわたってこの開成団地でアンケートを実施しました。
アンケートの結果です。
まず心身への影響を尋ねたところ、
「よく眠れない」が24%
「薬が必要になった」が20%
「気分が沈みがち」が15%
住民の40%余りが不眠に悩んだり薬に頼ったりすると回答していました。
また、外出の頻度を尋ねたところ
「ほぼ毎日」出かけているのは、
震災前は63%、前回の震災1年目は69%に対し、今回は29%。
「ほとんど外出しない」は、
震災前は0%、震災1年目は1%、今回は5%。
仕事を失ったり家族や知人と会うことが減ったりして、引きこもりがちになっていることが分かります。
震災で仕事が激減した66歳の男性は、寂しさを紛らわすため仕事がない日は昼間から酒を飲むようになりました。
私たちが取材に訪れた時も午後3時から焼酎を飲み、食事もほとんどとっていませんでした。
男性は取材に対し、新聞がたまっていたら自分が孤独死をした時に発見してもらえるので、毎日、玄関の鍵を開けたまま寝ていると話しました。
支援打ち切り・ひとり思い悩む
さらにアンケートでは金銭面での厳しさも浮き彫りになりました。
月々の収入が15万円に満たないと答えた人は49%。
義援金などは生活費に消え、貯蓄が10万円に満たない世帯は41%に上り、前回、震災1年目の2倍に増えています。
「将来の生活の見通しが立たない」と回答した和泉恵一さん(58歳)は、仮設住宅で86歳の母親と2人で暮らしています。
動画:3月6日 ニュースウオッチ9より
東京の食品工場で働いていましたが、石巻市の実家を津波で流され、認知症が進んだ母親の面倒をみるため、地元に戻りました。がれき置き場の警備員の仕事も、がれきの撤去が進んだこともあり今の契約はいったん3月末で切れてしまいます。
また、震災後の2年間料金が減免されていた母親の介護サービスも、特例の免除制度は3月末で終了し、自己負担は5万円に及ぶとみられています。このままでは介護サービスの利用を減らさざるを得ないと和泉さんは考えています。
住まいを失い、地域のコミュニティさえ断たれた人たちが暮らす仮設住宅には知り合いもなく、相談相手もいません。先の見えない暮らしの中で、ひとり思い悩む毎日です。
「はっきりいって楽しみなんてないんですよね。深夜のラジオを聞くのが唯一の楽しみかな。あとはずっと部屋にこもって、将来のことなんて考えられない」(和泉恵一さん)
東日本大震災から2年。さまざまな制度は過去の災害を参考に作られているため、避難生活が長期化する今回の震災では、復興が進まない現実と制度が合わなくなってきています。
国の支援がなくなり外からの援助も減るなか、高齢者や仕事を失った人たちなどより自立が厳しい人たちが、仮設住宅の片隅に置き去りにされていっている。そんな思いを抱きながら、私たち取材班は開成団地を歩き続けました。
生活保護から抜け出せない(佐賀放送局・吉川那奈記者)
「将来が全く見えない。震災前は自分が生活保護をもらうようになるとは考えもしていなかった。このままでこの生活から抜け出せるとは思えない」
私がアンケート取材で話を伺った60代の女性は、震災をきっかけに仕事を失い生活保護を受けるようになりました。女性は病気がちの20代の息子と2人で暮らしています。
震災の前までは水産関係の仕事を朝早くから夕方まで、さらに週に数回は、夜も飲食店でアルバイトをして、2人の息子を育ててきました。
しかし津波で住んでいた家は流され、避難所での生活を余儀なくされるなか、ストレスから体調を崩して入院、今も医者からは仕事をしないよう言われています。
さらに、もともと体が弱かった20代の息子も震災後のストレスからうつ病を患い、家に引きこもりがちになってしまいました。雇用保険の失業給付も去年の夏には切れ、今は生活保護を受給しています。
仕事に生きがいを感じてきた女性。病院通いと買い物以外で外に出ることもなく、家にいても将来への不安が募るばかりで眠れない日々が続いています。
取材ではこの女性のように震災がきっかけで生活が一変し、社会とのつながりさえも失いつつある被災者の現状を目の当たりにしました。
そうした人たちが再び自立して生活を再建させることができるよう、新たな公的扶助や支援のあり方も求められているのではないかと感じました。
犬だけが生きる頼り(函館放送局・長岡太郎記者)
「一人だったら生きていけない。私がいないとこの子が生きていけないから、私も生きていける」
仮設住宅の取材の中で、生活保護を受けながらひとりで暮らす68歳の女性に出会いました。
震災前に働いていた海の近くにあるホテルは被災して休業。ホテルは再開しましたが、女性は津波への恐怖から海に近づくことができず、仕事はやめざるを得ませんでした。これまで仕事に打ち込んできた女性は、「仕事をしていないと落ち着かない」と再就職先を探していますが、高齢のためなかなか見つかりません。震災から2年がたつ今、生活保護に頼らざるを得ない状態が続いています。
出会った当初、女性は「私は友達が多いから寂しくない」と話していましたが、何度も通ううちに「毎日、同じことの繰り返しで何のために生きているのかなと考えてしまう」と胸の内を明かしてくれました。
今、女性の唯一の心の支えになっているのが、1年ほど前から飼い始めた犬です。雪の日も、風が吹き荒れる日も、1日3回の散歩を欠かしません。閉じこもりがちだった女性に外出の機会が増えました。
仮設住宅を取材していると多くの被災者が「生きる希望がない」「死にたい」と訴えてきました。震災から2年がたち、街を埋め尽くしていたがれきは片付いてきていますが、被災者は、先の見えない不安を抱えながら日々の生活を送っています。こうした人たちが、再び希望を持って生きられるようにならない限り、復興が進んだとは言えないと感じています。