再生の原風景 渡良瀬
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【国際】あとは私が消えるだけ チェルノブイリ汚染地域歩く 放置された村
福島第一原発事故から十一日で二年となるのを前に、一九八六年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故で汚染された周辺地域を取材した。除染されていない家に住み続ける人。いったん移住したものの新たなすみかで「低線量被ばく」におびえる人。住民の不安と苦悩を聞いた。 (ウクライナ北部レジキフカで、原誠司、写真も) 「復興? あり得ない」。自宅の庭で牛一頭を飼いながら一人暮らしをするレジキフカ村のマサコベツさん(74)が言い放った。 村は、強制避難対象となったチェルノブイリ原発から半径三十キロ圏の外側にある「第三ゾーン」の中。このゾーンは、国家補償による移住を認められた移住権利地域と呼ばれるが「半ば強制的に移住が進められている」と地元の人々は言う。 旧ソ連が始めた土壌除染作業は事故後三年ほどで打ち切られ、レジキフカでは行われなかった。事故前に暮らしていた約二百世帯のほとんどが被ばくを恐れて移住。現在は六世帯十四人が住むだけの「放置された村」となった。 幹線道路沿いに点在する住宅の多くは雪の重みで屋根が崩落。玄関には木片がXの形に打ち付けられている。伸び放題の庭木が廃屋を覆い、不気味な姿をさらしていた。 マサコベツさんの自宅庭の井戸に簡易線量計を向けると一時間当たり〇・五マイクロシーベルトを示した。日本政府の基準では安全とされる範囲内だ。しかし「長年、牛乳や井戸水を飲み続けてきた」からか、数年前から心筋梗塞や白血病を患う。「除染しない国の無策に抗議したこともあった」というが役人は移住を勧めるだけ。「誰も帰らないこの村で、あとは私が消えていくだけだ」と無念そうに語った。 村から東へ十キロほどのスラブチチに足を延ばした。壊滅的な放射能被害を受けて居住禁止区域となった原発城下町プリピャチの代替都市だ。 事故から二年後に原発職員や家族の移住が終わった。第三ゾーンの中だが、街は整備され、近代的な集合住宅が立ち並ぶ。人口約二万五千人。子育て世代の若者の姿が多い印象を受けた。 街の見かけのよさとは裏腹に、住民は低線量被ばくの恐怖におびえている。中心部の公園で生後十カ月の孫をベビーカーに乗せて散策していたゲーナさん(58)は「息子夫婦が原発職員だから仕方なく暮らしているだけ。多くの友人が死に、私もがん手術を二回受けた。本当は行き先があれば逃げ出したい」と漏らした。 PR情報
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