戸次 帆足本家
- 2012/07/20(金) 01:51:33
戸次は国道10号線を宮崎県から北上すると、大分市街地に入ったトバグチにあるから幾度となく通過しているのであるが、国道の一歩裏に古い街並があることなど最近まで知らなかった。
戸次は日向街道沿いの在郷町として栄えた。地区の中心となる帆足本家はこの地区の大庄屋であった。地区内には帆足さんの表札ばかり。一族なのだろう。
10号線沿いのマルショク戸次店のところからほんの少し入るといきなり黄土色の舗装の古い街並である。帆足本家の酒蔵の駐車場に車を停めてさっそく蔵を覗いてみた。連休の日曜というのに誰もいない。外のうだる暑さにもかかわらずうそのようにヒンヤリしている。
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古い街並ではいずこも酒蔵が核となっている。ただ近年では日本酒消費のジリ貧から営業していないローカルブランドが多いのが残念である。ここもとうの昔に廃業したようだ。
一階は何もない空間。イベントに使われるのか。
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面白い木馬がある。明治時代の当主が子供のために作らせたそうだ。車輪がついていてこれで町を練り歩いたという。ぜいたくなおもちゃである。
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太い湾曲した梁がおなじみの和風構造の二階
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こちらは梁が直線的で細いトラス構造で洋風だから明治以降の建築である。。
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酒造場で使われたさまざまな道具が置かれていて博物館的である
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帆足酒造のブランドは「春心」(ハルゴコロ)
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帆足本家にある菓子舗に貼ってあった昔の値段表。新酒も古酒も一升29銭である。明治のころの値段か。
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蔵の二階から帆足本家を見る。1865年の建築。約150年前。
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甍の波が美しい
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蔵を裏から見る
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上の場所のビフォア。修復以前は波トタン張りであった。蔵はトタンじゃいけない。
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蔵自体がボロボロだったようだ。大規模な解体修理が行われたのである。新しい部材も多く使われている。ここは最初の写真のビフォアである。
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帆足本家の手洗いにあった昔の染付け。便器ではなく、手洗い用の甕ではないだろうか。
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帆足本家の母屋のたたずまい。
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少林寺
- 2012/07/19(木) 01:23:47
大分市内の少林寺に仁王があるらしいので寄ってみた。
大分市の南郊、大きな新興住宅団地に囲まれた小さな古い集落の中にある。七瀬川の流域、稙田(わさだ)小学校の近所である。昔の今市街道、つまり肥後街道沿道である。
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仁王は古くはない。土台に「擁護国家」「興隆仏法」とあるから戦前の軍国主義時代か。寄進者「東京 利光鶴松」とある。
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本堂はカギがかかっていて賽銭も上げられなかった。
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庭は荒れ気味。住職だけでするとしたら、雑草を抜くだけでも大変なことである。檀家総出が必要となる。
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庭の一角に巨大な瓦が。本堂の屋根を葺き替えた時に取り替えた昔の瓦だろう。
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下:寺の裏手、山の斜面に三十三箇所観音めぐりの遍路道がある。間隔が近いし三十三箇所しかないので歩くだけならおそらく10分もかからないのではないだろうか。大雨の後で足場が悪いのでちょっと見ただけ。
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下:写真のように間隔は5mほど。単純計算すると三十三箇所で165m。
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下:遍路道のそばの墓地。江戸時代の立派な墓石が並ぶ。ほとんど無縁墓だろう。向こうに見える近代的な巨大な霊園と対照的である。霊園とくれば墓石屋である。寺の下の道路沿いに大きな石材店が店と工場を構えている。孫の代になればたちまち無縁墓となるだろうに大金をかけて豪奢な墓石を買う人の気が知れない。紅顔たちまち老いてむくろとなるがごとく、豪華な御影石の墓も数十年で無縁となり草木生い茂る。私には墓はいらないぞ。
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下:立派な愛犬の墓を建てたお金持ちのご夫人もいる。
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仁王が眺める山はその名も霊山。
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今市
- 2012/07/18(水) 01:33:59
長湯温泉から東へやや行くと今市がある。観光案内では「今市石畳」とある。昔の街道の石畳が今に残っている。
豊後国内では一般に肥後街道と呼ばれる道である。熊本から大分市鶴崎港までを結ぶ、かつて肥後藩、岡藩の参勤交代に使われた道である。
これが肥後国内では豊後街道と呼ばれる。それはそうだろうな。
肥後の人にとっては豊後に至る道であり、豊後の人にとっては肥後に至る道であるから。信濃川が信濃国内では犀川や千曲川と呼ばれ、越後に入ったとたんに信濃川になるのと同じ。
石畳しかない、という予備知識はあったが本当に石畳だけ。こんな道が600mほど残っている。県道はこの区間だけ脇を抜けている。
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道の両側は黄土色のアスファルト舗装されているが、真ん中は幅2mほどの石畳で、車で走ると片輪が石畳に乗る状態。一見平坦に見える石畳はかなりデコボコしていて車で走るにはかなり不快。沿道の住民の皆さんの不便が偲ばれる。
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さらには下のように唐突に必然性もなく直角のクランクが現れる。城下町の道みたいに防衛上の観点からだろう。「こんなもん掘り起こして舗装してしまえ!」となるのが普通だろう。こんな道が残っただけでも奇跡的だ。イタリアのアッピア街道を想起させる道である。昔の徒歩や駄馬の通行には良かっただろうが、荷車には大変だったかも。
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昔の宿場町だから旅館や茶店や下駄屋などが軒を連ねただろうが、現在はその跡地に設置された看板のみ。歴史的事物の看板に安易に勘亭流様のフォントを使う無神経をよく見かける。筆による手描きがムリならせめて楷書体にすべき。発注者・看板屋いずれにもセンスのない場合が多い。
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天保年間の年銘のついた灯籠。歴史を感じさせる。
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風情ある寺への石段。
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道端の大師堂
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石畳の南端に丸山神社がある。石段のコケと楼門が見事。
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享保5年(1720年)今市の商人松田庄右衛門尉長次が父母の長命と子孫繁栄を願って寄進したもの。約300年前のものとは思えないほどしっかり残っている。内部の彫刻など去年作ったかのようにきれいであるのが不思議である。
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下:楼門にはお決まりの随神。これは時代相応にかなりボロボロに風化している。
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楼門じゅう彫刻だらけ。
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神社への奉納絵馬に「二十四孝」をテーマにしたものはよくあるらしい。この彫刻はそのうちの「郭巨」。ぶんぶく茶釜かと思ったが全然違う!---下に解説をペーストしておく。
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郭巨(かくきょ)の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。妻に子供が産まれ、3歳になった。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。郭巨が妻に言うには「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」と。妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くした。
二十四孝のうち「孟宗」
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孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう
落語では「二十四孝」はおなじみの演目であるが、神社で見たのははじめてである。とにかく見事な木彫ではある。ヨソの神社では絵馬であることが多いからこのような手のこんだものは珍しいのではないか?大事にして欲しいものである。
社殿はありきたりである。
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天井の絵はベニヤ板のようである。湿ってベロベロになっている。合板というだけでほとんど無価値。大きな一枚板を多数確保するのはなかなかだ。ウチの近所の神社でも天井板絵の寄進を勧請しているが一枚なんと30万円!京都の絵師に頼むとか。寄付が10万円くらい含まれているのかも。私なら一枚3000円で描いてあげるんだがな。
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下:神社奉納絵馬の定番、三十六歌仙もあるが、退色がひどく歌はほとんど読めない。三十六歌仙の奉納は江戸時代の流行のようだから相当古いものと思ってよさそうだ。
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落語の「二十四孝」
ラムネ温泉
- 2012/07/17(火) 00:28:33
久住山麓の直入町長湯温泉にラムネ温泉がある。
名前はいささか雰囲気を欠くが、建物の設計はかの藤森照信氏である。
ウィキペディアによれば東北大学工学部建築学科で小田和正氏と同期であったという。すごい取り合わせである。
藤森氏は元来が建築史を研究する学者であったのだが、45歳の時に彼の郷里の神長官守矢史料館の設計を手始めに赤瀬川の自宅--ニラハウス--を設計したりしてその風変わりな設計思想に注目が集まり、現在までに多くの建物を設計している。彼の建物は写真を見ただけでも魅力的であるが実物を見るのは初めて。見学ついでに温泉に入ってみた。
下:遠目には無機的な感じもするが。壁はバーコードのよう。
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下:遠目には単なる白黒のストライプは、実は真っ黒に焦げた焼杉と漆喰の組み合わせ。屋根板は波トタンを何重にも貼っている。波トタンというチープな材料が意外。
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下:突き当りがエントランス。植栽はササである。とにかく一面ササの植栽で思い切りがいい。
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下:受付のある事務棟を通り抜け、浴場に行く道から振り返る。
屋根は銅版葺き。
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下:正面が男女浴場。右は家族風呂。笹原の中の犬の銅像が風景を締めている。ここで記念写真を撮る人が多いはず。
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下:それぞれの棟の頂部にはマツの木が生えている。大木になったらどうするんだろうか?
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下:この写真ではわかりにくいが、それぞれ男女の陰部をデザインしている。
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下:屋内浴室。この湯は温かい。ここにはシャワーとか蛇口とかイスとか体を洗うという配慮はほとんどなく、湯治のための場所という作りである。
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下:浴室の壁には真珠貝が埋め込んである。奥に見える小さな戸が脱衣場からの入り口。茶室のにじり口のように小さいのは茶室を意識しているはず。脱衣場もすごく狭い。小さい戸は異世界への入り口を意図していると思われる。
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ
下:露店風呂。温度は低く、ぬるま湯ほどもない。炭酸泉である。この日は連休の中日なので客は多くて、写真を撮るのもいささかはばかられた。実は湯船は満員。意外なのは客層が若いこと。温泉ブームは若い世代に広がっているようだ。
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露店風呂からの眺め。ここは雑草と笹原。塀は焼杉。右はサウナ棟。
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さすがに藤森氏の設計だ、と大満足のラムネ温泉であった。入湯料500円。いろいろなグッズにも描かれているマスコットマークは藤森氏、赤瀬川氏のグループ「路上観察学会」のメンバー南伸坊氏の手になる。ヘタウマの極地。
下:ラムネ温泉は長湯温泉郷の老舗、大丸旅館の外湯である。
ラムネ温泉から200mくらいのところの川っぷちにある建物が大丸旅館。料金はリーズナブルという話である。
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長湯温泉郷
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竹田玉来の水害
- 2012/07/16(月) 00:26:39
久住方面に足を伸ばした帰りに竹田を通った。
7月12日の豪雨で水害に見舞われた玉来地区を通ってみた。
昨年写真を撮った旧街道筋はやや高いので無事だったようだが玉来川沿いの拝田原あたりが被害にあっていた。竹田ダムのすぐ上流なのでこのダムのせいで水位が上がったのではないだろうか。
下:玉来川の護岸が崩れ、ユンボが転落している。
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下:豊肥線、玉来川橋梁。流木が大量にひっかかっている。ただいま不通。この度の水害で豊肥線は70箇所ほどの線路被害が出ていて全線復旧の見通しは全く立たないという。高千穂線みたいにそのまま廃線ということにならないことを願う。
玉来 posted by (C)オトジマ
下:川床を埋め尽くす杉の流木。
玉来 posted by (C)オトジマ
下:国道57号沿いの店舗群の裏側。流木は建物の一階くらいの高さにまで引っかかっている。
玉来 posted by (C)オトジマ
下:川沿いの大分薬品工場はほぼ水没したものと思われる。建物の半分くらいの高さまで水が上がった形跡が残る。
玉来 posted by (C)オトジマ
下:濁流が橋の欄干を越えた跡が残る。
玉来 posted by (C)オトジマ
下:この橋の下流側には全く流木がないので、おおかたの流木はこの橋にせき止められて巨大なダムとなっていたのでは。
玉来 posted by (C)オトジマ
下:竹田文化会館では後片付けの最中。手前の平地は川原ではない。元来はアスファルトの駐車場だが厚く泥が堆積している。地図を見るとここは川の中州である。
玉来 posted by (C)オトジマ
文化会館駐車場でひっくり返ったままの車。
玉来 posted by (C)オトジマ
竹田から岡城の下を通って三重に向かう国道502号は竹田-緒方間で不通なので国道57号を遠回りして帰路についた。
下は後日(8月14日)に撮影した岡城下の国道502号。路盤が大きく削られている。国道は冠水した。
岡城下のホテル、リバーサイドは土台が大きく削られていまにも倒壊しそう。足場用の単管で支えている。まさにリバーサイドでスリル満点。揺らしたら大変なことに。
ドーキンス 「祖先の物語」
- 2012/07/12(木) 13:31:09
かねて読みたかった「祖先の物語」の古本が手頃な価格で出ていたので上巻だけ買った。新本はないようである。大手の小学館なので重版するか、文庫化するかして欲しい。定価だと上下巻で6400円もして、私などがヒマツブシに読むために気軽に買うような価格ではなく、かなりコアな読者層を相手にした出版。しかし英語版のペーパーバックだと1500円ほどしかしないので英語圏では広範な人に気軽に読まれている本のようだ。かといって私の読解力では英語版で読むのはかなりの覚悟が必要だ。
ドーキンスが生物の進化についての全通史的に書いたもの。すでにいろいろな人が進化の通史を書いているので、ドーキンスは彼ならではの面白い手法を使っている。
普通の通史なら地球の誕生から始まるところであるが、これを現在から過去に向かって書き進める。太古、海の中で発生した単純な生命から現在の膨大な数に枝分かれしているあらゆる生物の系統樹を先端から根元に向かって辿る旅である。
ドーキンスはこれを巡礼と呼ぶ。我々の巡礼の旅に途中に近縁から順に次々と他の種の生物が加わってくる。現生人類から遡っていくと500万年くらい前に猿人はチンパンジーの祖先と合流する。時間を遡るにつれゴリラやオランウータン、その他の霊長類と合流していく。さらには他のほ乳類のさまざまな目と合流していく。上巻では3億4000万年前に我々の祖先が両生類と合流するところまでである。
この本の面白いところは、巡礼に合流してくる様々な種について、「ビーバーの物語」「アルマジロの物語」というふうにそれぞれの動物の進化上の特徴、エピソードがちりばめられていて、細切れに読んでもかまわない構成になっているところ。私は特に動物が好きというわけでもないが大変面白く読めた。彼の代表作「利己的な遺伝子」など理論的な本はとても難しくて寝床で読むとすぐに眠気を催して好都合といえばいえるのであるが、「祖先の物語」は面白くて眠くならない。ドーキンスらしい博覧強記で初めて聞く話がたくさんある。
興味を引かれたドーキンスのアイデアをひとつ。
ほ乳類は一般に毛がある。毛があるのがオリジナルで、後に環境適応の中で毛を失った例が、クジラ、ゾウ、カバ、ジュゴンなど。そして人間である。人間の属する霊長類で毛がないのはヒトだけであるから、ヒトに毛がないのはよほどの訳がありそうだ。
水中生活に適応したクジラ、ジュゴン、カバなどに毛がないのは理解できる。熱帯のゾウは体積が大きいので体温保持のための毛が必要なくなった。寒冷地のマンモスには長い毛がある。ヒトに毛がないのは汗をかいて体温調節するため、とかいう説が言われてきたが、ごく近縁のチンパンジーには毛があるし、馬は毛があっても大汗をかくので説得力がない。
10年ほど前にカール・ジンマーの「水辺で起きた大進化」を読んで「ナルホド」とヒザを打った記憶がある。彼女は猿人のあるグループが食料採集のために水辺で暮らしているうちに、水中生活に適応するように毛を失った、と述べている。水中生活の痕跡として指と指の間には水かきの痕跡がある、と言う。ソウルオリンピックで金メダルを取った鈴木大地が「ボクには水かきがあります」といって指と指の間の膜を見せていた記憶がある。確かに常人より広かった。
頭髪が残ったのは猿人がいたアフリカ熱帯の日射を防ぐため。人間の毛はほっとけば腰近くまで伸びるから昔の蓑笠みたいな役割をした。あとの二ヶ所の毛は性フェロモン、つまりアポクリン腺の臭いを蓄えるために残った。かつての人類には魅惑的だったワキの臭いは現在では逆フェロモン化して、臭いを消すために8X4が必要になっている。
ともかくそれ以来私は体毛に関し、他に説得力のある話を聞かなかったのでジンマーの説をなんとなく奉じてきた。
ドーキンスは「クジャクの物語」の中で全く別の説を唱えている。いうまでもなくオスのクジャクの巨大でケバケバしい尾羽は実用性はなく、メスの気を引くためにある。そういう例は動物界には無数にある。それが霊長類にもあったって不思議はない。
ある時、ある猿人の群れで体毛の少ないメスが現れ、オスたちはそんなメスを好んだ。毛の少ないメスは繁殖の機会を多く得る。たしかに手触りは毛がないほうがスベスベして気持ちいいかもしれないな。私だって私より毛深い女性はどうもいただけない。
いったんそういう連鎖ができるとその方向に雪崩を打って進化が進む。メスは争って体毛が少なくなるように進化する。毛の少ないメスから生まれるオスもそれに引きずられ、最終的には現在のようになったという。現在世界中のどの人種でも女性は必ず男性よりは体毛が少ないそうだ。そういえば現在でも女子は脱毛や毛剃りに男性よりはるかに熱心であるのはそんな背景があったのか。
デスモンド・モリスの「裸のサル」は毛のない特殊な霊長類である人間について考察した名著で世界的ベストセラーとなった。すいぶん昔にこの本を読んで何枚も目からウロコが落ちたものだ。
このたび久しぶりに目を通してみると人類が毛を失った理由についてモリスはいくつもの仮説をあげているが、彼はすでに1969年時点で水中生活説、性的アピール説両方とも検討しているのでその説は特に目新しい説ではなかったのかもしれない。
※ドーキンスに関しては以前のエントリがあります。
創造説との戦い---グールドとドーキンス
宗教との戦い---ドーキンス--その2 ラプチャー
宗教との戦い---ドーキンス--その4 煉獄
宗教との戦い---ドーキンス--その5 ブライト
谷内六郎
- 2012/07/08(日) 00:52:08
※前回エントリの「安西水丸」の続き
下:安西水丸の「青の時代」から、シンプルに描かれた漁村の路地
上の絵などを見ていたら二人の作家を連想した。
一人はつげ義春である。つげもガロに作品を発表していたマンガ家である。彼の代表作「ねじ式」を読んだ時、メメクラゲに咬まれた海岸は九十九里浜のような気がするな、と思っていたものであるが、ウィキペディアによれば房総半島鴨川の太海漁港であるらしい。ウィキにはもっともらしく機関車が驀進してくる路地はここだ、という写真もあるが、はたしてあてになるのか。
鴨川は安西の育った千倉から近い。作風はかなり異なるが「青の時代」は「ねじ式」の影響を受けているんではないだろうか。「ねじ式」の衝撃は当時マンガを読む人にも描く人にも大きかったはずである。1968年の作品だから大昔である。当時私は田舎の中学生だったからガロなんて知るはずもなくリアルタイムでは「ねじ式」ショックを体験してはいない。知ったのは大人になってからである。
もう一人は谷内六郎である。週刊新潮の表紙で有名であるが、彼が描いていたのは30年以上前だからもう過去の人になりつつある。谷内の占めていた場所は今や原田泰治にとってかわられた。ココに週刊新潮の表紙絵のギャラリーがあるので懐かしい人は覗いてみるといい。
彼の絵には漁村の風景がよく出てきた。私が学生時代に南房総に行ったとき、漁村や山のたたずまいが谷内六郎の絵にそっくりだった。安西水丸氏は「スケッチブックの一人旅」で南房総の山を「房総特有の、低いマリモのような山」と形容している。そういうわけで私は谷内は南房総の出身だとばかり思っていたのであるが、あらためて今日調べてみたら東京生まれの世田谷育ちであった。おかしいなぁ、とさらに調べてみたら彼は喘息もちで若い頃療養のため御宿で過ごした時期があって、それが彼の作風に影響しているらしい。やっぱり彼の絵に出てくる海岸風景は南房総だった。
谷内六郎もノスタルジーの画家である。彼は1921年(大正10年)生だから安西よりも20年早く、ノスタルジーの世界も昭和初期に遡る。彼の絵に出てくる少女は上の絵のように着物を着ていることも多い。昭和30年代に週刊新潮を読んでいた世代にとってはピッタリ。
とはいえ、はるか後の世代である私にも十分共有できるノスタルジーである。これが中勘介の「銀の匙」のように明治中期に遡るノスタルジーになると遠すぎてきびしい。
また谷内の絵には安西の「青の時代」と同様に漁村の光景が多いのも私には親しめる。汽車がよく登場するのも同様。下の写真は汽車と漁村というまさに谷内六郎的な景色。私の父が土々呂小学校の裏山から昭和36年ごろ撮影したもの。清風荘旅館が見える。煙を吐くのは懐かしい混載の貨物列車。私の家は日豊線のすぐそばで、こんな汽車をいつも見ていた。あのころの貨物列車は長かった。(クリックで詳細画像)
彼の絵本で漁村を舞台とした「ぎんのわっか」という素晴らしい絵本があるが、絶版のようでアマゾンにも見当たらない。1972年刊だから相当古いか。当時、至光社は絵本の傑作を連発していた。谷内六郎の甥の谷内こうたの作品「のらいぬ」「なつのあさ」は傑作。「のらいぬ」の少年のように私も犬を連れて浜辺で遊んでいた。
下:少年の日、犬を連れた私。土々呂中学校裏の長浜。遠景は東海の鼻。横にいた人物を消してある。
安西水丸
- 2012/07/06(金) 01:45:50
先日の朝日新聞に安西水丸さんへのインタビューが載っていた。
彼の出世作である「青の時代」を回顧する内容である。
朝日の電子版でも読める。 コチラ
大変興味深い短文であるが、文末の一言に印象を強く受けた。
----「 大学で講師を務めたこともあるけれど、日本の美術教育は石膏(せっこう)デッサンをやり過ぎる。「うまい」「下手」を重視しすぎていると、その子にしか描けない絵が描けなくなる。教養を身につけていくうちに見る目を失っていく。「有名なものイコール良いもの」では困る。少年の目を持った、孤独な観察者であり続けたいと思っています。」----
なるほどね。そういえば北斎や広重、若冲など日本を代表する世界的な画家は組織的な美術教育を受けていないし、現代では横尾忠則も美大を出ていない。「教養が邪魔する」というのは言えるんだな。
といって安西氏はちゃんと日大芸術学部を出ている。真面目に勉強したという。彼のエッセイを読むと結構教養人である。特に歴史には造詣が深いようである。
安西水丸というと、村上春樹のエッセイの挿絵などでおなじみ。昔から変わらぬ作風でとにかく洒落ている。ヘタウマの元祖的な作風で、だれにでも模倣できそうだが、すぐに模倣とバレる強いオリジナリティがある。実は模倣できそうでなかなかできない。あの細いペンの思い切り単純化されたラインが個性的なのである。彩色のカラートーンが輪郭からはみ出たりしてるのもマネされたもの。
下:安西氏はスノードームのコレクターとか
下:おしゃれな都会派のイメージだが和物を描いても素敵
ネット上を調べるとこんなインタビューもあった。
朝日のインタビューにも共通するが、とにかく真面目なプロフェッショナルという人物像が伺える。
私は氏の作風が好きではあるが、特に興味を持っていたというわけではなく、氏がガロにマンガを描いていたことも知らなかった。そこで「青の時代」を入手して読んでみた。
ひとことで言って素晴らしい。1974年の刊であるが、今まで知らなかったのが悔やまれるくらいである。氏がサラリーマン時代に片手間で描いたとは思えない素晴らしい作品である。すでに彼独自の作風が完成している。
内容的には少年時代への郷愁である。主人公の少年はどうやら水丸氏自身のようである。実話ではなく創作だろうが、風景や風俗は彼の体験から得ているだろう。彼は東京の生まれではあるが、房総半島先端に近い千倉で育っている。だから風景は海辺の漁村である。氏は1942年(昭和17年)生であるから少年時代に見た光景は昭和20年代のものである。高度経済成長以前のまだ日本の原風景が残っていた頃。私は一回り下の世代だから高度経済成長の中で育っているが、かろうじてその雰囲気がわかる最後の世代かもしれない。
下:縁日。そうそう昔の縁日には刃物屋が必ずいたものだ。
下:汽車がよく描かれる。電車ではなく、汽車であるのが世代的なものだろう。私も小学生の頃は蒸気機関車の絵をよく描いていた。ノスタルジーの象徴。
下:漁村の光景。帆がついている。機帆船というのもある特定の時代である。
土々呂という漁村に育った私のノスタルジーに共通するところが多いので、この「青の時代」は特に印象深い。
下は私の少年時代。よく見ると船の下には板をひいてあり、コロもかませてある。なるほどこうやって船を海まで降ろしていたんだなぁ。上の安西氏の絵にも船の下の板が見える。資料で調べて描いたに違いない。
「青の時代」を読んで土々呂へのノスタルジーを喚起されると、さらに二人のマンガ家が連想された。次回で。
梅雨の大雨の沈下橋
- 2012/07/03(火) 01:19:38
梅雨だから雨なのは当たり前。
このところはシトシトではなく、ドーーッと降る日がままある。
あまりにも降ると洪水が心配になる。大雨の後で五十鈴川に行ってみた。小松地区にはまだ沈下橋が残っている。
下:接続道路のところまで水に洗われている。ヒューとやって来た車が、ここで急ブレーキをかけて止まった。今日は渡れないことを知らなかったと見える。流木が転がっているところまでは水位が上がったはずである。
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下:この濁流の下に橋があるとは想像もつかないだろう。
小松 posted by (C)オトジマ
下:上から数日後の同じ場所。あっという間に水位が下がる。
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下:最近川原を掘り起こして河道を広げ、護岸が設置された。割と自然工法なので風景になじむ。夏は広い川原が現れ遊泳場になる。
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下:これは別の日。水没寸前の沈下橋
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下:水が少ない時はこんな風
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下:小さい子の水遊びには安全な浅さ。対岸の方は深い。
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下:別の日のJR五十鈴川橋梁。まだ危険水位には達していない。
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- 門川
- | comment(0)
ウィンブルドン現象
- 2012/06/27(水) 01:29:19
ウィンブルドンの時期がやってきた。昨夜、テレビで森田あゆみとガイドソバの対戦を見た。日本選手が勝てる試合は見てて素直に面白い。今回は予選・本戦合わせて日本選手が13人出場しているそうである。日本のテニスファンにとっては錦織の試合がメーンイベントになるだろう。今夜の錦織も相手が格下なのでストレート勝ち。
下:錦織-ククシュキン(カザフスタン)戦より
それはともかく、ウィンブルドン現象という言葉がある。
ウィキペディアからそのまま引用すると・・・
------ウィンブルドン現象(ウィンブルドンげんしょう)とは、市場経済において「自由競争による淘汰」を表す用語である。特に、市場開放により外資系企業により国内系企業が淘汰されてしまうことをいう。ウィンブルドン効果とも呼ばれる。-------
ウィンブルドンテニスではなんと男子シングルスでは1936年以来、女子シングルスでは1977年以来イギリス人の優勝がないそうである。男子では80年も経過している!テニス発祥の地というのにイギリスと言う国はよほどテニスが弱いのか。一億円以上という高額優勝賞金を毎年外国人がさらっていくことにおかまいなしに大会を続けるイギリスはさすがに大人の風がある。(たいじんのふう、と読んで欲しい)
日本の大相撲で日本人力士の優勝が6年もない、と日本人力士のふがいなさが語られるが、ウィンブルドンでのイギリスの80年に比べたらたいしたことない。この6年どころか10年くらい朝青龍らのモンゴル勢が日本人を駆逐してきたのであるが、不思議とモンゴル怨嗟の声はあまり聞かない。朝青龍など現役時代には強すぎて嫌われ者の感があったが、引退したら人気者になった。
昨今ではゴルフが大相撲化してきている。日曜ごとのゴルフ試合では上位や優勝者が外人ばかり。6月24日のアース・モンダミン・カップでは服部真夕が優勝して国内女子ツアーの外国勢の連続優勝が7大会で止まったことがニュースになった。日本人が勝つことがニュースになるんだからかなりの大相撲状態である。この「外国人」が曲者で実のところ韓国人ばかり。野球の外人選手というのがアメリカ人ばかりというのに似た表現か。
このアース・モンダミンカップでもトップ争いする韓国選手アン・ソンジュを服部が最後に振り切って勝ったもの。アン・ソンジュは2010年,2011年と2年連続賞金女王である。もちろん日本の賞金女王である。アンは「赤毛のアン」という愛称に似ず、どちらかというと金太郎みたいな風貌で、細い日本選手とはえらく迫力が違う。アン以外にも韓国の有力選手はウジャウジャいるから、日本人が日の目を見るのは大変だ。
下:アン・ソンジュ
女子ゴルファーの世界ランキングを見るとトップ50人のうちなんと20名近くが韓国人と思しき名前である。ちなみに日本人は10名。アメリカ国籍のミシェル・ウィーも韓国では韓国人扱いである。アメリカの女子ゴルフツァーでも韓国人選手の活躍が目立つ。一時期アメリカでも韓国選手の多さに音を上げて、ツァー参加に英語テストを課して韓国人を制限しようという動きもあったが、批判が多く沙汰やみとなったことがある。
ウィーはハワイ生まれで両親は韓国出身。183cmの長身でアンとは対照的な体型。現在LPGA世界ランキング41位でアンの7位とは差がある。
大相撲ではモンゴル人の席巻にはとうにあきらめがついた日本人であるが、昨今のゴルフでの韓国選手ばかり優勝するのにはあちこちからウラミ節が聞こえる。たとえばテレビ中継の視聴率が下がるとか。しかし、スポーツは実力の世界であるから恨みっこなしでいかなきゃ。見よ、イギリスはウィンブルドンで80年もイギリス人の優勝がないのに、泰然としているではないか。
韓国人ばかりなのがやや色気がないが、日本のゴルフ大会に外国からの参加者が大勢いることはそれだけでも大変結構なこと。日本が本当に落ちぶれたら、優勝賞金が下がり、韓国選手どころか外国選手はだれも来なくなり、日本の有力選手も海外大会にばかり出るようになるだろう。
ところで韓国の国内ツァー(KPGAなど)には外人選手がいるのかな?と思って男子ツァーの記録を見てみたら、いなくはない。どういうわけかオーストラリア人ばかり。上位にはいないが。時には日本人選手もいる。賞金はそんなに悪くない。日本並みではないだろうか?しかし大会数が少ないようだ。コチラ
朝鮮日報を読んでいるとスポーツニュースは野球とサッカーの話題ばかり。それもオリックスのイ・デホなど海外で活躍する韓国選手の話題ばかり。ゴルフもアメリカLPGAでの女子選手の話題は報じられるが国内ツァーの話はあまり聞かない。どうやら韓国選手が日本やアメリカに出稼ぎに行くための足がかりにすぎないようだ。
二回連続で韓国がらみの記事となってしまった。
※7月9日の男子決勝はイギリスのマレーとスイスのフェデラーの戦いとなり、イギリス76年ぶりの優勝か、とおおいに盛り上がった。イギリス首相、ロンドン市長、王族まで見に来るというイギリスの期待のかかった試合であった。
日本時間で夜10時20分から深夜2時20分までかかった試合は素晴らしい試合となって、ついつい終わりまで見てしまった。結局は地元大観衆の期待もむなしくフェデラーの勝利となった。
毎度ウィンブルドンはNHKが放送するので昔から見ているが、本当に気持ちよく見れる。派手な広告のない濃緑色に塗装されたセンターコート、キビキビ走り回るボールボーイ・ガールの中高校生と思しき若者達。観客のマナーの良さ。この試合も、フェデラーのナイスプレーには大きな拍手が送られていた。
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