始まりの月
銀河世紀0089。地球では今なお醜い争いが続いていた。宇宙開拓の恩恵を受けられなかった後進国は地上で内戦に明け暮れ、宇宙開拓の恩恵を受けている者たちに至っては宇宙を巻き込み争いの連鎖を生みだしていた。しかし地球上の一般市民はそのような事態を露とも知らずに、宇宙へのあこがれを抱き、人類のさらなる発展に希望を抱いていた。その発展の裏にどれほどの犠牲を伴っているのか――まだ多くの人々は気付いていない。
「うぉぉぉぉ! ふわっふわする! やっぱ六分の一Gすげえーー!」
少年が無機質な通路を弾むように飛び跳ねる。
「いや……騒ぎ過ぎだろ。地上で腐るほどシュミレーションしたじゃねえか」
少年をたしなめるように隣を歩く大柄な少年がツッコむ。しかし少年は意にも返さず――
「ばっかだなーリュウはさ、ロマンがないよロマンが! ようやく来たんだぜ宇宙にさ!」
リュウと呼ばれた大柄な少年はため息をつく。
「カイ……ここは残念ながら宇宙じゃない。月だ。ついでに言うと月面都市ムーンベースの玄関口で居住区に入っちまえばなっつかしの1Gが待ってるって状況だ……どこにロマンを感じろと?」
そう言うリュウもまたどこか嬉しそうである。カイと呼ばれた少年はさらに軽く飛ぶ。
「ムーンベースは宇宙の玄関じゃないか! いわば宇宙みたいなもんさ。地球よりぐっと宇宙に近いんだぜ。ちょっと飛び出せばほら宇宙!」
「それじゃ死んじゃうでしょ。馬鹿カイ! 馬鹿なこと言ってないでちゃっちゃっと歩きなさいよ! 集合時間はとっくに過ぎてるのよ!」
二人の後ろを歩きながらカイにツッコむ少女。リュウは後ろを振り向き――
「悪いのはこの馬鹿だミライ。こいつがムーンベースで道に迷ったから待ち合わせしていた俺まで巻き添え食ったんだよ。というか、どうやったらムーンベースで迷えるんだ? 地球の街よりよっぽど整備されてるだろうに」
言い訳とカイを煽るような言葉を放つ。
「ぐぬぅ」
それを悔しがるようにカイは顔を歪める。が、すぐに生六分の一Gが楽しいのか顔がほころぶ。リュウは呆れながらも、やはり嬉しそうである。
「大方、生六分の一Gに浮かれて飛び回ってたんでしょ……いつまでたっても宇宙馬鹿は治んないんだから」
そういうミライもまたやはり嬉しそうな表情を浮かべる。
「馬鹿につける薬はないってやつだな」
リュウのツッコミ。
「ぐぬぬ」
カイが悔しがる。
「さあ急ぐわよ」
ミライが急かす。そんな、何処か阿吽の呼吸すら感じさせる三人の少年少女。
「あっ、先行ってて。俺ちょっとそこのサークルセブンに用事が……」
カイが用事を思い出す。カイにとって重要な用事。集合してしまったらおそらく回収する機会の無いそれを、カイはどうしても果たさねばならなかった。そしてそれはサークルセブンというコンビニでしか果たせない用事なのである。
「……月刊スペースフロンティアか……あとで読ませるなら先生に上手く言っといてやるよ」
月刊スペースフロンティア。宇宙好きには有名な雑誌だが、そうでないものには全く興味の無い雑誌である。ぶっちゃけマイナー雑誌なのだ。
「リュウ!」
カイの遅刻をそそのかすリュウにミライが怒声を上げる。三人でミライはいつもそういう役回りであった。
「サンクスリュウ! んじゃまたあとで!」
駆け出すカイ。リュウは親指をサムズアップ。
「もう! できるだけ急ぎなさいよ!」
ミライはいつものことであるが、ため息をつくしかなかった。
☆
サークルセブンに辿りついたカイは脇目も振らず雑誌のコーナーに向かった。
「えーっと……スペースフロンティア、スペースフロンティア……あった!」
目的のブツを発見し、手を伸ばすカイ。目標のモノに触れた瞬間――
「えっ?」
「ふぇ」
手が重なっていた。カイは瞬時に思考を張り巡らす。
(説明しよう! 今の状況はとても複雑なのである。女の子との雑誌のブッキング。普段ならここは紳士的に譲りたいところだが残念ながらこの場にスペースフロンティアは一冊しかない。再入荷? あるわけないだろこんなオタク臭いものに。そして何より今月号はかのローウェル船団による冥王星近辺調査特集なのである。あえて言おう渡さんと! しかし……この子力つええ)
この間わずか一秒。
「ぅぅあの……私……ゆずりまひゅ!」
譲りますと言おうとした少女であったが、慌てたのか、その本がどうしても欲しいのか、語尾を完全に噛んでいた。もう思いっきり――
「……」
カイは無言。しかし何も考えていないわけではない。むしろ思考はフルスロットルであった。
(そ、そんなに欲しいのか! 噛んでるし。すげえ残念そうだし、めっちゃくちゃ美人だし、ミライの2、3倍は可愛いぞ! どうなってんだ? まつ毛とかばっちばちだし、目はくりっくりで、おっぱいもでかい! おおおっぱいおっぱい! ここは紳士的に譲るべきかもしれんな。うむ決して美人だからではないぞ。そこは勘違いしないでほしい。あくまで紳士として――)
すでにカイの心は折れていた。男とは哀れな生き物である。
「あのぅ……やっぱり欲しいですよね……付録の地球映像のまとめデータ」
「えっ?」
カイの思考、一瞬停滞。
(金髪さっらさらだし! って、ええ!? 欲しいのそっち? いやそっちは俗に言う残念付録であってだね……こ、これはいける!!)
カイの思考、完全復活。そして完璧な計算式を弾きだした。
「い、いやあその付録なら構わないよ。僕がほしいのはこっちの本誌の方だからね。じ、じゃあ会計済ませてくるから外で待っててよ」
(スマートに決まった! これは惚れるんじゃないか? 惚れただろ? 話の流れの中でさらっと会計を済ませる男……くぅ! クールだぜ。ちょっと強引だったけどまあ大丈夫だろ)
完璧な流れ、完璧に決まった。カイは確信する。これは――ラブストーリーが始まる、と。
「ふえ?」
少女は良く分かっていなかった。残念でした。
☆
「おまたせ」
「あ、ありがとうございます!」
カイが購入する様を見て、ようやく事態を理解した少女。恐縮している。
「あの、でもほんとにいいんですか? こんなに貴重な付録いただいても」
少女は申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうに、付録を抱きしめる。それに少しカイは戸惑っていた。まさか残念付録を渡してここまで喜ばれるとは思っていなかったのである。
「あ、ああ! もちろんさ! 大体俺アースヒュムだし地球なんて見飽きてるからさ。むしろそっちこそいいの? ローウェル船団の冥王星近辺調査特集だよ? オールトの雲の先の映像すら載ってるって噂のさ」
少女は困ったような表情を浮かべ――
「そっちは……いいんです。それよりアースヒュムの方なんですか? 今地球は――」
言葉を続けようとすると、カイのポケットから電子音が鳴る。
「ちょっと待ってね」
カイはこの至福の時間を邪魔されたことに憤慨しながら、電話を取る。画面にはリュウの文字。切ってやろうか、と考えるも流石に己が立場を鑑み、耳に当てた。
「もしもし」
すると、電話の奥から――
「カイ! 雑誌買うのにいつまで経ってんだ! もう誤魔化しきれねえぞ! ヘンケン先生の野郎、流石に感づいて……しまった!? くそっ! うぎゃあああああワキガくせぇぇえええ――」
プツン。まるでリュウの命が尽きたかのような断末魔。カイは哀しげな目で電話を見る。
「えーーと……そろそろ行かないといけないみたい」
カイはあまりの間の悪さに絶望を覚えた。ここから連絡先を聞いて、ムーンベースで育まれる恋愛模様。結婚、出産、一姫二太郎まで見えていたのに、これではあんまりである。それでも、友を見捨てるわけにはいかない。もとい、友が口を割るまでに戻らねばならないのだ。
「あっ、そうなんですか」
少女も少し残念そうな反応を見せる。少女もまた何か話したいことがあったのかもしれない。
「んじゃ、またね」
最後に若干の未練を残して全力疾走するカイ。ムーンベースに居ればまた会える。そんな一縷の望みを残して走っていった。
「あ、あの……ありがとうございます! ……ご無事で」
残された少女は、少し暗い顔で、カイの後ろ姿を見送っていった。
そして自らも、動き始める。
☆
「はぁ、はぁ、はぁ、待ってろよリュウ! 頼むから口を割らないでくれ! たとえ死んでも割るなよぉ! 割ったらスペースフロンティア見せてやんないからな!」
全力疾走するカイ。全身汗だくで1Gを駆ける。やはりGはない方が良い。そんなことを考えながら走る。もうすぐでカイたち学生が集まる居住ブロックに――
☆
「はい……エリス・ローウェル配置につきました」
薄暗い通路。其処は民間人が立ち入ることは許されないブロック。そこに、先ほどの少女が立っていた。その顔は哀しげでありながら、覚悟の色に染まっている。
☆
「ふむ、ではこれより作戦を開始する! 各員の健闘を祈る!」
通信機器から少女の声を聞き、男が命令を発した。
これより――全てが始まる。
☆
「ハイ、カイガチコクシタセイデ、ボクタチモチコクシマシタ。カイハスペースフロンティアヲカッテサラニチコクシマス」
完全に口を割ったリュウ。目がうつろで生気を感じない。
「なるほどな。まったく、おまえたちはどうしてそんななんだ!」
先生然とした男はリュウとミライ、二人に説教をする。
「「すいません」」
口をそろえて謝る二人。反省した様子を見て男はごほんと一息入れ――
「まあ遅れたものはしょうがないがな……あとで私にもスペースフロンティアを見せるように」
リュウ再起動。
「っておい! ヘンケンてめえ! 散々俺を嬲っておいてそれかよ!」
リュウ激怒。
「ふはははは! 大人は汚いのだよ」
それを軽々といなして、嘲笑う大人。色々残念な人である。周りの生徒たちも若干呆れた様子。まあ仕方がない。そんな部分も人望であった。
「はぁ、馬鹿ばっかね……あれ……あの光……何かしら?」
ミライはため息をつきながら、宇宙を見渡せる特殊プラスチック製の天井を見る。一瞬光ったように見えたそれは――
「「ん?」」
其処に居た全てを飲み込んだ。
☆
「もうすぐ着くぞ! はぁはぁ! 間に合えぇ!」
あと少し、あとちょっとで居住ブロックに――
その時、全てを遮断する爆音がカイの耳を貫いた。
「ぐわぁぁああああ」
あまりの衝撃に吹き飛ばされるカイ。重力制御がいかれたのか、その場から大きく飛ばされていく。それほどの衝撃。意識など掻き消すようなそれは、カイを翻弄する。
「はぁはぁ……ぐぅ! 痛いけど……それほどの怪我じゃない……のか?」
ようやく何かに引っ掛かったおかげで止まることのできたカイ。痛覚や聴覚などが麻痺しているので自身の状態がイマイチ把握できないでいた。
「つう! はぁはぁ……ここは……どこだよ?」
カイの身体に痛覚が戻る。痛みがあるということは一応正常な証。見た所致命的な怪我はないようである。しかしそんなこと吹き飛ぶほど――
「……めちゃくちゃだ」
あまりにも酷い景色がカイの前に横たわっていた。
「爆心地はどっちだ? 通路の先……リュウ達は? ……う、うそだろ嘘だと言えよ!!」
おそらく、通路の先であった空間、其処には――月面があるだけであった。他に見えるのは多くの残骸。多くの――
カイは電話をかける。信じられない、信じたくない。そんな淡い希望、かすかな――希望。
「出ろよ! おい! 出やがれよ! リュウ! おい! は、はは、あいつ電源切ってやがるな……ミライなら……おいミライ出てくれよおい! 他の奴は? ハヤトは? カツは? ……なんで、なんで誰も出ないんだよぉぉぉおおおおお!!」
誰も出ない。それは、カイにとって絶望であった。どうしようもない絶望。目の前が真っ暗になる。そんな感覚がカイを襲う。いっそ一緒に死んでいれば――そんな考えが頭をよぎる。
そんな中、それでも生存本能は動く。空気が漏れ出る通路の先、このままでは確実に死ぬ。死、それがカイの頭をよぎった時――
「あぐ! 頭を冷やせカイ・コバヤシ! 生きるんだ。生きて生きて生きて……俺以外誰があいつらの無念を晴らしてやれるってんだ……まあまだ死んだとは限らないけどな。はは」
乾いた笑いを浮かべるカイ。それでも生きるため、仲間が生きた証を、せめて、せめて生きのびることで――カイは、生きるために動き出す。通路の先、それに背を向けるように――
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