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【千葉】

“夢の国”から福島へ 元TDR看護師・北岡さん いわきへ移住、相談員に

仮設住宅で一軒一軒をまわり、お年寄りに声をかける北岡さん=福島県いわき市で

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 「お体、お変わりありませんか」−。福島県いわき市の仮設住宅で、お年寄りを気遣う優しい声が響く。声の主は北岡裕理(ゆり)さん(31)。震災前は、浦安市の東京ディズニーリゾート(TDR)で看護師として働いていた。震災を機にいわき市に移り住み、同市社会福祉協議会で被災者の生活支援相談員として活動する。生活再建のめどが立った人はまだ少なく、「必要とされているうちは、この場所で寄り添いたい」と言う。

 北岡さんは震災時、東京ディズニーシー(TDS)の救護室で働いていた。施設は休園となり、浦安市内でボランティアを始めた。知り合った有志と四月上旬、支援物資を届けに行ったのがいわき市との縁だった。休み返上で働く社協の職員も被災者で、顔色は悪く、今にも倒れそうだった。

 「少しでも自分にできることがあれば」。浦安市から二百キロあったが、その後も休みがあれば常磐道を運転し、七月末までに十回以上往復した。避難所での健康面の見守り活動など、計三十日以上滞在したという。

 いわき市社協が、被災者の生活支援相談員を募集したのに合わせ「必要とされるなら、残ってやっていきたい」と浦安市から移住を決意。八月から職員として、茨城生まれの北岡さんのIターン生活が始まった。

 いわき市には、福島第一原発周辺から約二万四千人(今年一月末現在)が避難している。市内でも津波で家を失った人などが、仮設や借り上げ住宅などに身を寄せる。

 北岡さんら相談員は、主に市民の被災者約二千二百世帯を訪問。一軒一軒を回り、被災の状況や健康、再建の考えなどに耳を傾け続ける。「顔を覚えてもらうと、徐々に笑顔になってくれて」

 震災から二年。被災者からは今も「家を再建するにも、先立つものがない」と苦悩の声を聞く。仕事を失った人もいるが、仮設住宅の入居期限は来年三月までだ。北岡さんは「被災者一人一人、状況は違う。支援の道しるべがはっきりしないような思いは常にある」と、もどかしさも感じている。

 震災時の話をせきを切ったように、三十分ほど話すお年寄りもいる。「お話を傾聴することの大切さを実感する。相手が自立できるまで、継続的に支援していくのが必要」と感じている。

 「夢の国」とも呼ばれるTDRから、いわき市で相談員となり一年七カ月。「必要とされるうちは力になりたい。笑顔と元気で寄り添いたい」。被災者に伝えたいのは「一人じゃないよ」という思いだ。

    ◇

 東日本大震災から二年がたちます。いまも支援を続ける人、被災生活が続く人、被災地の現状など、震災をめぐるさまざまな今を伝えたいと思います。

◆取材記者から

 東京ディズニーリゾートの看護師から転職、移住したと最初に聞いたとき、その経歴に驚き「でも、どうして」と素朴に感じた。

 取材で話を聞くうちに、なるほどと疑問が氷解した。初めて会う人から困っているところを聞き出して適切に対応。時には専門家へとつなげていく。丁寧な応対はもちろん、安心してもらうためにも笑顔を絶やさない。

 被災者を訪問し、相談にのる生活支援相談員の仕事。看護師の専門職とは異なるが、北岡さんの「役に立ちたい。必要とされたい」という献身的な気持ちは、看護の心と共通しているのだろう。(村上一樹)

 

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