「山梨新報」2011年7月8日掲載 笛吹市石和町のテアトル石和は来月にも、無声映画を弁士が解説する「活弁映画」を定期的に上映する。軌道に乗れば出張上映も行う予定で、封切り映画館のシネコン(複合映画館)との差別化を徹底し、集客アップにつなげる。有泉英機社長(70)に聞いた。 ● ● ● ● ● 活弁映画の企画は昨年11月、「ふえふき映画祭」の一環で弁士を招き、片岡千恵蔵主演の無声映画「番場の忠太郎・瞼の母」(1931年)を上映したことがきっかけ。5月には約100万円で出張上映や劇場で使用するプロジェクターを購入。無声映画の上映企画や弁士を派遣する都内の映画会社と提携し、1、2カ月に一度上映する予定で準備を進めている。 さらに福祉施設を中心に、活弁映画の出張上映も計画しているほか、映画祭開催時に隣接していたパチンコ店を改装した「シネマの殿堂」で、「希望者がいれば全国的に数が少ない弁士の養成講座なども開きたい」としている。 県外大手資本のシネコン進出で県内映画館は淘汰が進み、映画興行を取り巻く環境は厳しい。3D映画など最新設備のシネコンと同じ舞台では太刀打ちできないが、築45年の劇場は「昭和の面影を残す建物」として雑誌にも取り上げられ、昔からの常連客も少なくない。活弁映画の上映は、小回りが利く個人経営の強みを生かした取り組みともいえそう。 今後、映画の合間に県内の学生らが制作した自主映画を上映、観客にアンケートを取り、コンクールを開催する計画もある。5月には大震災の被災者対象に開催した紙芝居・朗読会で場所を提供するなど、映画以外の地域のイベントとのタイアップも強化。「間口を広げることで館の周知を図り集客につなげたい」という。 有泉さんは戦後の県内映画館の盛衰を経験している。父由幸さんが戦後間もなく、増穂町(現富士川町)で映画館をオープン。最盛期の昭和30年代には鰍沢町(同)、甲府市などで直営店5館のほか、身延線沿線の借り小屋を含め計13館を経営。だが10年前にテアトル甲府を閉館してからは1966年開館の石和だけになった。 当時は石和温泉郷を訪れる観光客向けに成人映画や任侠映画を上映していたが観光客減少に伴い、「甲府の封切館との差別化を図る」として93年、一般公開後の作品を低料金で上映する「二番館」に衣替えした。 早大卒業後、都内で学習塾を経営。父を継ぎ67年から映画館経営に。小中学生時代は映画館の前に置かれた客の自転車の整理に追われ、帰郷後は立ち見も含め約200人が劇場を埋め尽くし、中に入れない観客が行列を作ったことも。「そういう時代を通ってきただけに、まだまだ客は入ると思っているよ」 「Top Interview」トップへもどる
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