大竹まこと
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| 大竹まこと | |
|---|---|
| 本名 | 大竹 真 |
| 生年月日 | 1949年5月22日(63歳) |
| 出身地 | 東京都目黒区 |
| 血液型 | A型 |
| 身長 | 175cm |
| 方言 | 東京弁 |
| 最終学歴 | 東京大学教育学部附属高等学校 |
| トリオ名 | シティボーイズ |
| 相方 | きたろう・斉木しげる |
| 芸風 | コント |
| 立ち位置 | 中央 |
| 事務所 | ASH&Dコーポレーション |
| 活動時期 | 1977年ごろ - |
| 現在の代表番組 | 『ビートたけしのTVタックル』、『大竹まこと ゴールデンラジオ!』、『SUPER SURPRISE』 |
| 過去の代表番組 | 『夕やけニャンニャン』など |
| 他の活動 | 俳優、ラジオパーソナリティ |
| 配偶者 | 既婚 |
| 親族 | 弟:大竹オサム(作家・料理人) 長男:大竹涼太(プロダクション人力舎マネージャー) |
| 弟子 | ユリオカ超特Q |
大竹 まこと(おおたけ まこと、1949年5月22日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、ラジオパーソナリティ。大竹まこと・斉木しげる・きたろうで構成するシティボーイズのリーダー。本名、大竹 真(読み同じ)。
東京都目黒区出身。ASH&Dコーポレーション所属。東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。大竹オサムは双子の弟。
目次 |
来歴・人物
眼鏡とヒゲが特徴的、スーツ姿で人前に出ることが多く、40歳頃から白髪頭といったいでたち。その風貌から、「シティボーイズのグルーチョ・マルクス」という雰囲気もある。風貌から久米宏や岩佐徹と間違える視聴者もいる。また、ユン・ソナからは、「リチャード・ギアみたい」とべた褒めされている。
『ケンタウロスの伝説』『万歳ハイウェイ』などの漫画原作者としても知られる元バイク雑誌編集者の大竹オサムは双子の弟。前述の出身中学は「双子研」として知られる双生児研究の盛んな学校である。趣味は料理とゴルフ。
1971年秋、通っていた劇団俳優小劇場の養成所が入所して間もなく養成所の幹部の間で内紛があったため、直談判の結果、費用を返金してもらう。その仲間が集まり、返金された金を元に劇団『表現劇場』を結成。この時の仲間に、のちにシティボーイズを結成するきたろう、斉木しげるの2人と俳優の風間杜夫が在籍。1979年、きたろうと斉木、大竹の3人からなる芝居ユニット「シティボーイズ」を結成。劇団時代はアルバイトなどをせず女性に経済的な援助を受けるヒモ生活を送る。
新進気鋭の役者としてテレビの露出が増えていく風間の芝居を鼻で笑って腐していたが、ある日、手持ちの金が無く同居の女性に金銭を要求したところ財布から500円玉を手渡され全く収入の無い現状を認識し狼狽。ある公開イベントでプログラムを勝手に書き換え、何回かあるプログラムの合間にシティボーイズのコントを差し込み、これが業界関係者の目にとまり芝居批評の記事になる。タレント業として芸能事務所「人力舎」と契約、初起用にクイズ番組の司会を受け持つが、番組進行中取り乱し、昏倒。放送媒体においては、シニカルなキャラクターから一転して、憤激して暴力と罵詈雑言で暴れるというタレントとして認知され、テレビ局から出入り禁止とされるほどの破壊的なキャラクターであった。ピンで活動する場合は常滑川まことを名乗ることも多かった。
1980年代初頭、上岡龍太郎が「東京にオモロイ奴が居る」との噂を聞きつけ、大竹を関西の番組に呼んだが、大竹は萎縮してしまって何もできないまま東京に戻る。これで二度と関西から声はかからないだろうと恥じ入っていたが、再び上岡が大竹にオファー、「何してもええ(良い)んやで好きなようにやり(しなさい)」とアドバイスを受けて腹をくくった大竹は罵詈雑言、乱暴狼藉を働く。結果、上岡もひっくり返って笑う程の爆笑を取り、近畿地区に足がかりを築く。上岡に対しては「師と仰ぐ事すら失礼にあたる」と尊敬の念をあらわにしている。
文化放送の『大竹まこと ゴールデンラジオ!』では、フリートークで昔のエピソードをたびたびに話すが、世間的には当時のイメージが強く、いまだに恐いと思われることが多い[1]。
若手お笑い芸人への造詣が深く、朝日放送『M-1グランプリ』『ABCお笑い新人グランプリ』、関西テレビ『R-1ぐらんぷり』などの賞レースで審査員を務めていた。なお、弟子に漫談家のユリオカ超特Qがいる。
1988年頃から、メジャーデビュー前のX JAPAN(当時のバンド名は「X(エックス)」)のYOSHIKIらとの交流をもち、1991年と1992年には日本武道館で行われた、YOSHIKI主宰のインディーズレーベル「エクスタシーレコード」のイベント「EXTASY SUMMIT」に司会者として参加した事がある。
家族構成は妻と1男1女に猫2匹(名前は「ソメコ」と「フック」)。息子は、人力舎所属のマネージャーでお笑いトリオ東京03、ゆってぃ、アンタッチャブルなどを担当してある(ニコニコ動画2009年9月23日の生放送より)。
エピソード
- 以前から「大嫌いだ」と発言していた丹波哲郎とNHKで遭遇した際、大竹は自身に双子の弟がいることを利用して、「僕は双子の弟の方ですよ」と言って難を逃れたという。しかし、このことが災いして、「NHKに大竹まことの弟がいる」「弟はNHKの大道具さん」といった都市伝説が一人歩きしてしまうこととなった。
- 無名時代に映画『八甲田山』にエキストラ出演している。その撮影では、大御所俳優は暖房設備のある場所で待機していたが、エキストラは雪と寒風吹きすさぶ中凍えながら待機させられていた。待遇の悪さに腹を立てていた大竹は、雪の中で立ち小便する者を発見し、腹いせまぎれに後ろから思い切り蹴飛ばすと、その人物は緒形拳であった。大竹は大急ぎでその場から逃走したという。
- 不遇の時代を送っていたことから料理が得意である。しばしばテレビ番組などで料理の腕前を披露しており、野菜の千切りが得意である[2]。かつてはテレビで料理を披露する時には、必ず髪の毛が落ちないよう水泳帽を被っていた。
- 1988年に日本テレビの木曜スペシャル『タモリのいたずら大全集』に出演した際、山瀬まみに「お前失恋したんだってな」と声を掛けたことから本番中に取っ組み合いの喧嘩に発展。山瀬を舞台上で押し倒して引きずり回し、衣装の上着を破って泣かせた。この取っ組み合いによって大竹の付けていたピンマイクが壊れたことを、山瀬に「マイク壊してんじゃねーよバーカ」とツッコまれたことでさらに逆上し、「壊すってのはこういうのを言うんだよ」と言って番組セットを破壊。日本テレビから20年間の出入禁止となった。
- トラブルのあった山瀬まみとは、彼女の事務所の意向から長年共演がなかったが、日本テレビ『週刊オリラジ経済白書』やTBS『ドリーム・プレス社』(2008年10月24日放映)、2009年4月10日放映のTBS『ぴったんこカン・カンスペシャル』にて共演、以降も他番組にこのエピソードを披露するために出演している。山瀬はさほど気にしておらず、むしろ大竹がずっと引きずっていた様子であった。
- 司会進行を務めていたフジテレビ『夕やけニャンニャン』では、当時おニャン子クラブメンバーであった生稲晃子の頭を鷲掴みにして、股間に押しつけたことがある。
- かつて、自身のプロフィールには『青山学院大学経営学部中退』とあったが、実際には大学には進学していない。これは『青山学院大学経営学部を受験して不合格になった』という事実が、いつの間にかプロフィール作成者に青山学院大学経営学部に在籍していたと誤解されてしまったためである。
- 1996年、東京都杉並区内の交差点で乗用車を運転中、隘路から進行してきた大竹の車に二人乗りオートバイが車体横に衝突。バイクを運転していた男性は頭を強打し、事故の翌日死亡。後部座席に乗っていた女性も全身を強く打つ怪我を負った。この事故で大竹は一時的に芸能活動を自粛するが、約2週間後に復帰している。
- ダウンタウンの松本人志は著書『遺書』の中で、数少ない認められる人物「お笑い界のいい男4人」として、島田紳助、志村けん、浜田雅功と共に大竹の名前を挙げている。「何をしでかすか分からない、いや、しでかした後のような危険さがある」と評している。
- 東国原英夫は芸人時代、早稲田大学入学時に推薦文を書いてもらうなど、謹慎になった時に多大なる世話になったと語っている。今でも大竹を慕っていおり、「兄さん」と呼んでいる。また、「まともに仕事をしていたら、相当ビッグになっていたかもしれない」と讃辞している。
- かつて同じ事務所に在籍していたヒロミは、「まだ売れていない頃俺がヤンチャにもかかわらず可愛がってくれた。今でも頭が上がらない」と語っている。
- 2011年4月29日放送の『大竹まことゴールデンラジオ』で、自宅で購読をしている新聞は4紙(朝日新聞・読売新聞・東京新聞・毎日新聞)でさすがに4紙を購読するのは疲労との理由から3紙にすると発言、止める新聞は秘密とした。若い頃は新聞は車に積んでいたが字を読むのが嫌いで、ただ購読をしていただけで読んではいないと発言をした。
- 東名高速道路横浜町田インターチェンジ付近の国道16号と国道246号交差点近辺の墓石店に、「大竹まことの墓」と書かれた墓石がある。本人は存命中なので赤く塗られている。
出演
テレビ
バラエティ
- 5時SATマガジン(1981年 - 1993年、中京テレビ)
- おもしろプレヌーン(1984年4月 - 9月、テレビ東京)※「常滑川まこと」名義
- 夕やけニャンニャン(1986年3月 - 1987年8月、フジテレビ)※「常滑川まこと」名義
- JOCX-TV2『テレビ水族館』(1987年、フジテレビ)
- パオパオチャンネル(1987年 - 1989年、テレビ朝日)
- ビートたけしのTVタックル(1989年 - 、テレビ朝日)
- 大竹まことのただいま!PCランド(1989年 - 1992年、テレビ東京)
- カッ飛び!花マル塾(不定期)(1990年、テレビ朝日)
- 上岡龍太郎にはダマされないぞ!(1990 - 1996年)
- 何だ?こりゃ(1992年 - 1993年、フジテレビ)
- 有名人の皆様ゴメンなさい…ビートたけしの超国民的バラエティ噂のあの人この事件 そこまでバラすか! ウワサの真相 年内決着スペシャル(1993年、テレビ朝日)
- キスした?SMAP(1993年 - 1996年、朝日放送)
- 大阪ほんわかテレビ(1993年 - 2007年、読売テレビ)
- ザッツ!上岡龍太郎vs50人(1993 - 1994年、TBS)
- 上岡龍太郎がズバリ!(1994 - 1996年、TBS)
- ロバの耳そうじ(1994年 - 1996年、日本テレビ)
- BLT(1995年 - 1996年、読売テレビ)
- 痛快!エブリデイ(関西テレビ)
- DAISUKI!(日本テレビ)(不定期)
- どっちの料理ショー(1999年 - 2004年、読売テレビ)
- M-1グランプリ(2001年 - 2010年、朝日放送)
- 2002年度大会から2008年度大会まで決勝戦審査員の1人として出演。
- あんたにグラッツェ!(2001年 - 2002年、中京テレビ)
- あんグラ☆NOW!(2002年 - 2004年、中京テレビ)
- ジャングルTV 〜タモリの法則〜(1998年、毎日放送、ゲスト出演)
- タモリのグッジョブ!胸張ってこの仕事(2002年、毎日放送、ゲスト出演)
- 高田・大竹・渡辺のオヤジ三人旅(中京テレビ)
- 『あんグラ☆NOW!』放映終了後、不定期に放映されている。
- ときめきタイムリー(読売テレビ)
- 情報満載 ひるまで!すっぴん!(2003年 - 2004年、読売テレビ)
- ドリーム・プレス社(2006年 - 2009年、TBS)
- ネクストスペシャル 小池栄子の世界トンガリTV(NHK総合、2008年12月22日)
- SUPER SURPRISE(2009年 - 2010年、読売テレビ)木曜「怒っとOSAKA」→「怒っとJAPAN」→水曜「なるほドットJAPAN」司会
- ぴったんこカン・カン(2009年 - 、TBS)
ドラマ
- 夜明けの刑事 第111話(※最終回)「歌手になりたかったのに!!」(1977年、TBS / 大映テレビ)
- 特捜最前線(テレビ朝日・東映)
- 第24話「金沢・さすらいの女ひとり」(1977年)
- 第37話「犯罪都市・25時の慕情」(1977年)
- 第113話「若者狩り・恐怖のラブレター!」(1979年)
- 華麗なる刑事(1977年、フジテレビ / 東宝)
- 夏・体験物語(1985年、TBS)
- 妻たちの危険な関係(1986年、日本テレビ)
- 一休さん・喝!(1986年、テレビ東京)
- 四捨五入殺人事件(1987年、NHK銀河テレビ小説)
- 火曜サスペンス劇場『切り裂き魔』(1987年、日本テレビ)
- 教師びんびん物語(1987年、フジテレビ)
- 明日はアタシの風が吹く(1989年、日本テレビ)
- あの夏に抱かれたい(1989年、日本テレビ)
- 花も実もある(1990年、NHK)
- ジュニア・愛の関係(1992年、フジテレビ)
- 泣きたい夜もある(1993年、毎日放送)
- 龍-RON-(1995年、NHK-BS2)
- 天使が消えた街(2000年、日本テレビ)
- ナースのお仕事3 第2話「指導係失格!いずみVSまどか大乱闘!」(2000年、フジテレビ) - 徳川正一 役
- どんまい!(2005年、NHK)
- TRICK新作スペシャル2(2010年、テレビ朝日) - マジックショーの支配人役
- ウレロ☆未確認少女 最終話「ウレロ☆未確認少女」(2011年、テレビ東京) - 王賀龍一 役
- 湯けむりスナイパーお正月スペシャル 2012(2012年1月、テレビ東京) - 男役
- はつ恋(2012年、NHK) - 中山貞夫 役
- ウレロ☆未完成少女 第5話「昔のオフィスは未完成」(2012年、テレビ東京) - 王賀龍一 役
- MONSTERS(2012年、TBS) - 剣持亘 役
- 勇者ヨシヒコと悪霊の鍵(2012年、テレビ東京) - シンポジオン 役
映画
- 八甲田山(1977年、東宝)
- 聖職の碑(1978年、東宝)- 山小屋を燃やしてしまう三人の男のうちの一人(ノンクレジット)
- 喜談 南海燮化玉(1978年)
- 愛染恭子の未亡人下宿(1984年、にっかつ)- 肉屋 役
- さらば愛しき人よ(1987年、松竹)- ラジオのゲスト 役
- マリアの胃袋(1990年、アルゴプロジェクト)- 安井喜一郎 役
- スキ!(1990年、東宝)- 占い師 役
- シンデレラ・エクスプレス(1990年、キネマスターフィルム)- 松井大輔 役
- 香港パラダイス(1990年、東宝)- 平田 役
- ボクが病気になった理由(1990年、アルゴ・プロジェクト)- 田辺正太郎 役
- さらば愛しのやくざ(1990年、東映)- 坂田明二 役
- 継承盃(1992年、東映)
- エンジェル 僕の歌は君の歌(1992年、東宝)
- ゴジラvsモスラ(1992年) - 友兼剛史 役
- 居酒屋ゆうれい(1994年、東宝) - 骨董屋主人 役
- クレイジー・コップ 捜査はせん!(1995年、タキコーポレーション)- 久方のぼる 役
- 北京原人 Who are you?(1997年、東映)- 内閣情報室長 役
- BROTHER(2001年)- 警察官僚 役
- Stereo Future SF episode 2002(2001年、東北新社)- ビデオ編集者の和田 役
- Last Dance ラストダンス-離婚式-(2001年、東映)- 大沢和也 役
- 恋の門(2004年)- 門の父 役
- アキレスと亀(2008年)- 屋台のオヤジ 役
オリジナルビデオ
- いつか帰ろう(1990年、ジェイ・ ブイ・ディー)
ラジオ
- 大竹まことの金曜日のたまごたち(ニッポン放送、1986年10月 - 1987年3月)
- プロ野球オフシーズンの番組だったが、番組内のコーナーにて募集したオリジナルのパンを、木村屋總本店とタイアップし、発売した。 略称おおきんたま。
- ピンチヒッター 大竹まことのオールナイトニッポン(ニッポン放送、1987年3月 - 6月)
- ビートたけしがフライデー事件により謹慎している間、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の代理パーソナリティを務めた。当初はピートこけしと名乗っていた。
- ABCラジオパラダイス(ABCラジオ、1990年10月 - 1991年9月、月曜日に出演)
- ABCミュージックパラダイス(ABCラジオ、1991年10月 - 1991年12月、金曜日に出演)
- MBSヤングタウン(MBSラジオ、1991年10月 - 1992年9月、木曜日に出演)
- 文化放送開局40周年記念ステレオドラマ ガイア・ギア(文化放送、1992年4月 - 10月、ナレーション)
- 大竹まこと 少年ラジオ(文化放送、2004年10月 - 2007年3月)
- 大竹まこと ゴールデンラジオ!(文化放送、2007年5月 - )
ゲーム
- 天外魔境 ZIRIA(ハドソン/レッドカンパニー、PCエンジン)
- 声優として出演。土佐の坊さん役。
レコード・CD
- 『俺の背中に火をつけろ!!』(ポニーキャニオン、1987年) - EPレコード
- 『大竹まことの文藝春秋』(ブロードウェイ/ポリドール、1987年) - アルバム
- 『スピノザ』(ブロードウェイ/ポリドール、1988年) - 3曲入りシングル(12インチレコード/8cmシングルCD)
CM
- NEC HE PCエンジン関連
- プリマハム フライドチキン、チキンナゲット (黄色い鶏の着ぐるみを身にまとった、「チキンマン」というキャラクターに扮していた。)
- KDD 国際オペレータ通話(1985年)
- カンタス航空
著書
- こんな料理で男はまいる。(ISBN 4048533746)
- こんな料理で女もまいる。(ISBN 4048535161)
- 結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ(角川書店、ISBN 4048838695)
- 両方反対(双葉社、ISBN 4575283282)
関連項目
脚注
- ^ 2008年12月26日放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」より
- ^ 実際TBS「キミハ・ブレイク」の『時短生活ガイドショー』では、鰺めし、和風とんかつ他計4品を解説を丁寧にしながら、23分程度で作り、味も旨いと絶賛されている。