2013年03月07日 18時37分46秒 posted by uruseiblog

覚醒希望 目覚めてクリスチャン

テーマ:ブログ



記事は10日間までは更新予約出来ています。



そろそろ危惧し始めているのは
アダムスキーの体験した身近な人間のマインドコントロールのような事が
多くの組織の中で実行される事ではないかと言うこと。


それは言うまでもなく電磁波による関与で
覚醒者に対して仕掛けられる意識の改造です。


要するに覚醒した人間の意識を
一般の人間の意識と同じ状態に移行してしまえば


彼らは創造主の意識を感じる事も出来ず
創造主の法を語る事も出来なくなるからです。


私に対しても似たような関与が続いています。


ユダヤ傀儡達のしている行為は
他人を魂の消滅へと誘導している事と他なりませんが


この社会においては
この現実社会と呼ばれている目に見える社会こそが
全てに見える人間であふれています。


そんな人間達には次の生も輪廻転生もカルマも無関係です。


そして人間こそを偉大なものでありこの社会の支配者だと認識しては
自分達が作り上げてきたこの魂の崩壊へと導く文明を
ありがたく拝んでいく事になるのかもしれません。


私はそれも運命だと思います。


最近感じているのはこの人間達の
電磁波によるマインドコントロールが更に進化している事です。


脳への攻撃も、電気的刺激を少ない状態で
更にピンポイントでの刺激で精神状態をコントロールしてきます。


私はその事を認識できるから
それに誘導されないよう勤める事も出来ますが
(性器や後頭部への苛つき照射は別です)


一方では電気的刺激の少ない状態で
ハイにされたり、おとなしくされたり


眠気を誘導されたり妙に現実的に仕向けられたりと
ありとあらゆる関与を感じています。


アダムスキーが触れていた疑惑の意識を生み出す照射も
間違いなく存在しています。


アダムスキーの側近だったルーシーは
秘書であり、アダムスキーの理解者であったはずながら


アダムスキーに疑惑の念を持つようになり
怪しげな思想を信じ込まされてアダムスキーの元を去っていきました。


彼女はアダムスキーの身近にいながら真理を見失ったのです。


この状態になったら二度と真理へと
立ち返る事は出来ないとアダムスキーも触れていました。


私もそのような気がします。


一旦は魂がそれを認識しては共鳴したであろうはずなのに
それを感じる事が出来なくなるのですから
その後は真理など無縁になるのだと思います。


しかしその人間にとってはそれも運命であり、
それを選んだのも自分の自由意志なのでしょう。


ユダヤの作り上げる生ぬるい社会で灰色に染まっていく事を、
自らの強い意識で対抗するも、


それが出来ずに誘導されてしまうも
その人の自由意志です。


ただ、この地球の法則の傀儡達は私達の脳機能を深く理解していて
尚且つそれを利用してくるので性質が悪いのです。


つまり本人の意志を捻じ曲げる事が出来るのです。


怒りは当然、嫌悪感、殺意、自殺衝動まで引き起こす事の可能な技術。


意志を捻じ曲げるくらいは簡単だと思います。


私に対して使用している技術は
もちろん多くの他の人間に対して使用可能で、
私はその可能性を前提に覚醒者にも語っています。


とても危険な技術だからです。


自分の真の意志ではなくて
外部からのそのような誘導に対して反応し誤った方向へと進んだときに、


創造主が何らかの恩寵を与えてくれるのかどうかは
正直想像つきませんが、


兎に角この社会の中で頭を洗脳されずに、
マインドコントロールを受けずに生きる事が
難しくなっている事だけは各自認識してほしいと思います。


自分の意識が自分の物ではなくなる。


私は多くの身内のそんな姿を見て来ているので
その事が嫌と言うほど理解できているのです。


そして私には辛うじてとても強い信念と頑固な意志があります。


今となっては自分の頑固さに感謝しています。


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295 :神も仏も名無しさん:2012/08/25(土) 20:09:59.61 ID:4qFvsWbl
カトリック教会は真理ゆえにサタンが最も憎む宗教なのです。
洗礼の印がついた霊魂は地獄でも激しく憎まれるので、
重い罰が加えられる、と啓示を預かった人の本に書いてありました



302 :神も仏も名無しさん:2012/08/26(日) 21:29:01.99 ID:xpRbVwSV
>>292
聖職者と修道者にも、
悪魔と契約した者どもが居る。

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真理ゆえにサタンが最も憎む宗教?


私はカトリックの一部がフリーメーソンに汚染されている事を認識すれば、


ユダヤ系クリスチャンと言われる人間達と同様に
一番サタンに愛されている宗教だと思います。


カトリックがバチカン含めてクリスチャン社会への
大きな影響力を持っていることは間違いないと思います。


そしてこの社会を改善する影響力をも持っているはずです。


そんな人間達がマリア信仰をしているからこそ
ブラザーズもマリアの奇跡を演出して見せては


平和やキリスト教への信仰を強めるように
誘導しているのであろう事も想像がつきます。
(残りはカトリック関係者の自作自演かもしれません)


マリアの奇跡がブラザーズ達の演出による
人為的な誘導である可能性は捨てきれないと思います。


少なくともファティマに関しては
私はそれを確信しています。


それが世界を平和へと導くきっかけになるのであれば
そこには何の問題もないわけです。


しかしマリア信仰という異端とも言える信仰を除いても、
現実にカトリック教会の中に多くの異端分子が入り込んで
其の教えを壊し続けてきたのは有識者であれば知っている事実です。


フリーメーソンの牧師を迎え入れたカトリックが
真のイエスの教えを述べ伝え続ける事が出来るのかという事です。


私はカトリックがイエスキリストではなくて
その生みの親のマリア信仰になっているのは


イエスキリストを救世主と認めず、
その存在を憎み続けてきたユダヤ教パリサイ派の
影響や策略が関係しているのではないかと疑っているぐらいです。


そして”聖霊の印がつく”とかオカルトな事を言っているこのような人間達が、
カトリックの評判を下げてもいるのではないでしょうか。


それをそのまま鵜呑みにしては真理と認識する人間は
あまり賢明とはいえないと思うからです。


形式に囚われ、見えないものを信じながらも其の対象がオカルトでは、
覚醒者には勿論,一般市民にも説得力はありません。


聖霊の印がついた人間など、この世には存在してはいないのです。


私達は其の個人に応じて
魂への覚醒の程度の差があるだけで、


元々聖霊と呼ばれているものは私達誰もの中で生きていますし
私達を導き続けてもいます。


イエスキリストの教えで其の近道に気がついた人間が、
神の国に近づいただけであり、


それは洗礼や特定の宗派への信仰によって
与えられるものではないのです。


一方、私達は誰もが魔の洗礼をも受け続けています。


この世に蔓延する、そして私達が発する負の想念や誤った価値概念が
私達の肉体や脳へと刻み込まれているからです。


私達は心を選択しては、其の魔に染まった意識に従うのか、
それとも私達の実態である創造主の分身としての
魂の意志に従うのかの選択を、常に迫られているのだと思います。


「肉に従う者は、肉的な事をもっぱら考え、
御霊に従う者は、御霊に属する事を考えます。」


そして思考は行動に反映されるのです。


パウロが取り上げたこのような状況は
現に私達の社会にも反映されていると思います。


そして多くの人間が肉(心)に従うように誘導されているのがこの社会。


ここでの肉と言う表現は
以前にも説明したように肉体だけでなく
私達の肉体をつかさどる心としての脳のことです。


そしてこの脳は肉体の本能や欲望や
肉体が発する想念などに影響を受けることも私達は学びました。


勿論御霊と言うのは私達の本体であり
創造主の分身でもある私達の魂です。

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307 :神も仏も名無しさん:2012/08/30(木) 20:46:32.70 ID:gFhSRFto
聖書が教えるとおりに、
〝はい〟と〝いいえ〟は
ハッキリさせるべきなのです。


分派=プロテスタントに卑屈な迎合を見せるのが慈愛なのではなく、
異端には「いいえ」を貫くのが教会を護る愛なのです。


カトリック教会は唯一の真理です。
寛容と迎合を勘違いしている馬鹿が居る。
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厳しく、そして下品な表現をすれば
「目糞鼻糞を笑う。」


これがこのような意識の人間の姿ではないでしょうか?


寛容と迎合を指摘する以前に
この方は第一に自分が真理を理解していないことを
悟るべきだと思います。


創造主が、熱くもなく冷たくも無く生ぬるいことを嫌う様子を
イエスは表現していましたが


それは真理を理解していることが前提で


いくら熱くなろうが、元々持っている真理が誤っていれば
其の想いは人には伝わる事は無いと思います。


真理は宗派を超えて理解者が出てくるような
そんな意識のはずです。


宗派や組織に拘って
「自分は正しい、自分は真理を語っている」と主張しても


どの宗派も同様の価値観を持っていて
それを正しいとしているから対立は生まれるのですし


そこに真理があるならば
創造主の法へのアプローチの手段が宗教である限り、
真理は宗派を超えて多くの人間に理解されるものだと思います。


分裂し他の宗派を批判する其の意識自体が、
すでに創造主の意志とはかけ離れていることが理解できてはいない。


真の創造主の教えなど理解していないからこそ
対立も宗派ごとの優越感も生まれることになるのだと思います。

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327 :神も仏も名無しさん:2012/09/16(日) 18:46:58.39 ID:X/KZseGl
新約聖書で主キリストが語られたとおりに、
聖ペトロの墓の上にヴァチカンが在る。


「私は岩(ペトロ)の上に教会を建てる。」

ローマ・カトリック教会の正統性は証明されています。

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一つ目としてカトリック教会が12使徒の関係していた
教会の流れを継いでいることを取り上げて
その正当性を出要する人間がいることに触れておきます。


12使徒は教会を立てるようにイエスに命じられたわけでなく
彼らの目的はあくまでイエスキリストの正しい教えの福音です。


例え教会がなくても十分な広報ができればそれで良かったわけですし
教会があったことでそれを広報に利用したと言っても
その教会自体が真理を持っていることにはなりません。


真理が含まれていたのはあくまで12使徒の教えに
他ならないからです。


それを捉え違いをすると、まるで血統や家計に拘る人間と同様に
教会の存在自体に重きを置く結果にもなってしまうのです。


重要なのはどこの教会かではなくて
そんな教えを述べ伝えているかと言うことです。


以前から私が主張している、
「聖書のイエスの例え話をそのまま文字通りに解釈するな」


と言う話をこの方は理解できてはいません。


「強い信仰を持って創造主の法を述べ伝える。」


これが「私は岩の上に教会を立てる」といったイエスの真意です。


聖書の中にはこれと似た例えもあったと
以前にも紹介しました。


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だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。


雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、
それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。


また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、
砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。


雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。
しかもそれはひどい倒れ方でした。」

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賢明な人間、信仰心の強い人間を
”岩の上に自分の家を建てた賢い人”に例えているこの記述からも、


「私は岩の上に教会を立てる」といったイエスの言葉が
自分の信仰と其の福音を指し示していることが
なぜに理解できないのでしょうか?


時には文字通り解釈し、
時には例え話と看做して自分達の組織にとって都合の良い解釈をしては
それをイエスの教えだとしているからこそ


正しいイエスの教えは
この社会には伝わっていないのだと思います。


イエスは「岩の上に教会を立てなさい」
などとは言ってはいないのです。


それを勝手に都合よく解釈した人間達が
其のイエスの言葉を引用しては
教会の権威を強化して見せているだけです。


教会の牧師の中に、私達覚醒者よりもイエスの言葉を
正しく解説出来る人間がいるのでしょうか?


”カトリックの秘儀”とか
イエスの教えとはかけ離れたものを
ありがたがっている人間もいるようですが


それは”イエスの神の国の奥義”とは無縁である事も
彼らの聖書解釈からも理解できますし、


イエスの言葉やパウロの言葉の真意は
イエスの奥義、生命の科学の理解なしには
理解できるわけが無いのです。


イエスは常に心と魂を意識して、三次元と四次元を意識して
其の言葉を語っていたからです。


そしてパウロはイエスの奥義を身をもって実践して
それにより感じた魂からの意志を福音し続けていました。

聖霊といわれているのはパウロが感じた魂のささやき、
つまりは印象を与えてくれた魂の働き方を
例えたものにすぎません。


それが理解できない人間達が
パウロを悪魔使いすることにもなります。


ローマカトリック教会の正当性など
創造主の法の前には認められることも無いでしょう。


勿論それは他の宗派に関しても同様です。


独自の組織の教えを絶対であるとし、
其の中で高位の司祭であるとされている人間は


誤った価値観を新たな信者に与え続けているという意味では
罪人でさえあります。


「後のものが先になる」この社会では
何も先入観に侵されていない駆け出しの信者や一般の信者の方が


誤った価値観で頭を固めていない分だけ
先に覚醒して永遠の生への道を進む可能性がある。


見事に後の者が先になると想像しています。


皆に偉い偉いと奉られている多くの司祭や生きた聖人。


そして神の次に偉いと奉られている法王然りです。


ただ、ヨハネス23世やヨハネパウロ1世に関しては
真の聖職者としての片鱗が伺えました。


皆に偉いと崇められ、神々しく振舞うのではなくて


自分のありままの姿で飾らずしかも自分を高く評価せず、


万人に対しての真の平等意識をも見せていましたし
どんな相手にも分け隔てなく偉ぶることなく接していた存在。


自分は他の一般市民と同じ普通の人間であると言う意識が
そこからは伺うことも出来ます。


彼らは創造主の意志を理解して実践していたのです。


そしてブラザーズの存在と其の社会の創造主の法の実態を
バチカンを通じて発表しようとして暗殺されたヨハネス23世
そしてその意志を次ごうとして同じく暗殺されたヨハネパウロ1世。


彼らは「肉体を滅ぼすものを恐れず魂を滅ぼすものを恐れろ」
というイエスの教えを身をもって実践しても見せました。


バチカンに巣くうフリーメーソン、ユダヤの圧力に屈せず
自らの意志を貫いて死んでいったのです。


カトリックがメーソンにはっきりと汚染されだしたのは
その後です。
(以前にはイエズス会の様な危険な宗派もありましたが
議定書によればユダヤに敗れたようです)


其の中で変貌され続けてきたカトリックが

真理を持ち続けているわけがありません。


私はカトリック世界が変わってくれることを何よりも期待しています。


バチカンの世界への影響力は今でも大きなものだからです。


しかし現実には教会単位ではメーソン汚染が続いているようですし
そこに真理を求めるのは難しいと言うのが今の社会の実態ではないでしょうか。


聖書のイエスの言葉からは
まるで正当化する事の出来ないマリア信仰と言い、
組織にとって都合の良い聖書解釈といい


キリスト教世界はイエスの真の教えを理解するために
大きな課題を抱えていると思います。


いくら創造主の存在を認めていても
心のあり方や其の生き方が創造主の意志からかけ離れていれば


カトリックであろうがプロテスタントであろうが
古くからの権威である事を持ち出そうが
それを認めるのはこの人間社会内部だけだと言うこと。


彼らが天の御国と呼んでいる場所では
それは評価などされないのです。


権威や盲信に誘導されていない人間の方が
覚醒するのも早いでしょうし、


現実社会ではこれからも「後のものが先になる」と言う現実が
続いていくことになると思います。


つまりは既存のキリスト組織に疑問を持つ人間の中にこそ
覚醒者が現れると言うことです。


私の説明がきっかけになって覚醒を迎えた方や覚醒を自覚した方、


生命の科学、イエスの奥義を理解してくれた方の中には
おそらくは全くキリスト教に縁が無かった方も多いのではないでしょうか。


しかし今では一般のクリスチャンよりも
私達はイエスキリストの教えを正しく理解しているはずです。


先入観が無かったからこそ、
誤った価値観に重きを置いていなかったからこそ、
其の方達は早々と何が正しいかを認識することも出来た。


間違いなくそんな側面があります。


そして私達はアダムスキーやイエスキリストが語っていたように
子供のような心にならない限り魂の進化へと進むこともできません。


既存の知識や価値観が、
変な自尊心や誤った信仰を生み出しているために、


其の誤りに気がつくためには
一度それらを客観的な視点で見つめることの出来るような
精神状態になることが必要だからです。


それは決して難しくはありませんが楽でもないと思います。


心は不快なものを嫌います。


一度作り上げて自分が正しいとしたものを否定することは
心にとってとても不快だと思います。


しかし心が従う通りの信仰を続けていれば
結局は権威や伝統どおりの教えに従う事になりますし
そこからは真理へは届き難いはずです。


既存の宗教組織の敬虔な信者の多くは、
すでに自分達が真理と認めたものを
捨て去ることは難しいのかもしれません。


と言うことは
覚醒者と理解者としての地球からの卒業生は


結局は組織や既存の価値観の枠組みから
離れることの出来る人間と言うことになってしまうのでしょうか。


そうであれば間違いなく覚醒者は希少価値の存在になります。


それではこの社会の変貌は望めないのです。


賢明な指導者が既存の価値観を捨て去り覚醒へと進み
多くの人間を真理へと導いてくれることを期待してやみません。


私達覚醒者が出来ないことを、
其の人間達は出来る立場にいるのですから。

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自分の真理とした物を誇るのも
それにたいして強い信仰を持つことも
それは真理への熱心な心の現われだと思います。


ただ、それが本当の真理でなければすべては自己満足に終わってしまい
この社会の改善には何の役にも立ちません。


そして自分だけが救われれば他人は関係ないという意識も
覚醒とはかけ離れた意識だと思います。


一人一人の小さな想いを大きな力に変えるためにも


多くの人間が真の創造主の法へと目覚め
更なる覚醒者を導いてくれることを願います。


私達は誰もがその可能性を持っているのですから。


【貴方に無限の力の祝福がありますように】


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