2011年09月22日

ポップコーンと映画館と

「ミツバチの…」の続編

でも、その映画の内容とかじゃないよヒミツ



シネマパニックに入るなり、甘い香りが漂ってきたハート

すぐに何の香りか、思いだせない。

しばらくして、あぁ~ポップコーンだラブ

すぐに、思いだせないということは長いこと映画館に来てないことになるね。。。



ポップコーンにあう飲み物といったら

なんたって、コーラだよねぇOK


宮古島に唯一の映画館が

このシネマパニック宮古島だ。

その前身である「宮古国映館」の看板がまだ残っていますGOOD

なんか、嬉しくなっちゃいました音符オレンジ



1960年代は、まさに映画の全盛期。



テレビが見られない時代。映画は大衆娯楽の中心でした。

当時、宮古島には三つの映画館がありました。

宮古国映館(代表・平良重信)、宮古琉映館(代表・真栄城和夫)、まいなみ劇場<宮古沖映館>(代表・伊波幸夫)

そのうち、宮古国映館では東宝映画と洋画を専門に上映していました。


そのころ、「映画バス」というのがあった

何、それ???

映画が終了する時間にあわせて、平良を出発するバスのことです。

それだけ、映画を観る人が多かったことを物語っていますねぶーん

夜も更けて午後11時頃

バスのなかは映画のシーンを引きずったような若者たちで満員状態ベー

異様な熱気で満ちていましたガ-ン

1965年、佐藤総理大臣が宮古に来島。

そのとき、宮古からはテレビ放映の要望が出されました。

すでに、沖縄本島で1959年11月1日から沖縄テレビが放送を開始、

翌年の1960年6月1日からは琉球放送テレビの放送が始まっていました。



宮古でテレビの放送が開始されたのは1967年のこと。

沖縄本島で放送された番組をダビングして空輸しての再送信で

ニュース番組は半日遅れ、紅白歌合戦は1月1日の放送でした。


話はそれましたが、テレビやビデオレンタルの普及などによって

映画は衰退していきましたタラ~タラ~



宮古琉映館、まいなみ劇場が閉鎖

宮古国映館は1986年4月には新国映館ビルに移転し

2階に宮古国映館、3階にニューシネマの複合型映画館としてスタートしたものの

2002年2月22日には、映画ファンに惜しまれて48年間の歴史の幕を閉じました。

それから、3年後の2005年2月22日に「映画館復活」の期待にこたえて

同じビルでシネマパニック宮古島が復活・開館しましたくすだま



「一粒の種」の上映など、採算の難しい自主上映にも意欲的に取り組んでいますサクラ



たまには、映画館にも足を運びたいものだなぁ…と感じました。

それが、唯一、宮古島で映画館を存続させる手立てだからなのですキラキラ 



シネマパニック宮古島

℡0980-76-3215











同じカテゴリー(歴史文化ガイド)の記事画像
狩俣の住宅調査
恋を貫く
めだま
船の一生~幸運の信濃丸~
宮古と坂の上の雲
きょうは何の日?

同じカテゴリー(歴史文化ガイド)の記事
 狩俣の住宅調査 (2012-08-09 10:45)
 恋を貫く (2012-07-12 17:37)
 めだま (2012-01-26 11:43)
 船の一生~幸運の信濃丸~ (2011-12-19 20:32)
 宮古と坂の上の雲 (2011-12-18 23:20)
 きょうは何の日? (2011-12-08 22:08)

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。