今昔映画館(静岡・神奈川・東京)

このところ更新さぼっててすみません。実際、映画館に行けてないので記事が書けなくて

静岡映画館

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静岡の七間町から映画街がなくなっちゃいました。

静岡の七間町の静活(会社の名前です)の映画館街が閉館しちゃいました。その街に映画街があるかどうかは、私にとっては、その街の文化の尺度だと思っています。でも、昔ながら映画街はどんどん姿を消しています。私の住む横浜の伊勢佐木町の映画街もなくなってしまいましたし、映画街まではいかないまでも、10館ほどの映画館を擁していた藤沢からも映画館はなくなり、そして、今度は故郷の静岡からもなくなってしまいました。七間町には、東宝系の静岡東宝会館という映画館ビルは残るのですが、昔からあった映画館が一気になくなっちゃうのは、静岡の街の顔が変わってしまったような気がします。
 
今回、閉館になったのは、大劇場としての、オリオン座、ピカデリー1、有楽座。中堅劇場のピカデリー2、ミラノ1、3、ピカデリー・ゼロ。小さな劇場の、ミラノ2と小劇場。9劇場がなくなっちゃったわけです。新しく静岡にシネコンができることがあって、古い映画館は一気に閉館ということになりました。施設の老朽化は確かにありましたが、それでもシネコンとは違う、それぞれに顔を持った映画館が街の一角に固まってあったというのは、静岡の大きな財産だったのです。ともあれ、映画の上映は、シネコンへ移るわけなので、こちらは10スクリーンありますから、差し引き1スクリーン増えたということになります。ただ、小劇場は、全国でも数少ないピンク映画の上映館でした。これはさすがに引き継がれないと見えて、静岡からピンク映画の灯は消えてしまったということになるのでしょう。
 
新しいシネコンのHPを観て驚いたのは、10スクリーン中フィルム上映ができるのは、4スクリーンのみ。後は、デジタル上映専門なんです。フィルムで映画を観るのが、贅沢になっちゃう日も近い、というかもう来ているのかもしれません。
 
静岡の映画街がなくなるにあたっては、オリオン座についての記事はたくさん見かけますので、閉館する映画館の中で最もマイナーなミラノ2について書いてみます。
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映画館街に最後に行ったのは、9月18日、静岡ミラノ2での「くまのプーさん」が最後でした。ここは、写真にもありますように、普通の映画を上映している中では一番小さいところでして、もとは、そこそこあった映画館の2階席を映画館として独立させたものです。座席の前後も狭いですし、2chでの評判もよくないのですが、なぜか静岡に帰ったときはここで映画を観ることが多くて馴染みの深い映画館です。音響はデジタルではありませんし、スクリーンはやや見下ろす感じになるのですが、それでも快適な映画鑑賞ができました。
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その昔、静岡日活が、ロマンポルノになってから、並木座と名前を変え、その2階席を独立した映画館として、静岡カブキとしたのが、ミラノ2の前身です。静岡カブキは、洋画ポルノの専門映画館だったのですが、洋画ポルノの衰退とともに、ミラノ2に名前を変えて普通の映画を上映するようになりました。ここで初めて観た映画は、中国映画の「紅いコーリャン」でした。当時は、スクリーンが妙にギラギラ反射する材質のもので、あまり見易い映画館とは言えませんでしたが、それでも、メジャーでない映画をたくさん上映する映画館として位置づけられていました。
 
その後、スクリーンは張り替えられて見易いものとなり、ドルビーステレオの音響も設置されました。そして、静活が、映画館街を一つのシネコンのように見立てた運用をするようになってからは、大きな映画館で上映されていた映画をムーブオーバーする、シネコンの小さなスクリーンのような役割も担うようになりました。最近は、アート系の映画は、静岡シネギャラリーで上映されるようになり、この映画館としてのカラーもなくなってしまいました。
オリオン座が静岡を代表する大劇場なら、ミラノ2は下駄履き感覚の敷居の低い映画館です。以前は、エンドクレジットの出ている途中で、掃除のおばちゃんが入ってきちゃうようなこともありましたけど、それもまたご愛嬌ということで。
 
ともあれ、静岡から映画街が消えてしまいました。

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地方で映画の2館同時上映って珍しかったという記憶

「エクソシスト」のBDを観て、封切公開の時、あまりの混雑に、他の映画館も急遽番組を「エクソシスト」に変えてたことを思い出しました。静岡で、同じ映画を2館で公開するというのは、当時はなかったのではないかと思います。静岡で一番大きなオリオン座で上映していたのですが(しかも当時は2本立て)、あまりに人が溢れてしまい、向いにある、名画座でも上映することになって、係員が「名画座でも上映してますのでー」って叫んでいました。

東京ですと、「スター・ウォーズ」を日劇とテアトル東京で同時に公開するといったことはよくあったのでしょうが、地方ではそういうのは少ないのではないかと思います。今は、静岡でも、「ハリー・ポッター」シリーズなんてのが、オリオン座と有楽座という洋画2トップの劇場で同時公開されるようになりました。いわゆる、映画街全体を一つのシネコンみたいに扱うようになってからは、そういう上映も普通になっちゃいましたが、まだ、私が子供の頃は、映画館ごとのカラーが明快だったように思います。

私の記憶で残っているのは、70年代ですと「キングコング」がオリオン座で字幕版、名画座で日本語版が同時公開されていたのを思い出します。名画座という映画館は、2館公開のサブ的な位置づけで使われることが多く、「エイリアン」「スーパーマン」「復活の日」「野性の証明」などは、メイン館+名画座という公開になっていました。名画座は、メイン館に比べるとスペック(スクリーンの大きさ)が格段に落ちるので、かなり格差のある興行だったのですが、私はこれらの映画を全部名画座で観ました。「未知との遭遇」はオリオン座とアートシアターミラノとの同時上映でしたが、この組み合わせは珍しかったように思います。

もう一つのパターンで、違う興行会社が競合するケースもあります。黒澤明の「影武者」が、有楽座と静岡東宝で同時公開されたときは、別興行会社による興行でした。また、「E.T.」の時も、有楽座と東映パラスでの競合状態での興行でした。大ヒット(を想定された)映画の場合、興行側でも取り合いになるんだなって納得した記憶があります。

どっちにしても、地方都市の静岡で、2館同時公開ってのは、昔は珍しかったです。今となっては、地方の映画館が全てシネコンになってしまうと、複数スクリーンでの上映なんて当たり前になっちゃってますから、そういうのが珍しいと思っていた記憶を書き留めてみました。

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昔の話、静岡の映画館のカラーについて

静岡の七間町の映画街がもうすぐなくなっちゃうらしいというお話をのびたさんから伺って、私がよく静岡で映画を観たころの記憶を記録しておこうと思います。最近、発刊された「映画館」という本の中でも、静岡の映画館の思い出がたくさん語られていて興味深かったのですが、私が静岡でよく映画を観た頃の印象は、何より映画館のカラーがあったなということです。今の七間町映画街は、上映プログラムでお客の集まりそうなものを映画館のキャパに合わせて割り振っていくシネコン形式になってしまって、映画館のカラーというものはなくなってしまいました。しずちゃんの映画関係書き込みを拝見すると、昔ながらの映画館はケチョンケチョンな言われようでして、古い映画館のよさ云々なんて、じじいのノスタルジーにしかならないのかなあ。

私が静岡で一番映画を観たのは中高生の頃で、1970年代の後半にあたります。この頃には、いわゆる二番館、三番館というものはなく(そもそもそういう言葉も知りませんでした)、いわゆる映画は斜陽産業だったのですが、それでも「エクソシスト」「ジョーズ」といった大ヒット作が生まれた時期でもありました。古いオリオン座は既になく、「静岡松竹」がその名前を引き継いでいました。そして、大映倒産後、「静岡大映」が「静岡松竹」と名前を変えていました。

そんな中で映画館にはまだそれなりのカラーが残されていました。

1、静岡オリオン座
洋画専門の静岡で一番でかくて格上の劇場。当時は1000席近くを有する劇場でしたが、椅子も他の劇場よりちょい上のものでしたし、傾斜十分で見易さも静岡一でした。(今もそうですが)「ジョーズ」「キングコング」などの大作は1本立て上映でしたが、普通の番組は2本立てが基本。東京での日劇、パンテオン、新宿ミラノ座に相当する大劇場でした。ただ、東京に比べると映画館の層が薄いせいか、いわゆるB級映画もときどきかかることがあって、こんなのオリオン座にかかるんだと思いながらガラガラの劇場で観た映画もありました。「マダム・クロード」「ジャクソン・ジェイル」の2本立てとかですね。

2、静岡有楽座
洋画専門の映画館で、地下にあるというのがちょっと洒落た感じがする映画館です。オリオン座よりは格が下というイメージはありましたから、東京で言うなら、日比谷映画、ニュー東宝シネマ1、渋谷東急クラスでしょうか。当時で600席くらいの規模だったでしょうか。やはり基本的に2本立てで、オリオン座に比べると娯楽性の高い映画を上映していたというイメージがあります。場内がフラットなのがオリオン座の作りと一線を画していました。昔は、前の人の頭でスクリーンが隠れたという印象があって、混んでるとやだなあっていう映画館でした。後、オリオン座に比べて画面が暗いと思ったこともよくありますが、洋画の封切館としてお世話になりました。

3、静岡松竹、静岡東宝、静岡東映、静岡並木座
松竹、東宝、東映、日活の封切館です。どの映画館も古いけどちゃんとしてるという印象がありますが、中高生の頃は邦画をほとんど観なかったので、あまりお世話になっていません。作り的に昔風の映画館だったのが静岡東宝でして、コンクリートの床がむき出しで、キップ売り場で上映中の映画の音を流していたり、路地に直接つながる非常口があっても締め切りだったりと、昭和の映画館の雰囲気を大変感じさせました。自主的に番組を組むことはあまりなかったようですが、映画斜陽の時代でもあって、静岡松竹ではしょっちゅう寅さんまつりをやっていたという記憶があります。
静岡東宝と静岡東映は立て替えられて現存せず、静岡松竹は静岡ピカデリー1となり、静岡並木座は、1階が静岡ミラノ3、静岡ミラノ2になっています。

4、アートシアターミラノ(現静岡ミラノ1)
名前からして洒落た感じのする映画館で、ビルの4階にあるというのも、奥まった映画館という印象で、ちょっと敷居の高さを感じるところがありました。アート系の映画、フランス映画なんかを中心に番組を組んでいまして、基本的に2本立て、時に長い映画「ドクトル・ジバゴ」「ナザレのイエス」なんていう3時間級の映画を上映するときは1本立て興行になりました。他の劇場と違っていたのは、椅子の背もたれがすごく高くて、頭まで納まるような感じだったこと。ただ、段々と普通の映画も上映するようになりまして、特にホラー系の映画「キャリー」「ポルターガイスト」「サスペリアPART2」「炎の少女チャーリー」なんてのをここで観たのが印象に残っています。また、当時、インターナショナル・プロモーション(IP)という配給会社が昔の映画を積極的に上映していまして「カバー・ガール」「ギデオン」「バルカン超特急」なんてのをここで観ました。アート系というなら東京のスバル座、有楽シネマあたりのポジションになります。

5、静岡東映パラス
幼い頃は、ニュー東映という劇場だったように思うのですが、静岡東映の2階にある洋画封切館。劇場の格としては、オリオン座や有楽座より落ちる感じ、上映ラインナップを見ても、やや格が下かなという感じでした。劇場も前3分の2がフラットでそこで急に段差があって、後ろがやや傾斜、さらに2階席もありました。ポルノ映画も上映していたことがあり、その一方で、ディズニーの非アニメ映画をなぜか律儀に上映してました。今はなき東映洋画やジョイパックフィルムの映画をよく上映していたような記憶がありまして、「ドラゴンへの道」「続・ラブ・バッグ」の2本立てという正月番組にお客さんが一杯入っていました。ここは、スクリーンの壁が縦に長くて、シネスコサイズの上映では上下が詰まるつくりでした。静岡東宝とここは昔の映画館のいかがわしさを感じさせるところがあって、よく行きましたけど、他とはちょっと違うぞという印象を持っています。東京で言うなら、丸の内東宝、新宿東映パラスみたいなポジションかしら。「センチネル」「デモンシード」といったホラーが印象に残ってます。後、映画観ながらオヤジがタバコ吸ってた記憶もここが一番。

6、静岡カブキ
ここは洋画のポルノ、いわゆる洋ピンの専門館でした。ですから私よく知りません(きっぱり)。でも、400席以上あるちゃんとした映画館でした。それでも時々ディズニーアニメを上映したり、たまに普通の映画を上映することもあって、「セント・アイブス」「暁の7人」の2本立てをここで観ました。当時は洋画ポルノの専門館があったってことで記憶に値すると思います。

7、静岡南街劇場
当時、唯一駅南に残っていた映画館。邦画ピンクの専門館だったんですが、一時期、洋画3本立て(後期は2本立て)の名画座に突然変貌して、びっくりしたことあります。おかげで「続・荒野の用心棒」とか「グリズリー」「続・青い体験」なんてのを劇場で観ることができたわけですが、その後、またピンク映画館に戻った末に閉館したような記憶があります。ここは当時の他の映画館に比べてもいかがわしい雰囲気がありまして、ああ、これがロードショー館との違いかと思ったことあります。浅草中映みたいな感じでしょうか。

8、静岡名画座(現 静岡ピカデリー2)
私が映画を観始めた頃は、ここは純粋に名画座でした。基本は洋画で、1本立て。もとアイスパレスだったところを名画座にしたそうですが、その時点で、明らかにロードショー館じゃない映画館を作ったように思います。まずスクリーンが小さくて、奥まったところにあり、座席はゆるい傾斜になっていて、スクリーンを見下ろすという感じになります。一番前に座って、やっと映画の画面の迫力を実感できるという作りでして、座席数は400ほど、明らかに名画座としての作りになっているのです。ここで初めて観た映画は「海底2万哩」で、200円でした。その後、料金が倍になって2本立てで名画を上映するようになりました。学生にとっては封切興行で見逃した映画を安く観られるというのはうれしい限りでして、結構足を運んだものです。そうこうしているうちに今度は特別興行と銘打って、封切興行をはさむようになり、いつしか、邦洋画封切館になってしまいました。位置づけ的には、いわゆるB級もしくはマイナー系映画の上映が多かったです。「ハロウィン」「ゾンゲリア」「ドッグ」などのゲテものをよく上映していたという印象があります。でも、やはりそもそもの作りは名画座であって、ロードショー館のつくりじゃないと今でも思っています。

9、静岡小劇場
今回、七間町の映画街がなくなるという話で一番動向が気になるのがこの小劇場です。何しろ、日本でも数えるほどの邦画ピンク映画の専門館なのですから、静岡の隠れ文化遺産みたいなものです。でも、私が学生の頃は、封切公開後の邦画を1本立てで上映する映画館でした。ここもスクリーンの小ささ、キャパの少なさは明らかにロードショー館とは違う作りです。私はここで「東京湾炎上」「君よ憤怒の河を渡れ」なんてのを観ました。ビルの屋上にポツンと立つ映画館には何か不思議な味わいがありました。また、普通に映画を封切公開することもありまして、「ゆかいな風船旅行」「星になった少年(イタリアのお涙頂戴映画)」の2本立てをここで観たんですが、正直、あれは何だったんだろうという記憶として残っています。

こうして見ますと、洋画封切館があり、邦画の封切館あり、アート系の劇場あり、洋ピン専門館と和ピン専門館があり、名画座も邦画と洋画の両方があったという大変バランスよく映画館がそろっていたことに改めて驚かされます。斜陽産業と言われた時代ながら、映画街は、東京の映画館の縮図みたいにメニューを揃えてお客さんを待っていたのだと思うと、ある意味いい時代だったのかもしれません。こういう映画館のカラーがはっきりしてた頃を思うと、今のシネコンがただお客の数でスクリーンの大小を決めているのが、すごく合理的だと思う反面、映画館のカラーを楽しむという一つの娯楽が消えていったように思います。上記のような映画館が様々な顔を持って町にあったということは、その映画館群が一つの文化を形成していたと言えます。最近のシネコンが、家のホームシアターの拡大版的な感じがしてしまう私には、まず映画館ありきの映画の見方がなくなっていくのは残念なように思います。

話がちょっと違うんですが、私が子供の頃、静鉄のバスってサイズ、タイプがすごくバラエティに富んでいまして、一つドア、二つドア、三つドア、ボンネットタイプ、エンジンが運転席の隣にあるタイプ。ウインカーがランプじゃなくて、棒が横に出るタイプ、などなど、色々なバスが走っていまして、そのバリエーションが大変楽しくて、駅前で色々なバスを見るのがすごく好きでした。乗り心地がいいものは新しいものって決まってるんですが、古いタイプのバスを見て、あれ乗ってみたいなあって思ったことがよくありました。路線バスに新旧ピンキリがあってそれがごっちゃになって走っている状態が楽しかった時代がありました。映画館のカラーがあった時代ってにはそのバリエーションの楽しさに通じているような気がします。映画を観るためだけなら、きれいで大きなスクリーンがいいに決まってるのですが、この映画をこの映画館で観たという思い出の残り方もまた楽しいかなと思うわけです。合理的じゃないけど、その非合理性にある楽しみというか遊びという感じなんですが、生まれた時からシネコンで映画観ている人には伝わりにくいかもしれないです。

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映画の情報はチラシからも(その2)

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この前の映画館のチラシは映画館側で作っていると思われるものを取り上げてみたのですが、一方で配給側が、二本立てを前提にして作ったと思しきチラシもあります。今や、二本立て興行は名画座でしか行われないようになりまして、こういう二本立てチラシは作られなくなってしまいました。その中では「ハリケーン」と「トゥモロー」の二本立ては、覚えている方が少ないのではないかしら。「ハリケーン」は、ミア・ファロー扮する人妻が南の島で若者と恋に落ちるというお話。で、同時上映の「トゥモロー」はオリビア・ニュートン・ジョンを含む4人組のバンドのお話。このチラシを見つけるまで、こんな映画を観たことすら忘れていたのですが、これらは確かに映画館で観ました。でも、テレビ放映された記憶もなければ、ビデオ化されたという話も聞きません。ホントに劇場公開だけでしか観られない映画というのも、今は珍しくなりました。劇場公開をビデオの販売宣伝に使うこともある今とはずいぶんと違う趣があります。

「ポルターガイスト」と「キャット・ピープル」の二本立ては配給元の作ったチラシだと思って間違いないでしょう。どちらにも、ドルビーステレオのロゴがついていますが、この二本立てを上映した当時のミラノではドルビーステレオの再生装置はありませんでした。「ポルターガイスト」は磁気4チャンネルステレオ、「キャット・ピープル」はモノラルでの上映でした。

これらのチラシが作られるということは、地方での二本立て上映では、その番組はほぼ決まっていたということになります。しかし、地方でも、県庁所在地から離れたところでは、その組み合わせはかなり自由度があったように思います。大体、静岡で二本立てをする場合、同じ配給会社の映画で番組を組んでいましたから、こういうチラシを置いておくことに意味があったのだでしょう。今は見られなくなったチラシですが、よく見ると、映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」の折込口絵の映画広告がこんな感じだったです。

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昔の映画情報はチラシからも

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昔の話ですが、映画の情報を得るためには、ポスターを見る、新聞の映画広告を見る、テレビの「映画だより」で予告編を見る、そしてもう一つ、映画館のチラシを見るというのがあります。私が中学生の頃、チラシ集めが一種のブームになっていまして、映画を観ないのに、チラシだけ持って帰るってのがブームになっていました。それも1枚でなく何十枚とごっそりという豪傑もいたのですが、私なんかは、チラシだけもらいに映画館にいく度胸もなく、さらに中学生の小遣いでは月に何度も映画館へ行くことはできませんでした。それでも、映画館で映画を観たときは、堂々ともらってくる....こともできたのですが、結局小心者の私は、1枚か手がすべって2枚がやっとでした。これを読めば、上映する映画館と時間がわかるので、そこそこのお得感はあったのですが、本当に観るつもりの映画のときは、再度、金曜日の新聞広告で確認するのが常でした。あの当時は少年マガジンでもチラシ特集というのがありましたし、後「スクリーン」「ロードショウ」でも、チラシ大全集なんていうムックを出したりしてました。で、私もチラシ大全集は買ったのですが、実際に映画館でごっそりもらってくることには腰が引けてました。うーむ、これって陰気臭い中学生なのかな。(← 一人合点)あ、でもその当時、切手あつめとか古銭コレクションなんてのもありましたね。でも、まだオタクなんて言葉もないころで、後ろ指さされることもなくて、いい時代だったのかも。

あの当時から、映画のチラシは1枚で1作品というのが多かったのですが、ごくまれに2本立て上映で、1枚で2作品というものがありました。チラシとしてきれいな天然色刷りのは、多分、配給会社からの版をそのまま使っているようでしたが、マイナーな二本立ての場合、色数の少ないチラシが出ることもありました。もう映画が1本立てが当たり前の今では、そんなチラシが出回ることもなくなってしまいました。また、チラシが欲しければシネコンのロビーに行けば、映画の切符買わなくても、チラシ取り放題になっていますから、もうかつてのようなブームは起こらないでしょうね。

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