少年事件での少年の実名・顔写真の公表は許されるか
山口県の徳山高専で起きた女子学生の死亡事件に関し、殺人容疑で逮捕状が出され、指名手配されていた19歳の少年について、「週刊新潮」9月14日号は、その実名と顔写真を掲載した。
新聞報道によると、「週刊新潮」編集部は、実名と顔写真を掲載した理由について、「逃亡して指名手配されているのに、実名も顔写真も公開されていないことはどう考えてもおかしい。公表は犯人の自殺・再犯の抑止にもつながる」とのコメントを出したと伝えられている。
この「週刊新潮」が発売された9月7日、山口県下松市内で、その少年が遺体で発見された。事件が発生した数日後から、少年は自殺しているのではないかということは懸念されていた。「週刊新潮」も、「すでに○○は自殺している可能性もある。しかし、今も逃亡を続けている場合、〝第2の殺人〟が起こらない保証はどこにもない」(○○は原文では少年の実名)と述べて、その少年が自殺している可能性があることを認識しながら、実名と顔写真を掲載している。
日本テレビとテレビ朝日は、少年が遺体で発見された後、9月7日の番組で、少年の実名と顔写真を報道し、その理由として、「少年法は非行少年の保護と更生を目的としているが、少年の生存を前提にしており、死亡によって保護・更生の機会がなくなった。事件の重大性などを総合的に考慮した」などと説明しているという(毎日新聞の記事)。
読売新聞も、少年が遺体で発見された後の報道で、少年を実名で報道しており、記事に付けられた「おことわり」では、「読売新聞社はこれまで、容疑者が未成年のため、匿名で報道してきましたが、容疑者が死亡し、少年の更生を図る見地で氏名などの記事掲載を禁じている少年法の規定の対象外となったと判断したことに加え、事件の凶悪さや19歳という年齢などを考慮し、実名で報道します。」と書かれている。
「週刊新潮」は遺体が発見される前に実名と顔写真を掲載しているという点で、他のメディアとは異なっている。
「週刊新潮」はこれまでにも何度も、少年の実名や顔写真を掲載してきており、少年法61条が、少年事件について、「当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。」と規定していることに正面から違反しているいわば確信犯である。
しかも、「週刊新潮」の記事では、少年の趣味や性的嗜好まで具体的に明らかにされており、プライバシーの侵害は甚だしい。
これに対して、一部のテレビ局や読売新聞は、便乗組とでも評することができるだろう。いずれについても、既に死亡したのだから、「少年の更生を図る」ことを目的とする少年法61条の対象外になったと解釈して、実名・顔写真の公表を「正当化」しようとしている。
しかしながら、非行少年が死亡したからと言って、その名誉権がただちに無くなる訳ではない(「死者の名誉」)。むしろ、少年の死亡を奇貨として、報道したくてしょうがなかった実名・顔写真を報道したというのが本音だろう。つまりは、それを報道することで、少しでも視聴率や購読量を増やしたいという商業主義の結果である。
新聞社は、常日頃、「自分たちは週刊誌と違って品位がある」として週刊誌を差別する傾向にある。しかし、今回の少年の実名・顔写真報道については、実はほとんど同じスタンスであることがはからずも露呈した。
成人の事件では、マスコミは、被疑者の実名・顔写真を当然のように報道している。そこに見られるのは、マスコミは「自分たちが報道することで社会に代わって制裁をしているのだ」という社会的制裁論である。しかし、刑事事件を起こした被疑者は、法律で定められた刑事手続によってのみ制裁を加えられるべきであり、マスコミに「制裁」をする権限が与えられていない。
その意味においては、マスコミによる実名・顔写真報道は、「私的制裁(リンチ)」なのだ。そして、その背景には、視聴率競争や購買競争という商業主義がある。つまり、マスコミにとっては、実名・顔写真も「商品」の一つなのである。
少年事件について、マスコミが非行少年の実名・顔写真を報道しようとすることも全く同様である。マスコミは商業主義を背景に、「私的制裁(リンチ)」をしているだけである。ただ、少年法61条による規制があるから、新聞社は表立って実名・顔写真を掲載しないが、今回のように、少年が死亡し、反論ができないような場合には、進んで実名・顔写真を報道しようとするのである。
ちなみに、今回の事件で、少年の遺体が発見された後、被害者の遺族の写真がマスコミで報道された。これは遺族の同意を得た上で報道されたようではあるが、とにかく報道できる「絵が欲しい」というマスコミの姿勢をよく表している。
今の日本の社会が、成人事件についての被疑者の実名・顔写真の報道を許容し受け入れている限り、少年事件における非行少年の実名・顔写真報道の問題は、いつまでも続くことだろう。その意味では、そろそろ、私たちの社会のあり方として、マスコミが被疑者の実名・顔写真をさらすことを許容すべきかどうか、根本的に議論する時が来ているように思われる。
(2006.9.16追記)
日本弁護士連合会は、9月14日、「徳山工業高等専門学校の事件の実名報道に対する会長談話」を発表した。そこでは、週刊新潮が実名報道を繰り返したことはまことに遺憾であること、少年の死亡後には、むしろ凶悪な累犯が明白に予想される場合や指名手配中の犯人捜査に協力する場合などに該当しないのであるから、例外的に実名報道をしなければならない社会的な利益も存在しないことなどが述べられている。
【Today's Back Music】
Everette Harp/In The Moment
エベレット・ハープ(sax)の新譜。サックス奏者の中でも大好きなミュージシャンであるが、今回もサックスを吹きまくって心地よい音色を聴かせてくれる。
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Comments
今回の事件は、そもそも最初からニュースとして全国に知らしめるべきものではなかったと思う。より大きくとりあげるから大きなニュースになっているだけであり、それ故に写真や名前も必要となる。少年の関わる事件報道をみていると、わざと大げさにすることによって、意図的にニュース価値を作り出し、読み手に応報感情を植え付けるものが多い。
あの少年も、報道されていなかったら生きていたのではないか、と思う。名前と写真が公表されたら、早く彼をみつけて自殺を防ぐことができた、とする今朝の朝日朝刊(遺族会見からの引用記事)は、その意味で、わたしは賛成しない。
今回の事件は、きわめて私的な事件であり、私的人間関係から派生して、おそらくはこんな結果になることを想定せずに起きてしまった事件なのだと推測する。遺族にとっては生涯許せない事件であろうが、社会レベルで影響があるとは思えない。
被害者女性の名前も写真も掲載する必要もなかったと思う。
Posted by: 大庭絵里 | 2006.09.08 at 09:43 AM
今回の事件の加害者死後の実名報道は、
社会的制裁・私的制裁にすらなっていないと私は感じるのです。
死者の名誉をどう考えるかは難しいですが、
加害者は死んでいるので写真を晒されても、
本人自体に問題はない。
加害者親族はすでに知人(近所の人含め)には知られていますし、
転居して黙っていればそうそうばれないのではないでしょうか。
(知人は結婚の際に話した所、破談になったので絶対とは言えないですが)
そう考えると制裁ですらない行為、
金の為に死者を走らすなんとも嫌な行為に感じます。
Posted by: 寿々洸 | 2006.09.09 at 03:46 AM
大庭さん、寿々洸さん
コメントどうもありがとうございました。
いずれも大変に共感できるご意見でした。
今回は、新聞・テレビとも、匿名報道を貫いた社と、死亡が判明した後に実名報道に切り替えた社がありましたが、このような場合に少年法61条の精神をどう考えるのかについて議論になったこと自体は良かったと思います。もう少し議論が深まればとは思いますが。
今後とも宜しくお願いします。
Posted by: ビートニクス | 2006.09.12 at 07:46 AM
地球の裏側の出来事でもわずか数分で映像がとどいてしまう現代である。隠す事が大変な世の中でもある。我々が子供の頃と違い、今はどんな事でも共有出来る時代なのだ。テレビ番組の影響も当然あるのだが、犯罪が若年化するのは当然とも言える。バーチャルで何回でも死んでは生きての繰り返しができる時代なのである。ただ教育が昔のままで進化していないから、頭の実際の中身はガキのままで変な法だけ大人びている。そういう警鐘の意味もあり15歳以上は実名報道も仕方ないかと思うのである。皆さん事件の残虐性、別の意味で幼稚さを考えたら当然と思いませんか
Posted by: konagaya | 2013.03.07 at 12:58 PM