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仮設に暮らして−大震災から2年(1)孤立/悲しみ抱え、閉ざす心
| 夜の仮設住宅。被災者の孤立は閉ざされた玄関や窓の奥で深まっていく |
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明かりはついているが一向に応答がない。不審に思った自治会長らが、扉を外して中に入った。男性がパジャマを着て、布団の上でうつぶせになっている。既に、息絶えていた。 昨年12月、宮城県南三陸町の住民約20世帯が暮らす仮設住宅。急死したのは60代の男性だ。震災で妻と母親を亡くし、独り暮らしだった。 「ああ、飲み過ぎだな」。ある時、自治会長が男性とあいさつを交わした際、アルコールの臭いで異変に気付いた。 男性は震災後、酒量が明らかに増え、休日には部屋にこもって朝から焼酎をあおっていたという。普段から物静かな性格で、周囲との人付き合いは少なかった。 「飲み過ぎで体調を崩したのかもしれないな。家族を失ったさみしさを酒でごまかしていたんだろう。他人には分からない悩みもあるし、なかなか言えないよ」。自治会長は境遇を察する。
家族や仕事を失い希望を見いだせない、人の輪に入れず引きこもる、体調を崩してふさぎ込む…。外からはうかがい知れないカーテンの奥で、孤立して行き詰まる被災者がいる。 南三陸町民が暮らす別の仮設住宅では、独り暮らしの50代の男性が引きこもりがちになり、半年ほど前から姿をあまり見せない。 「みんな心配しているから、たまには顔出してくれ」。顔見知りがドア越しに声をかけるが、返事がなかなかない。玄関先にはかかとを踏んだ靴が一足。震災で職を失ったという。 仮設住宅でのイベントやお茶飲みにも参加しない。支援物資の配布が減り、外へ出る機会が減った。 「部屋に鍵がかかっていて、ノックしても応答がなくて…」。仮設住宅を巡回する支援員も自治会長に相談する。 「義援金が続くわけはないし、一体どう生活をしているのか…。先行きが見えず、働く意欲がなくなったんだろうか」。自治会長の顔が曇る。
南三陸町は現在、支援員約100人の態勢で、仮設住宅での訪問活動にあたる。 町保健福祉課の本間照雄福祉アドバイザーは、孤立しがちな住民への対応に心を砕く。 「SOSを出してもらえるような関係を築くため、粘り強く回るしかない。『常に気に掛けていますよ』とのメッセージをとにかく伝えるよう努めている」。応答がなければ手紙を入れ、時間をかけ接触を試みる。 元支援員の男性は「1カ月間ひたすらドアをノックし続け、ほんの少し開けてもらえたこともある」と言う。 引きこもりがちな男性を心配する仮設住宅の自治会長は、退去が本格化する2〜3年後を不安視する。 「独り暮らしや自宅の再建が難しい人は、仮設を出られず、取り残されてしまうのではないか。孤立を深めかねない。本当に大変なのは、今からなんだよ」 ◇ 東日本大震災から間もなく2年。被災地などでは29万人以上が今も、プレハブ造りや借り上げ型の仮設住宅で、制約の多い暮らしを強いられている。悩み、不安を抱えながらも、生活再建を見据える。住民同士の交流や、見守り活動が被災者を支える。仮設の暮らしを見つめた。(震災取材班)
2013年03月03日日曜日
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