2013年3月5日号。<『たかじんのそこまで言って委員会』辞めます>。
2時半起床。丁寧に、もとい、いつもよりより丁寧に(笑)この日記を書きたいので。モノ書きになってよかったと思うのはこういう瞬間だなあ。眠っている間から、どう書いてやろうかとウズウズしていて、結局起き上がってしまう。
『たかじんのそこまで言って委員会』辞めます。
辞めるというこちらが主語で書いたのは「今週の金曜日の収録を最後に」と言われたので「出ません」と私から断ったからだ。
事実は、クビだと言われたわけである。
昨日の『ザ・ボイス』の現場に吉本興業の幹部が来ていたので「あれ?」と思った。吉本は私の窓口だが、現場はすべてマネジャーのT-1君が仕切っている。そのT-1君には軽井沢の拙宅の鍵を渡して、もう一泊家族で泊まってスキーをしておいで、と言ってある。ラジオの現場も来なくていいよ、と。
いわば側近中の側近がいない時に、吉本からヒトが来たわけだ。でもって「『委員会』は今回の収録で最後ということで」だと。ハナシというのは、そういう「会社どうし」でつくんですねえ。さすがはお互いに大企業である。お世話になっている吉本が悪いと言っているのではない。私がずっと観察してきたモノがここにもあるというだけだ。
理由については「あれだろうな」というものはもちろんある。しかし私からは書かない。この日記が今から世間に出たときに、どんな人がどう言って来るのか、それを巣穴の中からじっと眺め、さらにはカネにかえてしまうのがコラムニストというひねくれた仕事をしている人間の愉しみだからだ。
私がクビを言い渡された直後に『TVタックル』がオンエアされ、御存知のようにTPPがテーマで西田昌司さんなどの論客の奮闘ぶりがなかなか好評だったようだ。そのTPPで、私が「そこまで言って委員会?ダメでしょう」と言ったのがクビになった大きな理由につながっている(内緒・笑)のはまことに面白い。
週末に大阪に行く機会も減るので『TVタックル』に出ることは増えるかも知れない。皮肉なものだ。東京回帰は口惜しいなあ。
何よりも私はやしきたかじんさんに対して申し訳が立たないと思っている。たかじんさんの留守を、これは本当に必死に守ってきたつもりだった。慣れない司会も恥をかきつつやった。その間には、三宅久之さんのご逝去ということもあった。三宅翁さんに対してもどのツラさげてあの世で会うか、である。「あとは頼みましたよ」と私は何度も言われていた。頼まれたつもりだったが、キャスティングは私ができるわけではない。三宅先生、「このポンスケ!」と叱ってください。
たとえばたかじんさんに面と向かって「おまえ、もう辞めるか?」と言われたならば「はい」と喜んで答えただろう。しかしマネジャーのT-1君ですらなく「こちらで話がつきましたので」と突然あらわれた吉本の幹部に言われた瞬間に「ああ、そんなもんだったんだな」と笑ってしまった。
どこが「そんなもんだった」のかはわからない。スタッフがまことに真剣に作っているのは私はいちばん良く知っている。さまざまな圧力に対して読売テレビが抗してきたいくつもの事例もわかる。
でもなあ。そうなんだなあ。この国の病弊は恐ろしいほど深いと言っていい。久しぶりに、自分がまだよく生きていると思った。わははははは。
まことにリアリティのある話をするならば『あさパラ!』がどうなるかですね。読売テレビ的には『委員会』というお化け番組があるので飛行機代ホテル代もまあ出るのである。番組どうしでどうやって負担しあっているのかわからないけど。木曜日の夜に大阪に入り、土曜日の朝までやって帰ることがひとつのうまい循環になっていた。60分の番組のためにわざわざ私を呼ぶかなあ。これもなくなると関西との縁はきっぱりと切れる。
それはそれで…いやいや『あさパラ!』は続けたいですよ。このスタッフが私は大好きだし何よりリンゴさんたちとのギリギリのやりとりがいい。ある意味では収録の『委員会』よりもこちらの方がスリリングなのである。だが『あさパラ!』もなくなっても、私は毎週、関西に帰ろうと思っている。ベースをむこうに変えたいほどで、軽井沢という重い荷物…おっと、いえいえ(泣)がなければ、そうしているだろうなあ。
歳をとると、やはりふるさとが懐かしくなるものである。老父を思えばますます。
ベースを移すかどうかは別にして、ちょっと考える。そういうまことにいい機会を『委員会』のクビは与えてくれた。
とここまで書いたところで吉本の幹部の方からメール。配信前に間に合うかと思われたのかなあ。でも今朝は早起きなんですよ。冒頭に書いたように、生存本能によって。
<そこで改めてお願いですがメルマガでの委員会並びによみうりテレビへの対立の発言はお控えなさっていただけますようお願いしたいです。>
ごめんね。引用はここだけにしておくからその「政治的配慮」をちゃんとわかっていただきたい。あとはもっと生々しいからね。
そもそも私がここで送っているのはメルマガじゃないし。「有料配信メール」である。えっ?吉本、わかっていなかったのかあ。その法的な違いは大きいのですよ。私は不特定多数に送っているわけではない。契約して下さった、あなたや、あなたに私信としてお送りしているのである。しかし「大人の世界」ではいったい何があったのだろうなあ。
幸いにして私はこういう「有料配信メール」というメディアを個人で所有する幸せを、卓越したスタッフのおかげで持つことができ、番組をクビになろうが連載を打ち切られようが「そうかなあ」である。そういう意味で大マスコミから排除された履歴を羅列すると、私はギネスブックものではないか。
『私はこうして大マスコミをクビになりました』とすべての物語を書くだけで一冊になりますよ。『ムーブ!』なんて最高だなあ。役者が揃っているからなあ。『ムーブ!』潰しただけで朝日放送は私にそのあとで著作や講演でどれほど稼がせてくれていることだろう。『委員会』も今後愉しみである。
本にするなら、もちろん圧力をかけてきた社名入り。武富士だろ、東電だろ…と書いていると、ほとんどがそのあとヘタ打っているんですね。企業として存続していないものも多い。しかし私はこうやってまだまだなんとかご飯を食べている。
ごめんごめん。吉本の方々に心配させてはいけない。今メールを頂戴するまでは私は自由気ままに書いてきたわけだが<委員会並びによみうりテレビへの対立の発言>はしていないですよね。私は委員会のスタッフにも読売テレビに対しても、いささかも含むことはない。むしろここまでよく使っていただけたと敬意を表したい。
今日のこの日記、ただ私の身の上に起きたことを淡々と叙述しているだけでしょ?あなたや、あなたが証人になってくださりますよね。きっとこの日記が配信されたあと、いろいろと騒ぎになるだろうけど、あなたや、あなたこそ「一次情報」の保有者なので、大マスコミが接触して来れば、どんどんインタビューに答えてください(笑)。何しろ私本人からのこうした声を受け止めて下さっているのだから。それより何より、長年に渡ってこれを読んで下さっているならば、私が『委員会』にどれほどの愛情を注いできたかがおわかりだろうと思う。
それも込みの、あなたや、あなたの思いに私は気持ちを託したい。そのあたりのバッタもんの「街の声」とはモノが違うのだから、聞きに来いと言いたいね。
とはいえ。
今の『委員会』の私を否定されたということは過去の言説もすべて私としては引き上げるのが、視聴者などに対する誠実さというものだろう。VTRの使用にしてもすべてそれは「『委員会』を信用している私としての言説」である。それをあちらから否定された以上は、使ってもらっては困る。このあたりの権利関係がどうなるのかは、吉本が検討してくれてなくてはいけないが。肖像権を本人が否定した場合どうなるのだろうか。
『委員会』というのは出演者にとってはまことに負担の多い番組だった。だから面白くなるので、私はそれが素晴らしいと思っていたのだが。30分の休息の間にもVTRを回される。それはウェブで使われるのだ。先日、尖閣に行ったようにDVDにされることも多い。それらについても私は同様に考えるので、自分の映像は使っていただきたくない。ずいぶんと面倒くさい作業が今後、ありそうだ。
先日ここでも書いたかなあ。「たぬき会議」(爆笑)というものがあった。ニッポン放送の近くのいきつけのガード横の居酒屋「たぬき」で文藝春秋のわが優秀なる文藝系の後輩たちや『天国のいちばん底』をいまだにボランティアで担当してくれている毎日新聞のKさんなどと「今後の私」について論議したのである。でもって、結論は「マジメに小説を書く」。いえいえ、私がその落としどころに誘導したのだが。
半世紀以上生きていて振り返って思うのは、モノゴトというのは奇妙に、起きる時は続けて起きる。それが必然であるかどうかと考えるのは、気持ちの持ち方だ。アタマがおかしい、いやきっとおかしい私としては必ず「天がそう命じていたなあ。いやあ、私はたいしたモノだ」と考えるようにできている。
かなりな負担であった『委員会』がなくなったことで出来た時間を、私はカネではなく文章にかえていきたい。もしくはまだまだ、今後の文章につながる体験だな。また「旅の時代」が始まってもいいと思う。
私はケチなのだが番組の経費で自分のふるさとに帰ってそれをさまざまに使っていたのは卑しいと改めて感じた。愛する郷土であれば、自分のサイフで帰ればいい。すると発想もまた違ってくるだろう。
というわけで、ぽっかりと、今年予期していなかった時間が出来ました。これをぜひ、あなたや、あなたにも使っていただきたい。『血気酒会』もどんどんやりたいし、地方の局への出演や、講演会、オフ会なども増えるだろう。これまで「『たかじんでそこまで言って委員会』でおなじみの、と必ず司会者が言って下さっていたが、それをちょっと組み換えなきゃな。「『たかじんのそこまで言って委員会』すらクビになった」だな。そんな看板ではなく、私そのものに会いたいという場を…といいつつ、看板がなくなった上での営業にはT-1君は多少苦労するかも知れない。声をかけてあげてください。
まもなく紙幅が尽きるわけだが、今日は私の個人の話で終始して申し訳なかったと思う。しかしその向こうにはこの国のくろぐろとした世界が広がっている。直接的にそれを書いても面白くないし、自分が把握しているものが事実なのかどうなのか自信がない。北朝鮮やイラクについてはかなり思い切ったことを書く私でも、自分については責任が伴うのでそうとはできないのである。
ただし。私はまたひとつ自由を得た。この瞬間の感動は得難いものである。多くのひとはそれを知らないのだ。私は人生で何度も「本当の意味のリセット」をやってきた。周囲は驚愕するのだが本人は至福なのである。『委員会』を辞めるというのはリセットというのもくだらないほどの小ささだが、得る時間は大きい。何がそこでできるのか、まことに愉しみで、もう今からワクワクしている。
せっかくの出会いなので、あなたや、あなたと出来ることを考えたい。『委員会』の「時給」の安さを考えれば、何をしてもおそらく今よりはT-1君たちを食わせていける。何か面白いこと、それぞれの地域で考えましょうよ。私の金曜日は、あいている。