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【社説】

平和的に台頭してこそ  習指導部の中国 

 中国が民族の偉大な復興に燃えている。周辺諸国はその真意を測りかね、再び脅威を感じ始めている。平和的な台頭こそが目指すべき道ではないか。

 開幕した全国人民代表大会(全人代)で、中国共産党の習近平総書記が、胡錦濤前総書記の国家主席の地位も受け継ぎ、名実ともに中国トップの座に就く。

 平和的台頭の考えは、胡政権の初期に打ち出され、ほどなく消えていった国家戦略である。

 スタートする習指導部に、今こそ思い返してほしい平和台頭論をまず、ふりかえってみよう。

対外戦略が白紙に戻る

 これは中国語では「和平崛起(くっき)」と呼ばれた。胡氏の有力な政策ブレーンであった鄭必堅氏が二〇〇三年、海南島で開かれたフォーラムで初めて提唱した。

 ひと言で言えば、経済発展には安定した周辺環境が必要で、中国は台頭しても国際秩序の脅威にはならない、という国家戦略だ。

 鄭氏は戦争の近代史を振り返り、その原因について「新興国が侵略戦争を発動し、対外拡張の道を歩んだ」と指摘した。第一次、二次大戦の分析に基づく、冷静で地に足がついた戦略であったと評価できる。

 その後、温家宝首相や胡前総書記らも演説や講演で、平和台頭論にお墨付きを与えた。

 だが、台湾問題や日中の海洋資源をめぐる対立などにマイナス影響があるとの意見が軍を中心に強まり、新戦略は白紙に戻った。

 軍の強硬論にくみした江沢民元総書記と胡前総書記の路線対立もあったという。この戦略で、中国が北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議を主導するなどの成果もあっただけに、新戦略の消滅はアジアの平和にも痛手であった。

中国脅威論は「心外」か

 それに代わり、大気汚染に煙る北京で今、熱狂的に語られるのが「中華民族の復興」である。

 習氏は昨年秋、中国トップ6を率いて国家博物館を視察。「近代以降の中国にとって最大の夢は、中華民族の偉大な復興と考える」と演説した。

 見学した展示こそ、アヘン戦争をきっかけに、東亜病夫(東洋の病人)とまで言われた十九世紀半ば以降の屈辱の歴史であった。

 だからこそ、新たな指導者が語る民族復興とは、歴史と伝統を持つ中華の大国への回帰と読み解くべきなのであろう。

 世界最大の発展途上国を自任しながらも、中国には新たに台頭する新興国などではないという意識が強烈である。

 帝国主義に一時屈辱を強いられたものの、大国への回帰の努力を脅威などと批判されるのは心外であるというのが、中華民族の復興に込めた思いであろう。だが、誇りと屈辱が入り交じった思いを、諸外国は理解するにしても、納得はしないだろう。

 中華復興意識の兆しは〇八年の北京五輪でも見られた。開会式の華やかなショーは、火薬、印刷技術、紙、羅針盤の世界四大発明は中華民族のものという中華意識の発揚であった。

 世界第二位の経済大国になった自信もあり、今や平和的台頭という抑制的な戦略でなく、中華意識を前面に押し出した対外戦略にカジを切ったのなら不安である。

 中国の国防予算を見ても、二十五年連続で二桁の伸びを示し、六年前の二倍となった。再び中国脅威論が巻き起こるような事態を、慎重に避けてほしい。

 全人代の政府活動報告で、温首相は「強大な軍隊を打ち立て、国家の主権、安全、領土を断固として守る」と訴えた。一時間四十分を超える演説で、ひときわ大きく、長く、拍手が鳴り響いた。

 国家主権を守る備えをすることはどの国にとっても当然のことである。だが、大国にふさわしく、周辺国が脅威と感じないようなふるまいが求められる。

 領土問題をめぐり、日本や東南アジアなど周辺国とのあつれきを高めるような行為は慎むべきである。まして軍幹部が会議などで軽々しく戦争を口にするのは論外であろう。

抑制的だった温演説

 民族の復興を強調しすぎることは、過度にナショナリズムをあおる危険もある。もしも対外的なナショナリズムの高揚で、汚職腐敗や格差など深刻な国内問題から国民の目をそらそうという狙いが潜んでいるのなら、誤りである。

 ただ、温首相の政府活動報告は、党大会以降の習総書記の言動と比べれば、総じて抑制的であった。「国家の海洋権益を守る」と訴えたが、それ以上の発言には踏み込まなかった。

 引退する温首相は「平和的発展」とクギをさした。習氏にはあらためて胡・温時代の平和台頭論を胸に刻んで、大国を率いてほしい。

 

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