二 キャラクターの魅力

1.遠山静子−博愛主義のヒロイン

    静子夫人のわからなさ

 筆者の畏友であるK氏は、「「花と蛇」で一番良くわからないのは、あの静子夫人が実に変な人だということ」と言う。
 実際、静子夫人はよくわからない性格の人であるが、このわからないところが実は本作品を支える魅力であったりする。
 静子夫人がわからないキャラクターである具体的な点は以下の通りである。

(1)そもそも彼女はどういう経歴の持ち主か?

 静子夫人は26才、遠山隆義の妻であることはわかっているが、遠山と結婚するまでの経歴が今一つ不明である。
 夫人は英・仏2カ国語を完全にマスターしており、フランスには留学したこともある。小唄、日本舞踊などは名取りの腕前であり、生け花や書道の素養もあ る。少なくともかなりの良家の子女として育てられた大変なスーパーレディーであることは間違いない。
 ところが、作品中では静子夫人の旧姓や実家のことについてはまったく触れられていないのである。
 作品の冒頭で、探偵の山崎が静子夫人の義兄の友人であることが述べられているから、静子夫人にも確かに係累はいるようである。
 しかし静子夫人が誘拐された後、必死で探すのは夫の遠山および、その意を受けた山崎探偵だけであり、彼女の実家なり親族なりが静子夫人を捜索している模 様はない。
 また、作品中で静子夫人は女中の千代によって遠山と離婚させられており、この時点で彼女は遠山の姓も無くし、「夫人」でも無くなったはずだが、その後も 依然として彼女は静子夫人と呼ばれ続ける。
 これは、責め手側が夫人としての昔の身分をことさらに意識させることにより、彼女に屈辱感を与えているのだとも言えるが、静子夫人という存在のそもそも の曖昧さによるものだとも考えられる。
 千代が夫人に対して投げつける、「お前にはもう帰る家はないのよ」といった言葉の責めも、読者には自然に受け入れられる。なに、立派な実家があるのだか らそこへ帰れば良いではないかといった野暮な疑問は生じない。読者には遠山と離婚したら彼女はどこの家の静子になるのかという情報が与えられていないの だ。
 彼女は離婚させられた時点で「人妻」というアイデンティティを失ったはずなのだが、読者にそれも気づかせない。ここで結婚までの経歴が良くわからない静 子夫人の存在の曖昧さが生きてくるのである。

(2)彼女は誰を愛しているのか?

 静子夫人はその存在そのものだけでなく、性格的にも実に不思議な女性である。
 それというのも彼女の愛情の対象がどこにあるのかが良く分からないのだ。
 そもそも彼女は夫の遠山を愛しているのだろうか?
 作品中で、遠山のことを気遣った発言はいくつかあるのだが、どうも彼に対して男と女としての愛情を心から抱いているとは思えない。そこには愛する夫と引 き離されたという悲しみはなく、まるで娘が老いた父親のことを心配しているようである。
 大体、静子夫人がどうして遠山のような自分の父親程も年齢が違う男と結婚したのか、そこも良く分からない。財産目当てとも思えないのだが。
 また、作品中で静子夫人が川田や田代など、他の男に身を任せるときも、一応「桂子や京子、美津子といった他の捕らわれの女性を守るため」という理由付け はされているものの、遠山に対する貞操を守るため必死で抵抗するということはあまりないようだ。
 それに、そもそも静子夫人が男に身を任せようが任せまいが他の美女達もいずれ森田組の毒牙にかかる運命であることは彼女にも分かっているのだ。

 静子夫人は責め手に強制されて、他の美女達と同性愛の関係に陥る。
 その場合でも、静子夫人は相手の女性に対してあまり深い執着を見せない。京子とコンビを組まされたときは、彼女に対して同性愛の関係を求めて言い寄る銀 子に対し「京子と離れられない仲になった」と言って拒絶するのだが、コンビが解消された後は、京子のことはほとんど思い出す風でもない。
 また、小夜子とも同じような同性愛の関係に陥ったときは、彼女が静子の踊りの弟子だったこともあり、京子との場合よりは幾分執着が深かったようだが、小 夜子の静子に対する想いに比べると、ずっと淡泊である。

 いわば彼女は博愛主義者なのである。彼女の愛情は時には彼女にとって憎い存在であるはずの責め手に対しても向けられる。責め手た ちとからみあう静子夫人がささやく愛の言葉は、時にまるで彼女の真情から出ているかのようである。
 以上のように静子夫人の愛情は一見拡散しているように見えるが、実はこれが本作品が読者をとらえて離さない魅力の一つなのである。

 彼女の愛情は他の誰でもない読者に対して向けられているのだ。読者が田代屋敷の住人に乗り移って静子夫人を愛し、その幻想の中で 相思相愛の関係になるためには、彼女の愛情の対象が一点に集中されていたのでは困るのである。
  その意味では静子夫人は聖母とでもいうべきで、いわば宗教的存在に近い。彼女の性格のわけのわからなさもそう考えれば納得できる。宗教的存在なら奥が深 く、なかなか理解が困難なのは当然なのである。
 

2.野島京子 − 屈服しない鉄火娘

    強力なキャラクターがファンを引き付ける

 京子のフルネームは野島京子である。

 これは作品中にはっきり書かれているものの、京子の姓に関する記述がみられるのは一箇所だけであり、つい、見落としがちである。 またその後、作者の団氏ですら京子の姓を忘れてしまったかのようである。
 これには理由がある。というのは登場する美女たちのうち、京子・美津子姉妹のみがいわゆる名家の出身ではないからである。
 他の美女達、例えば静子は「遠山財閥夫人」、小夜子は「村瀬宝石店令嬢」、珠江は「折原医学博士夫人」というように、家あるいは家を象徴する社会的名士 たる夫や父親という存在によって性格づけられているが、京子・美津子姉妹の場合、彼女達が「野島」という姓を持つことは、キャラクターとしての属性にはほ とんど影響がない。
 従って、彼女達姉妹には「名門の出」に対抗しうる強い性格づけが必要となってくるわけだが、京子の場合はこれが「空手二段の鉄火娘」であり、美津子の場 合は「清純な女学生」であるのは言うまでもない。
 探偵事務所助手で空手二段という強烈なキャラクターを持つ京子は、それだけでも物語の主役を張る資格は十分である。京子は「花と蛇」の物語開幕後間もな く、静子夫人救出のために大活躍し、奮戦空しく森田組に捕らえられるのだが、「花と蛇」ファンの中にはこの京子の登場から前編の終了までを作品中の白眉に あたるとする人達が多い。
 一昔前の大衆小説は勧善懲悪が当たり前であったし、また今考えると若干信じ難いことだが、これはSM小説の世界でもおおむね変らぬ常識であった。奇クの ライバル誌であった「裏窓」の小説などを見ても、最後には悪は滅び、ヒロインは危機一髪で救出されるというケースが多かったのである。
 「花と蛇」は一見、正統派の大衆小説の体裁をとっており、また、作者の団氏も大衆小説の手慣れた書き手だったため、連載当時は京子が登場した時点で、静 子夫人救出による結末を予感した奇ク読者も多かった筈である。
 しかし団氏は見事にそれを裏切ってしまう。静子夫人を救出する筈だった京子は、捕えられた上で丸裸にむかれ、森田組・葉桜団の卑劣な男女が見守る前でな んと立小便を強制されるという、勝ち気な彼女にとっては最も辛く恥ずかしい責めを受ける。
 勧善懲悪的な筋立てに慣れた当時の読者にとって、正義の味方が醜悪な姿を晒しつつ敗北していくというのは、大変なショックであったに違いない。筆者も初 めて「花と蛇」を読んだときには、この様な展開があって良いのかと、非常な衝撃を受けたものである。
 登場時の印象の鮮烈さもあって、京子のこの「鉄火娘」というキャラクターは非常にうけた。奇ク誌上でも主人公である静子ファンにも劣らず目につくのは京 子ファンの読者の声である。作者である団氏も京子に関しては静子夫人に次ぐ副主人公としての位置づけをしているようである。
 

    京子の後継者たち

 京子のキャラクターは、その後「新妻地獄」の雅子(柔道の名人)、「肉体の賭け」の久美子(空手二段かつ柔道二段)という現代小 説の魅力的なサブヒロインや、団氏の得意分野の一つになる女侠もののヒロイン、「緋ぢりめん博徒(白狐のお藤)」のお藤や、「お柳情炎」のお柳、「縄と肌 (暗闇博徒)」のお駒などに受け継がれていく。
 特に「緋ぢりめん博徒」は、「花と蛇」の京子が好評を博したのを受けて、京子タイプの女主人公を藤純子主演の東映任侠映画の設定に移して、団氏が当時新 興の「SMファン」に連載を開始した小説である。
 また、これも団氏の作品の代表分野となる「仇討ちもの」のヒロイン造型にも、京子の影がはっきり見られる(「無惨花物語」のお蘭、「鬼ゆり峠」の浪路、 「修羅の花道」の志乃など)。
 「花と蛇」のメインテーマが静子夫人の持つ「女の美しさ」の破壊への挑戦の連続、つまり悪人達が彼女の美を破壊しようとすればするほど、その美は浄化さ れていくことだとするなら、そのサブテーマは京子の持つ「女の強さ」を屈服させるための挑戦の連続だといえるだろう。
 その京子も終盤、愛する妹の美津子と同性愛のコンビを組まされることによって、完全な敗北を遂げたかに見える。
 しかし、京子は本当に屈服したのだろうか? 美津子とのコンビ成立後、本作品には京子の描写は見られなくなったが、彼女のゆく末を最後まで見届けたいと 願っているのは筆者だけではあるまい。
 

3.野島美津子 − 挑発するセーラー服

 京子の妹、美津子はいわゆる「制服の処女」である。
 これは官能小説の定番ともいえる類型的なキャラクターであり、この手のキャラクターを作品に登場させるときは、どの様な手順で、どの様に趣向を凝らして 処女を喪失させるかというのが作品の見せ場の一つとなる。
 通常の官能小説では、徐々に徐々に少女の官能を開発していき、クライマックスとしての処女喪失シーンに持っていくところである。しかし作者の団氏は本作 品の中で美津子の処女は「恋人の文夫に捧げる」という形でいともあっさり散らされており、喪失シーンの描写はいっさいない。
 これは、別項でも触れるように、当時の社会情勢下の表現上の制約のためでもあったが、団氏も美津子の処女性そのものについてはたいして重きをおいていな かったようである。
 そもそも処女は美津子だけではない。小夜子も、美沙江も、また京子ですら処女だったのである(但し太田出版版「花と蛇」では、京子はどうも非処女という 設定に変更されているようである)。
 つまり誘拐された時点で不良化していた桂子を除いて、人妻以外の良家の子女はすべて処女というのが常識だったのである。
 そのかわりといってはなんだが、美津子は誘拐されるや否や全裸にされ、いきなり姉の京子と一緒に浣腸、強制排泄という過酷な責めを受ける。
 その後も処女の身のまま、やくざの吉沢や、葉桜団達の手で激しい調教の洗礼を受けた美津子は、耐えられず単独で逃亡をはかる。しかし、それが原因で田代 屋敷におびきよせられた恋人の文夫の前でなぶられると、その後は時には責め手の前で開き直ったかのような大胆さを見せるようになる。
 団氏は美津子の処女喪失の場面にはあまり重きを置いていなかったようだが、女となった美津子が、様々な責めを受ける内に、正に蕾が花開くように変貌して 行く過程をじっくりと描写していく。
  奇ク連載中、美津子は京子とともに、静子夫人に次いで人気のあったキャラクターである。奇クにはときに、「花と蛇」は登場人物が多すぎて描写が散漫にな り、ストーリーが一向に進まないため、登場人物を整理せよとの意見が度々寄せらた。最も多かったのは珠江・美沙江を削除せよとの意見であり、次いで桂子、 小夜子が槍玉に上がったが、美津子を退場させよという意見はほとんどなかった。
 美津子も姉の京子とのコンビ成立後は作品から姿を消している。しかし、その後、彼女達姉妹は団氏自身が「「花と蛇」の時代劇版」といった「無惨花物語 (乱菊草紙)」の主人公である、お蘭・雪路姉妹の原型となって、濃厚な近親レズビアンプレイを披露してくれている。
 

4.村瀬小夜子 − 静子の「妹」としての運命

 村瀬宝石店の令嬢、小夜子は「ミス宝石」かつピアノを弾かせればコンクールで優勝という才色兼備を絵で描いて額に入れたような女 性である。
 おまけにあの部分は「巾着」という名器。これは静子夫人に匹敵する強力なキャラクターであろう(ちなみに静子夫人は「蛸」だそうだが、筆者は残念ながら そのいずれにも遭遇したことがない)。
 しかし、キャラクター造型があまりに静子夫人に似ているのが災いしたか、やや印象が薄いのは否めない。奇ク読者の間でも「小夜子は静子夫人のコピー」と いう声があるし、極端なものでは、ストーリーをすっきりさせるために整理してしまえという声もあった。
 しかし、筆者にとっては小夜子はわりと好きなキャラクターである。少なくとも静子夫人よりは好きである。
 小夜子は可憐な令嬢と、妖艶な美女という二つの面を持っている。衆人環視の前で排尿を強いられるときの少女のような羞じらい、責められ絶頂に追い上げら れるときの色っぽさはなかなか捨てがたい。
 小夜子は静子夫人を舞踊の師として姉のように慕っており、責め手に強制されて静子夫人とレズプレイを演じるときも、苦痛というよりは、静子夫人への想い がかなえられたという悦びの方が目につく。
 ところで小夜子にはその存在感を主張するための秘密兵器があった。
 それは何かというと、弟の文夫との「近親相姦」である。物語の中で、S側から何度かそれを暗示させるセリフはあった。例えば、小夜子に対して、「言うこ とを聞かないと文夫とコンビを組ませると脅す」といったものである。
 しかしながら、さすがに当時の表現上の規制もあってセックスそのものの描写はなかったが、それの代償として、小夜子と文夫が向かい合わせで責められ、お 互いの名を呼びながら同時に昇りつめていく場面があった。
 当時の奇ク読者は純情だったのか、小夜子と文夫の近親相姦については否定的な意見が多かった。作者の団氏も「鬼六談義」の中で、問題の描写について近親 相姦を暗示したものではないと弁明しているが、やはり今読んでもこれは擬似的な近親相姦描写以外の何ものでもない。

 小夜子と文夫は「姉弟でいわゆるポルノショーのコンビを組む」ことがあっさり決定された後、物語から姿を消す。団氏にとって小夜 子・文夫姉弟の近親相姦は、書き残した物語の一つであろう。その後、「SMセレクト」誌上で連載された時代物SMの最高傑作「鬼ゆり峠」で、団氏は波路・ 菊之助の姉弟に、濃厚な相姦行為を演じさせる。
 

5.遠山桂子 − 可哀想な継娘

 桂子は遠山隆義と前妻の間に出来た娘で、静子にとっては義理の娘にあたる。
 母親を早くなくしたせいか不良化し、財閥の一人娘でありながら葉桜団なるズベ公グループの首領になる。ところが団の掟にそむき男と関係を持ったため、銀 子達に団長の座を追われ、団員達から私刑を受けることとなる。
 銀子達は更に一計をめぐらせ、桂子を誘拐したことにして、遠山家に身代金を要求する。
 遠山財閥令嬢桂子誘拐事件が、この長い物語のそもそもの発端であり、その意味では桂子はストーリー面では極めて重要な存在である。普通の物語であれば、 その後は桂子がどうやって救出されるのかを中心に展開されるだろう。
 ところが、この物語では、桂子の誘拐というのは単なる導入部であり、本命である静子夫人を登場させるためのきっかけにすぎない。その証拠に、静子や京 子、美津子の場合と違って、桂子単独に対する責めの場面はほとんどなく、あっても描写が極めておざなりである。静子夫人登場後は、桂子は夫人への責めを円 滑に進めるための「人質」として使われるが、夫人が徐々にマゾ性に目覚め、また小夜子、美沙江などの夫人にとっての新たな人質が登場するにつれて、桂子の 出番も徐々に少なくなっていく。
 読者の側も、「桂子は「花と蛇」のいわゆる美女達にあたらない」とか、「物語の展開を円滑にするため、桂子を整理せよ」等、随分冷たい意見が目立つ。奇 譯クラブの読者の欄を通して見ても、桂子のファンだという人は殆ど見当たらない。
 筆者は、桂子はなかなか陰影があって面白いキャラクターだと思う。遠山静子の義理の娘としての屈折した感情、恐らくは両親の愛情に飢えていたことが原因 のややひねくれたところなど、使いようによっては大いにストーリーを盛り上げることの出来る登場人物である
 確かに桂子を他の美女達と同列に扱うにはややM女としての魅力にかける面がある。物語の後半で、団氏は桂子と美津子を、文夫を巡って争わせたり、白痴男 の捨太郎と実演のコンビを組んだ義母の静子に対して侮蔑的な言葉を吐かせたりしているが、これをもう一進めて、いっそ桂子をS側にしてしまってもよかった のではないか。
「SMキング版花と蛇」の物語の終盤、各登場人物の運命が暗示される場面がある。それによると桂子は今後、美沙江とコンビを組まされるということになって いるが、その後アブハンターに掲載された「完結編」では、美沙江は、華道の家元とその後援者の関係である珠江とレズビアンのコンビを組まされることとなっ たため、桂子の立場は浮いてくる。
 もし団氏が「花と蛇」の続編を書く機会があるのなら、是非桂子をSの女王様として、義母の静子や、自分を救出に来て捕らえられた京子、恋敵の美津子、恋 人の文夫の姉である小夜子等を責めまくるシーンをお願いしたいものである。
 余談になるが、桂子が活躍する数少ないシーンに、作中、劇中劇の形式で描かれる時代劇がある。川田の筆になる実演ショーの台本という形だが、桂子が仇を ねらう男装の武家娘に扮して主役を演じている。これは、後の「雲助日記(SMキング連載)」や「無惨花物語」の原型になる興味深い箇所である。
 

6.折原珠江・千原美沙江 − マンネリ回避の切り札だが

 昭和37年に連載が開始された「花と蛇」だが、連載7年目の昭和43年頃になるとさすがに、少々マンネリではないかという声が出 始めてきた。
 ところが依然として人気は高く、「花と蛇」が載っているから奇クを買っていると言ってはばからない読者が非常に多い。
 そこで、作品に再び新鮮さを蘇らせるために登場したキャラクターが、千原流華道の家元後継者、千原美沙江とその後援会長である大学教授夫人の折原珠江で ある。
 作品のタイトルである「花と蛇」の「花」は、田代屋敷で責め苦にあえぐ美女達を象徴しているのはご承知の通りだが、華道の家元と言う存在は、象徴的存在 である「花」のまさに具現化であり、美沙江は本来この作品の主人公の座が与えられても不思議ではないキャラクターといえよう。
 しかし、登場時期がやや遅すぎたことから、奇ク連載時でにおいては珠江・美沙江に対する描写が十分なされなかった嫌いがある。
 珠江の場合は、静子夫人とどういう差を出すかということで団氏は随分苦労している節がある。氏が「鬼六談義」で書いているように、珠江はその名の通り女 優の新珠三千代がモデルらしいが、別の機会に団氏は静子夫人もやはり、新珠三千代(または山本富士子)がモデルだということを告白している。
 珠江夫人を登場させたころは団氏の頭の中では、イメージとしては静子夫人と殆ど差がなかったのではないか。
 奇クの読者には珠江・美沙江の2人は、「新人登場は不成功」(昭和45年3月号 大西弘明氏「奇ク誌惑溺の記」)、「被害者桂子、小夜子、珠江、美沙江 等余り人気のない? 人物を抹消してしまったらいかが」(昭和45年9月号 忍頂寺譲氏「小説『花と蛇』を中心として」)、「新登場の2人については全く 興味を感じていないのは確か」(昭和46年1月号 前原昇氏「京子ファンの『花と蛇』への不満」)など、押しなべて不評である。
 団氏も奇ク連載時の珠江・美沙江の扱いが中途半端であったせいか、S&Mアブハンター昭和49年8月号から翌7月号まで12回にわたって連載された「完 結篇 花と蛇」では、登場する美女を静子、珠江、美沙江の三名に絞ってストーリーが展開されている。
 珠江・美沙江のコンビは、昭和48年1月から「SMキング」(鬼プロ出版部発行・大洋図書発売)に連載された、団氏の代表作の一つである「夕顔夫人」の ヒロイン、島原夢路・由利子姉妹の原型になっている。
 「夕顔夫人」は、「SMキング」が鬼プロの手から離れた時点で中断され、後に「SMフロンティア」(三和出版)に引き継がれた。同誌に掲載された「地獄 花(続・夕顔夫人)」において夢路・由利子の姉妹がゲイボーイの光雄達により浣腸および肛門拡張の責めを受ける場面は、「花と蛇」の終盤の珠江、美沙江に 対する肛門責めのシーンと殆ど同じである。
 

7.村瀬文夫 − 美少年奴隷の原型

 村瀬文夫は姉の小夜子と2人姉弟のようである。つまり村瀬宝石店の跡取り息子らしい。某大学の付属高校三年ということだが、慶応 か成城あたりだろうか。育ちが良いせいか誘拐されてもそれほど大暴れして抵抗するといったことはないようだ。
 文夫は美女揃いの奴隷達の中にあって、唯一の男奴隷である。17才から18才という、男としては最も精力旺盛な年齢であるから、いろんな相手とからませ ることが出来そうだが、物語中ではもっぱら恋人の美津子とコンビを組み、後半になってコンビを解消させられ、桂子と組んだだけである(もっとも、太田出版 の新版では静子とアナルセックスをするシーンがある。また物語の終盤で文夫は、姉の小夜子と近親相姦の関係を結ぶことが暗示される)。
 文夫との組み合わせで実現しそうでしなかったのは、美津子の姉である京子とのからみである。文夫は誘拐当時、美津子のパンティをはかされ、京子のパン ティで猿轡をされるというフェティッシュな場面がある。文夫が恋人の姉のセクシャルな部分に触れた唯一のシーンである。京子と文夫を絡ませると必然的に京 子と美津子の姉妹の間に複雑な感情が芽生えることになるため、団氏はストーリーが錯綜するのを嫌ったのかもしれない。
 この京子、美津子、文夫三者の関係は時代劇版「花と蛇」である「無残花物語」に受け継がれることになる。ここでは姉のお蘭(剣の達人で人妻。静子夫人と 京子の中間的キャラという印象を受ける)は、妹の雪路の恋人である清二郎と肉の関係を持たされ、責め手はこれにより生じた雪路の姉に対する不信感を彼女の 調教に利用しようとする。

 文夫は奴隷ではあるが、境遇は比較的幸福である。調教とはいっても、本番ショウの男役者として美津子や桂子と絡むためのものであ り、女達のように無理矢理犯されたりするわけではない。銀子や朱美といった葉桜団や、千代や順子も文夫の身体には手を出さない。
 春太郎、夏次郎のシスターボーイは美少年の文夫には興味があると思われるし、男色趣味のある客のために、稚児としての調教をしても良いようなものだが、 それも行われない。文夫は唯一の男奴隷としてかなり丁重に扱われているといってよいだろう。
 団氏も文夫の取り扱いについては迷っているようなところもあり、彼のキャラクターを十分つかいこなしていないように思える。その後の団氏の作品では、こ の美少年奴隷の扱い方が、作品の完成度に大きくかかわりをもってくる。
 美小年奴隷のキャラクターの完成度が頂点を極めるのは、何といっても「鬼ゆり峠」の菊之助だろう。可憐な美少女を思わせる菊之助が親の仇の手によって捕 らえられ、苛酷な責めに喘ぐ姿は、男色趣味のない読者にとっても十分魅力的である。
 

8.ストイックな悪役達

 さて、「花と蛇」の「蛇」にあたる悪役、S側の面々である。ヤクザやズベ公達といった類型的なキャラクターが多いと、とかく批判 があるが、このS側のキャラクターは、団氏の作品の魅力を語る際にどうしても外せない。以下、「花と蛇」の悪役達の主だった面々を紹介しよう。
 

    田代 − 桃源境の孤独な主人

 田代一平は実業家ということである。業種は良くわからないが、昔、遠山と不動産がらみの入札で敗れたことを根に持っているところ からみると、土木建設方面の仕事らしい。道理で森田組等と親しい筈だといったら偏見だろうか。
 田代に家族はいないようだ。彼は森田組のスポンサーであり、一人で住むには広すぎる屋敷を彼らに開放している。その代わりに彼は様々な性的な楽しみを森 田組から享受して、一人暮らしの無聊を慰めてもらっている。どちらかといえば非常に寂莫とした人生と言えよう。

 殺伐とした田代屋敷がこの世の桃源境となるのは、葉桜団によって誘拐された静子夫人と桂子が運びこまれてからである。
  田代は続いて、静子夫人救出のために屋敷に潜入した女探偵・京子を間一髪のところで捕え、京子の妹の美津子を誘拐、更に美津子のボーイフレンド・文夫とそ の姉の小夜子といった風に芋蔓式に獲物を増やしていく。
 これだけの美女・美男がそろえば、彼女達を侍らせて享楽の日々を満喫すれば良いと思うのだが、田代は淡白なのか、それともそれが彼独特のサディズムなの か、京子、桂子は吉沢、井上といった森田組の幹部組員に下げ渡し、美津子、小夜子の処女には手もつけず、静子をなぶるのも専ら千代が主役になる。
 美女達にとっての「地獄屋敷」の主でありながら欲望をむき出しにしない田代の存在により、責め手は増加し、責め方は多様化する。責め手が田代だけであっ た方が余程楽なのだ。淡泊な田代こそが静子達にとって最も恐ろしいサディストかも知れない。
 

    森田 − 有能な雇われ社長

 森田組は決して自立しているわけではなく、経済的には田代に支えられており、事務所も田代邸内に間借りしている。組の事業(シノ ギ)も、秘密写真やポルノフィルムの制作が主なところであり、暴力団としては中小企業の部類である。
 森田幹造は森田組の組長であるが、いわば田代をオーナーとした雇われ社長である。
 森田組は上述の通り、企業としては収益力や安定性、成長力にかけており、実に冴えない存在である。しかし静子夫人や京子という有力商品を得てからは、森 田の経営手腕は遺憾なく発揮される。彼が森田組の事業発展のためにとった施策は下記の通りである。

1.商品の品ぞろえ強化(美津子、小夜子等の誘拐)
2.商品の付加価値向上(鬼源他の調教師起用)
3.新規顧客開拓のための展示会開催(同業者を集めて秘密ショーを開催)
4.関西地域に強力な販路を持つ有力取引先との提携(岩崎組との関係強化)
5.従業員の士気向上のためのインセンティブ付与(井上、吉沢等の幹部組員には桂子、京子を妻として与え、竹田・堀川達のチンピラには美津子、小夜子等の 調教に参加させることによってやる気を出させている)。
6.資金力強化のためのスポンサー開拓(千代、津村義雄等)

 あまり切れるようには見えない森田だが、上記の通り、この道の経営者としての事業判断は実に的確である。「花と蛇」の世界を広げ る陰の立役者と言えよう。
 

    千代 − 静子に捧げる倒錯した純愛

 千代は桂子、小夜子等の女奴隷に対しても残酷な存在だが、静子夫人に対して向けられる憎しみはちょっと理屈では説明がつかないほ どである。千代は元静子夫人の使用人だが、特に静子夫人から辛くあたられたようでもない。上流の人間に対する階級的憎悪という説明もなされるが、それだけ では彼女の感情は説明し難い。
 およそ男の関心を引きそうにない醜女というせいもあるが、千代の性的関心の対象はむしろ同性にあるようだ。静子夫人に対する執拗な責めは彼女の倒錯した 愛情表現ともいえそうである。千代が静子の妊娠に特にこだわるのは、「静子に自分の子供を産ませたい」という潜在的な願望から来たものだろう。
 「花と蛇」の後で書かれた「夕顔夫人」に登場する柴田和江は千代の発展型ともいうべきキャラクターである。前衛華道の柴田流家元を名乗る彼女は、伝統の ある弦月流の家元である島原夢路を自分の女奴隷として責めなぶるが、これも陵辱の中でも美しさを保ちつづける夢路夫人に倒錯した愛情を抱き、レズビアンの 関係を結び、行為の最中に自分の赤ちゃんを産めと夢路に迫るのである。
  千代は和江のように、静子と肉体関係を結ぶといったことはない。その意味では純愛と言えないこともない。
 SMとは倒錯した性欲ではなく、倒錯した性愛と言うべきであろう。団氏の作品は、単なる肉体的な責めだけでなく、こういったSMの精神的な部分がよく表 現されている。

 
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