「自分のことを好きでいること」というテーマについて最近考えています。
自分が好きで何が悪い?
ぼくはこうやって文章を書いているだけあって、自分が自分のことを好きでいることを自覚してますし、結構な頻度で嫌気が差しています。「あぁ、俺は自分のこと好きなんだなぁ、よくもまぁ、恥さらしにも自己肯定できるよなぁ」と。
しかし、結局ぼくは、そういう自分が好きですし、悪いことでもないと思ってしまっています。
いつの時代も、真に新しいことを成し遂げる人というのは、自分のことを好きでいられる人たちです。
自分のことが嫌いな人は、周囲の顔色を読みつづけることになります。ひとたび「おまえは間違っている!」といわれたら、「やっぱりそうか…」という卑屈な安堵を抱き、出る杭になることを諦めます。
自分のことを好きでいられる人は、「新しいこと」に必ず付きまとう、無理解にもとづく誹謗中傷に耐えることができます。
彼らは、誰から何を言われようが、自分のことを信じることができます。読みが外れて失敗をしたときですら、彼らは自分を好きでいつづけるでしょう。そして、すぐに新しい挑戦を始めます。
彼らには「根拠なき自信」があります。それは大衆からすると鼻に付くものです。しかし、「根拠なき自信」なくして、直観で動くことはできません。
「いいね!」されるものは新しくない
フェイスブックやツイッターによって「共感」が可視化され、人々は「いいね!」を集めることに必死になっている気がします。
ぼくは最近、自分の記事が「いいね!」をもらうと悔しい思いをするようになりました。特にこうした「オピニオン」系の記事においてです。
なぜなら、「いいね!」といわれるようなことって、要するに新しくないんです。本当に新しいものであれば、「いいね!」なんて誰からも言われないはずじゃないですか。
「いいね!」されている時点で、それは、読者の常識の範囲を超えることができていないということです。
岡本太郎のことば。
芸術は、絶対に新しくなければなりません。芸術はいつ、いかなる時代でも、新しいという意味で、大きなあこがれでもありました。
と同時に、それがために、まえに述べたように、きわめて残酷に非難されてもきたのです。芸術家は、それぞれの時代の正反対の評価、矛盾に耐え、勇気と英知をもって、それを乗り越えてきたのです。
ぼくは文章で食っている人間ですので、芸術家の領域に片足を突っ込んでいます。
「いいね!」を集める記事も書くことはできますが、それは芸術的ではありません。
「いいね!」を集めてしまう人は、単なるマーケターです。ぼくはもっと芸術家に近づきたいと願っています。
日本は同調圧力が強いためか、根拠なき自信を持つこと、それ自体が「悪」とされているような風潮すらあると思います。ぼくは決してそんなことはないと確信していますし、実際、世の中を変えてきた人は、自分が好きで、根拠なき自信を抱いていた人たちだと思います。
自分が大嫌いで、徹底的に自分に自信がない人が、「残酷に非難」されることに耐え、革新的なことを成し遂げられるわけがないじゃないですか。
みなさんは、自分が好きですか?根拠なき自信を持っていますか?
ぼくは日本一のブロガーになろうと思っています。みなさんは、自分の専門領域において、日本一(または世界一)を目指していますか?
ぜひコメント欄で教えてください。