先日「イケダハヤトを干せば?」みたいなツイートを見かけました。文脈がいまいちわかりませんが、「広告・マーケ業界的に」干すという旨の発言だったようです。
干せるものなら干してみろ
で、ぼくの気分的には、「干せるもんなら干してみろ」という感じです。
ぼく自身、客観的に見ても、どうやっても干すことはできません。主な収益源はAmazonとGoogle経由ですし、その他もろもろ、多くのお客様から小さくお金をいただいております。2012年度は合計50社の方々から対価をいただき、お仕事をこなしました。
この場合の「干す」って「仕事が”流れてこない”ようにする=食っていけないようにする」ということですよね。
ぼくは上記のような感じなので、たぶん、なんぴとたりとも干すことはできません。無論、判断ミスを繰り返して勝手に干上がることはありえますが…。
「干す」という比喩
「干す」というのは面白い比喩だなぁ、と思うのです。
ひとつの上流からしか水が流れてこない状況においては、水脈を断たれたら、確かに干上がってしまいます。
水路をたくさん用意しておけば、仮にそのひとつを断たれようと、ほとんど影響がありません。足りなければ、自分で新たに水脈を造ればいいだけです。
これからのビジネスパーソンは、こうした多様な水脈を持った人材であるべきなのでしょう。多くの人が指摘しているように、会社というひとつの水脈からしか水を引いていないのは、安定した生き方とはいえません。
不安定な時代だからこそ、「干せるもんなら干してみろ」。そう語れるようになるべきです。
ぼくは今のところ、無理なく、このことばを吐くことができます。そうありつづけようと努力しています。みなさんはどうでしょうか。