スネークイーター作戦(MGS3)が行われた1964年当時のソ連の兵器開発の第一人者で、秘密設計局OKB-754(通称ソコロフ設計局)の局長。 元はロケット開発の第一人者で本人もその研究の続行を希望したが、その腕を欲した政府により兵器開発への転向を余儀なくされる。
秘密設計局OKB-754の局長に就任してからは、KGBの監視下で単独作戦行動が可能な核弾頭搭載戦車"シャゴホッド" の開発を進める。 だがそのうち、自らの開発したシャゴホッドが世界に解き放たれることを恐れ、ゼロ少佐の手引きで 家族と共に西側に亡命する。
ソコロフがいなくなったためKGBでのシャゴホッドの開発は滞っていた。 そんな中、1962年にソ連がキューバに核ミサイルを配備しようとし"キューバ危機"が起こる。 フルシチョフがキューバ撤退の代わりにアメリカに突きつけた条件は ソコロフの返還だった。アメリカは全面核戦争を回避するためソコロフを無理やり東側に返還する。
KGBに戻ったソコロフは再びシャゴホッドの開発を進めさせられていた。 1964年(MGS3、CIAのFOX部隊によるソコロフ奪回計画としてバーチャスミッションがスタートする。 エージェントとして潜入してきたネイキッド・スネークにより救出されるが、 亡命を宣言したザ・ボスにネイキッド・スネークは倒されてしまい、 今度はKGBと敵対し、ヴォルギン大佐が率いるGRUによってシャゴホッドもろとも誘拐されてしまう。
大要塞グロズニィグラード内にてGRUの監視下でシャゴホッドを開発中、 再びスネークイーター作戦(MGS3)によって潜入してきたネイキッド・スネークと再会する。 だが彼は「戻ってもまた存在してはいけない兵器を開発するハメになる」とし、救出されることを拒む。 そしてシャゴホッドを完成させた後、ヴォルギン大佐の拷問を受け、瀕死の重傷を負う。 だが彼はかろうじて生きていたため、事件の終了後脱走とたと思われる。
その後彼はジーンの手引きで助け出され、グラーニンが遺した設計図を元に CIAで"弾道メタルギア"を開発することになる。 その際、渇望していた家族との再会も果たすことができた。 1970年のサンヒエロニモ半島事件(MPO)の際、"弾道メタルギア"を使用しようとしたジーンを阻止するため "プリヴィディエーニ(ゴースト)"と名乗りネイキッド・スネークをサポートした。
サンヒエロニモ半島事件後も生き残っているが、以後の動向は不明。