アスランは、船上で深いため息をついた。今、彼女は船の上。海の向こうのプラント帝国へ向かう旅路にいた。
アスランは、大陸の中でも南端に位置するザフト王国の世継ぎの姫だ。当然、王位を継承し、王家を存続させていく義務がある。しかしながら、今現在のザフト王国の状況はあまりに芳しくなかった。
海岸線に面した土地柄で貿易に関してはそれなりに栄えてはいるものの、痩せた火山灰土が大部分を占める国土は昨年から続いている天候不良により大きな打撃を受けている。農作物の収穫が例年の3分の1程度に減っている。現国王のパトリック・ザラは、国庫を開放して国民への救済を続けているが、それもいつまで続くかわからない。国庫とて、無限ではないのだ。
そんな折、さらにやっかいな問題が浮上した。ザフト王国の東側に位置するオーブ皇国の存在である。近年軍事力を強化しているオーブは、国土は痩せているものの、珍しい『嘆きの翠』という宝石の産地であり、貿易に長けたザフトに領土的野心を燃やし、国境を何度となく脅かしている。現に、いくつかの集落がオーブ皇国に占拠されるという事態にも陥っている。
財政問題、領土問題、外交問題・・・。しかし、これらをすべて解決する救いの主は、ある日突然現れた。
プラント帝国から、救援と同盟締結の親書を携えて、プラント帝国皇帝からの使者がやってきたのだ。
『プラントはその力の全力でもって、貴国の窮地を救おう。ただし、条件がひとつ・・・』
それは、世継ぎの姫であるアスラン姫と、かのプラント帝国皇帝との結婚である。アスランを皇帝は正妃として迎える、というのだ。
プラント帝国は大陸最大の強国であり、新興のオーブ皇国など足元にも及ばない。プラント帝国の保護を受けられるのであれば、オーブ皇国を退け、国土を回復し、国民の生活を守ることができる。
しかも、結婚後もアスランの王位継承権は放棄せず、いずれ生まれる子供にその王位を引き継がせ、ザフト王国の独立は保持する、というものだったのだ。
困窮するザフト王国にとっては、願ってもない救済の申し入れだったが、パトリック国王は困惑した。
愛娘を売って手に入れる平穏。そんなものに本当に価値があるのか?
娘はまだ14歳で、恋も知らない。
王族に生まれたからには、政略結婚は避けきれない。しかし、いくらなんでも幼い娘を敵地に一人赴かせる決心が付かなかったのだ。
「父上。わたくし、プラントに参ります」
14歳になったばかりのアスランは、まさに花でたとえるなら咲き初めの美しさ。亡くなった母譲りの藍色のつややかな髪、血管が透けて見えるほど白い肌。そして、生きた『嘆きの翠』と呼ばれ、国民からも愛されてやまない透明な翠の瞳。
どこまでも、たおやかな姿ではあるものの、アスランの言葉には凛とした芯の強さが伺える。
「しかし・・・」
「いいえ。父上。わたくしが、プラントに嫁ぐことで国民が幸せに平和に暮らせるのでしょう?なら、わたくしは喜んでプラントの皇帝陛下に嫁ぎます」
娘の瞳に、ゆるぎない決意を見て取った父王は、しぶしぶプラントの申し入れを受け入れ、婚儀の準備を進め、今日対岸のプラントへ向けてアスランを乗せた船は出発と相成ったのだ。
プラント帝国は、ザフト王国の海を挟んで西側に位置する。両国の間の海を船で渡るには、海が穏やかな時期であっても2日はかかる。
つまり、アスランが婚約者に会うのも、婚儀の儀式も2日後、ということだ。
ふう、と船上でまたアスランはため息をついた。
この結婚が嫌なのではない。たとえ、相手の皇帝の顔も知らなければ、今まで一度も会ったことがない、ということであっても。
ただ、漠然と不安なのだ。
プラント帝国から見れば、明らかにザフト王国は格下だ。そんな国からこともあろうに正妃を迎えるのだ。どんな意図が皇帝にあるのかが、まるでわからない。それに、この婚姻で得をするのは、ザフト王国だけで、プラント帝国の利益などひとつもないように思える。
きっと文化も違う。ザフト王国は、南に位置しているため冬にも雪はほとんど降らない。しかし、広大な国土を持つプラント帝国の首都マティウスは北方に位置し、たいへん厳しい冬が半年ほども続くと聞いた。
また、世継ぎの姫であるから、もちろんアスランは王族としての礼儀作法は教育されているが、さらに儀礼に厳しい国がプラント帝国なのだ。
そんな国で、自分は本当にうまくやっていけるのだろうか?
責任感が強く、年よりもよほどしっかりしている姫君だが、所詮は14歳の少女なのだ。まだ見ぬ婚約者、まだ見ぬ嫁ぎ先の国を思い、不安に押しつぶされそうだった。
そんな風に、甲板でまたもやため息をついていたアスランの下に、突然侍女頭のタリアが慌てた様子で走ってきた。
「姫君!お早く船室にお戻りください!!」
あまりに切羽詰ったタリアの様子に、ただならぬものをアスランは感じた。
「なに?なにがあったの?」
「海賊ですわ!このあたりの海を荒らしまわっている海賊たちの船に追われているのです・・・!」
思ってもいなかった事態に呆然とするアスランの手を引いて、タリアはアスランを船室に促した。
「姫様は絶対にこのお部屋からは出ないでください。必ず兵が姫様をお守りいたしますから・・・!」
そう言って、タリアは肌身離さず持っている短剣を再度確認して部屋を出て行った。
・・・なに?海賊・・・?そんなことって・・・!
暫くすると、甲板の方から男たちの大きな声が聞こえ、続いて剣で斬りあう高い金属音が聞こえてくる。
・・・え?戦闘になっているの?どうして?僕、どうなっちゃうの!?
アスランも王家の姫君として、短剣の使い方は護身術の一環として身につけている。しかし、その術はこんな風に大勢の男たちに立ち向かっていくようなものではない。そうわかっていながらも、アスランはすがるように旅立ちの際に父王から手渡された短剣を握り締める。
ああ、タリアは無事なのかな?どんどん声が近づいてくる気がする・・・!嫌だ、怖い・・・!
アスランが部屋の隅で短剣を握り締めて震えていたその時、バン!と部屋の扉が開いた。
「ああ。ようやく見つけたぜ。お姫様」
いやらしい笑いを浮かべ、血塗られた剣を片手に部屋に入ってきたのは、大柄で右の目がつぶれた大男だった。
「隣の国の王様のところに嫁に行く途中なんだってなぁ。悪いがあんたは、俺の嫁さんになってもらうぜ」
そうにやにやと笑いながら、だんだんと近づいてくる男に、アスランは恐怖と共に耐えられないほどの嫌悪を感じた。
・・・こんな奴に、触られるなんて、絶対に嫌だ・・・!
「来ないで!それ以上近づいたら、死にます!!」
アスランは父王から託された短剣を首筋に当てる。その手は、小刻みに震えていた。
そんな気丈なアスランの様子に薄く笑った男は、からかうように言った。
「・・・そんなことしたら、痛いぜぇ?ほら。そんなもん、こっちに寄越して、俺たちとキモチよくなろうぜ?」
じりじりと間合いをつめながら、男がアスランに近づいてくる。
・・・嫌!絶対に、嫌・・・!!こんな男に触れられるくらいなら・・・!!
そう決心して、首筋に当てた短剣にアスランが力を入れた瞬間、銀色の光が走った。
ざしゅ。
アスランの目の前に迫っていた大男が首から血を噴出して、倒れていく。
倒れていく男の後ろに、銀色の光。
だれ・・・?
「馬鹿者。そんなに簡単に命を捨てるな」
酷く乱暴な物言いをするその男は、見事な銀髪を持っていて・・・。
しかし、助けてくれたらしいその銀髪の男を確認することなく、アスランの極限まで緊張した意識は、そこでふっつりと途切れた。