東日本巨大地震:死者・不明者84人、大川小学校は今

海から5キロ離れた学校に津波襲来、児童74人が犠牲
慰霊碑に参拝者絶えず
現在も児童4人の捜索続く

 宮城県石巻市の郊外にある大川小学校には、約500人の子どもたちが通っていた。だが、2年前の3月11日に発生した東日本巨大地震による津波は、この学校のあらゆるものを奪い去った。

 3日午前、記者が訪れた大川小学校の校舎は骨組みだけが残り、壁は崩れ、れんがが床に転がっていた。同校は海から5キロ離れた所にある。しかし、2年前に同校を襲った津波により、児童74人と教職員10人、計84人が死亡または行方不明となった。その後、学校の周辺にあった住宅は全て取り壊され、一帯は何もない野原と化していた。

 学校に建立された慰霊碑にはこの日、朝から参拝する人たちが絶えなかった。遺族や参拝者たちは廃虚と化した慰霊碑の周りに花を手向けた。津波で友人を失った小学生たちは人形を供えた。震災当時、津波で九死に一生を得た児童は慰霊碑の前で「友だちが私に会いたがっている」と泣きながら話した。東京などほかの地域からやって来て、慰霊碑に参拝した団体もあった。

 この日午後、石巻市内で遺族など約300人が出席し、追悼式が行われた。遺族会長の武山剛さんは「私たちの悲しみは癒えることはないが、天国に行ったわが子たちが友だちと仲良くしていることを願っている」と述べた。また、6年生だった娘を亡くした佐藤敏郎さんは「わが子を失った悲しみは消えないが、周りの人たちが助けてくれるおかげで、少しずつ前に進めている」と語った。

 遺族会は現在も、行方不明のままの児童4人を見つけるため、希望を捨てず捜索を行っている。遺族が「子どもたちを見つけ、日の当たる場所に葬ることができるよう協力してほしい」と嘆願したのを受け、警察や石巻市の職員たちは最近、学校の前を流れる富士川で捜索活動に着手した。重機12台を投入し、川の水をくみ出した後、川底を掘る作業を行っている。遺族は最後になるかもしれない今回の捜索活動に一筋の望みをかけている。

 一方、大川小学校の悲劇を二度と繰り返さないように、という遺族の求めに応じ、日本政府は最近、検証委員会を立ち上げ調査に乗り出した。石巻市は低地に学校や住宅が多いため、津波の被害が特に大きかった。同市だけで死者は3256人、行方不明者は451人に達し、巨大地震と津波による最大の被災地となった。なお、日本全体の死者は1万5880人、行方不明者は2694人となっている。

石巻= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員
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