2013-02-19
■[文献紹介]『陰謀史観』
- 秦郁彦、『陰謀史観』、新潮新書
分析の対象となっているのは「明治維新に始まる近代日本の急速な発展ぶりが生みだした陰謀史観」(11ページ)なので、田中上奏文やバーガミニ(本書では「バーガミーニ」)の著作などにも言及があるが、意図してであれ結果としてであれ日本の戦争を正当化する陰謀論に最も多くのスペースが割かれている。ハーバート・ヴィックスに対する Dis り方と比べると田母神閣下を評する筆致がお優しいように思える……といったことはあるにせよ、後者や類似の論者への評価の中身はといえば従来とおりほぼ全否定だ。江藤淳についてもその『閉された言語空間』などでの主張につき、「江藤自身が享受している言論と表現の自由は否定しようもないので、責任はマスコミの自主規制や各人の無自覚に転嫁せざるを得なくなるのだろうが」(142ページ)とか、「相手が中国や朝鮮半島であれば厄介な紛争を招きかねないが、アメリカなら聞き流すか笑いにまぎらすだけだから、声高に陰謀説を唱えていても安心しておれる」(143ページ)といった具合。
ということはつまり、近代日本の戦争の侵略性を――あるいは少なくとも、海外の視点から見れば侵略に他ならなかったことを――かなりはっきりと認めている、ということだ。本書では大きなテーマにはなっていないが、東京裁判やBC級戦犯裁判に対する保守派・右派の定番の批判にほとんど同調しないのも、著者の一貫した立場だ。
となると課題として浮かび上がるのが、侵略戦争についても戦争犯罪の多くについても日本の責任を(保守派なりに)はっきりと認めている論者がこと「慰安婦」問題に関してはなぜああなのか、という問題だ。反対に、日本の戦争の侵略性は否定するが「慰安所」制度については深刻な人権侵害で誤りであった、とする論者が見当たらない、少なくとも目立たないのはなぜなのだろうか。「慰安婦」問題の否認の核にあるのは何であるのかを考えるうえで、念頭においておくべきことの一つだろう。
■[戦時性暴力]「慰安施設」に関する野戦酒保規程の改正は1937年(追記あり)
昨年の10月に吉見義明・中央大学教授が大阪で行った講演の書き起こしを掲載しているサイトを紹介するツイートが私の TL にリツイートされてきたので、既読ではあったが(というよりその講演を聞いていたのだが)改めて読み直していたところ、けっこう重大な誤記があるのを発見した。
【資料7】を見ていただきたいのですが、1939年9月29日に「野戦酒保規定」が改正されて、第一条の傍線を引いた部分が追加されたわけですね。野戦酒保というのは、戦地にいる軍人・軍属のために飲食物とか日用品を提供する施設です。「野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得」という規定が追加され、必要なる「慰安施設」として慰安所を作るわけです。軍といえども国家の機関ですので、法的な根拠がなくては慰安所は作れない。その法的な根拠をどうしたのか、「野戦酒保規定」改正で対応したのではないかというのが永井さんの説です。説得力のある議論だと思うんですが、軍というのは国家の官僚制組織ですので、法律に基づいて作らないといけない。その根拠はこういうところにあると思うんです。
強調は引用者。すでにご存知の方も多いと思うが、「慰安施設」の設置を可能とする野戦酒保規定の改正が行なわれたのは1939年ではなく、1937年の9月である。即ち、まだ日中戦争が完全に全面戦争になる以前に軍中央は「慰安所」の設置を考えていたのである。「39年」としたのでは、「業者のイニシアティヴで始まった慣行を追認しただけ」という誤った解釈を誘発しかねない。講演そのもので「39年」と言い間違ったのか、それとも書き起こしの際「9月29日」と9そろいの日付に引きずられて誤記したのかはわからないが、いずれにせよ「37年」が正しいのは間違いない。このサイトをご覧になる方、また他人に紹介される方はこの点、ご注意ください。
2月21日追記:主催者にメールで連絡していたのですが、訂正されているのを確認しました。