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Apes! Not Monkeys! はてな別館

2013-02-20

[]さらに追記

秦郁彦氏といえば、こんな発言もしてます。

秦 全体主義国家と民主主義国家のどこで違いが出てくるかというと、民主主義国家では言論の自由がありますから、自国の軍隊といえどもひどいことをしたら、自国民の中から批判の声が出てくるんです。

 とくに女性の意見が英米では影響力が大きい。たとえば慰安所を設置することについて日本の女性は発言しないけれども、英米軍の現地司令官が兵隊の福利厚生で慰安所をつくったなんていうとすぐ通報が行くんですよ。従軍牧師、上院議員や女性団体に突き上げられて、すぐ閉鎖しろという中央の指令が行く。

 いわば後方における市民的常識のようなものが一つの抑止力になっているんですが、それがまったくない国というのは人間の獣性が幾らでも発揮されるところがありますね。

(『「BC級裁判」を読む』、日本経済新聞出版社、42ページ)

ここでは「慰安所」を閉鎖しろというシヴィリアンの圧力が肯定的に評価されていて、ということは「慰安所を設置すること」自体(「強制連行」とは切り離して)への否定的な評価が前提されているということになります。秦氏には反米的な動機がまったくといってよいほど感じられないという特徴があって、だからアメリカの美点を評価するという文脈ではこういう発言ができるという側面もあるかなと思いますが、それを差し引いてもやっぱり不思議ではあります。

nesskonessko 2013/02/21 11:59 上の橋下の発言とも含めてですが、私は不思議とはまったく思わないです。人の考えや感じ方、そこから出てくる見解なんて誰でもこんなもんなんじゃないの、としか。特に保守はリベラルや左派とは異なってこういう濁りには頓着しない人が大勢だろうし、たぶん私もその一人なんでしょうね、なんで不思議がってるのかがぴんときませんから。

hogehoge 2013/02/21 13:42 日本軍による慰安所の設置と南京事件に代表される虐殺事件とには「人間の獣性」というメンタリティがそれらの要因としてあった、という意味で共通性があったことを秦氏は認めてるわけですよね。それで一方は容認しもう一方は容認できないとするのは学者としては確かに不可解なスタンスに感じられます。
橋下に関しては一貫したスタンスを求めるべくもない人物なんで、私は真面目に評価するのを半ば放棄してますけど。

ApemanApeman 2013/02/21 14:01 nesskoさん

「こんなもん」とはどういうものですか? 私はここで保守・右派の見解が一通りでないことをこそ問題にしているのですが。それとも「首尾一貫性なんてない」という意味で「こんなもん」ということですか? もし後者だとしたら、私はそういう仮説をとりません。「こんなもん」は(左派にとっては)他者の深い理解を、(右派にとっては)自己省察の機会を奪うだけでしょう。

hogeさん

この発言を読めば、発言者は「慰安所」制度が重大な人権侵害であったという考えの持ち主、と普通は予想しますよね。

>橋下に関しては一貫したスタンスを求めるべくもない人物なんで

私は「首尾一貫しているとみせる意志のない人物」「首尾一貫性をアピールしても政治的な人気にはつながらないと(おそらくは正しく)認識している人物」なんだろうと思ってます。

kazuaukazuau 2013/02/21 15:04 戦地において不特定の相手で性欲の解消を求めることを「獣性」の表れとして、
それを軍当局が支援することを倫理性の点から非難することが「市民的常識」だと読めます。

であるならば、その慰安所の女性が完全な自由意思で勤めるプロであってもその非難の文脈からは外れませんから、
慰安所の人権侵害性の議論と切り離して発言することができるのではないでしょうか。

ApemanApeman 2013/02/21 15:22 kazuauさん

>であるならば、その慰安所の女性が完全な自由意思で勤めるプロであってもその非難の文脈からは外れませんから

この点は秦氏の言う「市民的常識」の理解として、その通りだと思います。が、そこから

>慰安所の人権侵害性の議論と切り離して発言することができるのではないでしょうか。

と結論されたプロセスがちょっとよくわからないのですが……。

ApemanApeman 2013/02/21 15:29 nesskoさん、hogeさん

少し補足しておきますと、ここで私がこだわっているのは「人間の行動を理解しようとするならば、その行動がなんらかのかたちで合理性を持っている、と想定する必要がある」というメタ仮説です。政治的な領域においてであれば「お前の言動は首尾一貫性がない」と批判したり「お前のやることは支離滅裂なのでもう相手にしねーよ」と切り捨てる、といったこともあり得るでしょう。私自身も、このブログのコメント欄で敢えてそういう選択をすることは少なくありません。
しかしそれとは異なる水準で、右派の論理を理解することを目的とするなら、表面的には矛盾するように見える言動の背後に一貫した論理があることを仮定する必要がある、ということです。

nesskonessko 2013/02/21 16:50 返信ありがとうございます。おかげで、おそらくApemanさんが何を問題視したがっているのか、それが私にはうまくつかめていなかったことは分かりました。そちらから見てずれている私の思ったことを書かせていただきます。

「保守・右派の見解が一通りでないこと」は、私にはそんなもんだろうなくらいにしか思えません。保守側が論をひとつに収斂させる努力を怠っているせいで、リベラル・左派側からすればまともな議論もなりたたないではないか、となるのかもしれませんが、保守や右派もいろいろな人がいるのですから、簡単に一通りにすることなどできないですし、そんなことはしないままでも大して不都合を覚えないのが保守と呼ばれる側の大多数でしょう(右派になるとちがってくるかもしれないです)。

右派の論理を理解することを目的として考察を重ねているということなので、それも右派とは相いれない、まったく肌が合わず波長が合いようがない側からなんとかその骨格や癖だけでもつかみたいとの目的でなされていることと受け取りましたが、そうなると、自分はさして表面上の矛盾が出てきてもその背後にあるどすんと動かない分厚い肉のような心性は、わりとそういうもんだろうということで共感できてしまうところがあるんですね。

うむ、何か場違いなところへコメントしてしまったようですね。以後、気をつけます。しかし、たしかに左派から見て右派特有の共通する傾向はあって、それをうまくとらえたい、というのはわかりますし、それは保守や右派の側にとっても一部の人はできればやりたいことであるかもしれません(私が知らないだけで、既になんらかの分析がなされているかもしれません)

リベラルや左派の特性をまずさらってみるのもいいかもしれません。たいてい、それが反転したような像が右側に映るわけですから。

ApemanApeman 2013/02/21 17:10 nessko さん

やはりまだ誤解があるようです。

>「保守・右派の見解が一通りでないこと」は、私にはそんなもんだろうなくらいにしか思えません

>保守側が論をひとつに収斂させる努力を怠っているせい

「保守・右派の見解が一通りでないこと」それ自体を、私は否定的に評価してませんよ。右派であれ左派であれ、その内部に多様性があるのは当然です。私がここで言わんとしていたのは、「慰安婦」問題を否認するという共通点だけを見るのではなく、「なぜ「慰安婦」問題否認論者の中にも、南京事件否定論者とそうでない人間がいるのか?」を考えるのでなければ、右派の多くがなぜ「慰安婦」問題を否認するのか、がきちんと理解できないだろう、ということです。

>それも右派とは相いれない、まったく肌が合わず波長が合いようがない側からなんとかその骨格や癖だけでもつかみたいとの目的でなされていることと受け取りましたが、

これもちょっと違いますね。保守・右派自身の自己理解とは別の水準で説明し理解する、のが目的です。

nesskonessko 2013/02/21 17:20 >「慰安婦」問題を否認するという共通点だけを見るのではなく、「なぜ「慰安婦」問題否認論者の中にも、南京事件否定論者とそうでない人間がいるのか?」

わかりました。お手数おかけしました。

下の部分についてはリベラル・左派の側が「保守・右派自身の自己理解とは別の水準で説明し理解する」との意味合いで自分は書いたつもりでしたが、伝わらなかったようです。書き方が悪かったのでしょう。

chada_5chada_5 2013/02/21 21:39 人道上の問題を否認する人間と歴史上の事実を否定する人間に共通する部分と共通しない部分は何か?そしてそれは何故かという問題でしょう。
そうした問題の否認論者、事実の否定論者が右派に多い(両者には割合で違いが有るが)という結果として保守・右派がフォーカスされることもあるという話であって本質は左右どうこうの話ではないと思います。

TakaTaka 2013/02/22 00:00 慰安所の設置を許可するのが、ダメな
理由が、カワイイ区が、差別につながる
という事と、同じくらいわからん。
性欲にまかせて、現地の女性を、
レイプさせまくれば、よいのか?

hogehoge 2013/02/22 00:34 慰安所を設置してもらわなければレイプしまくるぞ、なんてことはあんまり堂々と宣言することではないと思いますよ。

rawan60rawan60 2013/02/22 01:29 「慰安所の設置を許可」と「慰安所を設営利用するための許可」の違いも分からない人は「レイプ」の概念も極めて恣意的なのでしょうね。

kazuaukazuau 2013/02/22 10:13 > と結論されたプロセスがちょっとよくわからないのですが……。

誰の人権も侵害しない理想的な慰安所を仮定します。
(「誰」には兵士の家族や慰安所勤務者の家族も含みます)
その場合においても「市民的常識」として倫理的に批難できるとするならば、
現実の慰安所の人権侵害の度合い(たとえそれがどんなにひどくてもどうでもいいと思っていても)とは無関係に論じることができる、と考えました。

ApemanApeman 2013/02/22 11:30 chada_5さん

自己理解と実際の行動原理の間に乖離がある、というのはむしろ人間について普遍的に言えることであって、その点ではおっしゃる通り「本質は左右どうこうの話ではない」ですね。ですからトピックによっては同じような問いを左派に対してたてることも必要になるでしょう。

hogeさん

まあ、これを公言して平気であるからこその「慰安婦」問題否認論、ですからね。

rawan60さん

>「慰安所の設置を許可」と「慰安所を設営利用するための許可」の違い

野戦酒保規程をふまえると、むしろ「許可」を与えられるのがまずもって野戦酒保である、という点こそが重要でしょう。軍の主導性に関わる点ですから。

kazuau さん

>現実の慰安所の人権侵害の度合い(たとえそれがどんなにひどくてもどうでもいいと思っていても)とは無関係に論じることができる

この点は理解できましたが、しかしこのような意味での「無関係」は、現実の「慰安所」における人権侵害を否認できる理路になるんでしょうか? まあkazuau さんにうかがうのも変な話かもしれませんが。

FondriestFondriest 2013/02/22 14:38 ブコメでnesskoさんと少しやり取りして思いましたが、結局保守は自己省察などしないと言っているに等しいのではないかと。

chada5さんが書かれている通り、本来右派/左派といったくくりで議論されるべきことでもない事をその対立に落とし込んで、「それじゃだめよ」と指南して右派の矛盾は左派の自己意識の分裂に帰し、彼らの矛盾、一貫性の無さについての保守の側での思考の不在を、「濁り」だの「どすんと動かない分厚い肉のような心性 」などという手垢のついたレトリックで糊塗する姿勢には、まあ随分キレイな「濁り」でペラペラの「肉」ですね、としか。

「矛盾した人間存在」というのは保守好みの表現ですが、それが意味を持つのは真摯な思考の果てに於いてであり、nesskoさんがどんな経験、思考の結果として「濁り」に至ったかは知りませんが、この議論の文脈でそれを最初から持ち出すのは思考停止に他ならないでしょう。

FondriestFondriest 2013/02/22 19:11 追記ですが、彼らの矛盾の理解に繋がるのではありませんが、nesskoさんのような姿勢が保守に一般的だとすると、それはむしろ彼らに人間的な「厚み」を加え(左派の薄っぺらな理想に対して)、また彼らがある種の公平さを持っているというイクスキューズを可能にするがゆえに、評価されこそすれ問題視されることは無いという事情が、彼ら自身にとってもその矛盾を自覚することを妨げているのではないか、と。

ApemanApeman 2013/02/23 00:36 Fondriest さん

>彼らの矛盾、一貫性の無さについての保守の側での思考の不在

ただ、「彼らの矛盾、一貫性の無さ」については左派の側でも「ダブスタだろ」で片付けてしまう傾向がありますよね? それはそれで問題だろうと思うわけです。

>「矛盾した人間存在」というのは保守好みの表現ですが

なるほど、これは確かに思い当たりますね。「首尾一貫しているように見える」ことへのこだわり具合には大きな違いがあるかなぁ。なかなか興味深いご指摘です。

hogehoge 2013/02/23 01:24 人間存在の矛盾を認識、自覚することと、その矛盾を考察、追及するととは本来別のことだし、両立可能なことでしょうからね。
もちろん考察や追及に限界があるのは確かですけど、最初から試みもしないで、あまり葛藤もなく「矛盾があるのが人間だから」とか言われると、人間性の厚みよりは軽薄さの方を強く感じてしまうわけで。

まぁ上で私も橋下に関しては真面目な評価を半ば放棄している、とか言ったんで、そこは実際「矛盾」している部分なんですけど、その部分から人間性の厚みを感じてもらおう、とはさすがに考えていませんし。

chada_5chada_5 2013/02/23 10:25 ハーグ条約に対する態度なども左右で括れない一例でしょうか。

Fondriest さんの下記

>「矛盾した人間存在」というのは保守好みの表現ですが

これが文学上の表現に留まるのならまだ良かったと想います。
しかし「慰安婦」問題のように否認論者の言動が、米国含め国際社会から受け入れられていない現実は彼らの中でどう処理されているのかが気になりますね。
首尾一貫、「矛盾した人間存在」のどちらであるにせよ自らの言動には当然他者のリアクションというものがあるということをどう考えているのか、と。

ApemanApeman 2013/02/23 10:59 hogeさん

「矛盾があるのが人間だから」のような認識への親和性というのは、ひょっとすると橋下人気の一端を理解する手がかりになるかもしれませんね。

chada_5 さん

>ハーグ条約に対する態度なども左右で括れない一例でしょうか。

事件化するケースの多くが「母親が日本人」で、保守派の側には「子どもは母親がひきとるのが普通」という通念があり、左派の側には「離婚に際して女性の権利が十分保障されていない」という通念があって、結果として「批准反対」という結論では一致、ということですかね。私自身は「批准反対」論には与しませんが。

rawan60rawan60 2013/02/23 13:26 「矛盾への開き直り」でいえば、例えば排外主義、差別問題などを論じる中で(経験的に)必ずと言っていいほど出てくるのが、「ヨーロッパの外国人移住者排斥を知らないのか」「アメリカではこんな酷い仕打ちがある、日本とはレベルが違う」なんていうのなんですよね。つまり「現実を知らない理想主義」という転嫁。
保守・右派がよく持ち出す「現実論」ですね。

FondriestFondriest 2013/02/23 15:29 Apemanさん

>それはそれで問題だろうと思うわけです。

それはそうですね。「矛盾した人間存在」の志向というのも結局トートロジーでしかありませんから。単なる思い付きですが、保守というのが基本的に「現実」に寄り添わざるを得ず、現実的なものが理性的ではない以上そこに本質的に 矛盾を積極的に許容する態度が発生するのかもしれません。保守派はそこから「理念」に向かって「敗北」していくのに対して、左派は「理念」から「現実」へと「敗北」していくとでも言いましょうか。いずれにせよ、一般的過ぎて彼らのダブスタに説明を与えるものではありませんが・・・。


hogeさん

>人間性の厚みよりは軽薄さの方を強く感じてしまうわけで。

私はあのレトリックだけでお腹いっぱいでした。


chada 5さん

>現実は彼らの中でどう処理されているのか

自らの外部にある他者と向き合うのではなくて、表象として一旦内面化されて彼らの内部における「矛盾」として意識されているのではないでしょうか。そんな世界の無理解にも耐える私とかいう風に。悪しき意味での「文学化」ですね。


rawan60さん

>「現実を知らない理想主義」という転嫁。保守・右派がよく持ち出す「現実論」ですね。

nesskoさんの文にもそれが端々に表れてましたね。しかし「現実」に対しての省察を欠いた保守なんて、またもしそれが保守の本質なら、とことんダメだなとしか思えません

厘斗厘斗 2013/02/26 11:07 nesskoさんにおっしゃることに共感する部分も違和感を感じる部分も両方あって、何か言えるほど整理できないのですが。

ただ、『保守派の側には「子どもは母親がひきとるのが普通」という通念』というのは、戦前は逆ですよね。保守派の通念が本当にそうなら、保守派が何を守ろうとしているのか、理解しにくいですね。江戸時代はまた違うでしょうが。

ApemanApeman 2013/02/26 13:28 厘斗さん

>ただ、『保守派の側には「子どもは母親がひきとるのが普通」という通念』というのは、戦前は逆ですよね。

言われてみればそうですね。「ぜひとも(男子の)跡継ぎを」という意識が薄れているからだと思いますが、現代でも旧家・名家と言われるようなところはまた別なのかも。印象論で語りましたが、そのあたり家族社会学などで研究されてるのかな。

厘斗厘斗 2013/02/27 23:30 おそらく、なんですが、文献などによって歴史を参照して保守が守るべき伝統が何かを検討する、という態度自体に、保守とは相容れない部分があるんじゃないかと思います。

伝統はアプリオリに伝統でなくてはならないのではないかという気がします。

個人レベルでも一貫していないのはむしろ当然かもしれません。それをそういうものだと肯定するのもわかる気がするんですよね。談志の業の肯定、でしょうかね。

しかし、維新と敗戦という比較的大きな断絶をわりと近い過去に2回経験している以上、私たちがアプリオリな伝統を求めることには困難が伴うと思います。

私は伝統的なものが好きなので、単に伝統は虚構だという当たり前の話だけではなくて、アプリオリに共有される伝統がばらばらになってしまったような状態を悲しく思います。しかし、それを再構築しようとしてはならないとも思います。ただ、可能な限り記憶にとどめ、参照できる状態にしておくことが、最大限できることなのかなぁと思います。

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