★とんぼのメガネ★

写真やら妄想話やらいろいろと・・


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「キャンディーズから読み解く日本史」

という記事を見つけました。

古代史の記事も
ダン族の記事も
そうですが

ネットで読ませて頂いている
素晴らしい記事の数々

参考にさせて頂いております。

ありがとうございますありがと


http://blogs.yahoo.co.jp/tsuzukiland/7416537.html


キャンディーズといえば

田中好子さんが亡くなって
4月で
もう2年になるのですね。

同年代ということもあって
親しみもあり
好きなグループでもありました。


 * * *

「キャンディーズから読み解く日本史」

今から35年前に
解散したアイドルグループ
キャンディーズから歴史を読み解いていきます。

初めに色の説明になります。

エジプトのクフ王
イスラエルのヨセフ(マナセとエフライムの父)
ユダヤ教などが

青色が旗印になります。

子供の
マナセは

エジプトでは白
日本では源氏が白
聖母マリア(ヤハウェー)

白百合


エフライムは

エジプトでは
日本の平家も赤
マグダラのマリア(イエス)

赤い薔薇


ユダ族、イエスを
輩出した一族、黄色


藤色は
青のヨセフと交わった
赤の一族になります。


日本史では
藤原、斎藤、伊藤(藤がつく苗字)が
三位一体のキリスト教、仏教になります。

ローマカトリック。

国旗で見ると
フランスやロシアのように
赤白青の国旗などに象徴が現われます。


命の木は
10月20日21日の
川越祭りに象徴があります。

南通町の納曾利の山車
http://kawagoematsuri.jp/dashi/27ipponbashira.html

この山車の三本の垂れ幕?

赤・平家エフライム
白・源氏マナセ
黄・秦氏ユダ族

山車の全てが
日本の象徴、イエスの国になっています。


特に木花咲耶姫は
2037年に咲かせる花
梅(ヤハウェーの象徴)
桜(イエスの象徴)

どちらを咲かすかによって
世界の運命が変わる。 


他にも
二人のアメノウズメ
山王の山車

申の面を持つ
日本の最初?のキリスト教の神など

驚愕の山車がたくさんあります。


日本は申の国
というのは
この人がいるからだと思います。

他にも

申の面を持つ一族
ダン族の国デンマーク

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF


スペルを見ると
ダンマークになっています。

ダンは
仏教(三位一体)を
世界で最初に広めた一族です。


国旗も赤に白の十字架になります。

神話の猿田彦もダン族になります。


以上のことを
参考にしながら
キャンディーズの考察をしていきます。



キャンディーズの紹介

☆田中好子

青の衣装はユダヤ教

名前の読みは
ダン族の田中

漢字分解すると
殿中の女子の子という
ここが読み取れます。

殿中の女子の
お福の子供
(福は逆さまにするとクフ)


☆伊藤蘭

赤の衣装は
平家エフライム

伊藤(伊都国王、伊都王)

ユダヤの青と
エフライムの赤が混じり藤色。

名前に藤が入り
藤原系の
三位一体の仏教(キリスト教)
蘭丸から取った蘭

日本の平家は
赤い玉、赤丸なんで蘭丸になる。

伊都国王は
アメノヒボコとゆかりがあり
イエスを貫いた
ロンギヌスの槍の和訳が
天日槍になります。


古事記―御刀によりて生りし山津見八神

http://www.interq.or.jp/emerald/nshzw/framepage24.htm

全文を読むのは大変ですが
途中のカヤバという
記事のあたりから
読み始めるといいかもしれません。


カヤバについて

マタイ伝 26章 3節から
http://stonepillow.dee.cc/kurosaki_frame.cgi?40+26+9-6


イエスが捕まった場所

可児市
モーセの奥さんが
ケニ人で黒人系(カニは秦氏系のユダヤ教)

穴住居に住む
(神話では土蜘蛛扱いされていました)

可児市出身→明智光秀、森蘭丸


☆藤村美樹

黄色の衣装
ユダ族の旗印

イエスの象徴

藤が入り
藤原氏の三位一体

美樹は三木で
三つの木、森という漢字になる。


※この他
アメノヒボコ(高市皇子)は
川越まつりの羅陵王
(私の記事では聖徳太子を脇役にしていた人物)でも紹介していますが。

高市皇子は
577年中国で滅亡した
北斉、斉の国(彩の国)の王の末裔。

彩には
高市皇子の先祖が来た国
トルコアヤスフィアもあり
先に珠に交わったという意味もあります。


ダン族が造った街
熊谷もあります。

熊は
ダン族の象徴でもあり
岸和田のダンジリも
ダン一族という木工職人の末裔です。


神武天皇の
雛形にもなっており
西都の王、斎藤でもあります。

関東では
埼玉・群馬・千葉

東海では三重

九州では
福岡・宮崎もこの頃同盟国でした。


斎藤利三の子
お福と関係しています。

実際は
福岡の宗像三女神も
あとの付け足しの記述で
後に建造したものだと思います。

川越のとなり
上福岡が神福岡へとなり

同盟国の福岡の宗像に
神話を作ったものではないかと思っています。


森家の紹介
http://www.mori-family.com/jp/rekishi/3.html

斎藤家と森家と織田家のつながりがあり
源氏と平家のどちらにもなる不思議な家系の一つです。

また森家は関東出身でもあります。

徳川家の春日局(お福)
春日の春は
三・人・日(太陽神)
三位一体のキリスト教でした。

現在では
金曜日に大奥という番組も結構楽しめます。

今後は
壬申の乱(王の申の乱)で
申が王になったある有名な人物
日本とエジプトのつながりなどを中心に妄想していきます。

同じテーマの最新記事

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八陽火さんのブログに
かなりおもしろい記事が
書かれていました。

興味ある方は
どうぞ・・

宝石緑 ユダ族・レビ族・ダン族の関係

宝石赤 血統のダン族サムソンの意味


また
こんな記事も・・

今もアフリカに
ダン族がいて
ダン族の相撲は
呪術や霊力を使ってると・・カメハメ波


 * * *


(一部抜粋)

長い間,わたしの頭のなかにはダン族の相撲「ゴン」のことがしっかりと焼きついていて離れることはなかった。

なぜなら,霊力・呪力で闘う相撲「ゴン」とはいったいいかなるものなのか,何年もフィールド・ワークをしてこられた真島一郎さんから直接,お話を伺いたいと思っていたからだ。

呪術師が送り出す「霊」が力士のからだに乗り移り,力士は元気を取り戻すという。

しかも,その「霊」を呪術師が力士のからだに送り込む途中の,空中を移動している「霊」をダン族の人びとはみんな「見えて」いて,「霊」が飛ぶと一斉にみんなの視線が同じ軌跡を追っていく,という。

しかし,その同じ場に立っている真島さんにはなにも見えない,と『季刊民族学』で真島さんは書いていらっしゃる。この差はなにか。

  こちらから一部引用


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ダン族が批判される
ひとつの理由として

偶像崇拝がありますが

でも
それは
ヤロブアムに命じられたから。

だとしたら
ダン族が
自ら積極的に
偶像崇拝をしたように
伝えられているのは

どうしてなんでしょうね。

そのあたりは
調べても
なかなかわかりません。


 * * *


以下
偶像崇拝について


◎偶像崇拝とは

偶像を信仰の対象として重んじ尊ぶこと。

神仏を具象するものとして作られた像などを、信仰の対象としてあがめ尊ぶこと。

また、あるものを絶対的な権威として無批判に尊ぶこと。

「偶像」は神仏などにかたどり信仰の対象として作られた像。

崇拝や盲信の対象となるもののこと。


◎偶像崇拝を禁じた理由は

イスラエルの神は、預言者モーセに神の指で書かれた石の板二枚、十戒を授け、偶像崇拝を禁じられた(出エジプト記31:18、新改訳聖書)

あなたは自分のために刻んだ像を造ってはいけない。天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形(あるもの)も造ってはいけない。それにひれ伏してはいけない。それに仕えてはいけない(出エジプト記 20:4、「モーセの十戒」)


◎偶像崇拝を命じたのは

ヤロブアム1世は、古代イスラエル王国の分裂前の最後の王で分裂後の北イスラエル王国を樹立した初代の王である。

ヨルダン川渓谷のツェレダの出身で、父はネバデ、母はツェレダの出身のエフライム人である。

若いときにその手腕と勤勉さを買われて、ソロモンによってヨセフの家の管理者に任じられた。

シロ人の預言者アヒヤに会い、ヤロブアムが分裂後の10部族の支配者になると告げられた。

ソロモンはそのことでヤロブアムを殺害しようとするが、彼はエジプトに逃亡してエジプトでシシャクの保護を受ける。

ソロモンの死後、レハブアムが第4代の王に即位すると、不満を持った人々はヤロブアムをエジプトから呼び出して、レハブアムに重税と重労働の軽減を要請したが、聞き入れられなかったので、10部族はヤロブアムを北イスラエルの王として、王国は分裂した。

イスラエルの部族をエルサレムから引き離すためにシェケムとペヌエルを再建して、金の子牛を2頭作り、ベテルとダンに置いた。

レビの子孫でないものを祭司にして、仮庵の祭りを勝手に変更した。

  wikipediaより


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ただダン族は

常に最後尾を
進んでいたことからいえば

最後尾というのは
先頭と同じぐらい
重要な位置なので

もっとも勇敢で
信頼されている部族
ということになると思います。

今までの
歴史改ざんの例からいえば

それだけに
悪く書かれるのも当然かと・・

そこにあるのは嫉妬、妬みドクロ


 * * *


ダン族は
モーセの指示で
契約の箱や祭壇を造り
ソロモン神殿も造った工人の集団。

各地の「だんじり祭り」は
ダン族のお祭りで

木工の技術に
長けたダン族が
木工技術を神様に捧げるのが
「だんじり祭り」の本質。

岸和田が有名だが
主に関西各地で行われている。

族長アミシャダイの時代に
車台形式の山車(だし)を考案したので
神輿(みこし)ではなく山車(だし)

ダン族の祭りだから
ユダ族の扇子ではなく
ダンが名前に入る
団扇(うちわ)を用いる。

ダン族は
部族の最後尾の囮役(シンガリ=尻)を
行進したので、ダン尻(だんじり)

ダン族は
イスラエル分裂後、
北イスラエル王国に属したが

その中では
ヤコブの長子特権では
9番目の扱いになるため

ここから
尻に九の字が用いられている。

尸は「しかばね」と読み
ヤコブが亡くなって
700年でイスラエルは分裂したので
ヤコブの死後という意味が隠されている。

あるいは
戸(ヘブライのへ)の字が
イスラエル(ヤコブの別名)を指すとしたら
戸が分裂して
尸となったとも考えらる。

イスラエルは
12部族が揃って初めて戸の字になる。


 * * *


「だんだん(ありがとう)」は
鳥取、島根、愛媛などで
使われている方言だそうですが

「徐々に、少しづつ」
という意味でも使われていて

「だん」を文字変換すれば

檀、団、段、弾、談、
断、暖、團、旦、灘、騨などが出てくる。

これらの文字を
名前に持つ人や地名は
ダン族に由来したものと言われる。

檀家、仏壇、団扇(うちわ)、
初段、弾く、階段、談笑、切断、
温暖、旦那、酒の灘、飛騨なども

ダン族のなごりの名称という説もあるようです。


 * * *


ヤコブはダンを祝福してこう言いました。

ダンはイスラエルの一部族として自分の民を裁く。

ダンは道辺の蛇、路傍のつのへびとなれ。

これは馬のきびすをかんで乗り手を後ろへ落とす。

エホバよ、わたしはまことにあなたからの救いを待ち望む。



【つのまむし】

パレスチナに生息する
マムシのような毒へびの一種。

機敏で非常に素早く
襲いかかるつのまむしは
馬を攻撃することで知られています。

ですから
創世記49章17節でダンの部族が「つのへび」と
比較されているのは実に適切です。

その箇所でヤコブは
ダンを
馬のきびすをかんで
乗り手を後ろへ落とす蛇
即ち、つのへびになぞらえました。

これは足で
踏みつぶされても仕方のない
草むらに潜む悪どい
蛇でもあるかのように
ダンを卑しめたものではありません。

むしろダンは
蛇のような能力を発揮して
国家の大きな目的に貢献するのです。

彼は
つのまむしのように待ち伏せて
言わば
敵の戦士を乗せた馬の踵を噛み
馬を後ろ足で立たせて
乗り手を後ろへ
振り落とさせることができました。

ですから
ダンは小さくても
イスラエルを
悩ませる者にとっては
つのまむしのように危険な存在でした。

  こちらから引用


 * * *


☆艮(うしとら=丑寅)の金神(こんじん)

カッバーラ(カバラ、ユダヤ密教)では、丑の方角から反時計回りに、寅の方角で終わる十二支でイスラエル12部族を象徴している。

ユダ族のイエスは寅年に生まれだが、ユダ族のシンボルの獅子は干支にはない。

イスラエル12部族の先頭を行進したユダ族は東に宿営したので、東北東の寅の方角がユダ族の方位となり、イエスが隠れたので、立法を意味するトーラーの寅が代用となった。

丑の方角は、イスラエル12部族のしんがりを務めたダン族となる。

丑をシンボルとする仏教は、ネパール経由のダン族から出たので、仏教の丑とキリスト教の寅で始めと終わり、すなわちアルパでありオメガであるというイエスの言葉となる。

キリストよりも仏陀が先に出たのは、丑寅の順番に従ったため。

  こちらから引用


 * * *


☆檀君伝説

桓因(かんいん、帝釈天の別名)の庶子である桓雄(かんゆう)が人間界に興味を持ったため

桓因は桓雄に天符印を3つ与え、桓雄は太伯山(現在の白頭山または妙香山)の頂きの神檀樹の下に、風伯、雨師、雲師ら3000人の部下とともに降り、そこに神市という国をおこし人間の地を360年余り治めた。

ある一つの穴に共に棲んでいた一頭の虎と熊が人間になりたいと訴えたので、桓雄は、ヨモギ一握りと蒜(ニンニクまたはノビル)20個を与え、これを食べて100日の間、太陽の光を見なければ人間になれるだろうと言った。

虎は途中で投げ出し人間になれなかったが、熊は21日目に女の姿「熊女」(ゆうじょ、ウンニョ)になった。

しかし配偶者となる夫が見つからないので、再び桓雄に頼み、桓雄は人の姿に身を変えてこれと結婚し一子を儲けた。

これが檀君王倹である。壇君は、檀紀元前2333年に平壌(ピョンヤン)を都にして、国名を朝鮮と呼んだ。

以後1500年間朝鮮を統治したが、周の武王が朝鮮の地に殷の王族である箕子を封じたので、檀君は山に隠れて山の神になった。1908歳で亡くなったという。

  wikipediaより


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ダン族について
調べることになったとき

とても困惑したのを覚えています困

出てくる情報の
どれもが

ダン族の
残虐さや狡猾さを取り上げ
忌み嫌われているような
印象だったからです。

なぜ
ダン族が聖書で
こんなに悪く書かれているのか
忌み嫌われているのか

なぜ?

と考えていくことから始まりました。


古代史(1~7)と
同じように
ネットで収集した情報を
まとめてみます。


 * * *


◎失われた12部族

【北王国】

ルベン、シメオン、イッサカル、ゼブルン(父はヤコブ、母はラバンの娘レア)

ダン、ナフタリ(父はヤコブ、母はラバンの娘でレアの妹ラケルの下女ビルハ)

ガド、アシェル(父はヤコブ、母はラバンの娘レアの下女ジルパ)

エフライム、マナセ(父はヤコブとラバンの娘ラケルの子ヨセフ、母はエジプトの祭司ポティ・フェラの娘アセテナ)

【南王国】

ユダ(父はヤコブ、母はラバンの娘レア)

ベニヤミン(父はヤコブ、母はラバンの娘ラケル)


 * * *


◎ダン[裁き主]

1. ヤコブの12人の息子のうちの5番目の子で、パダン・アラムで生まれました。

ダンは母親ビルハの長子でした。ビルハはうまずめであった女主人ラケルのはしためで、ヤコブの第二夫人としてラケルの代理を務めた女性です。

そのようなわけで、ラケルはすぐにその男の子を養子とし、『神はわたしの裁き主となってくださいました。それでわたしに子を授けてくださったのです』と言ってその名をダンと呼びました。

ダンの二親を同じくする弟の名前はナフタリです。ヤコブが家の者全員を連れてエジプトに下る時までに、ダン自身にもフシムという名の息子がいました。

17年後、ヤコブが臨終に際して息子たちを床の傍らに呼んだ時、ダンは、イスラエルの12部族の家長として他の11人と共に法的な正式の身分を有していました。

ヤコブはダンを祝福してこう言いました。

「ダンはイスラエルの一部族として自分の民を裁く。ダンは道辺の蛇、路傍のつのへびとなれ。これは馬のきびすをかんで乗り手を後ろへ落とす。エホバよ、わたしはまことにあなたからの救いを待ち望む」

2. イスラエルの一部族で、ヤコブの5番目の息子にちなんで名づけられました。

ダンの息子フシムはシュハムとも呼ばれており、シュハム人はダンのために記載された唯一の家族でした。

ダンはエジプトに入った時、フシムしか息子がいませんでしたが、およそ2世紀後に奴隷状態から出て来た後、その部族の人数は20歳以上の男子が6万2,700人を数えました。

ダンは戦闘に従事する年齢の男子について言えば、2番目に人数の多い部族でした。

荒野ではダンの部族はアヒエゼルを長とし、アシェルとナフタリの部族と並んで幕屋の北側に宿営するよう割り当てられました。

移動の際には、この部族は後衛という非常に重要な位置に就いて進みました。それは彼らの勇気と忠節さと信頼性に対する敬意の表われでした。

約束の地が分割された時、ヨグリの子で長であるブキがダンを代表しており、人数の点では依然として2番目に大きな部族だったにもかかわらず、後に分かったことですが、この部族は最も小さな領土の一つを得ることになりました。

しかし、その7番目のくじでは、ユダ、エフライム、およびベニヤミンの各部族と境を接し、シェフェラの幾筋かの肥沃な渓谷のある地方から地中海沿岸の平原に至る大変望ましい土地が当たりました。

とはいえ、ダンは、エホバから命じられたように不法居住者であった諸国民を追い出さなかったため、ひどい苦しみに遭いました。

そのようなわけで、この部族の一部の人々はパレスチナの最北端に移動し、レシェムもしくはライシュという都市を占拠して、そこを「ダン」と呼びました。

ダンの人々はそのようにして手柄を立てた際、ミカという名の人から彫刻像を奪い、何年も前にダンの成員がエバル山から語られる呪いのために立つよう選ばれたにもかかわらず、その像を自分たちの神として据えました。

その呪いには、『彫刻像や鋳物の像、すなわちエホバにとって忌むべきものを作る者はのろわれる』という言葉が含まれていました。

ダンはシセラの軍勢に立ち向かう裁き人バラクを支援しなかった点で特異な存在でした。

聖書の歴史の中で、ダンの部族の幾人かの人々は際立っていました。

アヒサマクの子であるオホリアブはベザレルを援助するために神の知恵を授けられました。

オホリアブは刺しゅうをしたり、幕屋の調度品に使用する高価な生地を織ったりする高度な技術を持っていました。

20年間イスラエルの裁き人を務めたエホバの忠実な僕サムソンはヤコブの臨終の預言(ダンは……自分の民を裁く)とモーセの予言(ダンはライオンの子)が、いずれも真実であることを証明しました。

ダビデが王になった時、王の軍隊の中に2万8,600人のダン人がいました。

後に、エロハムの子アザルエルはダンの部族の長なる君と呼ばれています。

ティルスの王が神殿を建築するソロモンを助けるために派遣した「熟練した人」の母親はダンの部族の出身でした。

3. パレスチナの最北端の都市。この都市はダンの部族に攻略される以前は、異教徒の住民からレシェムもしくはライシュと呼ばれていました。

ダン人は自分たちが滅ぼしたその都市を再建し、それを「自分たちの父の名によってダン」と呼びました。

しかし、それよりおよそ4世紀も前にケドルラオメルとその同盟軍を「ダンまで」追跡したアブラハムに関する記述の中で同市のことがダンという名称で言及されています。

アブラハムの時代に、その地方がダンという名で呼ばれなかったことを示す証拠となるものは何もありません。

この初期の名称とダンの部族の父祖の名前が一致していたのは偶然のことかもしれず、あるいは神の導きによってそうなったとさえ考えられます。

ダンという地名は五書<ペンタチューク>の申命記 34章1節に再び出て来ます。

この句によれば、ダンは、モーセがネボ山上の位置から最後に約束の地を眺めた時に見た領地の端に当たる土地の一つでした。

ダンはアンティ・レバノン山脈のふもとに位置している(ヘルモン山から遠くなかった)ので、モーセはその範囲まで見ることができたのかもしれません。

この句に見られるダンという地名の使用は、アブラハムの場合にその地名が使用されていることと調和しているのかもしれず、あるいはそれはヨシュアがその書の最後の部分を記録した結果なのかもしれません。

その部分にはモーセの死後の出来事が含まれています。

ダンは「ベト・レホブに属する低地平原」にあり、メロムの水の北方で、レバノンの真下に位置するその地方は肥沃で、よく潤った、非常に望ましい地域でした。

その遺跡はテル・エル・カーディ(テル・ダン)と同定されています。

このアラビア名には「裁き人の塚」という意味があり、したがってヘブライ語の「ダン」の意味が保たれています。

そこにある二つの泉の水は一緒になってナフル・エル・レッダーン川となっています。数キロ離れた所で幾つかの川が合流してヨルダン川となっていますが、それらの川のうちで最も水量の多いのがナフル・エル・レッダーン川です。

この都市はヘルモン山の南側のふもとの小高い塚の上にあり、そこから広々としたフーラ盆地を見下ろせました。また同市はティルスとダマスカスを結ぶ重要な通商路上にあったので、戦略上重要な位置を占めていました。

「ダンからベエル・シェバに至るまで」という表現がよく用いられていることからも分かる通り、ダンはイスラエルの最北端を指す同義語になりました。

ベエル・シェバよりもっと南に幾つかの町があったように、実際にはダンよりもっと北にほかにも町がありました。しかし、ダンは南のベエル・シェバと同様、北の著しく重要な都市だったようです。

シリアのベン・ハダドが侵攻した場合のように、この国が北から攻撃を受けた時、ダンはその位置のゆえに当然のこととして、最初に苦しめられた都市の一つでした。

エレミヤ 4章15節と8章16節のエレミヤの述べた預言的な言葉はそのことを反映しているに違いありません。

王国が分裂した後、ヤラベアムは臣民の注意をエルサレムの神殿からそらせようとしてダンとベテルに金の子牛を据えました。

ヨルダン川の源流の近くにあったダンという都市の廃墟。十部族がユダから分かれた時、ヤラベアムはこの最北の地に子牛崇拝のための第二の中心地を設けました。


  こちらから引用


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10月6日
宮島に行った日の
朝の空

★とんぼのメガネ★-朝焼け12



★とんぼのメガネ★-朝焼け13



★とんぼのメガネ★-朝焼け14



予定のない日に
こんな早起きするなんて
珍しい・・

★とんぼのメガネ★-朝焼け15



★とんぼのメガネ★-朝焼け16



★とんぼのメガネ★-朝焼け17



10月27日
伊勢神宮へ行った
朝の空

★とんぼのメガネ★-朝焼け18



11月10日
分杭峠へ行く朝
車の中から

★とんぼのメガネ★-朝焼け20




★とんぼのメガネ★-朝焼け19



年末の朝

★とんぼのメガネ★-朝焼け21



JR姫路駅

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2012年3月のことです。


もともと私は
子供の頃から知る人ぞ知る(?)

片付け、整理整頓、掃除が超苦手人間。


世の中にどんなに
断捨離ブームが広がろうとも

物を捨てられなかった私。

捨てられないうえに
片付けられない。

本当は
捨てたくてしかたないのに
捨てられない。


整理整頓できないのは
子供の頃からの筋金入り。

小学校時代の机の中は

食べきれずに
残した給食のパンと
宿題のプリントがいっぱいドクロ

先生が定期的に
ガミガミ怒りながらむかっ

机の中をキレイにしてくれてたあせる

みんなの前で
それをされるのは
とても恥ずかしかったけど

それでも懲りない・・苦笑

根っからの横着者
だらしない性格だと
自分でも情けなく思いつつ

もうすっかり諦めてました黄昏

断捨離という
言葉を聞くのもイヤしょぼん
という感じでした。


ところが
ここ2年ぐらいで

そろそろ
片付けられる時期かも~
と思えるようになりました。

それは

目の前に映るのは
自分の内側
という法則を知ったからです。


つまり
グチャグチャで
乱雑な自分の家の中は

まぎれもなく
私の内側を表わしている。

でも、そう思うと
逆に落ち込んでしまい

さらに
今からこれを片づけるのか~
と思っただけで
また疲れてしまう・・ガックリ

ついつい
後回しになってしまい
捨てる気力が出てこない。


というような
ことになったりもしましたが


それでも
受け取って
学んできた時間は
決して無駄ではなく

自然に
断捨離のほうへと
意識が向かって行きましたアップ

背中を押してくれたのは
もちろんAさん・・ポチッ


私が思う断捨離効果は

不必要な物を捨てることで
身も心もスッキリ。

つまり心だけでなく
身体もムダなものが削がれてダイエット!

といっても
私にはダイエットは無縁ですが・・


それと今まで
澱んでいた空間が広がることで
エネルギーが動き出す感じ風

また
物への執着がとれると

過去へ執着や
未来への執着、不安もとれるかと。

それに
じっくり考えて捨てていると

時間がかかりすぎて
結局、捨てられなくなります。

だから一瞬にして
要る物か要らない物かを選択し決断する!

これは
自分にとって
必要なもの、不必要なものを

一瞬にして
見極める練習にもなるかも~って思ってます。

思い残すことなく
思い切って、やり切る感じグー

それに
生きていくのに
物がいっぱいあるのも考えものかと・・

もっとシンプルに

できるだけ
身軽に気軽に
ふわふわと
生きていけたらいいなと思ってます


子供の頃に
漠然と憧れてた生活は

今、思うと
スナフキン的な生き方のようですスナフキン

山下清画伯的生き方といえるかもリュック

ナップザックひとつで
風の吹くまま
気の向くままに

西へ行ったり、東へ行ったり。

たまに
どこかで
回転焼きとか鯛焼きを
もらえたら嬉しいかも~ってaya


と、まぁ
それは置いといて

今の私には
スナフキン的な生き方は
できないかもしれない。

でも限りなく
近づくことはできるはずふわふわ


一番大切にしていたものを
真っ先に捨てると

あとは
かなり楽に
捨てられるようになりました。

結局
大切なものと
必要なものは別物で

生きていくのに
本当に必要なものは

自分が思っているより
少なかったりして・・とんぼ


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2011年2月3日のこと


2010年11月下旬に

「235」という数字が
スーッと見えて以来

とても、この日を意識していました目


「235」が何を表わしているのか

(12月)23日5時なのか
平成23年5月なのか

と思っていたら

主人が
「2月3日の5時」
って教えてくれましたベル

なんで5時?
思いっきり寝てるしぃ~と思って

Aさんに聞いてみると

人にはそれぞれ一日のうちで

気付きやメッセージを
受け取りやすい時間帯があり

私は
午前3時~午前7時
特に5時というのがピークだそうです。


なるほどビックリマーク

どうりで
歯磨きしているときとか
朝、ボーっとしているときに

ふと気付くことが多かったのは

寝ている間に
受け取っていたのを
思い出すからなんですねブーケ2

その時間に
メッセージ的な夢をみることも多いし・・夢


でも
いったい何が起こるんだろう。

と、ワクワクドキドキドキドキ


2月2日までに
あらゆるところで
「23」を見せてもらっていました。

もう楽しみで楽しみで
ワクワクドキドキが止まらない~
って感じでしたニコニコ


そして深夜、寝る前に

夢を覚えさせてください!
目が覚めたら
夢を思い出すようにしてください!

ってか
絶対に何が何でも夢を思い出すぞグー

と決意して寝ましたぐぅぐぅ


でも5時を
意識しているからか
眠りが浅いまま朝を迎え

布団の中で
ボーっとしていたら
夢で聞いた言葉を思い出しました。


Aさんが私に
ニコッと笑いながら

「本来の自分に戻るんやねラブラブ

そうなんや~~
と思った瞬間


突然、頭の中で


私は他の何者にもなろうとしなくていい
私は私として存在するだけでいい



と言ってる
自分の声が聞え
思いっきり飛び起きました。


そっか!
そういうことか~~ひらめき電球


慌てて下に降りて
キョトンとしている主人に
まくしたてるように

夢の話と
たった今
気づいたことを話してる私。

朝から
テンション上がりすぎ音譜


すると、当時
よく読んでいたブログに

「今日は本来の自分に戻る記念日」

って書いてありましたチョキ


私がこの日までに
あまりにも
2月3日5時って言うものだから

主人も気になっていたらしく

朝方に目が覚めて
そろそろ5時かなと思ったら

4:44だったそうです天使


 * * *


私は他の何者にもなろうとしなくていい
私は私として存在するだけでいい


それ以降
常に
この言葉を意識していましたが

感覚として
実感として

どういうことなのか
わかったのは

たぶん
昨年
2012年12月だったかもしれません。

でも
もしかしたら
分かっていたのかもしれない。

それを
しっかりと確認したのが
12月だったのかも。


テーマ:

2012年の
旅の記録に戻る前に

今、古代の妄想話を
まとめていますが

ちょっと難しくて考え中・・うーん

なので、その間に

空の写真をアップします。



太陽の周りの虹輪

★とんぼのメガネ★-太陽の周りの虹1



★とんぼのメガネ★-太陽の周りの虹2



★とんぼのメガネ★-太陽の周りの虹3



★とんぼのメガネ★-太陽の周りの虹4



★とんぼのメガネ★-太陽の周りの虹5



★とんぼのメガネ★-太陽の周りの虹6



虹

★とんぼのメガネ★-虹1


写真では
わかりにくいですが

見事なまでに
大きな
ダブルレインボウ虹

この虹を
もっと見たくて
友だちの車で
虹を追っかけました

★とんぼのメガネ★-虹2



★とんぼのメガネ★-虹3



★とんぼのメガネ★-虹4



★とんぼのメガネ★-虹5



★とんぼのメガネ★-虹6



★とんぼのメガネ★-虹7



このブログ(PC)の
デザインに使っている
ダブルレインボウの写真

千ヶ峰へ行く途中に
雨のぱらつく中での撮影です

★とんぼのメガネ★-虹8



★とんぼのメガネ★-虹9



★とんぼのメガネ★-虹10

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