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thessalonike5
辺見庸の尖閣論 - その中国批判の誤認と偏見と混乱
辺見庸の新著『国家、人間あるいは狂気についてのノート』を読んだ。ほとんどが一度読んだことのある文章で、『生首』や『眼の海』に所収されていた詩も多く再録されている。重複している。鵜飼哲との対談が載っていて、これは初めて見るものだった。そして、対談を含めて、内容のかなりの部分を中国関係の議論が占めていて、尖閣問題についての辺見庸の認識が示されている。読みながら、正直なところ、違和感を感じるところが多かった。尖閣問題の見方として、中国政治論として正確と思えない認識や主張が随所にある。現在の右翼化の政治状況を考え、また辺見庸の影響力を考えると、無視して放置するわけにはいかない。対談の中の発言を引用しよう。「結論から言うと、僕が完膚なきまでに太刀打ちできないと思ったのは中国だけです。つまり、国家概念というものが、中国という事実と、我々が考えるネーションというあらまほしきイメージとが比較にならないほど違うのです。(略)僕はあの国だけとは喧嘩しようとは思いません。事実のレベルが違う。中国は日本に対して戦争を構えていると思うんですよ。いわば戦争という破滅を前提とする発想があるのです。その発想と、日本が掲げる『何年か遡れば領土の正統性はこちらにあるんだ』という理屈、このレベルには恐ろしいものがある。彼らにとっては正統性なんて問題ではない。(略)つまり、滅亡を組み込んでいるということです」。(P.168-169)
「そのくらい深刻だし、僕は日中関係とは常態として戦争なのだと思っています。彼らにとって『問題は存在しない』と言うこと自体があり得ないわけです。その言葉によって、彼らは非常にプライドを傷つけられる。中国という次元の違うところで生きている人々とどう折り合うかという発想が僕にはありません。ただ、何をやっても適わないという思いがありあるだけです」(P.169)。中国がいわゆる近代国家の尺度では測れない巨大さと異形さを持った国で、こんな国と紛争などしても勝ち目はないし意味がないという主張、これは横丁の隠居の政治洞察としてはいいだろう。しかし、中国が尖閣問題について自己の立場の正統性などどうでもよいと考えているという認識は間違っている。これは、尖閣をめぐる日中関係の捉え方として根本的に誤った発想だ。この辺見庸の指摘は、中国は、尖閣領有について国際法の根拠などどうでもよく、武力で奪取して確保すればそれで決着すると考えているとする、右翼が情報工作で撒いている偏見と通底する。尖閣問題の中国の一貫した原則的立場は、尖閣は日中間で棚上げになっているとするものである。この立場が中国の尖閣についての正統性であり、きわめて重大で揺るがせにできない国家条理に他ならない。棚上げということは、中国の主権主張も下ろさないということであり、日本の実効支配を認めつつ、将来の世代で解決を図るとする合意の存在と尊重である。この合意こそが決定的な正統性の核心だ。
この棚上げ合意の正統性は、中国にとって神聖不可侵なものである。なぜなら、ここには人民中国(PRC)の二人の偉大なカリスマが深く関わっているからだ。一人は周恩来、もう一人は鄧小平。PRCの64年の歴史の中で、最高の尊敬を与えられている聖人はこの二人である。立国の精神的支柱そのもの。尖閣の棚上げを否定するということは、周恩来と鄧小平の二人を侮辱し貶下することを意味する。1972年に周恩来が、1978年には鄧小平が、日本との間で尖閣の棚上げを合意し確認した。これこそまさしく正統性の根拠であり、この歴史的事実に勝る正統性などない。そのことを知りながら、あるいは知らず、「彼らにとっては(尖閣の)正統性なんて問題ではない」とはどういう言い草だろう。辺見庸のあまりの政治音痴と、そして中国に対する(右翼並みの)偏見の弄言に呆れる。中国が尖閣沖に公船を繰り出し、「領海侵犯」を重ねる挙に出たのは、日本側が棚上げの合意をバイオレートしたからである。国交正常化時に協議して成った合意こそ国際法だ。違約は日本側にある。中国の現指導部が、尖閣の棚上げを撤回し、中国の主権を放棄することは、周恩来と鄧小平の否定であり、自ら国家(PRC)の正統性を否定することを意味する。また周知のとおり、米国は尖閣の領有権について、日中のどちらに属するとも判断しておらず、またICJに上程しろとも言っていない。二国間で話し合って決める問題だと言っている。
「中国は『一皿の散砂』か」と題した文章には、こういう記述もある。「中国には日本脅威論、軍国主義復活論がある。戦後の国際秩序に重大な挑戦をしたのは、尖閣諸島を一方的に購入、国有化した日本である、という被害者意識もある。相手を理不尽な加害者と断じ、みずからを被害の側に置いて、戦いを正当化し民衆とメディアを奮いたたせるやり方は近代の戦争の特徴であったし、かつては日本の対外侵略の際の"得意技"でもあった」(P.30)。朝日の社説を読んでいるようでもあり、浮薄な脱構築系の誰かの話を聞いているようでもある。「日本の対外侵略」の一節がなければ、右翼系の新聞の論調と変わらない。年末の衆院選の会見のとき、尖閣問題は石原慎太郎が石を投げたところから始まったのだと、そう真因を喝破した山本太郞の直言と比較しても雲泥だ。辺見庸は尖閣問題について、「内政、経済の矛盾、爆発寸前の民衆の不満を領土問題で逸らし、狭隘な民族主義、愛国主義を煽るプロセスは、日中韓で手法上の違いはあれ、行き詰まった国家権力の常套手段である」(P.28)と見ている。これが基本認識だが、こんな的外れな認識でいいのだろうか。私は、これは、尖閣問題について人々をミスリードする議論だと思う。確かに、9月に諸都市で起きた反日暴動は尋常ではなく、商店への襲撃や放火や略奪については全面的に中国側に刑事責任がある。正当化はできないし、それを幇助したのが行政当局であることも否定できない。
しかし、中国側に言わせれば、「これくらいでは済まないぞ」というのが本音だろう。あのとき、中国政府は、「(暴動によって生じる被害の)全ての責任は日本側にある」と言い切った。つまり、あの瞬間、日中平和友好条約の関係がリセットされ、戦争状態になっているのである。1931年の柳条湖事件からの日中戦争の続きになり、1千万人を超える戦争犠牲者に対する報復が始まっているのだ。日本側が国交正常化の約束を反故にするのなら、中国も戦争賠償を放棄した1972年の共同声明を破約し、戦争終結以前の二国間に戻ると憤っているのであり、1千万人の虐殺や凌辱の犠牲と苦痛に較べれば、あの程度の応報の罰など軽いものだと中国は怒っているのである。この言い分は、国際法(law)の常識からは正当化できないものだ。しかし、辺見庸は、crimeとsinは違うのだと何度も言ってきた人間ではないか。72年の共同声明をもって、あるいはODAの実績をもって、日本が20世紀前半に中国で犯した異常で凄絶な犯罪群が、清算され代償され、大罪に対する責任が果たされたと言えるのだろうか。今回の襲撃や略奪で被害を受けた日本人の商店主や経営者は、実行犯や中国当局に損害賠償を請求して当然だろう。だが、それを報道で見たわれわれは、決してその立場と同じではないし、受け止めて思うべきは過去の罪業に対する反省である。考えるべきは、1931年から1945年の重い歴史である、日本人の中国人に対する殺戮と強姦であり、略奪と放火である。
同じ本に「口中の闇あるいは罪と恥辱について」という文章がある。引用しよう。「ここではなかんづく、口腔の奧に底知れずとどこおる闇の性質について語らなければならない。日本人医師たちが外国で男性『患者』に手術しようとした。ところが、『患者』はおびえていっかな手術台に上がろうとしない。そこで日本人看護婦が進み出て『患者』に向かって彼の母国語で『麻酔をするから痛くありません。寝なさい』と優しく囁きかけたところ、患者はうなづいて手術台に仰向いた。看護婦は医師を振り返って<どうです、うまいものでしょう>と言わんばかりに笑いかけ、ペロリと舌を出してみせたのだという。(略)さて、医師らは『患者』に腰椎麻酔などを施してから、虫垂切除、腸管縫合、四肢切断、気管切開などを事前の計画どおり次から次へ行ったという。虫垂炎でも大腸ガンでもない健常な男に、である。生きたままバラバラに切断され、ついに絶命した『患者』は衛生兵らにより運ばれ、他にも『患者』ら多数の屍が埋まっている穴に放り込まれた。1942年、中国山西省の陸軍病院でいつもどおり何気なく実行された生体手術演習のひとこまである。で、この演習に幾度も参加し戦犯として裁かれ帰国した元軍医が、演習から約半世紀後の1993年に開かれた『戦友会』で、ゆくりなくも舌ペロリの元看護婦に再会する。(略)元軍医によると、彼女は生体解剖というよくないことがあったくらいは漠然と覚えてはいたが、具体的な光景は(略)忘れていたのだという。(略)医師らは生きたままの中国人を粛々と切り刻み、帝国日本の医学に資することのある種の達成感にひたったようである(P.58-62)。
再び鵜飼哲との対談(「歴史の狂気について」)に戻って、辺見庸はこう言っている。「ある日、僕が中国から国外退去処分を受けて十年目を迎えたときのことです。中国大使館から電話がかかってきて『食事をしたい』という申し出がありました。僕は参事官と食事をしました。『あのときはやむをえず退去処分にしたけれども、あれはこういうことだったんだ』」という話から始まりました。つまり、あの人たちは歴史を覚えているということです。僕は個人史のなかで思い出したくもないから記憶から末梢しているわけです。しかし彼らは覚えていて、十周年というときに僕を呼びつけて『食事をしましょう』と言うわけです。(略)日中関係は現代史そのものです。中国の人はその日の午前中に起こったことのようにして出来事を肉体化していますから、いくらこちらが忘れたと言っても許してくれるはずがありません。(略)完全にこちらが悪いわけでしょう。慰安婦問題にしても、南京大虐殺にしても、どれほどの人を殺しているか。そこをそっくり忘れてしまうのは日本人だけです」(P.180-181)。こういう中国認識と正義論を持ちながら、その視角から尖閣問題や反日暴動を捉えられないのはなぜだろうか。理解に苦しむ。辺見庸は、反日暴動について当局の扇動によるものと一面的に決めつけ、民衆の不満を排外的ナショナリズムで逸らそうとする政治だと断定するが、一方で、日本に対して少しでも弱腰姿勢を見せたら、民衆が政府を攻撃して転覆するという分析がある。つまり、日本に対する憤激は政府よりも民衆の方が大きいというのが事実なのだ。
ガス抜きとして、あの程度は演出しないと、本当に中国在住の日本人が襲撃されるところまで行くという情勢不穏があり、それをコントロールすべく官制の「反日暴動」が発動され、一部で過激化したという説明がある。一理ある見方だろう。レーダー照射問題のとき、外交部報道官の華春瑩は、「私たちは、柳条湖事件、上海事変、盧溝橋事件のときに日本が何をしたかよく覚えている」と言った。そして、その手口と今回のレーダー照射事件が同じだと言い、中国に対する情報戦の謀略だと非難した。華春瑩の発言の真意が奈辺にあるかは、加藤陽子の『満州事変から日中戦争へ』を読むと分かりやすい。この岩波新書は、日本の情報謀略の手口に焦点を当てた日中関係史である。華春瑩の質疑応答について、日本のマスコミは叩きまくったが、私は、彼女の一瞬の逡巡も含めて、非常に正直で分かりやすい態度に感じた。中国の人々は歴史を忘れてないのであり、日本軍による凄惨な虐殺と強姦を忘れてはいないのだ。柳条湖事件、上海事変、盧溝橋事件、その後に続いたのが南京大虐殺だった。尖閣の問題は、辺見庸が言っているような安直な大国の領土問題ではない。歴史問題(=イデオロギー問題)そのものなのだ。
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thessalonike5
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2013-03-04 23:30
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韓国憲法前文、三・一独立宣言書... >>
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Don't know much
at 2013-03-04 20:03
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今の日中に必要なのは歴史を議論することではないと私も思います。
歴史を議論すれば平和と和解が訪れるという甘い状況ではありません。脱構築の偽哲学のがん細胞は、あちこちに転移しています。アカデミズムも、マスコミも、書店も。
まずは、平和でありたいという感情に正直になることだと思います。
そして、心の落ち着きをとりもどしたときに、少しずつ解決をしていけば良いと思います。
Don't know much about history
http://www.youtube.com/watch?v=jNO72aCnVr0
棚上げ論こそ、平和の極意であり政治の芸術です。サム・クックの気持ちが少しはわかるような気がします。
Commented by
D900
at 2013-03-04 21:31
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中国が怒っていることの根拠の説明でしょ。
「棚上げ」論は、要するに日本が政治的な取引を無視したと言うことであって、尖閣を自国領だとする「正当性」の根拠そのものではない。
違いますか?
歴史的・国際法的な立場から、中国が尖閣を自国領だという「正当性」は何なんです??
むろん「棚上げ」にしていた尖閣問題をこじらせたのは、石原慎太郎にびびった民主党政権であるとは思いますが。
そして、15年戦争で、日本が中国を侵略し多大な被害を与えたことを否定するつもりもありません。
が、それはそれとして、尖閣が中国領だという「正当性」は極めて薄弱なように思うのですがどうでしょう?
Commented by
D900
at 2013-03-04 21:32
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続きですけど・・・
辺見庸氏が言うところの
>日本が掲げる『何年か遡れば領土の正統性はこちらにあるんだ』という理屈、このレベルには恐ろしいものがある。彼らにとっては正統性なんて問題ではない。
その通りじゃないですか?
中国が怒るのは、僕は理解できますよ。
国有化して、先に「棚上げ」を壊したのは日本だろうと。
その通りです。
それは否定しない。
でもね、それ以前の問題として、そもそも尖閣が中国領であるという「正当性」は何でしょう?
もはや、そのような「正当性」は中国にとって問題にならないのじゃないですか。
辺見庸氏が言うように。
Commented by
カプリコン
at 2013-03-04 21:36
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『国家、人間あるいは狂気についてのノート』は、読んでいませんが、辺見庸の歴史認識が今日の記事の通りだとすると、もう日本に正しい言論を伝える知識人が皆無になりつつあるんだと感じてしまいます。
「戦争と人間」の2部は、天皇機関説が問題になった頃から始まり、特高による陰惨な拷問、中国侵略を進める軍部と後押しをする企業の様子。2.26事件や中国人への人体実験の様子も描かれていました。最後は,盧溝橋事件で日中戦争が始まるところで終わりました。
大俳優と言われる方々が、日本人の役だけでなく中国人や朝鮮人の役になりきり中国語や韓国語を話し、高橋英樹が対ロシア対策の軍の特務機関員としてロシア語を話す場面もありました。いろいろな立場の人間が戦争という底なし沼に引きずり込まれていく様子が熱演されています。
この映画の製作に関わったたくさんの方々が戦争の愚かさや平和について真摯に考えていたことが伝わってきます。
収束しない原発事故・隠蔽された放射能汚染、政治家を筆頭に女性蔑視の風潮、おまけに首都では他民族を排除する下劣なデモ・・。オリンピック誘致なんて世界中の笑い者です。
得体の知れない異形の国、狂気の国はむしろ日本でしょ。
Commented by
ヒムカ
at 2013-03-05 03:02
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「沖縄」の歴史は悲哀にみちています。
ドラマでは、つつましく牧歌的な美しい国の物語として描かれますが、実は旧琉球王国のもとでの民衆の暮らしは貧しく「蘇鉄地獄」とまでいわれました。
琉球処分後、「琉球藩」となった沖縄県民の暮らしは相変わらず貧窮であり、沖縄県知事井野次郎は1932年「第1回沖縄振興計画調査会」席上で、>「沖縄県は、常食のサツマイモも食べられない状態…略…いわゆる飢餓地獄の場面が展開している」と訴えています。
が、沖縄の政治は、いつも中央の政界にもたれかかっていて主体性のない状態が続きます。(政治家は所謂「政治屋」であり、地元で生活し苦楽を共にすることはなかった。)
明治5年9月14日、尚泰を藩王に封じ、「華族に列せらるる詔勅」が下されました。そうして9月20日、新貨幣並びに紙幣3万円が王に下賜されたのですが、尚泰は、藩内の百姓の年貢を軽減することはなく、3万円の小遣は一円だって人民に還元しませんでした。
今日でも、大多数の人々が独立した理性と感情を欠いて政治の指導者に依存しているように見えます。失望の結果、人々は懐疑的なままで信頼を回復してくれる奇蹟を待ち望んでいるのでしょうか?
Commented by
長坂
at 2013-03-05 04:21
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>中国は日本に対して戦争を構えていると思うんですよ。いわば戦争という破滅を前提とする発想があるのです。(by辺見庸)
>中国が果たしたいのは、1840年のアヘン戦争以来の民族の屈辱を晴らしたい事であり、貧富の格差をもたらさずに経済発展したい。それを達成できなければ社会主義体制は崩壊するからだ。−チャイナナインの鉄の理念−社会主義の崩壊を絶対避けるー戦争など仕掛けて、中国の誰が得をするのか。(by遠藤誉)
私には遠藤さんの本に書いてある事の方が説得力がありましたが。。
Commented by
政治学的着火剤を抜け
at 2013-03-05 04:25
x
本当の危機ですね、日本人は。この人においてこのやまひありとは、驚きでした、最近辺見庸は読んでなかった。詩人個として「諸大国」をとらえるとそうなってしまうのか、マスゴミ・取り巻きの陋見故か、はたまた、孫崎享と対決してないのか。個人に対して詐欺事件が発生するように、国家の指導者集団に対しても企図される、あらゆる手段を用いた「誘導」。この「国際覇権論」が、ウヨだけでなく、日本の左翼知識人にも弱かった。冷戦下の不沈空母環境にヌクヌクされて、馴致されてしまっていたのか。飼い主の意図を推し量ることも出来なくなってしまっている日本人。(ベイ軍は解放軍だ、と今でも有名某出版社あたりでは信じてそうだw)敗戦の直後にまで歴史を戻して日本人と国家と領土とを考えてみよ、と孫崎は論じたんじゃなかったっけ。領土係争地とは係争地となるように未解決にさせられた、埋設地雷として仕込まれておる、・・・とや。チイロい猴どもの間に仕掛けられた紛争装置・・・。
Commented by
ち
at 2013-03-05 04:31
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歴代琉球王国の支配島数に数え挙げられておりません(つまり琉球人の領土にはされてなかった)(明治の領土標柱を立てる時のコソコソぶりは記録を御一読あれ。略)
ようするにセンカク島島の存在は太古から知られ以って漢字までつくられておった。そこを行き来して貨幣の貨を、貝をひさいでおった者がいた。それが琉球人日本人になって行ったのだ。南方ルートだ。つまり琉球人日本人成立の媒介諸島であった。たんなる渡海標識にあらずして、大陸人を琉球人日本人に転換する歴史装置であった。けっして、他人を排除して独り占めの略奪を展開する領地ではなかった。
そこにはアジア的領土様式が適用されてきたのだ。何千年も。
国民国家の幻想を破りすてよ、どうせ日本は敗戦によって成立させられた傀儡国家の現実だ。海底油田がある、などと地雷を仕掛けられてしまったら、色めき立ってしまった欲深が出来してしまった。「沖縄は日本のものだ」などというマヌケまでもいる。沖縄は沖縄のものだろ。欲ホレ
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