2013-03-04
■ラブライブ9話と都市論
ラブライブ9話を見て、驚いたのは都市論を持ち出してきたことだ。
ラブライブ9話を見て
その中で、都市論が話題になっているのを思い出した。
幾原: 僕が先生のマンガで好きなのは、街の話を描いているところ。
都市論みたいなのがでてくるのがすごく好きなんです。
「天馬」は、都から追われた男の人
と女の人の話でしょう。そういうところとか、あとイスマイルが都の快楽に体を毒される
じゃないですか。「俺のことかな?」って(笑)。僕ももっとチヤホヤして欲しいとか、
草原の民だというのを彼自身忘れかけてる。「風と木の詩」も最後、
街で話の決着がつくじゃないですか。セルジュの両親なんかも街を追われた人だし。
“街” と、“もう一人の自分”の話はすごく惹かれますね。もう一人の自分、
半身の話を描く少女マンガ家は多いんですけど、都市を描く人がいないんですよね。
都市論がなく、親兄弟や隣人などだけで語られる半身の物語って、やっぱり脆弱だと
思うんですよ。だから、同時に都市論を描く先生のマンガは、必ずその時代を
あぶり出してるように見えるんですね。
そこが、その他の半身の物語と一線を画しているところだと思います。
竹宮: 私にとっては、生活感がないものはつまらないというのが基礎的な部分なんです。
人間も、まあ、ひとつの細胞だと思ってて、それが死というものを司っているのかって
捉え方なので、“都市全体が身体なんだ”っていうのがないと世界が描けない気がする。
住んでる街によって、近代的になっていく人もいるし、田舎臭くなっていく人もいるし、
環境がすごく作用するもんだから、描かなきゃしょうがないんですけど、
私にしてみれば。
でも、それが都市論として作品の中で昇華されているかと言えば甚だ疑問だった。
今期で言えば「たまこマーケット」に多少、都市論的な部分を期待していたが
「商店街で育ったからたまこは●●だ!」という部分があまり感じられなかった。
その中で、ラブライブが都市論みたいなものをやったのには非常に驚いた。
秋葉原という都市にスポットライトを当て、その都市としての意味を考える話をやった。
しかし、よく考えてみれば意外なことではないのかもしれない。
「さっき町を歩いていて思ったの。次々新しいものを取り入れて、
毎日目まぐるしく変わっていく。この街はどんなものでも受け入れてくれる」
まさにそのままこのラブライブというアニメそのものを表現しているともいえる。
「次々と新しいものを取り入れて、毎日目まぐるしく変わっていく」
どんどんとハイスピードで新しいものを目まぐるしく魅せてくれる。
それを感じさせる、とか。
3DCGとの相性が良いとか。(かつての電気街・秋葉原の印象を覚えている人間として)
前にn_euler666さんが
「才能を持ったやつがいない。というのは、ラブライブの特徴かもしれん。みんな、負けてくすぶってたやつらばかり。」
と言っていて、
karimiさんも「ラブライブの連中には才能を感じさせるような描写がない」
と言っていた。
彼女らは世間一般でいう生まれ持った才能はないのかもしれない。
『人は才能が全てではない。
では意志は?
それはまた今度にしよう。
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