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犠牲者の氏名伝える意義は 朝日新聞「報道と人権委員会」

:藤田博司委員拡大藤田博司委員

:宮川光治委員
拡大宮川光治委員

:長谷部恭男委員
拡大長谷部恭男委員

 朝日新聞社の「報道と人権委員会」(PRC)は2月20日、「アルジェリア人質事件の犠牲者氏名の公表問題」をテーマに定例会を開いた。政府が日本人人質全員の氏名を非公表としていた時点での犠牲者氏名の報道の是非や、メディアの集団的過熱取材(メディアスクラム)対応などについて意見を交わした。

    *

 藤田博司委員(元共同通信論説副委員長)

 宮川光治委員(元最高裁判事)

 長谷部恭男委員(東京大学法学部教授)

 ■藤田委員「事実報道、民主主義の支え」 宮川委員「『死者の叫び』語らねば」 長谷部委員「現実との重要な係留点」

 ――犠牲者氏名の報道について、一般の人たちから批判があった。なぜ実名が必要なのか。

 藤田委員 この問題の大きな前提は、ジャーナリズムの役割は何かという点だ。ニュース報道は公共の関心に応えるためのものだ。情報を広く社会に伝えることは、民主主義を支える条件の一つだ。ニュースの報道は正確な事実に基づかなければならないし、その事実の中には当然、「誰が」という情報が含まれる。

 もう一つのジャーナリズムの役割は、歴史に記録を残す仕事だ。可能な限り、具体的な事実を記録する必要がある。そういう立場に立てば、ニュース報道は実名が原則だ。人権やプライバシーに配慮する必要から匿名にする場合もあるが、それはあくまで例外だ。そう考えると、犠牲者の氏名をなぜ公表する必要があるのか、おのずと答えが出る。

 実名が必要なもう一つの根拠は、それが情報を検証する際の手がかりになることだ。氏名がなければ、情報を検証する手立てがなくなってしまう。

 ここ数年、メディアに対する市民の不信感が広がっているのは、メディアスクラムなど取材過程で生じた人権侵害と見なされるような事態がインターネットなどで一般市民の目や耳に届くようになったのが原因ではないか。

 宮川委員 さらに、二つの視点があると思う。一つは死者の尊厳という視点だ。単に数としてしか扱わないことは、死んでいった人たちの尊厳を否定するに等しいことではないか。社会は、非業の死を遂げた人々を匿名のまま葬ってはならない。私たちはその名を記憶し、その無念の思いや怒りを共有していかなくてはならない。たしかに少なからぬ人たちが、遺族の方々の悲嘆に心を寄せ、そっとしておいてあげるべきだと考えている。プライバシーを守るためには氏名の非公表も許されると考えている。だが、死者の叫びはどうなるのか。死者は沈黙しなければならないのか。死んだ人たちは語ることができない以上、私たちは代わって語らなければならない。報道機関の役割の一つだと思う。

 もう一つは社会の側からの視点で、事件の全容を正確に知る必要があるということだ。事件の全容とその背景を解明して、再びこのような事態を招かないためには何をすべきかを考えなければいけない。それは社会防衛という点からも非常に大切だと思う。匿名は虚構や隠蔽(いんぺい)を生じさせ、真実を遠ざけることがある。犠牲者の氏名を知り、その人となりや仕事の内容と行動を知ることは、そうした解明作業の基点であるということだ。

 長谷部委員 新聞もテレビも、現実そのものを生の形で伝えることができない。可能な限り現実から離れずにあろうとすると、現実との係留点になるポイントをいくつか押さえ、受け手に示さないといけない。実名は極めて重要な係留点だ。仮名や匿名では、係留点がぷっつり切れるので、ふわふわ浮かんだようなイメージを伝えることになってしまう。そのようなメディアで健全な民主主義を支えていけるのか。

 読者の中には実名まで知りたくないと言う人もいる。だが、マスメディアは公共財であり、同一の情報内容が社会全体に共有されて初めて存在意義がある。一人一人の好みに合わせて情報提供の中身を変えてはならない。そのことを、読者にも理解してもらうようにしなくてはならないと思う。

 ――生存者の氏名を報道することの法的な問題は。

 宮川委員 報道機関による報道は、個人情報保護法の適用外だ。また、氏名はプライバシー保護の対象ではない。犠牲者も生存者も、その氏名を公表することは法的に何ら問題ない。

 ■遺族への配慮

 ――取材の現場では、遺族らから匿名を求められることがある。遺族への配慮をどう考えるか。

 藤田委員 遺族や、その直接の関係者の感情には十分な配慮をすべきだ。遺族らに「書いてほしくない」と言われた場合、無理やりさらに詳しい情報提供を求めるのは難しい。記者は相手の気持ちを尊重し、無理強いするべきではない。

 だが、たとえば政府当局から取材した情報の報道を、記者が遺族に配慮して手控える必要はないと思う。現場の記者が政府当局から犠牲者の名前を入手した場合、仮に当事者の企業や遺族がその公表に反対しても、メディアとしては公共の関心に応えてニュースを一刻も早く報道する役割に徹すべきだ。

 今回の事件で政府は、遺族や企業への配慮を理由に犠牲者の氏名の公表を数日間拒んでいたが、事件に対する関心の大きさから見ても、政府としては当然、早急に公表すべきだった。

 宮川委員 遺族は精神的な衝撃を受けた直後なので、一人一人の遺族への取材では、十分な配慮をしなければいけないのは当然のことだ。ただ、本件のような事例では、遺族は氏名の報道を拒否できないと思う。氏名を報道するかどうかは、報道機関がその責任において判断することであり、遺族が決めることではない。そのことははっきりさせておいたほうがいい。

 この間のニュースを見ていると、一部の遺族の方々が、つらい中でも取材に応じて語っておられる。その語りで、亡くなった方の人となりや人生が、私たちの心にしみわたってくる。悲しみや怒りを共有することができる。それが大切なことだ。ほかの遺族の方々も、時期は別として語っていただきたいと思う。

 長谷部委員 この事件について、遺族の方の感情や、亡くなった方の名誉やプライバシーなどを理由に氏名を出さないというのは、なかなか簡単には説明しにくいところではないかと思う。

 過熱取材などで、遺族の方々が迷惑をこうむる心配がないわけではないが、その点は、代表取材などの適切な取材の仕方が考えられるはずだ。たとえば一つのアイデアとして、犠牲者の勤務先の日揮がそうした段取りをするなど、いろいろな方法があったと思う。そういう観点からも、遺族の要望があるから報道機関が氏名を出すべきではない、という話にはなりにくいのではないか。

 ■メディアスクラム

 ――今回の取材でメディアスクラムは起きたのか。

 山中季広・社会部長 亡くなった方の名前や住所がわかり、各社が家の前に集まった。ただし、連日深夜まで入れかわり立ちかわりインターホンを押すとか、自宅の前に中継用のやぐらを組むようなことは防げた。スクラムには至らずに済んだと認識している。

 ――遺体と生存者が帰ってきた1月25日、東京に本社を置く主要な新聞・放送各社でつくる在京社会部長会は「節度ある取材に努める」という申し合わせをした。これでメディアスクラムを心配する人たちの理解は得られたのか。

 藤田委員 和歌山カレー事件や秋田・藤里町の児童殺害で発生したような大がかりなメディアスクラムは、今回は起きなかったのではないか。

 宮川委員 今回、集団的過熱取材というほどの現象は起きていない。ただ、それは、取材対象が1カ所でなく多くの場所に散らばっていたからかもしれない。「節度ある取材に努める」という申し合わせだけでは、社によって解釈が違い、現場で混乱が生じることもあり得る。事案によっては、2001年の日本新聞協会の見解=キーワード=を参考に、具体的に申し合わせ事項を決めないと、批判を受ける事態もあり得る。

 長谷部委員 「節度ある取材」がどういうことを指すか、世間一般にわかるように折々に紙面などで確認するといいのではないか。

 ■生存者への取材

 ――メディアは事件の検証をしようとしているが、生存者の取材は非常に難しい。取材ができたとしても匿名になる可能性が大きい。

 藤田委員 今回の事件の生存者にはぜひ事件の実相を証言してもらわねばならない。当該企業が生存者への取材を拒んでいるというのは理解できない。

 一般的に言うと、テロに巻き込まれた生存者の安全が確保されていないような状況では、名前を出さないこともあり得る。しかし、今回のようにすでに帰国していて、安全を脅かされることはない状況で、いまだに名前さえ報道できないというのはおかしい。取材する側としては、生存者の取材を認めるよう説得し続けるほかない。

 長谷部委員 今回の事件を報じた外国メディアで、匿名の外国人の人質が「楽しかった」というような発言をしていたという報道があった。自分の身元が明らかにならない匿名での発言は、現実と縁の切れた、ふわふわした発言になる危険性がある。

 宮川委員 メディアによる検証記事や番組をみていると、アルジェリア人やフィリピン人など外国人生存者の証言によって、今回の事件の現場で何が起きたかが解明されつつある。証言した人たちに敬意を表したい。

 トラウマがあって話しづらいということもあるだろうから、取材する側には配慮が求められる。しかし、日本で生存者の氏名がいっさい公にされていないのは、尋常ならざる事態ではないか。私は、生存者の方々は死者のためにも語るべきだと考える。

 ◆キーワード

 <集団的過熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解> 事件・事故の際見られる集中豪雨型の過熱取材への批判を受け、2001年12月にまとめられた。集団的過熱取材(メディアスクラム)について、「当事者や関係者のもとに多数のメディアが殺到し、プライバシーを不当に侵害し、社会生活を妨げ、多大な苦痛を与える状況を作り出す取材」と定義。すべての取材者が最低限順守しなければならない点として、(1)いやがる当事者や関係者を集団で強引に包囲した状態での取材は行うべきではない(2)通夜葬儀、遺体搬送の取材では、遺族らの心情を踏みにじらないように十分配慮する(3)静穏が求められる場所での取材では、取材車の駐車方法も含め、近隣の交通や静穏を阻害しないよう留意する――の三つを挙げた。

 ■アルジェリア人質事件報道の経緯

1月16日 アルジェリアの天然ガス関連施設をイスラム武装勢力が襲撃し、日揮社員らを人質にとる

  17日 アルジェリア軍が人質救出作戦を開始

  21日 日本政府が日本人7人の死亡を確認。政府は犠牲者の氏名について「日揮と相談して公表は避けてほしいということだったので、発表しない」

  22日 朝日新聞が朝刊で一部の犠牲者氏名を報道。内閣記者会が、政府に被害者の身元公表を申し入れ

  24日 政府が犠牲者10人を確認

  25日 朝刊でマスコミ各紙が10人の名前を報道。犠牲者(1人を除く)の遺体が日本に到着。政府が犠牲者10人の氏名を公表。在京社会部長会が「節度ある取材」を申し合わせ

 ◇司会=森純一・報道と人権委員会事務局長

 ◆PRC(Press and Human Right Committee)

 PRCは本社の報道にかかわる人権侵害を救済するための第三者機関です。申し立ては、手紙で次の宛先に送って下さい。

 〒104・8011 朝日新聞「報道と人権委員会」

 

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