揚力(LIFT)について
L(Lift)=1/2・CL・ρ・S・V2
揚力の大きさはρ(流体の密度)、CL(揚力係数)、S(代表面積)、V2(相対速度の二乗)に比例した関数として表される。CL(揚力係数)は迎角、物体形状、物体の物性、レイノルズ数、マッハ数等によって変化する係数である。
揚力が発生すための大前提として、流体が物体の廻りを循環運動するという事がある。下図で示す太い矢印線のように流体の流れが物体の回りを循環しようとしているのである。実際には物体(翼)の前面を流れる流体の流れとぶつかり、きれいな円弧のような循環にはならない。粘性があるからこのような現象が起きるのであって、粘性が全くない流体では揚力は発生しない。

だから翼の形をしていなくても平たい板でも野球のボールでも紙飛行機でも水中のセンターでも揚力は発生し得るのである。魚の尾ビレやスクリューは揚力を利用している。
ヨットでは推進力(エンジンの代わり)として物理的に揚力と抗力の2つを相対的な風向きによって使用している。揚力が鳥や飛行機の翼からイメージできるなら、抗力は帆掛け舟や一般的な風圧抵抗としてイメージすることが出来る。下図に示すように物理的には揚力は流体方向に対しての直角成分であり、抗力は流体方向成分である。

揚力がV2(速度の二乗)に比例するという事はとても大切で、風速が2→3m/sになると揚力は9/4=2.25倍になる。実際のヨットでは艇の前進速度もベクトル的に加わった見かけの風速になるのでもっと倍率は上がる。この事は、出来るだけ他の場所よりも風の強いブローを走ったり、風が無いときにロッキングして強制的に艇速を上げたり、ラルでは角度よりも速度が落ちないようにする事が物理的に有効な方法である事を示唆している。
次に揚力はρ(密度)にも比例し、同じ風速でも空気の温度が低い(密度が大きい)冬の方が夏よりも揚力は大きい。実際には、気温5度と35度では約1.1倍違う。これをセーラーは『冬は風が重い』というように云っている。
次に、A(代表面積)については体重の重い鳥程大きな翼をつけている事からも分るだろうし、ディンギーよりもずっと重いクルーザーは、より面積の大きなセイルをつけている事からも直感的に理解できるだろう。強風においてクルーザーで縮帆(リーフ)をするのは、揚力の減少を主たる目的としているからである。まあここで云っている代表面積は帆の平均弦長を指しているので、セイルの横幅が広いほど揚力は比例して大きくなると捉えたほうが良いかもしれない。
次にCL(揚力係数)については、帆走理論で知っておかなければならない事は次の4つである。
①迎角(α)の絶対値が小さいとき、揚力係数は迎角にほぼ比例する。
②迎角(α)の絶対値が大きくなると、物体表面から流れが剥離して揚力係数は急激に小さくなる。この現象を失速と呼ぶ。
③風が剥離しない範囲内に於いてはキャンバー率(ドラフト量/翼の弦長の百分率)が大きい程揚力係数は大きくなる。
④風が剥離しない範囲内に於いてはドラフト位置が前方にあるほど揚力係数は大きくなる。
①については、セイルを引き込むと迎角が大きくなり、迎角に比例して揚力係数が直線的に大きくなり艇速とヒールが増加する事からも容易にイメージ出来るだろう。揚力は迎角で制御しやすいという特性を持つ。だからヨットは主としてブームの出し入れで迎角をコントロールしているのである。中世に帆船が発達したのも揚力の制御がブームの出し入れで容易にできたからでもある。


②については、高速失速と翼端失速があり、前者は高速時に大きな迎角を急激に取る事で発生し、後者はセイルのリーチ部から渦による剥離がだんだんとラフに向かって広がっていく事を指す。
前者の高速失速は、プレーニング時や強風のアビーム時には急激なトリムは避け、迎角を安定させた方が有効であることを示唆する。鳥は舞い降りる時や枝に留まる時に意識的にこの高速失速を用いている。またこの鳥の動きを真似したジェット戦闘機もロシア軍が唯一開発して世界を驚かせた。
後者の翼端失速は、セイル後端に付けたリーチリボン(ピラピラしている赤い布切れ)を20%ストールさせるとか、綺麗に流すとかミーティングで言っていることと関係している。上の図(揚力係数~迎角)で見ると正にグラフの頂点から急激に下方に揚力係数が低下している付近の話である。
メインセイルのトップリーチのリーチリボンがストールしているのに一生懸命テルテールを見て風の振れに合わせた微細な迎角制御をしているセーラーをよく見かけるが、彼らには失速(stall)が如何に大きな揚力低下をもたらしているのか理解出来ていない。ジブセールもリーチが内側にフックして大きなストールをしているのに平然とジブ引きをしているセーラーがいるのは実に悲しい。上のグラフを良く理解して、自分のセイルのリーチ形状を常にチェックするというのがまず出来ていなければ揚力の最大化維持は望めない。日頃からこの観察を行っていないと、他艇のセイルも見れないし、トップセーラーやセイルメーカーのリーチやセイル形状を見ても何も違いが分らない者になってしまう。形状に違いがあるから物理的性能に大きな違いが出るわけで、最終的にはトリムもこの違いに左右されてしまう事が多い。下図は翼端失速を可視化したものである。少しずつ迎角を大きくしてゆくと翼後端部から渦が出来始めて、次第に大きく広がってゆくのが良く分かる。リーチリボンを見てこの現象をイメージできれば、セイルの見方は飛躍的に変わってくる。

③についてはドラフト量(翼弦からの最大垂直距離)が大きいほど流体の流れを大きく偏向出来るからである。このことは強風でセイルを浅くしたり、軽風では逆に深くしたりすることの物理的根拠となっている。ここで注意しなければいけないのは『風が剥離しない範囲内に於いては』という前提条件である。よって、軽風でも条件によっては風がきれいに流れなければセイルは浅くしてゆかなければならない。セーラーはこの大前提を確認しながらドラフト量(正しくはキャンバー率)を調整しなければ本末転倒になってしまうということを良く認識すべきであろう。
④については、ドラフト位置が前方にある程、やはり流体の流れを大きく偏向出来るからなのだろうが、イマイチ論理的に確信が持てない。飛行機の翼はヨットのセイルよりもずいぶん前方にドラフト位置がある。これは、対気速度が1~2桁速いので、このように前方に位置させても流体が剥離しないから可能なのである。やはりここでも注意しなければいけないのは『風が剥離しない範囲内に於いて』という前提条件である。
スナイプや470では前(ラフ)から43%~45%程度の位置にドラフトがあるように設計されている。風圧で少し後方に偏った時はカニンガムを引いて元の位置に戻してやるのである。カニンガムをいくら引いても初期設計位置よりも前方にドラフトは移動する事はない。どんどん引いていくとマストが曲がるだけである。
またブロードシームを主体としたデザインのセイルの方がラフローチを主体としたデザインのセイルよりもマストのオーバーベンドによってドラフトバックは生じ易い。一方、アビームではアフターを引きマストを立ててセイルを可能な限り深くしドラフトも前方に移動させるのだが、やはりこの時も『風が剥離しない範囲内に於いて』という前提条件に良く注意して行わなければならないのはもう既にお分かりの事だろう。
順風でセイル両面に風がきちんと流れている状態で、少しずつ迎角を大きくしてゆく(ブームインorベアー)と揚力は直線的に増加してゆき、ヒールが大きくなり艇速も上がってゆく。逆に、順風で少しずつ迎角を小さく(ブーム出しorラフィング)してゆくと揚力は直線的に減少してゆき、ヒールが小さくなり艇速も落ちてゆく。
この事は少しヨット乗りなれると感覚的に理解できることだが、次のような方法で確認してみると物理的にきちんと理解できる。
◆ 順風(風速4m/s~6m/s)のアビーム帆走で艇の向きを真の風に90度付近にしてシバーした状態から艇の向きをピクリとも変えずにブームを少しずつ引き込んでくると60度位からセイル両面に風が流れ出し、ヒールが徐々に大きくなってゆき、少し遅れながら艇速もアップしてくる。これはブームによって迎角を少しずつ大きくすると揚力も直線的に大きくなるという現象そのものである。更に、ブームをそのままセンター位置まで引き込んでいくとどうなるか、トップのリーチリボンが少しずつ乱れ始め、或る引き込み角度を過ぎると急にヒールが少し小さくなってゆく。この時、トップのリーチリボンは殆ど後には流れていない筈である。翼端に発生した大きな渦に吸い込まれてセイル後面に張り付いたようになっている筈である。
◆ 次に、上述と同じように順風(風速4m/s~6m/s)のアビーム帆走で艇の向きを真の風に90度付近にしてシバーした状態から60度付近にブーム位置を固定(カム掛け)する。今度はティラーで艇の向きを風下方向に少しずつ切ってゆくと、やはり、ヒールが徐々に大きくなってゆき、少し遅れながら艇速もアップしてくる。これもブームによって迎角を少しずつ大きくすると揚力も直線的に大きくなるという現象そのものである。
上記2つ実験は翼面と流体の迎角という点だけでみれば、物理的にはほぼ同じ現象である。但し、実際の帆走では、艇の向きが異なるので、艇速が作り出す風と真の風の合成ベクトルも違うし、揚力の前進方向成分も当然ながら異なるのだが、どちらも迎角で揚力の大きさをコントロールしているのだという認識を持つ事が非常に重要である。
この事を少し拡大して考えると、仮に艇速が一定ならば、クローズ~アビーム~ブロードリーチという揚力帆走の広い範囲においては、見掛けの風とセイルの迎角を風速毎に決まる最適な角度(ex,微風ではリーチリボンが100%流れるような角度、波のない軽風ではリーチリボンが30~50%流れるような角度、波のない順風ではリーチリボンが50%流れるような角度、etc)に常に一定に保つようにするのがセイリングの主たる技術であるとも言い換える事が出来る。
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