2013年02月24日
慰安婦「強制」否定派の米紙広告 オランダ女性連行 消滅
昨年11月、旧日本軍による慰安婦の強制連行を否定する民間団体の意見広告が米紙に掲載された。第1次安倍内閣当時の2007年6月、別の米紙に載せた意見広告とほぼ同じ内容だが、ある「事実」が抜け落ちた。軍がオランダ人女性を強制連行した事件だ。強制否定派は「関係者は直ちに処分された」と強弁するが、実は責任者は事件後に出世し、都合の悪い話だった。 (佐藤圭)
昨年十一月四日付の米東部ニュージャージー州の地方紙「スターレジャー」。ジャーナリストの櫻井よしこ氏らでつくる「歴史事実委員会」が掲載した従軍慰安婦問題に関する意見広告には、自民党の安倍晋三総裁(現首相)ら国会議員三十八人が賛同人に名を連ねていた。
広告には「三つの事実」が提示されていた。「女性が売春を強要されたことを積極的に示す歴史的文書はない」と主張し、軍による強制連行を否定している。安倍氏が見直しを示唆している河野官房長官談話とは正反対の内容だ。
一方、歴史事実委が〇七年六月十四日付の米紙ワシントン・ポストに載せた意見広告には「事実」は、左面の一覧にあるように五つあった。このうち二つの「事実」がスターレジャー紙に載らなかった。ちなみに当時首相の安倍氏は賛同人になっていない。
一つは、慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める米下院の決議案が、元慰安婦らの証言に基づいていることに疑問を投げかけた「事実4」だ。
意見広告掲載前の同年三月、首相の安倍氏が慰安婦動員について「強制性を裏付ける証拠はなかった」などと発言し、米市民団体などが激しく反発していた。最終的に決議案は可決され、意見広告は日本国内で「米側をさらに刺激した」と不評を買った。
ただ、決議案に関する議論は今となっては過去の話だ。「事実4」が外れても不思議はない。問題は、オランダ人女性の強制連行事件を取り上げた「事実3」だ。
旧日本軍の将校らが一九四四年二月、日本占領下のインドネシア・ジャワ島のスマラン近郊で、オランダ人抑留所から少なくとも二十四人のオランダ人女性を強制的に連行し、慰安所で売春を強要した。「スマラン事件」と呼ばれ、河野談話が出される前年の九二年、朝日新聞で大々的に報じられた。
「事実3」では、スマラン事件について「明らかに規律違反のケース」としつつも「事件が明るみに出た時、陸軍の命令で慰安所は閉鎖され、責任のある将校たちは処罰された」と指摘する。
これだけでは何を言いたいのか分かりにくいが、自民党有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が〇七年三月にまとめた提言書を読めば、意図するところは明らかだ。「(軍による強制連行は)一件だけ、スマラン事件があったが、(将校らは)直ちに処分されており、むしろ軍による強制連行がなかったことを示すものだ」
ところが、従軍慰安婦問題に詳しい吉見義明・中央大教授によれば「旧日本軍はスマラン事件の責任者を処罰していない。少なくとも厳罰に処してはいない。逆に責任者はその後出世している」という。
例えば、南方軍幹部候補生隊隊長の少将は、最後は師団長にまで昇進した。責任者らが死刑を含む有罪判決を受けたのは戦後の四八年、インドネシア・バタビア軍事法廷だった。強制連行否定派が唯一、軍による強制連行と認めるスマラン事件は、紛れもなく「強制性を裏付ける証拠」だ。
しかもオランダ政府が九四年に公表した報告書では、同事件以外にも、未遂も含めて八件の強制連行事件を挙げている。
強制とは本来、本人の意思に反して連れ去る「強制連行」、慰安所で無理に働かせる「強制使役」がセットだ。それなのに安倍氏らは、強制の定義を強制連行に限った上で、力ずくで奪い取る「略取罪」、相手をだます「誘拐罪」、「人身売買罪」のうち、軍が直接手を下した略取だけに絞り込んだ。そうした「狭義の強制性」でさえも、スマラン事件を見れば「あった」ことは明らかだ。
「事実3」が外れた理由は何か。事件が広く知れるようになったので一度は載せたが、やはりまずいと思ったのか。
歴史事実委メンバーでジャーナリストの西村幸祐氏は「費用の問題でスペースが確保できなかった。本当は五つの事実すべてを載せたかった。私たちが提示した事実の正しさは〇七年の時と変わらない」と説明する。
結局、強制連行否定派に残された論点は、植民地下の朝鮮で軍による略取があったかどうかだけのようだ。具体的には「軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行った」とする吉田清治氏の証言の否定だ。安倍氏らは「全くのでっち上げだ」と攻撃してきた。
吉田証言については、吉見氏も「証拠としては使えない」と話す。「朝鮮での軍による略取については『確認できない』という立場だ。元慰安婦の証言はあるが、それを補強する文書・証言は見つかっていない」
しかし、吉田証言が否定されたとしても「慰安婦問題全体の構図は崩れず、河野談話も揺るがない。軍による略取は中国やフィリピンでも確認されている。朝鮮でも、軍が選定した業者による誘拐・人身売買などの強制連行があり、軍の施設である慰安所に入れられたからだ」と断言する。
そもそも欧米では、強制連行の有無は重要な問題ではない。「連行の過程には関心を払っていない。問題は女性たちが慰安所で悲惨な目に遭ったということだ。強制的に軍人の相手をさせられた慰安婦は文字通りの性奴隷にされた」(吉見氏)
河野談話見直しの動きは、欧米の主要メディアから「深刻な過ち」(米紙ニューヨーク・タイムズ)と酷評されている。これを意識してか、最近の安倍氏は「官房長官による対応が適当」とトーンダウンしているものの、見直しが本音であることに疑いはない。
吉見氏は安倍氏に警告する。「河野談話を見直し、政府の責任を否定すれば国際上孤立する。逆に政府が賠償金を出すなど慰安婦問題をきちんと解決すれば評価される。どちらが日本の取るべき道なのかは明らかだ」
<河野官房長官談話> 1993年8月、当時の宮沢内閣の河野洋平官房長官が、戦時中の従軍慰安婦問題の調査結果について発表。「(旧日本)軍の要請を受けた業者が、甘言、強圧により、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くある。官憲などが直接、加担したこともあった」と指摘し慰安婦募集などでの旧日本軍関与を認定した。
<吉田清治氏の証言> 吉田清治氏は戦時中、朝鮮人の徴用が目的の「山口県労務報国会下関支部」の動員部長だったと名乗り、1983年に「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」という本を出版。朝鮮・済州島で朝鮮人女性らを従軍慰安婦として強制連行したと証言した。歴史事実委員会は「(日本近現代史家の)秦郁彦氏の現地調査によって信憑(しんぴょう)性がないことが暴露された」と証言を否定している。
<デスクメモ> 慰安婦問題は自国の歴史の負の部分を強調するものとして自虐史観だという。だが加害の過去から目をそらす姿勢は危うい。まして河野談話の見直しは東アジアでの「未来志向」に反する。学校教育では近現代史が最後でおろそかになりがちだ。勇ましい言説にひかれる若者が増えているのが気になる。 (呂)
広告には「三つの事実」が提示されていた。「女性が売春を強要されたことを積極的に示す歴史的文書はない」と主張し、軍による強制連行を否定している。安倍氏が見直しを示唆している河野官房長官談話とは正反対の内容だ。
一方、歴史事実委が〇七年六月十四日付の米紙ワシントン・ポストに載せた意見広告には「事実」は、左面の一覧にあるように五つあった。このうち二つの「事実」がスターレジャー紙に載らなかった。ちなみに当時首相の安倍氏は賛同人になっていない。
一つは、慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める米下院の決議案が、元慰安婦らの証言に基づいていることに疑問を投げかけた「事実4」だ。
意見広告掲載前の同年三月、首相の安倍氏が慰安婦動員について「強制性を裏付ける証拠はなかった」などと発言し、米市民団体などが激しく反発していた。最終的に決議案は可決され、意見広告は日本国内で「米側をさらに刺激した」と不評を買った。
ただ、決議案に関する議論は今となっては過去の話だ。「事実4」が外れても不思議はない。問題は、オランダ人女性の強制連行事件を取り上げた「事実3」だ。
旧日本軍の将校らが一九四四年二月、日本占領下のインドネシア・ジャワ島のスマラン近郊で、オランダ人抑留所から少なくとも二十四人のオランダ人女性を強制的に連行し、慰安所で売春を強要した。「スマラン事件」と呼ばれ、河野談話が出される前年の九二年、朝日新聞で大々的に報じられた。
「事実3」では、スマラン事件について「明らかに規律違反のケース」としつつも「事件が明るみに出た時、陸軍の命令で慰安所は閉鎖され、責任のある将校たちは処罰された」と指摘する。
これだけでは何を言いたいのか分かりにくいが、自民党有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が〇七年三月にまとめた提言書を読めば、意図するところは明らかだ。「(軍による強制連行は)一件だけ、スマラン事件があったが、(将校らは)直ちに処分されており、むしろ軍による強制連行がなかったことを示すものだ」
ところが、従軍慰安婦問題に詳しい吉見義明・中央大教授によれば「旧日本軍はスマラン事件の責任者を処罰していない。少なくとも厳罰に処してはいない。逆に責任者はその後出世している」という。
例えば、南方軍幹部候補生隊隊長の少将は、最後は師団長にまで昇進した。責任者らが死刑を含む有罪判決を受けたのは戦後の四八年、インドネシア・バタビア軍事法廷だった。強制連行否定派が唯一、軍による強制連行と認めるスマラン事件は、紛れもなく「強制性を裏付ける証拠」だ。
しかもオランダ政府が九四年に公表した報告書では、同事件以外にも、未遂も含めて八件の強制連行事件を挙げている。
強制とは本来、本人の意思に反して連れ去る「強制連行」、慰安所で無理に働かせる「強制使役」がセットだ。それなのに安倍氏らは、強制の定義を強制連行に限った上で、力ずくで奪い取る「略取罪」、相手をだます「誘拐罪」、「人身売買罪」のうち、軍が直接手を下した略取だけに絞り込んだ。そうした「狭義の強制性」でさえも、スマラン事件を見れば「あった」ことは明らかだ。
「事実3」が外れた理由は何か。事件が広く知れるようになったので一度は載せたが、やはりまずいと思ったのか。
歴史事実委メンバーでジャーナリストの西村幸祐氏は「費用の問題でスペースが確保できなかった。本当は五つの事実すべてを載せたかった。私たちが提示した事実の正しさは〇七年の時と変わらない」と説明する。
結局、強制連行否定派に残された論点は、植民地下の朝鮮で軍による略取があったかどうかだけのようだ。具体的には「軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行った」とする吉田清治氏の証言の否定だ。安倍氏らは「全くのでっち上げだ」と攻撃してきた。
吉田証言については、吉見氏も「証拠としては使えない」と話す。「朝鮮での軍による略取については『確認できない』という立場だ。元慰安婦の証言はあるが、それを補強する文書・証言は見つかっていない」
しかし、吉田証言が否定されたとしても「慰安婦問題全体の構図は崩れず、河野談話も揺るがない。軍による略取は中国やフィリピンでも確認されている。朝鮮でも、軍が選定した業者による誘拐・人身売買などの強制連行があり、軍の施設である慰安所に入れられたからだ」と断言する。
そもそも欧米では、強制連行の有無は重要な問題ではない。「連行の過程には関心を払っていない。問題は女性たちが慰安所で悲惨な目に遭ったということだ。強制的に軍人の相手をさせられた慰安婦は文字通りの性奴隷にされた」(吉見氏)
河野談話見直しの動きは、欧米の主要メディアから「深刻な過ち」(米紙ニューヨーク・タイムズ)と酷評されている。これを意識してか、最近の安倍氏は「官房長官による対応が適当」とトーンダウンしているものの、見直しが本音であることに疑いはない。
吉見氏は安倍氏に警告する。「河野談話を見直し、政府の責任を否定すれば国際上孤立する。逆に政府が賠償金を出すなど慰安婦問題をきちんと解決すれば評価される。どちらが日本の取るべき道なのかは明らかだ」
<河野官房長官談話> 1993年8月、当時の宮沢内閣の河野洋平官房長官が、戦時中の従軍慰安婦問題の調査結果について発表。「(旧日本)軍の要請を受けた業者が、甘言、強圧により、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くある。官憲などが直接、加担したこともあった」と指摘し慰安婦募集などでの旧日本軍関与を認定した。
<吉田清治氏の証言> 吉田清治氏は戦時中、朝鮮人の徴用が目的の「山口県労務報国会下関支部」の動員部長だったと名乗り、1983年に「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」という本を出版。朝鮮・済州島で朝鮮人女性らを従軍慰安婦として強制連行したと証言した。歴史事実委員会は「(日本近現代史家の)秦郁彦氏の現地調査によって信憑(しんぴょう)性がないことが暴露された」と証言を否定している。
<デスクメモ> 慰安婦問題は自国の歴史の負の部分を強調するものとして自虐史観だという。だが加害の過去から目をそらす姿勢は危うい。まして河野談話の見直しは東アジアでの「未来志向」に反する。学校教育では近現代史が最後でおろそかになりがちだ。勇ましい言説にひかれる若者が増えているのが気になる。 (呂)