カルビー「フルグラ」成功の秘訣 苦難乗り越え…愛されるヒット商品に
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この間、営業担当はスーパーマーケットを飛び回り、売り場の確保に奔走する。当時少なかったシリアル食品は菓子売り場の片隅に置かれることも多かった。営業担当者は小売りの仕入れ担当者に商品を試食してもらいながら新スタイルの食事であることを説明し、商品を置いてくれる棚を一つずつ増やしていった。地道な作業を続けて63年、無事に初代「グラノーラ」の発売にこぎつけた。
グラノーラで一定の手応えを得た後の平成3年、ドライフルーツを加えた「フルーツグラノーラ(現フルグラ)」を発売する。シリアルでフルーツが入ったものはめずらしく、見た目の華やかさやヘルシー感が女性を中心に人気となり、一気にブームの火がついた。9年にはフルーツグラノーラのみに一本化したが、ブランドマネージャーの網干弓子さんは「この頃は関係者が総出で働いても生産が追いつかないくらいだった」と振り返る。12年には宇都宮市の生産工場に専用の建屋を新設するなどして生産能力を4~5倍に引き上げ、売り上げがピークを迎えた16年にはシリアル部門を「オイシア」として分社化した。
絶好調のフルーツグラノーラだが、17年にフルーツをめぐる問題に直面する。キウイフルーツを新たに入れて発売したところ、アレルギーを持つ顧客から「食べられなくなってしまった」と連絡が入ったのだ。事前の消費者調査でもキウイは評価が高く、発売後の売れ行きも好調で売り上げの拡大が見込めた。だが、同社はすぐさま、商品仕様の変更を決断した。「常食性の高い食品として長いファンの方にこれからも食べ続けてほしいという考えに社内で異論は出なかった」(総合企画事業開発本部の谷兼興一さん)という。
この年に落とした売り上げは翌18年に少し戻した。だが直後、2度目の危機が訪れる。19、20年になると大手流通のプライベートブランド(PB)が広まり、グラノーラでも割安な商品が出てきて客足が奪われ始めた。売上高が減少するなるなか、支えとなったのはファンの声だった。「これがないと健康な朝を過ごせない」などとの声に奮起し、21年に再びフルーツグラノーラに注力することを決めて営業体制を再構築した。23年に、一層の親しみを持ってもらえるよう、ファンの間での愛称だった「フルグラ」に名称を変更。24年には顧客と食用シーンの拡大に向けて、朝食以外の食べ方を提案するレシピ本をつくるなど販促活動をてこ入れした。その甲斐あって、フルグラの24年度の売上高は前期比1・6倍、過去のピークと比べても約2倍の60億円と大幅に伸びる見込みとなっている。(金谷かおり)