■4月に統合
 堺朝鮮初級学校が、この4月に西大阪朝鮮初級学校(大阪市住之江区北加賀屋)に統合されることになりました。生徒数が減少し、将来的にも大幅な生徒数が期待できないからです。しかし、その奥底には日本政府・行政の民族教育への差別政策があることを、忘れてはなりません。

■新しい一歩
 1991年に初めて「公開授業」を行って以降、それを軸に堺朝鮮初級学校への日本人の支援活動もそれなりに今日まで続けてこれました。13回を数える「公開授業」へは延べで1000人をはるかにこえる人々が参加したことになります。堺での支援活動は一味違う、と時々言われます。言っていただけるほどのことができているのかと少し気恥ずかしいのですが、民族と民族教育を大事に生きている在日コリアンの気持ちと、歴史を真摯に受け止めなにをすべきかを考えている日本人の気持ちが、少しは通じ合っているのは事実だと思います。それを育む場所がハッキョでした。共生をめざす活動の端緒がここにはあると思っています。これからは少し形が変わるかもしれませんが、新しい一歩を踏み出しましょう。
(堺ハクキョの会 代表 小仲久雄)

■55年の歴史の中で
堺朝鮮初級学校は、1948年6月1日の創立以来、今日までの55年間、ここ堺の地において在日同胞子弟に対する母国語を中心とする民族教育を続けて参りました。
1949年10月に強制閉鎖にあいながらも、子供たちへの愛情と教育に対する情熱に燃える一世達は、あらゆる困難を乗り越え、ウリハッキョを再建し、今日まで約600名の卒業生を輩出し、同胞社会と日本の地域社会の発展に貢献して来ました。

■公開授業と学校給食
本校は日本の友人達と共に、全国の民族学校に先駆け、1991年から咲き粘まで13回にわたって一般公開授業を開催し、日本の人々に民族教育の素晴らしさとその正当性を訴えて来ました。
朝鮮学校を公開する、企画を練り、資料を作り、参会者を募り、役割通りの仕事をこなす。オモニたちに昼食の準備をお願いして、懇談会を持つ・・・日本人と朝鮮人が協力しながら、大変な仕事をしてきたものだと思います。この力が現在の堺ハクキョの会になり、給食の支援として日常的な活動になりました。日本全国に沢山のチョソン学校があり、
それぞれが日本の方々と色んな関わりを持っていますが、このような活動は、他に類をみないものだと思います。民族教育の歴史は、在日一世達の汗と血と犠牲の上に築かれ、二世達がそれを必死に守って来た、苦難の歴史ですが、堺で、民族教育を理解し、支持する人たちと楽しい歴史が作れたことは、本当に嬉しく、誇らしいことだと思います。

■堺での経験を生かして
本校は2004年度から、西大阪朝鮮初級学校で堺地域の民族教育を続けて行くことになりました。堺ハッキョを支持し、支援して下さった皆さんにとっても、堺の他にハクキョが無くなる事は、非常に悲しい事ですが、子供達に少しでも良い教育環境を与える為の措置として受け止め、活動形態が少し変わっても、朝鮮学校に対する理解と支持は変わりなく、大阪市内まで仲間を増やす活動が出来れば、堺での経験がより大きく結実すると思います。
堺ハクキョの会の活動に賛同され、幅広い支持、支援活動を繰り広げて下さった皆さんに心から感謝致しますと共に、これからも変わらぬご支援、ご協力をいただけるようお願い致します。
(堺朝鮮初級学校 前校長 康 浩奉)


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 思えば、22〜3年までだろうか?錦西小学校に赴任して、3年目くらいの頃、学校沿革史に「1949年12月9日朝鮮人学校閉鎖につき朝鮮人児童49人本校に入学」
と言う記事を見つけた。その頃の錦西校区はハルモニが
「チュプタ、チュプタ」
と言いながら歩いている所だった。もともと、大学では、朝鮮近代史を専攻というか、まあほかに何にも勉強しなかった人間なので、これを機会に周りの若い教員達に錦西校区の在日朝鮮人児童の問題を話していった。その頃の教員達は何事も吸収しようと言う意欲旺盛だったので、すぐ行動を起こして朝鮮総連堺支部の話を聞きに行った。支部がハッキョのグランドのプレハブの2階にあった頃だ。それから、河相徳先生との出会いがあり、任玉鐘氏との出会いがあり、岸和田紡績堺分工場の女工たちの
の教材化の作業などがあった。大仙西小学校では、ウリマル学習会の取り組みがあり、私も錦西でクラブを作ったりした。堺のハッキョは、全国に先駆けて公開授業を行い、日本人側は、実行委員会を作って、それに応えた。
 今、堺には6千数百の韓国籍朝鮮籍の人が住んでいる。日本籍朝鮮人の数は、推し量る事も出来ない。
 「在日朝鮮人が、代を重ねて5世6世となれば、果たして在日朝鮮人と言えるのか?在日朝鮮人20世と言うのもあるのか?」
と言う議論もある。しかし、豊臣秀吉の軍に連行された陶工の末裔沈寿官家が、「故郷忘じがたく」生きているのを考えれば、
「朝鮮人として生きる」
少なくとも、選択を許されている日本社会であらねばならないと、僕は思っている。それを作り上げるのは僕たち日本人だ。
(由利 元次郎)

私にとって堺ハッキョの存在は、在学時よりも卒業してからの方が大きくなったと思います。私が卒業した年の4月から、父がハッキョの教育会会長になったからです。これはあまりにも突然なことだったので、私は本当に驚きました。今だから話せますが、当時の我が家はなかなかの「危機的状態」でした。父と母はいつもなんらかの言い争いをしていて、「家庭崩壊」の危機と常に隣り合わせだったように思います。
当時中学生だった私も、父の活動を全く理解できませんでした。なんでオモニにつらい想いさせてまで、家庭崩壊の危機を招いてまで、教育会会長になんてなったんやろう。家族のこととか、どう考えてるんやろう。てゆうか、ハッキョで何をやってるんやろう。・・・・・・などなど、理不尽な気持ちでいっぱいでした。(当時は私も反抗期だったので・・・。ご了承ください)。
高校卒業を共に民族学校から旅立ち、客観的に同胞社会や民族教育について考えるようになって初めて、父の活動の意味を、意義を、理由を知ることになったと思います。ハッキョを守っていくこと。同胞社会を守っていくこと。そして京都にも東京にも聞こえてくる、堺ハッキョの噂。同胞と地域の人びとが一緒につくりあげているそのコミュニティは、堺から遠くはなれて生活する私にとって大きな誇りでした。

堺ハッキョは私にとって、ただの“母校”という存在だけではありません。アボジが
青春を賭けて、人生をかけて守り抜いた、私の兄弟です。でも私は、ハッキョのために何もできませんでした。ごめん。これからずっと、そのことを悔やみつづけて生きてゆくしかありません。それが何もできなかった私が背負ってゆくべき罰なのだと思います。帰る場所を、失ってしまうという、世界で一番悲しい罰を。

気がつくと私も、在校生より父母の年齢に近くなってきました。あれは大学の頃だったと思います。父がふと、「エスンは子ども、ウリハッキョ入れるか?」と聞きました。私は「うーん、多分入れる。でも旦那によるかなぁ」と答えると、父は、「エスンの結婚相手の条件で、それを入れてくれへんか。あとは、どんなんでもええから」と、静かに話したのを覚えています。私はその時、ああ、ハッキョを守っていくというのは、こういうことなんだ、と思いました(ちなみに、それ以来私の旦那探しの条件は“高収入・将来性・子どもをウリハッキョに入れる”です)。
ハッキョ、今まで、ありがとう。これからも、私たちを、見守っていてください。
これから始まる春も、堺の同胞と地域の人びとにとって素晴らしい春となりますように・・・。
(洪愛舜)


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歴史ある堺朝鮮初級学校が休校になるのは寂しい限りである。関わって日の浅い私がそう思うのだから卒業生をはじめとした地域の在日朝鮮人の人々はもっと感慨深いものであろう。民族学校は在日朝鮮人の権利獲得運動の大きな動機であり、また偉大な成果でもあった。歴史を紐解くまでもなく堺朝鮮初級学校史は全国各地の民族学校と同じく日本政府の差別政策への断乎としたたたかいと民族的団結の輝かしい象徴でもあった。困難な状況の中でも希望を失わず頑張っている先生達、それを支えている保護者をはじめとする地域の在日朝鮮人の大人達、屈託のない子供達の明るい笑顔、これが私達「堺ハクキョの会」の原点である。
ここでの人と人との出会いが私達の運動の端緒であり、またなにものにも代える事の出来ない財産となってきた。複雑な現代日本の中で在日朝鮮人による在日朝鮮人のための民族教育の意義が薄れてゆく事はよもやないであろう。それどころかマイノリティのアイデンティティが尊重されなければならないのは最早世界の常識になっている。それ故この度の休校の決定に惜念の思いを抱く日本人は私達「ハクキョの会」のメンバーだけではないはずである。しかしながら美しき未来は過去を惜しむ心を糧として造られていくものと信じている。
新たな出会いと有情を求め、さらなる広がりを目指し、新生「ハクキョの会」運動を引き続き展開していきたい。
(渡邊 了)


 16年前のこの時期、上の子の卒業を一月後にひかえ、長渕剛の「乾杯」を聞きながらよく泣いていました。
 素直に育ったこと、無事故で卒業できること、感謝の気持ちでいっぱいでした。
 55年の歴史の中、多くのチョソンハッセン(朝鮮学生)を送り出した堺朝鮮初級学校。
 今年は≪あなた≫が卒業されるのですか?
 2人の子どもの母校であり、私の人生の母校でした。
 ハッキョを支える運動を通じかけがえのない友人を得、社会活動の原動力となりました。
 ≪あなた≫は学校、家庭、地域を太いパイプで結ぶ理想の学校でした。
 苦しい学校運営の中、民族教育をまじめに取り組む先生方、それを支える同胞保護者、その運動を見て育つ子ども達。
 ここ10数年はこの輪に日本の方々が入り応援してくださいました。
 ≪あなた≫は民族の言葉と心を育てながら弱い者が支え合って、強く生きる事を教えてくれました。
 堺朝鮮初級学校。
 今後も≪あなた≫が発信して来た精神を、この地域で引きついで行きたい。人生の学び舎であってほしいと願いアンニョンヒ、そしてアンニョンハセヨ。
(安 美子)



堺朝鮮初級学校が歩いてきた55年の道のり、在日朝鮮人一世のハラボジ、ハルモニ達が血と汗で築き上げ、二世、賛成へと受け継ぎ、守ってきた大切な民族教育。
堺での55年を誇り高く振り返り、新しい時代へと受け継いで行く。
2004年度から西大阪で行う堺の民族教育の新たなページを地域の在日朝鮮人、卒業生達が一同に会し一緒に開きます。
応援する日本人も多数出席しますので、是非みなさんも参加してください。
堺朝鮮初級学校休校行事“うけつごう民族の魂・堺”

日時:2004年3月21日(日)午前11時
場所:堺朝鮮初級学校 運動場
主催:同実行委員会    問い合わせ先:堺朝鮮初級学校 tel.072-238-6428


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日朝交流の現場から−
 地域で支え合うことの大事さ


 1991年2月11日、堺朝鮮初級学校で第1回目の公開授業が行われました。朝鮮学校が日本人との共同で公開授業をしたのは、日本ではじめてのことだと思います。100人弱の児童数の小さな学校に200人以上の人が集まりました(今は児童数は30人以下になっています)。

 2月11日は「建国記念日」で、日本は祝日。朝鮮学校は通常授業であるのと、「天皇制」を考える文化会も行おうと、この日に設定されました。以後毎年1回実施し、今年で13回目をむかえています(実施日は第7回目から変わりました)。

 その後、「JR定期券差別撤廃の運動」「学校の財政支援の緊急活動」「堺朝鮮初級学校のバザーの協力」「堺朝鮮初級学校50周年記念事業(給食棟、多目的ホールの建設)の支援」の活動などを、その時々の個人の意思で行ってきました。また、地域では「堺における朝鮮人の強制連行、強制労働の実態を明らかにする調査活動」や「戦後50年を考える堺市民の集い(堺朝鮮初級学校で開催)」を学校関係者と共に行ってきました。

 このような活動はその時々に単発的に提起されてきましたし、参加する人もまちまちでした。そこで、「より恒常的な活動をし、より支援の輪を広げよう!」−そんな気持ちをもった人たちが「堺ハクキョの会」を1999年秋に発足させました。

 まず身近なものとして、週1回の給食支援に取り組むことにしました。子どもたちやオモニ、アボジに喜んでもらえること、
50周年記念事業で建設された給食棟が活用できることから考えました。1口(1年間)1万2000円(めやすとして)のカンパを募り、調理さんの人件費と食費補助金を捻出するかたちで、給食を2000年1月から始めました。のべで100人を越す方々の協力をいただいて、何とか今でも続いています。

 学校のこと、堺ハクキョの会の運動のこと、週1回の給食の様子のことなどを知ってもらわなければカンパは募れません。そのために、「堺ハクキョの会通信」を1年に3回発行し、今で9号になっています。給食のメニューはハンバーグ、シチュー、焼肉、ピビンパなど多彩で、キムチとデザートは毎回付きます。給食の時の子どもたちはうれしそうで、偏食がなくなった子もいるそうです。

 もちろん、いろんな悩みや問題もありました。しかしその都度、学校関係者やオモニたちと一緒に話し、考えてきました。その中で、地域で支えあっていくことの大事さも理解しあえてきたと思っています。

 まだまだささやかな活動ですが、こうしたことを積み上げることが民族教育の理解、発展につながると信じています。朝鮮学校の子どもたちが、日本の学校の子どもたちと同じような環境、条件で民族教育を受けることができる、そんなあたりまえのことがまだできていません。それができた時、「すべての人が共に生きる町、暮らしてよかったと思える町」になってくるのではないか、そんな思いを持っています。(終わり)(小仲久雄、堺ハクキョの会代表)

[朝鮮新報 2003.7.22掲載記事より]


 「何でやのん、おんなじ中学生やのに、定期代が違うの。おかしんとちがう。」安美子さんからの問いかけでした。在日を生きる子どもたちに民族意識を持つように民族の言葉、文化を自分たちの手で取りもどすために必至の努力によって学校を建て民族教育を行った学校。その学校へ通う生徒に大人並の定期代を払わせていたJR西日本に対して、堺から差別定期の是正を求める運動がはじまりました。一人でも多くの人に、民族教育の理解をと、全国で初めての初級学校の公開授業。運動は全国に広がり、 1994年JR6社は「差別定期の是正」を発表しました。
 運動の原点になった民族学校が次々と統合される今、堺朝鮮初級学校も四月から通学する子どもたちの姿が見られなくなりそうです。保護者の経済的負担が子どもたちの民族教育を受ける権利を奪っているのではないでしょうか。この権利は誰もさまたげることはできません。「ハクキョの会」に賛同されている皆さんとこれから共に運動を続けていきたいと思っています。(小川たか子)


■ 会計報告 ■

西大阪朝鮮初級学校に統合されてからも、学校給食を継続する予定です。引き続きご支援をお願い致します。

* 食費補助として、1人1食あたり¥100(約31名分)を負担。
* 人件費は、時給¥1,000×5H×2名で計算。
* 水道光熱費、米代は学校負担。
* 材料費は、1回あたり約¥13,000かかっている。
* 生徒は、1人1食あたり¥300を保護者が負担。
2002年4月〜2003年3月(40回)給食実施合計
収  入 支  出
前年度繰越 -182,716 人件費 215,000
カンパ(11人分) 638,500 食費補助金 103,200
    振替手数料 2.320
    9号 郵送料 30,640
    封 筒 代
    4月末残高 104,624
合 計 455,784 合 計 455,784


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